囚われ身の怪盗４ （後） 「・・・あっ・・・くっ――んんっ・・・っ」 日に焼けた少年の腕が、白いシーツを掴む。 その唇からはひっきりなしに甘い声がこぼれた。みだれた声でありながら、どこか抑制しようとする力が働いている――だからこそ、よりいっそう少年の表情が悩ましげなものになっていた。 「はっ、あ・・・っ、ん、そこはも、やぁっ――・・・っ」 両手をベッドに拘束されたまま幾度も追い上げられたあと、今度は手首を解放され、空はうつ伏せの体勢をとらされた。腰だけを掲げた淫猥な姿勢で、さらに七海に嬲られていく。 自ら薬を飲んだ空の中の熱はなかなか冷めず、七海の手に時間をかけて導かれるまでもなくすぐさま達したくてたまらなくなった。なかば朦朧となった意識で衝動のままに腰を揺らし、空は自らも快感を取りこんでいく。 「羽柴くんは相変わらず、嘘つき･･･なんですね。本当にいやなら、こんなにひくついているはずはないでしょう･･･？ すごくとろけそうなくらいに熱くて･･･そのくせときおり強く収縮してきて。上手すぎますよ、羽柴くん。本当に、なにからなにまでいやらしいようにできているんですね、羽柴くんの体は」 「ちが･･･そ、じゃな･･････ん、あぁ･･･っ」 「ほら、もういきたくてたまらないんでしょう？ これで何回目でしたっけね？ ふふ･･･もう堰き止めたりしませんから、素直にいっていいですよ。また羽柴くんのはしたないところを、ちゃんと見届けてあげますからね」 「･･･っ･･･い、やだ、そんなこと、言わ･･･あっ、んんっ･･･っ」 少年の汗ばんだ背中がわずかに反り返った。それとともに少年の内部がいっそう絞り込んできて、七海は少年の絶頂が近いことを知った。それとともに自らにも訪れてくる快感。 だが少年に引きずられて身体が熱くなればなるほど、どこかがますます冷めていくのを七海は自覚していた。手のひらにしっとりとなじむ少年の肌に夢中になってしまいそうな意識とは別のところで、空虚さに襲われる。 今内側にとりこんで無意識のうちにねだっているこの身体は、別に、「自分」を求めているわけではなくて。ちゃんと気持ちよくしてくれる相手なら誰だってかまわないのだ。 あるいは少年は「自分」を求めているのかもしれないが、それは単に数日前に快感に導いた相手だからというだけであって、もとより少年は「七海かい自身」には特別な感情を向けているわけではないのだ。 そう、特別な気持ちがなくてもこんなふうにあさましく腰を振れる少年なのだ、この、羽柴空という少年は。 そうだとわかっていてさえ、どこかで軽蔑する気持ちを抱いていてさえ、それでもこの少年に惹きつけられて溺れる心を止められない。 無性に傷つけてしまいたいと思うのも、それだけ強い愛情の裏返しなのだ――そうと気づかないほど、七海は子供でもなかった。 初めから。 気持ちがなくても、自分に感じて甘くみだれていた少年。 もしその身体がまったく反応を示さないでいてくれたら、その方が心は救われただろうか。それとも代償さえ求められないことに、苦しんでいただろうか。 「･･･はっ、ぁん･･･な、七海ちゃん･･･っ。オレ、も、限か･･･、だ、からっ、七海ちゃん、も、い･･･っしょに･･･っ」 自分の限界を訴えてきた少年のその声に、七海の思考が現実に引き戻された。 「ひとりでなんて、や、だ･･･っ。も･･･ど、せなら、一緒、にっ」 「―― 一人だけでいくのは、恥ずかしいからですか？」 「違う･･･七海ちゃんと、一緒に･･･感じたい、から･･･っん･･･っ」 「――」 少年の懇願に、七海は言葉を失う。 今の少年の瞳は七海を見ていなかった。ただ目を閉じて、自分の中の快楽の嵐に懸命に耐えているだけだった。 けれど、そんなふうに、この少年に言われたら。 七海は目を細めて少年の体を見下ろした。 自分でも喜んでいいのか哀しむべきなのか、よくわからなかった。 「本当に羽柴くんて、天然で人を惑わすんですね･･･。そんなふうに誘い上手なのは、さらに気持ちよくしてもらうための本能ですか？ もう･･･どちらでもいいですけどね･･･」 七海が浅く溜息をつく。 どちらにせよ、自分の心がますますこの少年に囚われたのは確かなことだった。 胸の中のいとおしさが増す。それとともに苦い気持ちが。 どんな理由があろうとも、今自分がしていることは本来、好きな少年に対して行うことではないのだから。 「いいですよ･･･。羽柴くんがそう望むのなら。じゃあ、せめて今だけでも、二人で同じ気持ちをわけあいましょう･･･？」 七海は空に対してなんの昏さも影も持たず、優しく――ただひたすらに優しく囁いた。 ――七海は自分の身なりを整えると、眠っている少年の身体に改めて布団をかけ、保健室の窓を開け放した。 途端に涼やかな外の空気が室内に流れ込んでくる。部屋の中にわだかまっていた濃密で淫靡な空気も、すべて清涼に滌（あら）われていく。 それから七海は窓を開けたまま、今度は保健室のドアに向かった。先程少年との秘め事のためにかけた鍵をはずす。 これで、誰かがいつもどおりにここを訪れてくるかもしれない。だが七海は、誰が入ってきてもベッドの方には行かせないつもりだった。具合の悪い生徒が寝ているのだと言えば、あえて少年に触れたり、布団をはがす人間はいないだろう。少年自身も自分の部屋でないところで眠っていたと気づけば、目覚めたときすぐに事情を察して、たとえそのとき別の人間がいてもうまくかわすことはできるだろう。 だったら、あえて部屋を閉鎖しておく必要はないのだ。普段どおりの状況を作っておいたほうが、人にあやしまれなくてすむ。だれも、今ここでかなり激しい行為が行われていたのだと気づきはしないだろう。 少年の服にも床にもシーツにも、秘め事の名残はもうどこにも見出せない。 空は、よほど体力を消耗したのだろう、ぐっすりと眠り込んでいた。最後にはほとんど気を失ってしまったようなものだったが、そのわりには少年の寝顔は安らかだった。 ゆっくりと呼吸を繰り返し､眠りの世界に誘われている少年の顔を覗き込んで、七海は苦笑をもらす。 子供のころから見守り、大切にいつくしんできた少年。 だれにも傷つけられることがないようにと願い、その幸せをずっと祈り続けていた存在。 なのにその大切な少年を、他でもない自分自身がめちゃくちゃに壊したのだ。少年が自らこの部屋を訪れたことをいいことに、体の奥に眠るどす黒い欲望のままに少年を再び抱いた。薬を飲んでまで快楽を求める少年が信じられなかったし、ずっと少年を想いつづけてきた自分にその相手をさせるなんて、無性に哀しくて腹立たしかった。 いっそ他の男のもとへ行ってくれたら、どんな気が楽だったか――。 だが、先程まで自分が見ていた少年の痴態を他の男の目にさらすことを想像しただけで、七海の胸に別の痛みが訪れた。ベッドの上で甘い声をこぼして、濡れた瞳でその相手を見上げて。身体の奥の快感に耐えるために、必死に背中に腕を回して。 そんな少年の身体を自分以外の男が組み敷いて思うさまむさぼるのだ。 「――」 七海は目を伏せた。 あのとき空が本当にこの部屋を出ていっていたら、少年の行き先のことを考えて激しい嫉妬に苛まれていたことだろう。自分に抱かれた少年に憤りを感じていても、少年の誘いを哀しく思っても、結局自分はやはり少年を抱きたかったのかもしれない――。 自分だけの一方的な想いだとわかっていても。 自分だけの一方的な想いだと自覚しているからこそ。より、深く。 「ん・・・七海ちゃん・・・？」 ふっと。空が、目を覚ました。なにかの空気を感知したように。 まだあまり焦点が定まらない瞳で、それでも七海の姿を視界に入れて少年がふわっと微笑む。 「よかった・・・七海ちゃん、オレのそばにちゃんといてくれたんだな・・・」 「羽柴くん・・・」 七海の声にためらいがまじる。いつもどおりに少年を優しくいたわるべきか、先程のように突き放す言動を取るべきか、咄嗟には判断できなかった。 「へへっ・・・」 「羽柴くん、今回のことは、自分でも後悔したんじゃないんですか？ あんなことをしなければよかったって」 「･･･どうして･･･？ オレ、後悔なんかしないよ。だって七海ちゃんにされたかったし・・・。七海ちゃんが、好きだからさ」 「――」 「七海ちゃんが好きだよ・・・だからオレ、七海ちゃんと特別な時間を持ちたかったんだ・・・。ななみちゃんが、好き・・・だから・・・」 そう言った少年の口元に、またかすかな笑みが浮かぶ。それから少年のまぶたが再びゆっくりと閉じられていった。間もなく、規則正しい寝息が聞こえはじめる。 「羽柴くん・・・」 七海が、少年の名前を呟いた。 そのときにはさきほどのためらいが嘘のように、頭の中がすっきりと冴えていた。 体の中の熱が急激に下がり、意識が冷たく覚醒する。 『七海ちゃんが、好きだからさ･･･』 耳に蘇る、やわらかい少年の声。 薬を飲んだあと、ぐっすりと眠っていた少年の――。 「羽柴くん薬物ってね、アルコールと同じでその人間が普段まったく思ってもいなかった言動を引き出すことがあるんですよ。普段はしない行動を引き起こし、いつもはいだかない感情を本当の気持ちだと錯覚させるんです。私は、薬が人間の身体のみならず、意識や記憶にどんな影響を与えるかをよく知り尽くしているんです」 眠っている少年に向けて、七海が淡々と語る。 そう、自分は何度も見てきたのだ。いい意味においても悪い意味においても、薬には人間の意識と体を操る一面があるのだということを。過去、それを熟知した上で研究に勤しんできたのだから。 「だから――私は、薬を飲んでいる人間の言葉は信用しないことにしているんです」 少年に冷ややかな一瞥を投げたあと、七海は少年が眠るベッドに背を向けた。 ＥＮＤ |