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「･･････啓太。おーい、啓太。啓太、そこで寝るなよ」
　和希に身体を軽く揺すられても、啓太は閉じたまぶたを開こうとはしなかった。
　自分の腕を枕にした横向きの格好のまま、ぼんやりと返事をする。
「ん･･･だって俺もう眠い･･･」
「だから、寝るなって」
「だってもう充分･･･しただろ。俺もうくたくただし･･････」
「帰ってきたら俺を寝かさないって言ったのは啓太だろ。その啓太が俺を置いて先に寝るなよ」
「ん･･････」
　生返事をして啓太はそのまま夢の世界へ旅立とうとする。汗が引きはじめた身体で床に寝転んでいても、今の啓太には気持ちよさしか感じなかった。つながりあった快感の余韻に浸ったまま、ゆっくりと意識を沈めていこうとする。
　そんな啓太を見て、和希は一つ溜息をついた。
「･･････そういえば啓太。今、ベルリバティには面白い噂が広まってるんだな。俺のところにクラスのやつからメールがきててさ、転送してここで読んだんだけど、メールをひらいてみてその内容に思わず笑っちゃったよ。啓太は知ってたか？」
「･･･ん･･････うわさ･･･？」
「そう。今この学園に広まっている最新の噂。なんでもベルリバティスクールの理事長はこれまでに何十回と見合いをしているらしいな。そしてすべて理事長の奇異な行動のせいで相手に断られているんだってな。だから理事長はますます次の見合いに躍起になっているんだとか」
「･･････見合いがなんだって･･･？　理事長･･･？　ベルリバティのって･･････――か、和希っ！」
　睡魔に襲われていた啓太の耳に思わぬ単語が飛び込み、啓太はすぐさま意識を覚醒させた。床に手をついて身体を起こし、隣にいる和希の顔を慌てて見遣る。
　そんな啓太に向けて和希は爽やかな笑顔を浮かべて先を続けた。
「なんでも一番最初の見合いはウケ狙いで見合いの途中にふざけた口調で喋って相手に呆れられたんだって？　見合いの十回目はくまのぬいぐるみを抱えて行って、十三回目のときはくまのお面をかぶり、十七回目のときは青いくまの着ぐるみを着てその場で踊ってみせたんだってな。口を開くといかに自分がくま好きであるかをとくとくと語りだし、それに相手に自分と同じことを強要しようとして、あげく相手から水をぶっかけられたり、頬をはたかれたりしたんだってな。一番最近の見合いでは相手からそんな変態的な趣味には付き合えないって言われたらしいけど、でも理事長は相手を捕まえて、『あなたなら顔がくまに似ているからきっと大丈夫ですよ』とかなんとか言ったとか。――ほんとに、実に面白い噂だよな啓太」
「俺はそこまで言ってないぞ！　･･････あっ」
　咄嗟に出てしまった自分の言葉にはっとし、啓太は慌てて自分の口を手で押さえた。
「そこまでってことは、やっぱり啓太が絡んでたんだな。もしかしなくても噂の発信源は啓太なのか」
「う･･････」
「ほら、怒らないからお兄ちゃんに全部話してごらん。けーいた」
「･･････だって、和希一人に頑張らせたくなかったんだ。今回の噂は俺と和希のことなのに、和希に全部任せて俺だけ一人のほほんとしているのはいやだったんだ。俺と和希は対等な恋愛関係なんだから、噂を消すために俺もなにかしたかった。噂が消えればその分和希と早く会えるだろ。だから、俺にできることはないかなって考えてみたんだ。･･････理事長の架空の見合い話を作り出せば、少なくとも理事長がホモっていう噂は消えるかと思ってさ･･･」
「『架空の見合い話』、ね･･･」
「理事長みたいな肩書きを持っている人なら、見合い話がいくつかきてても不思議じゃないだろ？　もともと鈴菱グループの一員なんだしさ。だから理事長が見合いをしているって話はけっこう信憑性があるんじゃないかと思って利用したんだ」
「――まあそれはいいけどさ。それより、なんでくま関係ばっかりなんだ？」
　和希の質問に、啓太はごまかすような曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「えーと、うちの理事長がＭＶＰ戦のときくまのぬいぐるみを使っていたのは学生全員が知っていることだし、それに関連したエピソードをつけたらもっともらしく広まるかと思ってさ。それに、ただ普通にお見合いをしてふられたっていうより、なんか愛嬌があるだろ？　しゃれっ気っていうかさ･･･」
「愛嬌で、学生全員の物笑いのタネにされてもな･･････」
「で、でも実際、その噂を聞いたやつらは理事長について好意的な解釈をしてくれてるみたいだぞ。和希が送ったメールとあわせて、ちょっと天然かもしれないけどいい人だとか、変な理事長だけど人柄は悪くないよなとかって言われてるの俺もちょっと聞いたし･･･」
「･･････」
　啓太の顔をじっと見つめたまま黙りこんだ和希に、やがて啓太は小さく「ごめん、和希･･･」と呟いた。
「俺のわがままで、ベルリバティスクールの理事長に変なイメージをつけてごめん。学園の中だけならともかく、もしほんの少しでも外に流れたら困るよな、和希･･･。そのことも考えなかったわけじゃないんだけど、でもどうにかして理事長と学生の噂を早く消したかったんだ･･･」
「俺に、早く会いたかったから？」
　啓太同様床に寝転んだままの和希が啓太に聞く。それに対して啓太は一切の躊躇も照れもなく、そのまま素直に頷いた。
「そうだよ」
「･･････噂のことは俺がどうにかする、それまで啓太には待っててほしい。俺はあのときそう言ったと思うけど、俺一人に任せるのは不安だった？　俺が、信用できなかった？」
「違うっ！　全然そういうんじゃない！　だからさっきも言ったように俺もなにかしたかっただけなんだ。和希のことが信じられないとか不安だとか、そういうつもりは全然ない！　ただ俺は、自分でも動いて早く和希に会いたかっただけなんだ。――俺は、和希を傷つけた？　俺がしたことは本当に押しつけで和希には迷惑でしかなかった？　今回のことは完全に俺のわがままだった？　もしそうだとしたら何回でも謝るよ。だから俺が和希を信じていなかったわけじゃないことだけは、わかってほしい･･･っ」
　和希の上に身を乗り出し、啓太が懸命に訴える。実際に流れていた噂を薄れさせる効果があろうと、今回の発案を誰に褒められようと、当の和希を傷つけたのならなんの意味もないことだった。だから啓太は和希の感情を正確に読み取ろうと、食い入るように和希の顔を見つめた。
「――まったく。そういうところが啓太だよなあ」
　そんな啓太に向けて不意にやわらかい声が返ってきて、それとともに啓太の髪に和希の手が伸ばされた。啓太の髪を優しくかき回す指先。
「和･･･希･･･？」
「そうやって、自分でも動いちゃうところが啓太なんだよな。そしてこんなふうに俺が傷ついたふりをすると、すごく一生懸命になるところも啓太らしいよな。ああ、俺はこれに惚れたんだなっていっつも思うよ」
「え･･････？」
「啓太が俺を信用していないなんて思ってないよ。ちょっと、啓太をからかっただけなんだ」
「な、か、からかったって、たち悪すぎだぞ和希！」
「でもこれですっかり眠気が覚めただろ？　噂の内容自体も、本気で怒っているわけじゃないよ。啓太が考えたことなら俺は気にしない。俺が気にするのは、ただこのことに啓太以外の人間も関わっているんだろうなっていう一点だけだよ」
　啓太の髪をかき回す手はそのままに、和希が啓太に向けて笑いかけた。
「え･･････」
　和希が本当に傷ついているわけじゃないという安堵と、からかわれたという憤りを感じていた啓太が和希の言葉に思わず固まりかける。それだけ、今の和希の笑顔にはなにか怖いものを感じさせた。
「王様、西園寺さん、七条さんに中嶋さん。そのあたりかな、今回の噂に関わっているのは」
「･･････うん、西園寺さんたちにはいろいろ相談にのってもらったよ。俺一人で考えるよりもっといい案が浮かぶだろうし、俺だけが実行するよりも大きい効果が得られるだろうし。それにやっぱり誰かに相談すると心強いしさ。･･････気に入らない？」
「気に入らないね。俺は俺と啓太との間に他の人間が割り込んでくるのはいやだし、恩を売られるのも、貸しを作るのも冗談じゃない。勿論啓太が誰かに貸しを作るのもいやだ。なにより俺がいないところで啓太が他の男を頼って、その間啓太が俺以外の男の視線に晒されていたかと思うと腹が立つよ」
「か、和希･･･」
「あの人たちが優秀でたよりになるのは俺も認めるけど、でもやっぱり、啓太に一番最初に頼られるのはいつも俺でありたいよ」
「そんなのは当り前だろ。誰だって、一番最初に頼るのは一番好きな相手なんだから。俺だって、なにかあったときに一番最初に頼るのは和希だよ。俺が退学勧告を受けたときも、ＭＶＰ戦のときもそうだっただろ。ただ今回はその和希が俺のそばにいなかったから･･･」
　そう言って、啓太が和希に身を寄せる。寂しかったのだと暗に示すその行動に、和希は啓太の髪に触れていた手を啓太の背中に回し、ぽんぽんと叩いた。
「それならいいけどな。でも俺はけっこうなやきもちやきだから覚えといてくれよ。久しぶりに啓太と会えた！と思ったら、啓太が王様と二人きりでいたこと自体も俺はいやだったくらいなんだから」
「そ、そうだったんだ･･･」
「それに啓太には、ちゃんと責任をとってもらわないといけないよな」
「え、責任？」
「さっきは怒ってないとは言ったけど、でも理事長に関する嘘の噂を流した罪は重いんだからな。首謀者である啓太にはそれなりの責任をとってもらわないとな」
「首謀者って･･･。それにその責任てなんだよ」
　啓太が聞くと和希はちょっとかしこまった声で言った。
「今回の首謀者である伊藤啓太には、噂を広めた責任としてある義務が生じる。これだけ見合いでふられた、断られたっていう噂を流したんだ。――ちゃんと、ふられんぼの理事長を幸せにしろよ」
　それを聞いたとたん、たちまち啓太の顔に全開の笑顔が浮かんだ。その笑顔を和希に向けて、啓太ははっきりと宣言した。
「任せとけよ」
「じゃあ、今からさっそく俺を幸せにしてもらおうかな」
「え･･･うわっ、和希！」
「なんたって寝かさない、だしな」
「この状態なら寝かさないのは和希の方だろ･･･」
　和希の上に身を寄せていた体勢をひっくり返され、背中を床に押しつけられる。ただの冗談で終わらなさそうな雰囲気に、啓太は引きつった笑みを浮かべた。
「違うよ。啓太のかわいさが俺を寝かさないんだよ。そして啓太の身体が俺を誘惑してる。啓太はほんとに、いろんな意味で凶悪な困った学生だよな」
　和希はそう言って、自分の下にいる啓太の肌に嬉々としてキスを落としていく。
「んっ･･･だから誰も、誘惑なんてしてない･･･」
　徐々に身体を煽っていくキスに身をよじりながら、啓太はふと、脳裏に浮かんだことを和希に聞いてみることにした。
「そ、そういえば和希。理事長のメール、『遠藤和希』にも送ったのか？」
「ん？　当然だろ。『遠藤和希』だって、ちゃんとベルリバティスクールの学生の一人なんだから」
「当然て･･･どこが当然なんだよ･･･」
　周りの人間に聞かれても和希なら適当な嘘がつけるだろうに、わざわざ自分宛てのメールを書いたという事実に啓太は呆れる。
「で、そのメールにはなんて書いたんだ。手芸部のことか？　それとも忙しい中いつも勉強も頑張っているね、とかか？」
「違うよ。人がよくて頑張り屋の伊藤啓太くんの隣りにいて、これからも彼を助けていくようにって」
「･･････そんなメールじゃわざわざ仕立てる意味もないだろ。人に見せろよって言われても、そんな内容じゃ余計見せられないじゃないか。普通、その人個人のことが書いてあるんだろ？　なのにそんな他の学生の名前が出てくるメールなんて･･･」
「そうか？　俺は普通に見せられるけどな。理事長に俺と啓太の仲のよさを認めてもらった、俺たちの関係は理事長公認なんだって。他の人間に対しての自慢になるだろ？」
「･･････誰も和希のメールの内容を知りたがらないことを祈るよ。まったく、こんな公私混同、職権乱用してる理事長のどこがいい理事長なんだか。本当の理事長はこんなやつだって、大声でみんなにばらしたい気分だよ」
　再び呆れてそう言った啓太を見て、和希が笑う。
「でも、今回はいっぱい仕事をして頑張っただろ？」
「――そうだな。じゃあ、学生の代表としてベルリバティスクール一年伊藤啓太から鈴菱和希理事長に」
　啓太は自分の両手を和希の首に回すと、和希の顔を引き寄せた。そしてその頬に自分の唇をそっと近づける。
「よくできましたの･･･」
　あとは何も言わず、そのまま唇を押し当てた。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＥＮＤ