残 滓 「ん……和希？」 啓太が目を開けると、隣りで眠っていたはずの和希がベッドから離れ、服を着ているところだった。寝ぼけ眼でその背中を見つめ、声をかける。 「和希、出かけるのか？ 今から？」 「啓太。起こしちゃったか。ごめんな」 「それはいいけど、今、まだ夜中だろ？」 「ちょっと緊急の呼び出しが入ってさ。啓太はこのままここで寝てていいからな」 「朝には帰ってくるのか？」 「今からだからな…。ちょっと無理かもしれないな」 「そうか。急ぎの仕事なら休めないかもしれないけど、無理はするなよ。ちゃんと、少し仮眠ぐらいとれよ」 「心配してくれてサンキュ。じゃあ行ってくるよ」 そう言ったあと啓太の頬に軽くくちづけて、和希は部屋を出て行った。 和希が出て行くのを見送ったあと、啓太は腕を伸ばしてうーんと伸びをした。それから再びベッドのぬくもりを堪能しようと、枕の位置を直して布団にもぐりこむ。だが、布団はまだあたたかくて気持ちがいいのに、なんだか一人だと落ち着かなかった。 「……シャワーでも浴びるかな」 呟いて、身体を起こす。そういえばことのあと、汗も流さずにそのまま眠ってしまったことを思い出した。シャワーを浴びてさっぱりすればこの落ち着かない気分もなくなるだろうと、啓太はベッドから足を下ろして立ち上がった。 「えっとタオルは――」 浴室に向かって数歩歩きかけて。 「……っ」 啓太は自分の足を滑る濡れた感触に思わず足を止めた。そのままその場にしゃがみこんでしまう。 別に誰かが見ているわけではないが、足を伝って流れてきたものに頭の中が真っ白になる。しばらく、啓太はそこから動くことができなかった。 白濁した名残。 それがこぼれた場所、先程まで和希を受け入れていたところにかすかな疼きを感じた。 もう何回も抱かれているのに、こういうときはいつもどうすればいいのか戸惑ってしまう。和希がいたらそんな自分に目ざとく気づいて、すぐにからかってきただろうと啓太は想像する。 『――ああ、忘れてた。シャワーまだ浴びてなかったな。じゃあ二人で浴びようか。俺が全部かき出してやるよ』 『い、いいって！ それぐらい自分でできるから！』 『でも中で出しちゃったのは俺の責任だからさ。俺が啓太のすみずみまできれいにしてやるよ』 『だからいいって！ 俺が先にシャワー浴びるから和希はあとで入れよな』 『俺の指でかき出されるのはいや？ また感じてその気になっちゃうから？』 『誰もそんなこと言ってないだろ!?』 『でも、啓太の顔真っ赤だよ』 「――」 今でも和希が本当にそばにいるような感覚で和希の声をまざまざと思い浮かべてしまい、啓太は顔を赤らめた。 実際和希に強引に浴室に連れて行かれて中を洗われたことも何度もある。そしてそのあと再び身体を熱くさせられたことも――。 「だ、だからシャワーだって！」 啓太は過去のことを思い出してしまった自分の頭を数度振ると、勢いをつけて立ち上がった。そのまま浴室に向かって一歩を踏み出す。 が、再び足に濡れた感触を感じてうずくまった。 「……」 内心では、一体どれだけ出したんだよと、ここにいない和希を罵倒する。 ――あのとき。 『んっ…か、和希ぃ…っ』 『啓太…』 夢中になってしがみついていた身体がさらに熱くなり、互いの息遣いも相手に聞こえるほど激しくなっていた。 自分の唇からこぼれる声は甘く掠れ、そして声や息遣いにまぎれて聞こえる濡れた音や互いの身体がぶつかる音ですらさらなる快感を呼び起こす。 突き立てられ、また手で扱かれるたびに意識が溶けていきそうになり、やがて訪れた自分自身の解放とともに最奥に濡れた感触を感じた。 そのあとで息を整えながら倒れこんできた和希の重みを受け止め、啓太はさらに強くその身体を抱きしめた。 身体の奥にあるのは、和希が自分を求めたという欲望の証。心と身体を深く交し合ったという証拠。だからか、自分の身体のためにはよくないとわかっていても、なにやら特別な感じがした。 「…って、だから俺、なに思い出してんだよ…」 少し前、どれだけ和希が激しかったか、どれだけ熱っぽく自分の名前を呼んでいたか。そして自分の中の和希がどんな感じだったか――そんなことまで思い出してしまい、啓太はまた顔を赤くする。考えまいとすればするほど、和希のことばかりが思い出された。それも、普段の和希の姿ではなく、自分を抱いているときの和希の姿ばかり。 和希の肌の熱さや匂いまでがこの身体に蘇ってくるかのようだった。 「…和希はここにいないんだぞ。なのにそんなことばかり思い出してたんじゃ、俺…」 啓太は立ち上がった。そのままふらつくような足取りで浴室に向かう。濡れた足の気持ち悪さも、今はさほど気にならなかった。それよりももっと頭の中を占めることがあった。 「……は。和希には絶対知られたくないな…」 浴室のドアを開けて中に入ると、啓太はそのまま床に座り込んだ。腹に手をあて、もう片方の腕で顔を覆う。今の自分の姿は、とても人に見せられたものじゃないと思った。 顔が紅潮しているのがわかる。自分の目が潤んでいるのもわかる。こぼれる吐息が甘くなり、体温が上昇しているのも自覚していた。 なにより自分の身体の中で如実に変化しているもの。 「別に、足りないわけじゃない…のに…」 腹にあてた手をするりと滑らせ、反応している自分自身にそっと触れた。目覚めたときには萎えていたはずのものは、もうそこに血を凝縮させ勃ち上がりはじめていた。自分の指にすら貪欲に、更なる反応を示す。――求める指でなくても。 「ん…っ」 啓太は自分のそれを手で包み込んだ。そのまま上下にゆっくりとスライドさせていく。 「あっ…はっ…」 だんだん早くなる手の動きに息を上げながらも、啓太はその一方で身体の渇きを覚えていた。自分の手で扱く前だけでは耐えきれず、もう一方の手で疼いている箇所に指を這わす。 「っ…」 指が湿っているところに触れる。指先に絡むのはさきほど足を伝って流れた情交の跡を示すもの。自分の中に叩きつけられ、また自分も思いきり解放したもの。 自分はいったいどうしてしまったんだろうと思いながらも、啓太はエスカレートする自分の手の動きを止められなかった。指の先端が濡れたふちをなぞり、そのまま引き寄せられるように中に導かれていく。 「んんっ…」 くちゅりと濡れた音が啓太の耳に届いた。指を動かすとさらに淫猥な音があがる。 自分でも、そこが指を咥えたがってわなないているのがわかった。また指も、そこに残された和希の痕跡を求めてもっと触れたくてたまらなくなっている。啓太はわずかな痛みなど無視して、自分の秘所にさらに指をくぐらせた。中に残っていたものが自分の指先によってかき回されたのがわかった。 もうここにはいない人が残したもの。 さきほどまで確かにこの中で相手の熱さを受け止めていたことの証拠。 「……っ」 啓太の脳裏に、いつか舌で感じた苦い味が思い出された。その苦味すらも、今は快感を引き出す材料になる。 見せられない。見られたくない。 こんなにあさましくていやらしい自分の姿など。 もしこんな自分を見られてしまったら、呆れられてしまうかもしれないから。 「……和希が、いけないんだ…」 両手を動かして自分の身体を昂ぶらせながら、ここにいない恋人に恨みの言葉を吐き出す。 今日に限ってこんなふうになってしまうのは。 きっと。 「和希の……には、媚薬効果があるんだ。ずるいぞ和希…」 啓太の唇からさらに甘い吐息がこぼれた。快感に蕩けた瞳に涙が浮かぶ。 和希が残したものには媚薬効果があるから、だから自分がこんなふうにおかしくなってしまうのだ。身体の奥に叩きつけられたものが、中からじわじわと自分を追いつめてこんなにあさましい姿に変えてしまう。 もっと、もっとほしいと思ってしまう。これだけじゃ物足りない。 あのときはもっと――。 啓太はさきほどの行為を具体的に思い返しながら手を動かした。 『啓太。そんなに俺がほしい？』 ちょっと笑いをにじませた声でそんなことを言って、わざと幾度も焦らした挙句に、和希はようやく与えてくれたのだ。 「あっ、和希…かずき…も、早く…っ――」 さきほど互いの腹をよごした白い飛沫が、再び啓太の身体を濡らした。 「……」 頭から熱いシャワーを浴びて汗を流しながら、啓太はとっぷりと自己嫌悪に陥っていた。頭の中がわいてしまったかのような醜態は、さっさと記憶の中から抹殺したかった。 今頃和希は寝る間も惜しんで一生懸命仕事をしているだろうに、どうして自分はこんなところであんなことをしてしまったのだろうか。 勿論。きっと。多分。 和希がいけないんだけど。 啓太はシャワーを浴びたまま 両腕で自分の身体を抱きしめた。 たった今自分でして達したばかりなのに、まだ足りないと、身体の奥が疼いている。 もっと熱いものでこの中を激しくかき回してほしい。 ――自分を包む残り香に、酔いそうになる。 終 |