もう一つの恋

　もう一つの恋

「なあ和希」
「うん？　なんだよ啓太」
「和希って、この学園の生徒の誰より年上なんだよな？」
「･･････まあな」
　俺が確認すると、俺の隣で横になっていた和希が少し間をおいてから頷いた。
「それがどうかしたのかよ」
　あ。和希のやつ警戒してる。
　俺がまたあのことを聞いてくると思ってるんだ。
　確かに例のことについては和希からいつか絶対聞き出してやると思っているけれど、今俺が言いたいのはそのことじゃなかった。
　俺は和希の顔がよく見えるようにと、布団の中で体の向きを変えながら言った。
「ん･･･いや、和希って年上なのにみんなに年上ぶらないよなあと思ってさ。そりゃあ他の人間に聞かれそうなところでだったらまずいけど、誰も来ないようなところならかまわないんじゃないかと思って」
「年上ぶる？」
「そう。王様や女王様、中嶋さんや七条さん相手でも、和希、敬語使ってるだろ。それが不思議だなあと思ってさ」
　普通年上なら、あんな気を使うような話し方はしないんじゃないのかな。
　･･･そりゃああの面々相手に年上風吹かせたって、おとなしくそれを受け入れる人たちじゃないけどさ･･･。
「ん～、そうだなあ･･･」
　俺の質問に、和希は考え考え答えてくれた。
「まず、やっぱり学園内はどこで誰の耳に入るかわからないだろ。いくら人が見ていないからって、あからさまに態度を豹変するのって変だし。それにあの人たちは俺が年上ぶったって、それがどうかしたかって感じだろ？」
　あ、やっぱり和希もわかってるんだ。そうだよな、和希が理事長で年上だってわかったって、誰も「遠藤さん」なんて呼ばないもんな。せいぜい「遠藤理事長」ってぐらいでさ。
　まあ、あの人たちがそんなふうに呼びはじめたら気色悪いだけだと思う。俺がそう思うんだから、きっと和希なんかそんなふうに呼ばれたら鳥肌が立っちゃうかもしんないよな。中嶋さんや七条さんにそう呼ばれたって、なんか･･･裏がありそうって気がするし･･･。
「それにもともと俺はそういう柄じゃないんだよ。性格的にもさ」
　それはわかる。和希がたとえ三年生としてここに編入していたって、王様や中嶋さんたちのことを呼び捨てにしている姿なんか想像できない。丹羽、とか、中嶋なんて呼んでいる姿は。
「和希のその顔もあるかもな。その童顔で年上ぶられたって、生意気なやつとしか見えないもんな」
　俺が言うと、和希の手が伸びてきて俺の頬をつついた。
「童顔ねえ。人のこと言えるのかな、伊藤啓太クン」
「言えるよっ」
　俺はいささかむっとして答えた。俺だって精悍な顔立ちとは言わないけど、ちゃんと年相応の顔になっていくって。
　･･･多分。
「それにさ、俺、王様や女王様、中嶋さんや七条さんたちについては一目置いているしさ。その力を認められる人間に敬意を表して話すのは普通のことだろ？　言ってしまえば篠宮さんや岩井さんもそれぞれすごいと思ってる。俺の学園ではあるけど、俺が太刀打ちできないような人間が集まっているところだよな」
　和希が仰向けになって、頭の下に両腕を入れながら言った。その声には本当に王様たちのことを認めている響きがあって、俺はなんとはなしに嬉しくなった。
「俊介もそうなんだけど、あれはキャラクターの問題だよな。本人もそう呼ばれたがっているしな。
･･････成瀬さんは俺にとって例外として」
　うん、年下の人間でもちゃんとその力を認めて敬意を表すなんてことができる和希こそすごいと俺は思う。普通もっと生意気だとか、かわいげがないとか思うんじゃないかと思うけど。でも和希は全然妬んでないし、張り合ってもいないし、だからこそ理事長なのに生徒としてあの人たちと普通に接しられるんだと思う。
　そんなことを考えて、俺はふと久我沼のことを思い出した。･･･そういえば和希、人がいないところではあいつのこと呼び捨てにしてたよな。
　･･････そうか、和希にとって久我沼は王様たちより認められない人間てことなんだ。ま、それも当然かな。
「俺、みんなも和希のことを認めていると思う。それが、なんだか自分のことみたいに嬉しい」
　俺がそう言うと、和希はちょっと複雑そうな顔をした。
「そうかな。女王様なんか俺のこと、絶対頼りないって思っていると思うけどな」
「そんなことないよ。和希のこと、ほんとに認めているって。だからさらに上を期待するっていうのはあるかもしんないけど。でも和希に力がなかったら、あの人たちは年上だろうと理事長だろうと和希のこと相手にしなかったと思う」
「んー、啓太が来る前の俺みたいにか？　女王様や七条さんはともかく、俺、啓太にくっついてて存在を知られたって感じだしなあ」
「それは和希が学生として目立たないように振舞ってきたからだろ。理事長としての力は別格で認めていたと思うな。それにこの前の俺の退学騒ぎのことでだって、理事長としての和希はみんなから信用されてるんだなあって、俺、よくわかったし」
「みんな、も嬉しいけど、俺は啓太にそう思われていることのほうが嬉しいな」
　いつの間にか頭の下に入れていた腕を解いた和希が、俺を両腕で引き寄せた。
「わっ、和希っ」
「俺は、啓太にとって理事長としても信用できる男か？」
　引き寄せた俺のおでこに自分のおでこをくっつけ、和希が聞いてきた。
　和希に上目遣いで見られて、俺はどきっとする。和希って･･･ほんとに、不意をついて大人の顔を見せるから･･･俺、ときどき困るよ･･･。
　和希に俺の胸の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかとどきどきしながらも、俺は、理事長としての和希を思い浮かべてみた。結局この学園の理事長は和希で、だから俺はそれがわかったときには百パーセント〝理事長〟を信用したけれど、もし理事長が和希だとずっとわからなかったとしたら俺はどうしていただろう･･･と考える。
　でも、理事長の噂は和希に関わらず好意的なものばかりだったし、メールの内容もあるし、やっぱり理事長のことはすごく信用していたんだろうな。俺よりもずっとずっと大人で、学園のことをあたたかい目で見守っている人っていうイメージを抱いていたんだと思う。
　理事長が和希だと知らなくても、一度も会っていなくても、俺はやっぱり魅力的な人だと思っていたんだろうな。
　そんな顔の見えない〝理事長〟を想像しただけで、俺はちょっとどきどきした。くっついている和希へのどきどきとは少しだけ別の意味で、ときめき、みたいなものを感じてしまう。大人で、スーツが似合ってて、そうして俺のことを一生徒として優しく見つめてくれる〝理事長〟に。
「･･･和希がこの学園で正体を隠してなくて、俺が友達としてでなく理事長としての和希とこの学園で最初に出会っていたら、どんなふうだったんだろうな。あ、勿論子供のころに遊んだことがあるっていうのでもいいんだけど」
　俺が不意に思いついたイメージをそのまま口にすると、和希は俺から少しだけ離れてうーんと考え込んだ。
「俺が理事長として最初に啓太を迎えていたら、か。そうだなあ･･･」
「まず学園についたら、俺は真っ先に理事長に会いに行く。この学園に呼んでくれたお礼を言うために」
　俺は頭の中でこの学園に初めて来たときのことを思い出しながら、シュミレートするみたいに言った。実際はバスの事故があったわけだけど、あの事故がなくて俺は無事に学園につき、そうして王様や女王様に会う前に理事長室に向かっていたら。
　俺を学園に呼んでくれた理事長。その理事長がどんな人なんだろうと、期待と不安で胸がいっぱいだったろうな。
「じゃあ俺は啓太が理事長室に着くころには、あの部屋で何度もネクタイを直したり髪を整えたりしてそわそわしていたんだろうな」
　和希が、俺の話に乗ったようにそう言ってくれた。俺は頭の中でそわそわしている和希を想像して、思わず笑ってしまった。
「俺はサーバー棟に辿り着いて階段を上がって･･･そうして深呼吸をしてから理事長室のドアをノックするんだ」
「ノックの音がして、俺は啓太にいよいよ会えるってことに舞い上がりそうになって、慌てて気持ちを静めるように咳払いを一つするんだろうな。それからドアの外に向けて『どうぞ』と声をかける」
「ドアを開けて中に入って、俺はきっと驚くんだろうな。『えっ!?』って。目の前には俺とそう年が変わらなさそうな人がいて、スーツなんか着てかしこまって立っているんだもんな」
「かしこまっては余計だろ。そうだな。まず俺の第一声としてはこんな感じかな。『――伊藤啓太くんだね？　ようこそこのベルリバティスクールへ。私がこの学園の理事長の鈴菱だ。よろしく』とね。どう？」
「――」
「･･･啓太？」
「今、頭の中で想像してみた」
「さっきから俺だって想像してるけど？」
「いや、そうじゃなくて。和希――かっこよかった････」
　今、自分の顔がすごく赤くなっているのがわかる。当の和希の前でこんな馬鹿なことを言って恥ずかしいっていう気持ちもあるけど、それよりも先に、頭の中にスーツ姿の理事長の姿が浮かんでしまって。和希の･･･理事長の、少し流したような視線。かすかに微笑んでくれている口元。学園に来たばかりの俺に、大人の余裕を漂わせて話しかけてくれて。
　うわ･･･。和希なのに和希なのに、なんで想像しただけで動悸がおさまらないんだよ、俺！
「俺は･･･目の前にいる人が学生みたいに若いことに驚いたことも忘れて、ちょっと･･･その、見とれちゃうかもしんない･･･。男が男に見とれるのは変なんだけど、でもなんかぽーっとなっているような気がする･･･。でもってちょっとだけなつかしく思うかもしれない」
「俺はなつかしさで溢れているだろうけどな。密室で啓太と二人っきりで会ったら、どさくさにまぎれて啓太のことを抱きしめたかもしれないな」
「か、和希。そんなことされたら俺びっくりしちゃうよ」
「手を出して握手を求めているように見せかけて、啓太がそれに応じてきたらその手を捕まえて引き寄せて。『きみを歓迎するよ』。ほら、自然だろ？」
「そうか～？」
　俺はおもいっきり疑り深い声をあげた。会ったばかりの人にいきなり抱きしめられることのどこが自然な行為なんだよ!?
　だが和希は平然な顔をして俺にさらに言ってきた。
「これで不自然だって言うなら、キスぐらいしても変わりないかもな」
「和希っ。和希の立場でそんなことしたら犯罪だろ！　セクハラだろっ！」
「･･･啓太･･･複雑な気持ちになるようなこと言うなよ･･･」
「和希が変なこと言うからだろ！」
「じゃあキスはやめてやるよ。でもどさくさにまぎれて啓太のことは抱きしめる。啓太を引き寄せて抱きしめたあと、俺は名残惜しげに啓太の体を離しながらこう言うんだ。『ああ、すまないね。伊藤くんの気を悪くさせてしまったかな？　アメリカで暮らしていたときのくせがなかなか抜けなくてね』」
「どんなくせなんだよっ。･･･ったく、そんなことを初対面の理事長に言われたら、俺素直に信じちゃうだろ。『はあ･･･まあ･･･大丈夫です。ちょっと驚いただけですから･･･』って･･･」
　俺がそう言うと、和希はちょっと目を細めて笑った。そして理事長然とした口調で。
「『――きみはいい子だね』」
「!!　和希っ！　なんだよそれっ！」
　俺は驚いて和希の腕の中で咄嗟に声をあげていた。
　そんな恥ずかしいことをさらりと言わないでほしい。
　･･･いくら素で言っても、和希の･･･理事長のキャラクター的に違和感がないとはいえさあ･･･。
「いや･･･でも多分、啓太を見ていたらそう言いたくなったと思う」
　声を出して笑いながら、和希がそんなことを言った。『いい子』なんて、完全な子供扱いじゃないかっ。
　･･･実際和希から見れば俺は子供なんだろうけどさ。
　でも、初めて会った『理事長』に「いい子だね」なんて言われたら――俺は真っ赤になって立ち尽くしていたと思うな。そして困り果てて理事長を見上げていたかも･･･。
　俺が正直にそのことを口にすると、それまで笑っていた和希がその笑いをおさめて複雑な顔を見せた。
「･･･和希？」
「･･･啓太。滅多に人が来ないあの部屋で啓太にそんな顔をされたら、俺、本当に理性が砕けそうになるだろ。もし俺が犯罪者になっていたら、それは啓太のせいだからな」
「なんだよ、それは･･･」
「啓太と再会できたっていうだけでも嬉しいのに、俺が思っていた以上に啓太がかわいく成長していたら、俺は啓太のことを手元に置いておいて離したくなくなるだろ」
「･･････」
　俺は男なのに『かわいく成長』ってなんなんだよと突っ込みつつも、会ったばかりの理事長に『手元に置いておきたい』って思われたことを想像してしまった。和希に言われても勿論嬉しい言葉なんだけど、俺よりずっと年上の理事長に気に入られたら･･･。
「――俺は理事長にたった一度会っただけで、きっと忘れられなくなっていたと思う。絶対にまた会いたいって思っていただろうな。･･･というか、友達として会ったときより印象深いだろうし、かっこよくて惹かれていたかもなあ」
「･･･それは、あのときの俺がどーでもよかったみたいな言い方だな･･･」
　俺の隣で和希が憮然とした口調で呟いた。
　今度笑ってしまったのは俺のほうだった。
　教室で初めて和希に話しかけられたとき、どうでもいいなんて思っていたわけじゃないけど、特別そんなに感慨深いわけでもなかったって言ったら、和希のやつ、拗ねちゃうかな？
　でもそれが事実だしな。出会い――それは本当は再会だったわけだけど――は普通だったのに、そのあと俺はどんどん和希のこと、好きになっちゃったんだもんな。
　でもそんなことを言うと恥ずかしいので、俺は別のことを口にした。
「･･･あの退学勧告を受けたときも俺が先に『理事長』と会っていたら、他の人に相談しようと思うよりも先に、まず理事長のことを思い浮かべただろうな。初めて会ったときは俺を歓迎してくれたのに、今になって俺を切り捨てるのかなとか、いろいろ悩んで怖くて聞きにいけないと思うかもしれないけど、でもやっぱり結局は一人で理事長のところに行っていたと思う」
　理事長ならどうにかしてくれるっていうことじゃなくて、それを口実にしてまた会いたかったから。理事長は忙しそうで俺みたいな一生徒が気軽に会えるような人じゃない。それになんとなく身分違いみたいなものまで感じてしまって、どんなに会いたくても俺は会いに行けなかったと思う。だからあの退学勧告のとき、俺はショックを受けているだろうけど、それと同時にこれで堂々と理事長にまた会えるって思うかもしれない。
　俺は頭の中で想像してみた。あの問題が起こって、俺は思いつめて強引に理事長に会いに行く。そして会いに行って･･････その姿を見たら、俺は安心と嬉しさとで泣きたい気持ちになってしまうかもしれない。その人がそこにいるというだけで、抱きついてしまったかもしれない。
　きっと理事長なら、俺のことをちゃんと受け止めて相談に乗ってくれていたと思う。事実理事会が勝手にしたことなんだし、理事長はきっと理事会の横暴に怒りながら、俺を安心させてくれただろうな。
　俺に向けて優しい言葉を繰り返してくれて･･･そうして俺はもっともっと理事長に･･･その人に惹かれるんだ。
　俺の中で、なにかつーんとしたものがこみ上げてきた。
　実際には友達として再会した今俺の隣にいる和希の顔をじっと見つめながら、俺は〝その人〟への愛しさを募らせる。
　――それはもう一つの恋だ。
　俺の頭の中に、ふとそんな言葉が浮かんだ。
　現実とは別の再会だったとしても。たとえ友達や理事長としてでもない再会だったとしても、俺はきっと和希に惹かれていたと思う。子供のころに出会っていなくても･･･百通りの出会い方をしても、俺はきっとそのたびに和希を好きになっていたと思う。
　今とは違うもう一つの恋。
　でも、それが俺にとってたった一つの恋なんだ。
「･･･啓太？」
　どうしてこんなに好きなんだろう。
　和希としてカズ兄として理事長として、いつのときであっても――この相手、が。
　俺には和希じゃなきゃだめなんだ。
「啓太どうしたんだよ」
　俺が黙り込んだからか、和希がやや心配げな顔で聞いてきた。
　･･･悔しいな。
　本当に悔しいと思う。なんで俺、こんなに和希のことが好きなんだろう。
　俺は悔しさのあまり、目の前にあった和希の頬を両手でつねってやった。
「なにすんだよ啓太っ！」
　慌てて俺の手を離して、つねられた頬をさすりながら和希が叫んだ。
　俺はそんな和希の手を自分の両手でつかんで、俺の首に回させる。そうして、黙ったまま和希の胸に頭を預けた。
「啓太？」
　俺ばっかり、なんか不条理だ。
　いつのときもこんなに和希が好きだなんて。
「･･････」
　俺が何も言わないでいると、やがて和希が溜息をついたのが聞こえた。俺の首に回された手に少し力がこもる。
　そして、優しく染みとおるような和希の声が俺の頭の上から流れてきた。
「俺は、もし啓太と子供のころに会っていなくても、単に理事長と一生徒として出会っていたとしても、啓太に興味を持っていたかもしれないな。一目ぼれなんて陳腐なことは言わない。ただ普通の出会い方をしても、自然に目を奪われて気になっていたと思う。その場に他の誰がいようと真っ先に啓太が視界に飛び込んでくるようになって、そして啓太の行動をつい見守ってしまうんだ。最初はそれだけで、でもだんだんと啓太を見ないと落ち着かなくなって。会えないと心配して、その笑顔をそばにおいておきたくなって。気がついたときにはもう、今みたいにめちゃくちゃ啓太にまいってたりするんだ。いい歳してなにを血迷っているんだろうとか、自分で自分に歯止めをかけようとするんだけどそんなのは全然きかなくてさ。本当に、権力を利用するようなずるい手段を使ってでも手に入れたくなるくらい、啓太がほしくてたまらなくなっていたんだろうな。きっと理事長と生徒としてでなくったって、どんな出会い方をしたって、結局俺は啓太を好きになっていたと思う。――何千、何万回出会ったって、俺はそのたびに啓太に惚れてたよ」
「･･･っ･･･」
　俺は和希の腕の中で強引に首を上向かせて、和希の顔を見た。
　今和希が言ってくれたこと、それは俺が思ったことと同じことだった。
　和希もそう思ってくれていたのかな。俺と、同じように。
　――たとえ、どんな出会い方をしても。
「和希。･･･和希にとっても、俺はたった一つの恋かな･･･？」
「え？」
　和希に聞き返されて、俺ははたっと現実に返った。
　うわっ、なんかすごく恥ずかしいことを素で言ってしまった気がする。
　なんかのぼせた感じになって･･･まるで和希に酔ってしまったみたいで。
「な、なんでもないっ」
　俺は慌てて今の言葉を取り消した。
「なんだよ･･･」
「なんでもないって。それより･･･俺は、やっぱり和希とクラスメートとして会えてよかったと思うな。理事長と会うのも悪くはないんだけど、でもやっぱり友達として出会えて嬉しかったよ。でなかったら和希に距離を感じていたと思う。年上で大人で学園の理事長で･･･ってなったら、たとえ好きになって俺の気持ちを受け入れてもらえたとしても、おいそれと〝和希〟なんて呼べなかっただろうしさ。和希がそう呼ぶように言っても理事長の印象が強かったら、やっぱりそんなふうには呼べないよ」
　和希の追求をごまかすために言ったことだったけど、勿論それは俺が本当に思っていることでもあった。今俺が理事長でもある和希とこんなに近くにいても緊張しないですんでいるのは、やっぱりクラスメートとしての印象のほうが強いからだと思う。
　だからときどき、和希は本当は大人なんだっていう面を見せられると戸惑っちゃうんだけど。
「〝和希〟じゃなかったら、じゃあ俺は啓太になんて呼ばれていたんだろうな？」
　素朴な疑問という感じで、和希が聞いてきた。俺はその言葉に少し考え込む。
「ん～･･･鈴菱さんとか、和希さん、とかかな？」
　うん、その確率が高そうだ。〝和希さん〟なんて、なんかすごい不思議な感じがするけど。
「〝和希さん〟･･･。――･･･それもけっこうそそられるかもしれないな･･･」
　和希がぽそっとそう呟くのが聞こえた。
「そそられるって和希･･･」
　和希が今どんな場面を想像しているかが安易に読み取れて、俺の方が顔を赤らめてしまった。
「なんてな、冗談だよ。やっぱり俺は啓太に遠慮も照れもなく普通に和希って呼ばれるほうが嬉しいな。それだけ啓太のそばにいるんだっていう実感がするし」
「そんなの、俺だって･･･」
　憧れの存在として遠くで見ているのではなく、ちゃんと和希の隣にいられることを幸せに思う。
　俺が実際にそう言おうとすると、その前に和希に指で止められてしまった。自分の指を俺の唇に押し当て、その先を言わせずに。
　それから、和希の顔が近づいてきて――。
　俺は肌に触れる和希の吐息を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。

　今手にしているもの。
　これが自分の、たった一つの。

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