「和希、ちょっとあれ見ろよ。ほら」 隣を歩いている啓太に急に腕を引かれ、和希は啓太が指で示したものを目で追った。 啓太が指差したものは通り沿いにある店のガラスウィンドウだった。てっきりなにか面白いものか、なにかの食べ物だとばかり思ってそちらを見た和希は、そこにある厳めしい佇まいに驚く。 「五、月、人形･･･!?」 「そう、兜だけじゃなくて、ちゃんと鎧も籠手も揃ってるんだな」 啓太は和希より数歩先に進んで、そのウィンドウの前で足を止める。そこは専門の人形店ではなかったが、ウィンドウの中に和風の置物や掛け軸に混じって、鎧兜が威風堂々と飾られていた。 「啓太･･･あれがほしいのか？ そりゃ、なんでもほしいもの買ってやるよとは言ったけどさ･･･」 「違うよ、別に今はほしくないよ。ただ、子供の頃にほしかったんだよなあって思い出したら、なんか懐かしくなってさ。結局、ずっと買ってもらえなかったんだけどさ」 「鎧兜ねえ･･･。そんなにほしかったんだ？」 「だってかっこいいだろ。･･････と言いたいところだけど、ほんとはそれもあるけど兄貴としての主張かな。子供の頃、うちに雛人形だけあって五月人形がないのはずるい！って親の前でわめいたんだよな。雛人形も別に七段飾りなんていう立派なものじゃなかったんだけど、朋子にだけ祝いの人形があって羨ましかったんだよ。俺には誕生日プレゼントがあるから、そんな遊べないものなんていらないだろって毎年親に丸め込まれてさ」 「誕生日プレゼントにこれがほしい！って主張すれば、買ってもらえたんじゃないのか？」 和希が聞くと、啓太はちょっと照れたように視線をそらした。 「そりゃ、そのときの俺だってどっちかって言ったら、ゲームや動かせるおもちゃのほうがほしかったからさ･･･」 「じゃあしょうがないじゃないか」 その答えに思わず吹き出した和希を、啓太が視線を戻して睨みつける。 「でも朋子は誕生日プレゼントとは別に雛人形まで買ってもらってたんだよ。お金を出したのは田舎のおじいちゃんたちで、今なら五月人形より雛人形のほうが重要なのはわかるけどさ。なんか子供の頃は俺だけ損してるような気分でさ」 「でも啓太は誕生日プレゼントがあって誕生日のケーキを食べたら、そんな人形のことはころっと忘れちゃてたんだろ」 「う･･････」 「で、また一年ぐらい経って思い出して騒いでたんだろ。そんなんじゃ、お金の無駄だって買ってもらえないのよくわかるよ」 「い、いいだろ。それがうちの、五月の風物詩だったんだよっ」 「風物詩って。啓太はほんと、今も昔もかわいいよなあ。伊藤家の風物詩は啓太のそのかわいさなんじゃないのか」 「あのなあ･･･。とにかく、ほらもう行こうぜ」 口元に笑みを浮かべてそう言った和希の身体を、啓太がぐいぐいと押しやる。 そのまま、二人並んで再び街中を歩き出した。 「そういえば人のこと笑ったけど、和希は？」 「え？」 「端午の節句。こどもの日。和希なら、もしかして普通にああいうのも持ってたんじゃないのか？ 家の外には毎年こいのぼり飾ったりさ。･･･それとも、和希の時代にはそんなのなかった？」 「時代って、啓太･･･」 「さっきのお返し」 そう言って笑った啓太の顔を見て、和希がつられてかすかに笑ったまま小さく息を吐き出した。 「確かにあったよ。うちに、値の張りそうな豪奢な武者人形が。その時期になると応接間に飾られてたな」 「自分で豪奢なんて言うなよ。それ、もしかしなくても自慢だろ？ 和希は愛されてていいなあ。やっぱり一人っこと二人兄妹の差かなあ」 「どうかな」 「え？」 「うちにあった人形は、うちに来た客に見せて自慢するためのもので、俺が触っていいものじゃなかったし、はじめから俺のためのものじゃなかったよ」 「――」 「こどもの日、なんて言うけど、俺にとってその日は、子供を利用して大人たちが自分たちの都合のいいように親交をあたためる日、だったな。誕生日もそうだけど、端午の節句の俺への祝いにかこつける人間は少なくなくてさ、うちの方も毎年それを見越して――啓太？」 「和希･･････」 再び足を止めて、啓太が和希の腕を掴む。 「･･･ほら、こんなところで急に止まったら周りの人に変に思われるぞ」 啓太の背中に手を回し、歩くのを促す。それに押されて少しは歩を進めたものの、啓太の目はずっと和希を見つめていた。 「･･･それがうちの五月の風物詩だったんだよ。って言ったら、よけい啓太にそんな顔をさせちゃうな。ほら、行くぞ」 啓太の頬を指でつんとつついてから、和希は啓太の手を掴んだ。 「わっ、和希!? 手！」 「いいから」 そのまま早足で通りを歩き、最初にあった曲がり角をすぐさま折れる。そのあとも和希は啓太の手を離さないまま歩いた。 「和希、ちょっとどこに行くんだよ!?」 「別にこれといった目的地はないよ。ただ･･････」 そこで和希は急に足を止め、掴んでいた啓太の手を強く引っ張った。そのままバランスを崩した啓太が、和希の両腕の中におさまる。 「か、和希!?」 「こんなふうにしても困らない人目がない場所に来たかっただけ」 通りには絶えず人が歩いていたが、和希が入った路地は通りのにぎやかさとは一線を隠すような静けさが待っていた。すぐそばには人気のない小さな児童公園が見え、辺りは家や雑居ビルが並んでいる。 「和希･･･っ」 いきなり抱きしめられた啓太が身じろぐが、和希は啓太を解放しようとはしなかった。 「失言、だったな。別に啓太にそんな顔をさせたかったわけじゃないんだ。ただ俺の中ではそれが当たり前でさ」 「和希」 「だから毎年五月五日がきても休日という他にはなんの感慨もなかった。自分がだしにされる日――そんな印象しかなくてさ。だけど」 そこで和希は啓太から少し身を離し、その顔を覗き込んだ。 「啓太と出会ってから、五月五日は俺にとってものすごく特別な日になったよ。つまらないただの休日なんかじゃない。啓太をこの世に生み出してくれた日というだけで、俺は世界中のすべてに感謝したい。それぐらい俺にとって大切な日になったんだ。――ありがとう啓太」 和希に優しく微笑まれて、啓太はその笑みに惹きつけられた。はっと我に返ったのは数秒後。 「な、なに言ってるんだよ。和希が俺にありがとうって言うのはおかしいだろ。俺が、自分ひとりで生まれてきたわけじゃないんだし、それだったらうちの親に･･････って、そういうことじゃなくて！」 「でも俺にすればこの日にこんな幸せを味わえるのは啓太のおかげだよ。こうして目の前に啓太がいることの幸せを噛み締められて、啓太の誕生日をこんなふうに一緒に過ごせて、啓太が俺のことをちゃんと見てくれる。俺にこんな幸せをくれてありがとう。俺と出会ってくれてありがとう。俺に、伊藤啓太という人間を与えてくれてありがとう」 「――」 啓太はしばらく和希の顔を見つめたあと、そのまま自分から和希に抱きついた。 「啓太？」 「和希、恥ずかしすぎ。ここまで来て正解だったよ。そんなの、人目のあるところで言われたらますます恥ずかしすぎる」 真っ赤になった顔を隠すように、啓太はさらに和希の服に顔を摺り寄せた。 「全部、本当のことなんだけどな」 「だからそれが恥ずかしいんだって！ ･･････まったくもう･･･」 そう言ったあとで啓太は和希の背中に腕を回し、その手に力を込めた。 「･･････立場が、逆だろ。今日は俺が和希にありがとうを言うべき日だろ。和希忙しいのに、俺のためにこうして時間を作ってくれてさ、誕生日に俺と一緒にいてくれて、俺のことばかり考えてくれる･･････そんなの俺のほうが幸せで、和希に何回ありがとうって言っても足りないよ」 「ただ時間を作っただけで、今年は啓太のために特別なことなんにもできていないんだけどな」 「いいんだよ、それで。俺がそう望んだんだからさ。あらかじめ定められた完璧な計画よりも、和希と一緒にいて、そのときそのときでどこにいくか、なにを食べるか、相談しながら時間を過ごす――それって、ものすごく贅沢な時間の使い方だろ。俺は今日、和希とそれをしたかったんだ」 「啓太･･･」 啓太の頬に手を滑らせ、顔を上げさせる。 「感謝の気持ちなら、きっと俺のほうが啓太よりまさってるよ。ほんとに、今日という日にものすごく感謝してる」 「俺だって負けないからな。俺が和希と出会ったこと、俺が和希のそばにいられること、俺が和希を好きになったこと――そのはじまりが今日という日でもあるなら、俺だっていろんなものにありがとうって言いたいし、やっぱり一番に和希に言いたいよ。今日という日に生まれた俺を、見つけてくれてありがとう。それから好きになってくれてありがとう。俺は和希のおかげで、すごく幸せだよ」 「――」 和希に向けて微笑んだ啓太の唇に、和希は静かに自分の唇を重ねた。 触れ合い、互いの唇の感触を優しく伝えるだけのくちづけが、たちまち深く重なり合っていく。 「･･････んっ･･･」 啓太の頭の片隅で、いくら人通りがない場所とはいえ、本当に誰も通らないと限ったわけではないという思考がかすめたが、やがてそれも和希の激しいキスに飲み込まれていった。 「恥ずかしいのは、啓太も相当だと思うけどな」 「な、なにがだよっ」 「あんなことたくさん言われたら、俺のほうがプレゼントをもらった気になるよ。まあ、とっておきのプレゼントはこれからもらうんだけどな」 「プレゼントは今日は俺がもらう方だろ！」 「そうだな。じゃあ啓太のためにめちゃくちゃはりきってとろっとろのスペシャルを用意するよ」 「い、いらないよ。そんなの俺のためじゃないだろ」 「啓太のためだろ。啓太の身体を、うーんと幸せにするためじゃないか」 「･･･ついでに和希も幸せになるけど？」 「そうそう、二人で一緒に天国にいこうな！」 「･･････ところで和希」 「ん？」 「俺のプレゼント買いに来てるのに、いつまでもこんな裏道ばかり歩いてて、まともな店に行けるのか？ そろそろ表通りに出たほうが――」 「だめ。表に出たら、この手離さなきゃいけなくなるだろ。俺はもうちょっとこうしていたいんだよ」 「･･････」 「それとも啓太は俺とこうしているのいやか？」 「――そういうわけじゃないけど」 「なら、もう少しこのままで」 「･･････うん」 ＥＮＤ |