「和希。和希は今、なにかほしいものあるか？」
　隣りで横になっている和希に、啓太はそんな問いを投げてみた。
　和希はもぞもぞと体を動かし、啓太のほうに体の向きを変える。
「俺のほしいもの？　ん〜…やっぱり啓太かな」
「そうじゃなくて」
「なんで？　だって俺が一番ほしいものといったら啓太しかないだろ？」
「だからそれは、も…もうあげてるし、そういうんじゃなくてもっと物理的なもので、和希が今ほしいものがあるかなって。勿論、俺が用意できそうなものでだけど」
　啓太がそう言うと、和希は意味ありげな視線で啓太を見た。
「俺は、もう啓太をもらってるんだ？」
「き、聞き返すなよ。いいから、今の和希がほしいものを教えてくれよ。でないと間に合わなくなっちゃ…あっ」
「間に合わなくなる？　なにに？　もしかして俺の誕生日のこと？」
「…そうだよ。和希の誕生日に和希が喜ぶようなものをあげたいから、だから和希は今なにをもらったら嬉しいかなって」
　口を滑らせた自分の迂闊さを悔しく思いながらも、啓太は再度和希に質問する。
　和希はさほど考えることなく、一つの答えをあっさりと口にした。
「――それならやっぱり啓太かな」
「だからそれはもう」
「もうもらっていても。啓太の体も心も俺のものであっても。それでも俺は、何度でも啓太がほしいよ」
「だからそれは…」
「逆を言えば、啓太がくれるものならなんでも嬉しいってことだよ。もしくはなにもいらない。ここに啓太がいてくれるだけで俺にとっては充分だからさ」
「和希…ずるいぞ、そんな答え。俺の誕生日のときはあんなにしてくれたのに、そういうわけにはいかないだろ」
「どうして？　自分のときに祝ってもらったから俺のときにもなにかしなきゃいけないなんて、啓太が義務感で考えているなら俺は本気でなにもいらないよ」
「義務なんかじゃない！　俺は和希のことをちゃんと祝ってやりたいからっ」
「うん。でも本当にその気持ちだけで充分だからさ。もしくは啓太がその日一日俺のためにちょっと頑張ってくれればそれでいいんだよ」
　かすかに揶揄が込められた和希の言葉に、啓太はふいっと和希から視線をそらした。
「……もういいよ。和希には聞かないで、俺が和希の喜びそうなものを一生懸命考えてプレゼントすることにするから」
「ああ。俺の誕生日までの間、啓太の頭の中が俺のことばかりになるんだ。いつもいつも俺のことだけを考えてくれるなら、それだけで充分な誕生日プレゼントだよ」
「……俺はいつも和希のことを考えているよ」
「知ってるよ。でももっと啓太の頭の中を俺でいっぱいにしたいと思うよ。俺はほら、欲張りだからさ。啓太の体の奥を俺で満たしているだけじゃ足りないんだ」
「かっ、和希っ！」
　啓太が顔を赤く染めて声をあげると、和希は啓太のその反応を見て声を出して笑った。
　いつもの、そんなたわいのない会話。
　同じベッドの中の、あたたかな体温。
　ふとしたときに顔や髪に触れてくる優しい手。
　和希にからかわれていてもそれで自分がむくれていても、そんなふうに和希がそばにいると安心できた。
　啓太は安心して、眠ることができたのだった。


　――そしてその夜、啓太は夢を見た。






きみがここにいることの幸せ



　　　　　１

「啓太？」
「……え？」
　和希の声に、啓太はぼんやりと返事を返した。
「え、じゃないだろ？　もう授業終わったぞ。いつまでそうやって座っているんだよ」
「…あ、うん…」
「啓太…。具合でも悪いのか？」
「別に悪くないよ。どうして？　俺の顔色でも悪い？」
「そんなこともないけど、ただなんとなくな。啓太の様子がいつもと違う気がしてさ」
「俺の様子…」
「俺の気のせいならいいんだ。それより早く帰ろう」
「……」
「啓太？」
　黙りこんだ啓太の顔を、和希は心配げにのぞきこむ。
「啓太、やっぱりいつもと違わないか？」
「そんなこともないと思うけど…」
「…どうかな」
　和希はそう言うと、まだ椅子に座ったままの啓太の顔に自分の顔を近づけた。
「えっ!?　和希っ!?」
　放課後の教室にはまだクラスメートも多く残っていて、こんなところでへたなことをしたら注目の的になる。さすがにキスまではしてこないだろうとは思ったが、和希の顔がだんだん近づいてきて、啓太は反射的に目を閉じた。
「…熱はないみたいだけどな」
「……」
　軽く額と額を触れ合わせられて、そこから和希の熱を感じる。
　啓太は目を開けたものの間近に見えた和希の顔にどきりとし、慌てて身を引いた。
「和希、こんなところでなにすんだよっ」
「別に。ただ熱を測ってみただけだろ？」
「だからっていきなりこんな測り方するなよ。普通に手で測ればいいだろ」
　今の行為を何人のクラスメートが見ていたか知るのは怖くて、啓太は周りを見回せなかった。懸命に和希以外のものを視界に入れないようにして文句を言う。
「それに俺の具合は悪くないって先に言っといただろ」
「啓太」
「なんだよ」
「顔が真っ赤だよ。そうしてるといつもの啓太だよな」
「……っ」
　和希に楽しげに笑われて、啓太はそれが和希の“手”であったことを知った。
「和希！」
「怒るなよ。それに昔はよくそうやって測っただろ」
「え？」
「もともとこの測り方は、啓太が俺に教えてくれたんだぞ。昔俺に熱があったときに、啓太がいきなり顔をくっつけてきて、『カズ兄ちゃん、おでこ熱いよ』って。それ以来、熱を測るときはまずはこうして測っていただろ」
「昔…」
「そうそう。啓太がうーんと小さいとき。……啓太？」
　一度はいつもの啓太に戻ったものの、再び啓太は自分の思索の中に沈みこむ。
　表情を落ち着かせた啓太の顔を和希がもう一度のぞきこんだとき、啓太はしばらくの間無言で和希を見つめ返した。
　やがてその瞳に決意の色が浮かぶ。
「和希。今、仕事たくさんある？」
「なんだよ唐突に。いつもどおりそれなりの量はあるよ」
「じゃあ今はそっちに集中していいよ。俺のことなんかかまわずに和希は自分の仕事を頑張れよ」
　仕事という単語を口にするときだけ声をひそめ、啓太が和希に言った。
「俺が頑張ることと啓太のことと関係があるのか？」
「和希が俺に付き合ってくれているせいで、和希、いつも忙しい思いをしてるだろ。だから今は俺のことなんか放っておいていいよ。そのかわり和希の誕生日だけは俺に独占させて。…といっても、和希にも予定があるだろうし、無理なら仕方がないんだけど」
「わかった。俺の誕生日を啓太とゆっくり過ごせるように、今はそっちの方を頑張ることにするよ。確かにせっかくの誕生日なのに、いいところで邪魔されたくはないもんな。他の用事も前日までに全部片付けてみせるよ、啓太のために」
　啓太の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべた和希が、啓太の意図を察して請け負う。『独占させて』の一言は、ここが教室でさえなかったら、啓太を抱きしめたいほどの喜びを和希にもたらした。
「よかった。なら安心だな。和希の誕生日は二人でゆっくりお祝いしような」
「ああ。啓太にそう言ってもらえてとっても嬉しいよ」
「俺も嬉しいよ。だから和希、これからその日までは俺たち、しばらく距離をおこうな」


　　　　　２
　
「和希にそれだけ言いたかったんだ。じゃあそういうわけで俺はもう帰るな。和希はこのあと仕事があるんだろ？　これからしばらくは寮で会っても俺のこと無視していいから。俺もそうするしさ。じゃあ…」
　立ち上がって鞄を手に取った啓太が、和希に明るくそう言ってこの場を離れようとする。
　だがその腕を、強い力でつかまれた。
「和希、なにするんだよ」
「なにするんだよ、じゃないだろ」
　和希の押し殺した低い声に、雰囲気を察して啓太が足を止める。
「和希…怒ってるのか？」
「俺が怒っていないと思うのか？」
「…だって、ちゃんと話しただろ。そして和希もわかったって言ってくれただろ」
「俺がわかったって言ったのは――いや、ここではいいよ。とにかく行こう啓太」
「ど、どこに」
「勿論二人きりでとことんまで話せるところだよ。邪魔が入ってこなくて、どんな声もどんな音も外にもれないようなところ」
　凄みを利かせたような声でそう言われて腕を引っ張られると、啓太はそれ以上文句を言うこともできなかった。和希に引っ張られるままに教室を出て、サーバー棟に連れて行かれる。
　無論和希が向かった先は理事長室で、扉を開けて啓太を中に引き込むなり、和希は啓太を振り返りその体を壁に押しつけた。啓太の逃げ道をふさぐように、両腕を壁に押しつける。
「で？　俺にわかるようになんでそういうことになったのか説明してもらおうか」
「説明もなにも、さっき話したとおりだろ。俺は和希の誕生日に二人きりでゆっくり過ごしたいから、和希には今仕事を頑張ってほしいって。それ以上話すことなんかなにもないよ」
「俺もそれは理解したし、受け入れた。そこまでの話ならな。でもそれでどうして『距離をおこう』になるんだ？」
「だってどうせ和希は仕事で忙しくなるだろうし、自然にそうなるだろ？」
「ならないよ。俺がどんなに仕事で忙しくったって啓太と距離をおくようなことにはならない。むしろ忙しければ忙しいほど電話したり、すれ違った程度の時間だけでも大切にしたいと思うだろ。だけど啓太が言っているのはそういうのもなしでお互いに無視しあおうってことだろ。それは全然違うだろ」
「電話くらいなら…かまわない、かな…」
「――啓太」
　一喝されるよりも迫力のある冷ややかな声で名前を呼ばれ、啓太は口をつぐんだ。
「もう一度だけ聞く。なんでさっきの話の流れで『距離をおこう』になるんだ？　返答によっては俺は啓太にどんなことをするかわからないから、啓太もその覚悟で答えてくれ」
「……」
「返答がない場合は、啓太が自分の過ちを認めてさっきのを取り下げたって解釈するからな」
「……そんな脅すように言われて、俺がうまく答えられるわけないだろ…」
「じゃあさっきのは間違いでした、ごめんなさいって取り消すんだな？」
「それは取り消さないよ。俺は別にいい加減な気持ちから言ったわけじゃないし、間違ったことをしてるとは思わない」
　和希の確認に啓太は一転して毅然と顔を上げて答えた。そのあとでまた弱気な声になってぼそぼそとつけたす。
「ただ、少し和希を驚かせてしまったのかなとは思うけど…」
「少し、ね」
　口元に皮肉げな笑みを浮かべたあと、和希は壁に押しつけていた自分の腕から力をゆるめた。それから啓太の肩に自分の頭を預けた。
「天国から地獄まで一気に落とさないでくれ…」
「か、和希!?」
「俺を独占させて、から、距離をおこうにはそれくらいの落差があるんだぞ。人を舞い上がらせておいて一気に突き落とすなよ。俺と距離をおきたいほどのなにかが啓太の中に生まれたのかもしれないって焦るだろ。しかもあんなふうに明るく言われたら、俺はとうとう啓太に捨てられるんだなって気になってきてさ」
「捨てられるってなんだよ!?　和希の誕生日までの一時的なものだって言っただろ？」
「でも普通、わざわざ無視しあうほどに距離をおく必要性なんかないだろ。啓太がなにかで忙しくなるならわかるけど、それだってさっき言ったみたいに、たまに会えた時間ぐらいは大切にしてもいいわけだろ？　啓太の目を見てやましいものはなにもないんだってわかったけど、それでもいきなりあれはきついよ…」
　目の前にある体が声同様悄然としているようで、啓太は自分の手を持ち上げ、和希の体をそっと抱きしめた。
　触れるだけで感じられる和希の鼓動や体温に、啓太の中にこの存在に対しての愛しさがわきあがる。
　少し触れているだけで、涙腺がゆるみそうになってくるほどに想いは深く。
「――和希の誕生日までの間少し和希と離れて、一人で和希のことを考えてみたかったんだ」
　啓太がそう言うと、顔を上げないものの和希の体がかすかに反応したのが啓太にも伝わった。
「和希と普通に話していると俺はいつもの幸せに流されちゃうから、ちょっと和希断ちして、自分の中にある和希の存在を見つめ直してみたかったんだ。俺と和希が出会ったことの意味とか、和希と再会したときの俺の気持ちの変化とか、振り返って考えてみたかった。それに実は授業を休んで、一人で和希と俺とを繋ぐ場所を歩き回ってみようと思ってたんだ。俺と和希が出会って楽しい時間を積み重ねた場所をめぐり、和希と遊びにいった場所をもう一度一人で歩いてみて。そうしてずっと和希のことだけを考えて、俺がどんなふうに和希を好きかとか、どのくらい和希を好きか、和希のどこが特に好きかとか再確認して、和希への気持ちがいっぱいつまった俺を和希の誕生日にあげようと思ってたんだ。和希への気持ちだけをつめた俺を、和希にもらってほしかったんだ。……もう、こんなこと誕生日前に説明させるなよ…」
「啓太が、俺へのプレゼント？」
　啓太の肩から頭を上げ、和希が啓太の顔を見た。
　啓太は少し照れた表情になって頷く。
「俺をあげる、なんて和希の言葉じゃないけどな。あっ、プレゼントするものがなにも浮かばなかったから、適当にごまかすためにこんなことを考えたわけじゃないからな。俺なりに一生懸命考えて出した答えがこれだったんだからな。俺と和希が最初に過ごす誕生日ぐらい、本当に俺をあげてもいいかなって思ってさ。…ベタだって笑われそうな気はしたけどな…」
「笑わないよ。本当に俺が一番ほしいものをくれるなんて嬉しいよ啓太」
　和希の腕が啓太の体を引き寄せ、強く抱きしめた。また和希の唇が啓太の頬に触れてくる。
「わっ、和希…っ」
「やっぱりあんなことを言い出すからには啓太なりの理由があったんだな。初めからそう言ってくれれば俺だってこんなにショックを受けることはなかったんだぞ」
「だから本当は誕生日まで黙っていたかったんだよ」
「啓太は自分の何気ない一言が俺にどんな影響を与えるのか知らなさ過ぎるよ。俺はいつも啓太の言葉に振り回されてばかりいるよ。しかも授業を休むだなんて、俺がそれを知らなかったらどんなに心配するか考えなかったのか？」
「そのことはちゃんと前もって言っておこうとは思ってたよ」
「どんなふうに？」
「えーと、急用でしばらく家に帰るけど心配しないで、とか…」
「……距離をおこうのあとにそんなことを言われたら、俺は気が狂ってたかもしれないぞ」
　憮然とした顔で和希が言った。
　その言葉を聞いた啓太が、自分からしがみつくようにしていっそう強く和希に身を寄せた。
「…啓太？」
「――気が狂いそうになったのは、俺のほうだよ。どこを探しても和希はいなくて、和希のことを聞けばみんなにそれは俺が生み出した幻だよって言われて。俺は子供のときどこにも預けられていなくて、ベルリバティには普通に入学してて、ベルリバティには学園長しかいなくて。遠藤和希も鈴菱和希も初めからどこにもいない、そんな世界に放り出されて本当に俺は気が狂って死んでしまうかと思った。それくらい…和希がいない世界は怖かったよ」
　自分に抱きつく啓太の腕がかすかに震えている。それに気づいて和希は啓太の背中をあやすように優しく撫でさすった。
「俺がいない世界？」
「そう。この間、夢を見たんだ。和希がどこにもいなくて、俺が必死に和希のことを探す夢だったよ。俺が和希のことを聞いても、誰もがそんな人はいないよって答えるんだ。和希を知っているはずの人たちでさえ。しまいには子供のころ出会ったカズ兄も、ベルリバティで会った和希も、そのときの俺の不安な心が生み出した幻だよって言われるんだ。俺は懸命に否定するんだけど、実際にどこを探しても和希には会えなくて、俺はすごく苦しかったよ。だから夢から覚めたとき、俺は本当に安心して、そうして和希のことがものすごく好きなんだって再認識させられたんだ。それで俺、和希との思い出は本当にあったことなんだってその場所に行って確認したかったし、和希のことが好きな気持ちを改めて考え直してみたくなったんだ。俺たちが出会った意味を、この世界に俺と和希がいることの大切さを、改めて見つめ直したいって思ったんだ」
　和希に話しているうちに夢の内容が思い出され、啓太は胸を締めつける苦しさに襲われた。どこを探しても和希はいない。教室にも席はなく、名簿にも載っていない。学園の歴史を紐解けばそこに鈴菱の名はなく、ベルリバティには理事長自体が存在しない。
　ただ自分の中に残る思い出と記憶だけがすべてだった。声も聞けない、抱きしめられることもない、その手で触れられることさえない世界。
　和希がいない世界は、他の誰が存在していても絶望だけしかなくて。
　目が覚めたときに啓太は、安堵のあまり本気で泣いてしまったほどだった。
　そしてあの夢を思い出すだけで今も。
「啓太…」
　啓太から抑えた嗚咽が聞こえてきて、和希は啓太が今自分の腕の中で泣いていることを知った。
「啓太、泣くことないだろ？　俺はちゃんと、ここにいるんだからさ」
「でもものすごく怖かったんだ。和希がどこにもいなくて。和希がいたときの記憶のほうが夢で、本当は俺は初めから一人でこの世界にいたように思えてきて。ただ単に和希が好きというだけじゃなくて、和希がいないと俺は生きていけないってことを改めて思い知らされたんだ」
「……俺がいないと啓太は生きていけない？」
　和希が繰り返したその言葉に、啓太は頷いた。
「もともと啓太は俺のことなんか忘れていたよな？　ベルリバティに来るまで思い出すこともなかったようだし、それって俺がいない世界となにも変わりがないってことじゃないのか。俺のいない世界でも、啓太は普通に生活して過ごしていただろ？　――痛っ」
　啓太に足を踏まれた和希が顔をしかめる。
「意地の悪いこと言うなよな。ベルリバティに来るまではカズ兄は好きだったけど、本当の意味でおまえのことを好きだったわけじゃないだろ？　でも今は和希のことが好きで好きでたまらないから、もう前みたいには戻れないよ」
「啓太。もう一回言って。啓太は俺なしじゃ生きていけない？」
「生きていけないよ。今以上に誰かを好きになるとは思えないし、きっと和希以上に誰かをほしいとも思わない」
「……啓太が泣いているのにすごく嬉しいなんて言ったら、俺は啓太に殴られるかな？」
「別に殴ったりはしないよ…。ただ最低とは思うかもしれないけど」
　涙があふれたままの顔で啓太がそう言うと、「じゃあ俺はやっぱり最低なんだ」と言って和希が笑った。
「啓太。俺は本当にここにいるだろ。啓太が作り出した幻なんかじゃないよ。ここに存在してちゃんと啓太を抱きしめてる。わかるだろ？」
「わかるよ。和希がここにいることは。わかるからこそ一度くっついちゃったら今はだめなんだ。ものすごく離れがたくなって。……それがわかっていたからあえて、和希断ちをしようとも思ったんだ」
「今の啓太は俺のことが好きで好きでたまらなくて、俺からなかなか離れられないんだ？　啓太が離れても消えたりしないけどな」
「それも知ってる。でも感覚的なものでだめなんだ。今はちゃんと触れて和希がここにいるんだって確かめていないと安心できないんだ」
　そう言ったまま、啓太は実際に和希から離れようとはしなかった。
　自分がこんなふうになってしまうことがわかっていたから、あえて和希と距離をおこうとも考えていたらしいことを知って、和希はいまさらながらに、啓太の距離をおこう発言についてはどうでもよくなってしまった。
　嗚咽こそ落ち着いたものの、いまだ涙で潤んでいる啓太の顔を見て、和希は小さな声で囁いた。
「じゃあ啓太。啓太が泣いている顔に欲情するなんて言ったら、俺は啓太に殴られるかな？」
「……最低だぞ、和希」
「とうに自覚してるよ。それに、俺がここにいて消えたりするような幻じゃないって証明するには、一番いい手段だと思うけどな。俺がここにいることを、文字通り体で証明してやるよ啓太」


　　　　　３

「啓太。涙を拭いちゃだめだよ」
　自分の指で目元をぬぐおうとした啓太の手をつかんで止めさせ、和希は啓太の濡れた頬や目元にくちづけた。
「なんでだよ。……あっ」
「だから今は俺が啓太の泣き顔に欲情しているんだからそのままにしてなきゃだめだよってこと。啓太の泣き顔、すごくそそるよ」
　ソファに座った自分のひざの上に啓太を座らせ、その表情を楽しみながら和希が故意に音を立てて幾度もくちづける。和希と向かい合うように座らせられた上に両手を和希によって押さえ込まれ、啓太は和希のキスを受け入れるしかなかった。和希の手が啓太の手を押さえ込んだまま、体の微妙な位置に触れるあやしい動きをしていたとしても。
「和希、悪趣味だよ。それに泣くことなら、ほ、他のときだってあるだろ。今日に限った話じゃないよ」
「そうだな。俺はいつも啓太を感じさせすぎて泣かせちゃっているしな。もちろんあれもかわいいんだけど、今日の泣き顔とはまた意味が違うだろ？」
「同じだよ。なにが違…んっ…」
「ぜんぜん違うよ。今日のは、俺が好きで好きでたまらないって涙だろ？　啓太がそれだけ俺を好きでいてくれる証しの涙だから、そりゃあ俺だってその気になって当然だろ。泣くほどに俺が好きな啓太を感じさせてかわいがってやりたいって思うよ」
　和希のくちづけが耳や首筋にまで移ってくると、自然と啓太の熱もだんだん高まってきた。泣き顔なんかでその気になられてやっぱり最低だとは思うけれど、でも本当に嫌がっていないことは、和希に触れられたときの自分の体の反応で明らかだった。
「啓太。俺の肩に手を置いて。さっきも言ったけど、手で涙を拭き取ったり、顔を隠しちゃだめだよ」
　そう言って和希が啓太の手を解放した。それから啓太の制服を脱がしていく。シャツをはだけると、和希はすぐに啓太の肌に手を滑らせた。
「んっ……あ…っ」
「いつもより感じやすいみたいだな啓太。そんなに俺に触れられて嬉しい？　もしかしてずっと触られるの待ってた？」
「そ、んなわけじゃないよ…」
「でも啓太だって自分でわかるだろ？　自分がいつもより敏感になってるの。ここだってもうこんなにして」
「っ……」
　和希の手にズボンの上からそこを撫でられて、啓太の体がいっそう強く反応した。まだ和希に触れられたばかりなのに、そこがすでに刺激を求めていたことを、啓太はいやでも自覚させられる。
「まだキスぐらいしかしてないけどな。啓太は体でも、そんなに俺のことが好きなんだ？　俺に触ってほしくてたまらないんだな」
　ズボンの上の手に力がこもり、膨らみを握りこまれる。そのまま和希の手で緩急をつけて揉まれはじめると、啓太の吐息がさらに甘くみだれた。
「あ…和希……っ」
「かわいいよ啓太。涙で濡れている目が本当に扇情的で俺をぐらつかせるよ。まだこれだけしかしてないのにこんなに感じちゃうなんて、もしかして夢の中では啓太、欲求不満だったりした？」
「ん…っ。な、なに言ってるんだよ和希」
「だって俺がいなかったわけだろ？　そしたら俺を好きな啓太には他にする相手はいないだろ。それとも記憶の中の俺を頼りに一人でしちゃったりしてた？　ここを触って気持ちよくしてくれた和希はちゃんといたはずだって思いながらさ」
「そ、んなことまで夢で見るわけないだろ!?」
「じゃあ今度はそこまで夢に見てほしいよ。夢の中で俺を思い出しながらして？」
　いくらかからかいを込めて和希が言うと、啓太からはすぐにむくれたような声が返ってきた。
「いやだよ…。あんな夢、もう二度と見たくないよ」
「啓太は、俺がいない世界はいやなんだ」
「そんなの当たり前だろ」
　即答で返ってきた啓太の答えに、和希は啓太の唇に軽いキスを落とした。
「ほんとに啓太は俺のこと好きなんだな」
「か、和希だって俺のこと好きだろ!?」
「もちろん。俺は啓太のことが大好きだし、だから啓太に愛されてすごく嬉しいんだよ。啓太に関わるものならなんでも……もちろん啓太のここも愛してるよ」
「…和希っ…」
　触れていた啓太の膨らみから手を離し、和希は啓太のズボンに手をかけた。ファスナーを下ろし、下着の下からすでに育っている啓太自身を引き出す。
「俺に触られただけでこんなに濡らして。そんなに俺に素直な体だと、俺はますます調子に乗っちゃうよ」
「あ、だ、だって…」
「俺に触られて気持ちいいから？　こんな人間を増長させたらろくなことにならないけどな」
「そんなの…もうろくなことになってないよ」
　啓太の返事に思わず笑みを誘われ、和希は啓太自身を握る手に力を込めた。音が聞こえるようにして扱くと、和希の肩につかまっている啓太の手の力も強くなった。啓太の伏せられたまつげが濡れたまま震えているのを目で楽しみながら、啓太の胸の突起に手を這わす。
「んっ…は、あ……」
「腰が揺れてるよ、啓太。そんなに俺がここにいることを実感したいんだな。気持ちよければ気持ちいいほど、啓太はここにいる俺を実感するんだろ？」
「…はっ、和希…っ」
「もっと俺を実感させてあげるから、腰を浮かせて啓太」
「……」
　和希の言葉に、啓太は和希の肩につかまっていた手に力を込めて自分の体を引き上げた。啓太の肌にキスをしてから、和希が啓太のズボンをさらにおろし、啓太の先走りの雫を絡めた指を背後に回す。
　前を刺激しながらそこをくすぐっていくと、啓太の体が和希の手から引き出される甘い快感にしなった。
　後ろをほぐしながら和希は、今日の啓太の体がいつも以上に自分を待ちわびていることに気づく。指を徐々に挿入していくと、そこが蕩け、指が引き込まれるかのような感覚に襲われた。
「今日の啓太はもう指じゃ物足りないみたいだな。指を増やしても物足りないって、啓太のここがひくついてる」
「そんなこと、ない…っ」
「そんなことあるよ。じゃあ邪魔なの全部脱いじゃおうか。そして俺がここにいることを啓太の奥で感じて」
「……ん…っ」
　ここ、と言いながら啓太のそこを指でかき回すと、いっそう締めつけられ、啓太の体がびくびくと揺れた。
「…まったく。そんなに一生懸命望まれると、俺も耐えられなくなるよ」
　そう言って和希は啓太の窄まりから一度手を離し、啓太のズボンを完全に引き下ろす。それから自分のズボンに手をかけた。
　――挿入の直前、啓太が和希の首に腕を回し、より強くしがみついてきた。そしてようやく耳に届くほどのかすかな声で呟いた。
「和希…今日はもう優しくしなくていいから。激しくして…和希をちゃんと感じさせて…」
「――そんなこと言って、あとで知らないぞ」
　そう前置きして、和希は自分の欲望に素直になり、そしてまた啓太の望みに忠実にこたえたのだった。


「…だからほんとは俺、和希の誕生日に和希のことを一生懸命考えた俺をプレゼントしようと思っていたんだよ」
「啓太、さっきもそう言ってたよな」
「そのためにもしばらくは和希と離れて、和希に対する自分の気持ちを一人で見つめ直してみようって思ってたんだ。そのほうが冷静に考えられるから」
「それで？」
「少し和希と離れて自分の考えごとに一生懸命になっていれば、そのうち時間も経って、あの夢の怖さも忘れて少しは気持ちも落ち着くだろうし…」
「で？」
「……もうちょっとこう、冷静に俺の気持ちを伝えるつもりだったのにさ…」
　汗ばんだ体をソファに横たえた啓太が、和希から顔をそらしたままぼそぼそと呟く。すでに簡単に服を身につけソファの腕置きに腰かけていた和希は、啓太のその言い方に思わず吹き出した。
「確かに今日の啓太、めちゃくちゃかわいかったよな。和希がいないと生きていけないとか、和希ほど誰かをほしいとか思わないとか、たくさん殺し文句を聞かせてもらったよな。それに俺にぴとっとしがみついちゃったりしてさ」
「……」
「結局啓太の中には俺を好きな気持ちが詰まっているわけだから、恥ずかしがったって取り繕ったっておんなじってことだよ。まあ、誕生日の前祝いとしては充分すぎるプレゼントだったかな」
「…え？　前祝い？」
「まだ当日じゃないんだから当然だろ？　誕生日まで距離をおくっていうのは却下だけど、啓太からの誕生日プレゼント、改めて期待しているよ。当日の啓太もすごくかわいいことをしてくれちゃうんだろうなあ」
　本当に期待に満ちた笑顔でそう言われ、啓太は和希に向けて溜息をついた。
「和希って、本当に欲張り…」
「啓太が俺をそうさせるんだろ？　それとも啓太はこんな欲張りで強引な男は嫌いか？」
　明らかに答えを確信している和希の問いに、啓太は少々の悔しさを感じつつも、和希の望む答えを口にした。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＥＮＤ