経験 その日の放課後、啓太は生徒会室に来ていた。 丹羽や中嶋の仕事の手伝いをしていたが、自分の仕事に一段落ついたのか、中嶋が通りがかった啓太に一つの質問を投げてきた。 「伊藤。遠藤は何人経験しているんだ？」 「えっ!?」 「おまえで何人目だと聞いているんだ。童顔のあの理事長が今までに何人食ってきたのか、非常に興味がある」 口元に笑みを浮かべて聞いてきた中嶋の顔を、啓太は戸惑いながら見返す。 「なっ、け、経験てっ…」 「なんだ、おまえとするまでずっと童貞だったのか」 「はっ!?」 「ではないんだろう？ 何人だ？」 「……っ」 思わぬことを聞かれて動揺していた啓太だったが、だんだんと落ち着きを取り戻した。中嶋にこれ以上振り回されないようにと、つっけんどんに言い返す。 「知りませんよ！ でもきっと中嶋さんほどじゃないと思いますよ！」 中嶋への当てこすりを含めてそう言うが、中嶋からは「そうとも限らないだろう」という答えが返ってきた。 「えっ!?」 「あいつの後ろには鈴菱の名前がある。今まで相手に困ったことはないだろうな。特定の相手と長く付き合っていたなら別だが、そうでなければ年を考えても相当な数にのぼるだろう。学生の俺とはわけが違う」 「――」 思ってもみなかった返事に、啓太が黙り込む。特定の相手と長く付き合っていた場合もいやだし、今までたくさんの相手と、と考えるのもいやだった。 その啓太に、さらに中嶋は畳み掛けるように言った。 「伊藤もあいつの手慣れた行動に気づいてたんじゃないのか？ 服の脱がし方もお前の高め方も手間取ったところなど一切見せてないんだろう？ 鈴菱の御曹司なら、帝王学とともにそっちの勉強も一流の教師がついてそうだしな」 「……」 そこに、ノックの音が響いた。それとともに声。 「すみません、遠藤です。啓太いますか？」 そして扉が開かれ、和希が姿を見せた。 「和希……」 「啓太！ ……中嶋さん、啓太にまたなにか？」 扉を開けた途端目に入ってきた啓太の表情と部屋の雰囲気に、和希はすぐに啓太の側に寄るとその身体を抱きしめ、中嶋をきつく睨み上げた。 「いや、大したことじゃない。ただ伊藤に、遠藤は今までに何人経験しているんだと聞いただけだ」 「そんな質問をすることは十分大したことだと思いますけどね」 「いまさら純情ぶるくちじゃないだろう、お前も啓太も」 「中嶋さんと一緒にしないでください。俺は啓太が初めてですよ」 さらりと、和希が質問の答えを口にした。 「……」 「……」 その途端、中嶋も啓太も無言になった。しらーっとした視線を和希に向ける。 「なんですか、その目。俺は啓太としたのが初めてですよ」 啓太を抱きしめたまま、和希はもう一度繰り返した。 そのとき、三人の後ろで大きな声が上がった。 「おまえらなーっ！！ いい加減、ここでそんな話してんじゃねえよっ！！」 今まで無言で仕事に徹しようと耐えていた丹羽がたまらず声を上げたのだった。 「ヒデ！ そんなくだらないこと聞くな！ 啓太も遠藤もいちいち答える必要なんかねえっ！」 「童貞のてっちゃんにはまだ早い話だったな」 「じゃなくてっ！ 仕事のときにそんな話すんなって言ってるんだよ、俺はっ！ 口よりも手ぇ動かせ、手！！」 「いつもサボっているおまえには言われたくないな」 「本当にそうですよ」 「おいおい啓太まで…」 中嶋の言葉に啓太にまで同調され、丹羽の肩ががっくり下がった。 残る一人はと見れば、和希は啓太の手をしっかりつかんだところだった。そして、 「そもそもそんな話啓太にしないでください。今日はこれで失礼します。行こう啓太」 と言って、和希は啓太の腕を引いて生徒会室を出たのだった。 生徒会室をしばらく離れてから、人けのない廊下で啓太は前を歩く和希に言った。 「和希。さっきの……俺が初めてって嘘だろ？」 中嶋の言うように中嶋以上だとは思わないものの、啓太は和希の手慣れた行動にやはりそれなりの経験があると感じていた。具体的な人数は知りたくないが、浮かんだ疑問だけは解決しておこうと聞いてみる。 啓太の質問に、和希はあっさりと答えた。 「嘘じゃないよ。好きになった相手としたのは啓太が初めてだからな」 「……それって詭弁て言うんだぞ。本当には初めてじゃないくせに…」 好きになった相手としたのは自分だけ――和希のその言葉に、啓太は喜んでいいのかショックを受けるべきか、複雑な心境だった。そして和希の口ぶりから、自分が和希が経験した相手の二人目、程度ではない印象を受けた。 「啓太は気になる？」 「そりゃあ、気にならないって言ったら嘘になるけど……でも、もういい。俺との経験で和希の過去を上塗りする経験を重ねていけば」 「そんなのとっくにできてるよ。本当に、俺は啓太とのことが初めてに等しいんだって。啓太との以前なんてもう忘れたし、ないも同じだよ。それより俺こそ、啓太の初恋の相手より勝っているのか気になるな」 「初恋の相手って……子供のときはともかく、人を好きになる本当の意味がわかってから好きになったのは和希だけだよ。俺は、本当になにもかもが和希が初めてで…そしてこのまま和希だけしか知らないままなんだ」 啓太がそう言うと、和希が足を止めて嬉しそうに笑った。 「啓太の全部は俺だけに染まってる？ 俺は啓太のすべてを変えてきたのかな」 「勿論。和希が俺にいろんなことを教えてくれて経験させてくれて、和希だけの俺になったんだ」 「啓太にまだ教えてないことたくさんあるし、もっといろいろ開発したいけどな」 「……そこはちょっと同意しないでおく…」 啓太の返事に、和希がさらに笑った。 「じゃあ早く帰って、俺がどんなふうに啓太を変えたか、改めて確認してみようかな。夕食までまだ時間もあるしな。啓太、急ぐぞ」 「わっ、和希！」 和希に手を引かれて再び歩き出しながら、啓太はふと浮かんだ別の質問を口にした。 「和希、和希の過去はもういいって言ったけど、やっぱりあと一つだけ質問」 「なんだ？ おにーさんは今上機嫌だからなんでも答えてやるぞ」 「えっと、和希の初めてって…いつ？」 「え？」 「いつぐらいなのかな、とか、単純な興味なんだけど。和希は何歳のときに…初めて経験したんだ？」 「んー、俺の初体験は計算すると半年ぐらい前、かな」 和希の答えが自分と初めてしたときのことを指していると気づいた啓太が声を上げた。 「和希！ ごまかすなよ。なんでも答えてくれるんだろ！」 「昔啓太と遊んでいたときは綺麗な体だったよ」 「そんなの当たり前だっ、ろ……」 強い口調で言いかけたものの、だんだんとその勢いがなくなっていった。 自分の常識ではあれぐらいの年齢の子供が未経験なのは当たり前だが、和希は違う世界にいるのかもしれない。相手に困らないという中嶋の言葉も不意に思い出された。自分と出会ったばかりのときはそうだとしても、あの直後なら十分ありうるのかもしれない――。 「そこで黙り込むなよ。冗談だって」 「だって…」 「ただ身体のつながりだけのことに意味なんかないんだって。啓太を好きになって初めて人を抱くことの意味を知ったんだからさ」 「……なんか、ごまかされてる気がする…」 「けーた…」 啓太の言葉に、和希が苦笑する。啓太はそんな和希をキッと睨みつけた。 「もし逆の立場で俺がそう言ったら、和希は納得するのか？」 「まあ俺は独占欲が強いから、啓太に過去があったとしたらそりゃあ気になるけど」 「だろっ!?」 「でも俺は、啓太との前のことなんて、啓太を傷つけないための練習だったとしか思ってないよ」 「練…」 さすがにあまりの言いように、啓太が言葉を失う。 「あとは耐性をつけて、できるだけ長く頑張って啓太を満足させるための訓練とかな」 「和希っ！」 「だって本当に、家の名を貶めないための一通りの心得とか、その手のトラップにかからないための経験とか、色に溺れて安易に孕ませないための経験とか、そんなの煩わしい勉強の一環みたいなもので、そこに意味なんかなにもないだろ」 「――」 和希の声は当たり前のことを話している口調だったが、それだけに。 「……え…？」 啓太は和希の顔をまじまじと見つめた。 「そんなことに年とか人数とか、数えるのも馬鹿らしいしな」 「……和希…」 「なに、啓太」 「今の…」 啓太が問いかけると、和希は啓太を見返して、 「――冗談だよ」 と笑った。 「どうにか啓太をごまかせないかと思って」 「な、なんだ冗談か……」 啓太は和希に合わせてそう言うのが精一杯だった。 「し、仕方ないな。じゃあその冗談に乗ってやるよ」 啓太に真実を知るすべはない。本当に自分をごまかすための冗談かもしれない。でもそれならその方がいいと啓太は思った。 啓太は和希に身を寄せて、その腕をぎゅっとつかんだ。 「啓太」 「…それでごまかされてやるから、和希、早く寮に帰ろう。早く帰って、俺がどんなふうに和希に変えられたか、確かめるんだろ」 「ああ、そうだな」 そう返事をしたあとで和希は、 「俺も、啓太に初めてを奪われちゃってからどんなふうに変わったのか、啓太に教えてあげるよ」 と言って笑った。 「え？」 「啓太が俺に教えてくれたことはたくさんあるぞ。とことんまで焦らしたくなる気持ちとか、隅々まで見て目で楽しむ気持ちとか、何回もしたくなる気持ちとか、それから……」 「かっ、和希！ なに変なこと言ってんだよっ！」 「変なことって、でもどれも本当のことだけどな」 そして和希は啓太の耳元に唇を寄せてそっと囁いた。 「――俺は、啓太のおかげでイロイロ目覚めさせられました。大人にこんなに気持ちいいこと教えてハマらせた責任はとらないとな」 「……っ。……そんなの、俺だって……和希に目覚めさせられたこと、たくさんある…」 そう言って啓太は顔を赤く染めながら、和希を上目使いで見つめた。 「和希こそ、責任とれ……」 「――勿論、喜んで」 そして和希は啓太の手をとると、「お互い生涯にわたって責任とりあおうな」と笑って、その手に唇を落とした。 ＥＮＤ ※この話の和希の過去については、そういう過去を持っていることもあるかなと考えたものなので、サイトの和希のデフォルト設定ではないです。 |