　愛の妙技

「げっ。マジマジ!?　おまえってほんとチャレンジャーだよなあ」
「だってやっぱ興味があるだろ、男としてはさ」
「で、どうなんだよ。全部試してみたのか!?」
「ばーか。そう簡単に全部こなせるわけねえだろうが。まあ今は半分、てところかな」
「半分て二十四!?　うっひゃあっ」
　教室の片隅で、クラスメートたちが数人固まってこそこそと話をしている。それを通りがかりに聞いた空は、最初、意味がわからなかった。
「や、やっぱ基本的なものからやっていったんだろ!?」
「ああ、まあ無難にな。あんまりキワドイのからやると、あいつらムードがないって怒るもんだからさ。こう、気分が乗ってきたときにきついのを試すわけさ」
「･･･なんの話してたんだ、おまえら。きわどいのって･･･」
「ばかっ、大きな声出すなよ羽柴っ」
　単なる疑問を投げかけただけなのだが、クラスメートたちは一様にびっくりした顔で空のほうを振り向いた。そうして空の首に腕を回し、抱きこむようにして自分たちの輪の中に引きずり込む。
「お愉しみの話。羽柴だって、興味がねえワケねえよな？　オトコノコ、だもんな？」
「羽柴、こいつの経験談すげぇためになるんだぜ。なんてったって高校生は勿論、女子大生にＯＬと三人かけもち、だもんな」
「で、半分試した結果どうなんだよ」
「まあな、これがけっこう体にくるのもあんだよな。朝起きてみたら筋肉痛になってたりしてよ、ちょっと情けねえかもな」
　意味のわからない空にさして説明もせず、クラスメートたちの話はさらに続いていく。なんとなく性の話らしいことは空にもわかったが、今現在なんの話題について盛り上がっているのか空にはつかめなかった。
　以前はともかく、今はそれほど興味がない話題なので――それが誰のせいでそうなったかは深くは考えたくなかった――空はこの輪から離れようとも思ったが、それでも今の話題のことだけは気になった。
「筋肉痛？　意味がわかんねえからちゃんと説明しろよ」
「ちゃんともなにも･･･なあ？」
「くくくっ。羽柴も少しは知ってんだろ？」
「･･･なにがだよ」
「体位の話だよ。四十八手、愛の妙技、ってやつ」
「タイ･･･イ･･･？」
「こいつがさあ、今全部やってみるっつっていろんな女と試してんだってよ。その話を聞いていたわけさ」
「正常位、騎乗位、後背位、座位･･･それくらいなら羽柴だって聞いたことあんだろ？」
　こっそりと問われて、空は半ば唖然としたまま頷いた。
「まあ、そりゃあな･･･」
　体位の話、とは。なんとも『健全な』男子校生らしい話題だとは思う。なまじ経験が少ないだけに、興味は尽きないのだろう。
「あれってけっこうすごいのもあるんだよな？　ほんとにこれでイけるのかよっていうやつとかさ」
「でも一生に一度は確かに試してみたいよなあ。羽柴もそう思うだろ？」
「いや、オレは別に･･･」
　そう答えて、空ははたっと今の状況を思い出した。今ここにいるのはクラスメートたちと自分だけだが。ひそかに、この話を聞いている人間がいるのだ。この場にはいない、別の――存在が。
　空は慌てて耳を塞いだ。
「羽柴？」
「おまえ、どうかしたのかよ」
「いやっ。なんでもないっ。とにかくオレ、そろそろ席に戻るわ。じゃあなっ」
　耳を塞いだままそれだけを言って、空はすぐにその場を離れた。心の中で聞かれてなければいいと思ったが、なんとなく、いやな予感がした。

「くっくっく。愛のミョーギだってさ。オレたちにすっげえふさわしい代物じゃねえ？」
　ほのかな明かりしかないくらいその世界で、左右違う瞳を輝かせて楽しそうに笑う存在がある。あごに手をかけて愉悦に満ちた表情を空に向けている青年こそ、夜――空のもう一つの人格だ。
　一人で楽しそうに笑う夜に背を向けて、今空は胡坐を組んで座り込んでいる。ここ精神世界ではもっぱら夜の独壇場にならざるをえないからこそ、空はついつい拗ねまくってしまう。
　そんな空の姿も、夜にすればかわいいだけなのだが。
「どこがオレたちにふさわしいんだよっ」
「だってここなら余計な重力もねえし、いろんなことが試せるだろ？　オレたちにぴったりじゃねえか」
　そう言った夜が空にそっと近づき、背後から手を回して空の首筋を撫でた。
「そういう『試す』なんてことでヤりたくねーよっ」
「そうか？」
「おふざけや遊びみたいのはいやだ」
「でも、そういうのもなかなか新鮮だろ？　普通にするだけじゃ、空もマンネリになって楽しめねえだろ？」
「それでもいいよっ。別にマンネリだろうとなんだろうと、気持ちさえあれば別にかまわねえし」
「おいおい空。気持ちだけで耐えられたら、『オモチャ』とか『クスリ』なんてもんはこの世にないはずだぜ？」
「だからっ、ンなことしなくてもオレと夜ならぜってー気持ちいいはず･･･っ」
　がばっと振り向いて空が夜に向かって叫ぶ。そのあとで自分が口にした言葉の意味に気づいた。
　なんだか、変なことを口にしてしまった気がする。十中八九、相手を増長させてしまうような。
　空は慌てて口を閉じたが、空の言葉にいくらか驚かされた夜の表情がたちまちにやりとした意地の悪いものに変わった。
「･･･ふうん」
　空はぎくりと身を強張らせる。
「な、なんだよ･･･」
「それはオレのことを評価してくれてんのか？　オレに触られると特別なことをしなくてもすっげー気持ちいいって？　――でもそれは、空の心がオレにあるからだろ？」
「違っ･･･」
　空はとっさに否定する。
　だがしばらくして、諦めたようにその感情を認めた。
「･･･そ、そうだよっ。だから、夜とだったらそういうのをしなくてもオレは別に、マンネリだとか飽きたとか思わねえしっ」
「恥ずかしいからいやなのか？　それとも、気持ちよすぎて忘れられなくなりそうだからいやなのか？」
「だから人の話聞けよ、夜っ」
　夜の顔がにやついているのを見て、空はまたむくれた。
「だいたいなんで夜はンなのしたがんだよっ」
「そりゃあ、普段見られねえ空のいろんな姿を見たいからだろ。『痴態』ってやつ？　それになにより、空が困るところを見るのが楽しいからな」
「～～～～～～」
　怒りのあまり言葉もない空の体を簡単に引き寄せながら、夜は空に向けてさらに相好を崩した。
「じゃあ、空。そういうわけでオレがおまえに四十八手を一つ一つ教えてやるよ。まずはやっぱり今までヤったことのないやつから試したいだろ？」
「わ、わわ、離せよ夜っ。オレはそんなの知りたくねえって！」
「すっげぇ深くつながるやつもあるんだぜ？　こう腹にきて、頭ン中がかきまわされたようにおかしくなるやつがさ」
　後ろから抱き寄せた空の耳元で囁きながら、夜が一瞬で空の服をすべて消し去った。夜と二人きりとはいえ、身に着けているものがなにもない心もとない状態にされて、空の頬が羞恥に染まる。
「やだっつってんだろ、夜。離――･･･っ･･･くっ･･････」
「遠慮すんなよ。――恥ずかしくて気が狂いそうなくらい、いやらしいことしてやるぜ、空？」
　艶めいた声で吹き込みながら、夜の手が空の肌を滑りはじめた。

「なあなあ、それで今までヤった中でどれがよかったんだよ」
「あーそうだなあ。やっぱあれかなあ･･･」
「じらさねえではっきり言えよ、おい」
　教室内で、クラスメートたちがまた同じ話題で盛り上がっている。それを通りすがりに耳に入れてしまった空の眉がびくりと動いた。
　そしてわなわなと怒りの感情に手を震わせながら、空はそのクラスメートたちに向かって叫んだ。
「あんな変態的なもん、楽しいわけねーだろっ!!」
　真っ赤な顔でそう言いきった空の叫びを受けて、その話をしていたクラスメートたちのみならず、教室中がシーンと静まり返った。
「――え!?」
「羽柴!?」
「は、羽柴、おまえまさか経験があんのか!?」
「～～～～～～～オレが知るかよっ！」
　教室内の生徒たちの注目を浴びている中で、空はそう吐き捨ててすぐさま教室を出て行った。
　――空の頭の中では、愉しげな笑い声が響いていた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＥＮＤ