５


　手が、オレに触れた。
　眠っているオレの髪の毛をかきまわすように触れてくる。
　オレは眠くて眠くて、目を開けたりはしなかった。
　すると耳元にかすかな吐息を感じた。ひそやかな息遣い。
　らしくない、優しい響き。
　なんだよ、そんな声も出せるんじゃねえか。だったらいつもそういうふうにしてりゃいいのにな。
　･･･って、マジでそんなことされたら鳥肌が立つか。
　あ、なんかオレのことを見ている気がする。視線･･･なんだかものすごく照れそうになる。
　オレ、寝てるだろ。ぐーすか寝こけてるだろ。
　なのにオレのこと見てんじゃねえよ。
　オレはすげえ眠いんだって。
　なのに･･････なんだか目を開けたくなっちまうじゃん。今どんな表情で見られてるのか、すげえ気になる。
　今ここで目を開けたら。
　オレはもっと素直になれるんだろうか。
　そして･･･オレたちはなにかが変わるんだろうか。
　なあ、〝・・・・・・〟？


「･･････え？」
　その名前を口にしたとき、オレははっとして目を開けた。
　部屋の中が薄暗くて、すぐにはここの場所や状況を理解できなかった。
　オレ、寝てた？
　いつの間にか寝てたのか？
　そしてここは･･･。
　よく目を凝らして、オレはここが寮の自分の部屋であることに気づいた。
　ああそうだ。でかけるのを取りやめてベッドに寝転がって、そしてうたた寝しちまったんだ。何時間くらい寝たのかわかんねえけど、さっきまで明るかった外は、今やすっかり日が落ちて暗くなっている。
　オレは横になったままふと自分の髪の毛を触ってみた。いつもの、当たり前の手触り。
　だけど、オレはいつだったか他のやつに触られたときのことをなんとなく覚えているような気がした。びっくりするくらいに優しい指先で、それから声が･･･。
　あれは夢、だったんだろうか。でも頭の片隅で現実だったような気もする。
　勿論今のは完全に夢だったわけだけど――。
「･･･なんか、混乱してきた･･･」
　オレはそう呟くと、身体を起こした。
　手探りでベッドサイドの電気のスイッチを探し、それをつける。
　明かりがつくと、オレは改めて今の状況を認識した。
「なんだよ。つまりオレ、あいつの夢を見てたってことじゃねえか。げ･･････」
　それもあいつにいじめられただとか、あいつに報復するような夢じゃなくて、もっと違う種類の夢だったのだ。
　なんとなく、今一人でいることが心許なく思うような･･･。
「なーんてな。まだ寝ぼけてるみてえだな、オレ」
　別に月曜日になったらまたいつもの一週間が始まるんだし、そしたらいやでも水都に呼び出されるんだろうから、今ぐらい一人で身体を休めとくほうがいいよな。
　そうさ、月曜の朝になったらいやでもあいつの顔を見なきゃいけねえんだ。だから別に今変なことを考える必要なんかねえんだ。
　明後日にはいやでも会う――会うには、まだ一日ある。
「――」
　オレの中で、なにかつーんとしたものが込み上げてきた。
　あと一日。まだ、一日。
　このまま今夜寝て、また明日もこんな一日を過ごさなきゃいけない。
「はは･･･マジで頭がこんがらがってきた。こんなときは、やっぱ走るに限るかな」
　自分にそう言い聞かせて、オレはベッドから降りた。部屋のドアまで歩いていき、部屋全体の電気をつける。そしてオレは、机の上に置いといた財布を見つけた。
　それをすぐさまズボンのポケットに押し込む。
　そうさ、ちょっと気分転換に外を走ってくるっていうのもいいよな。途中コンビニでなんか食いもんでも買ってさ。
　そう、そのための財布であって、別にタクシーを拾いたいなんて考えちゃいねえって。
　とにかく頭を整理するために走りに行くだけなんだから。
　オレはもう一度壁のスイッチに触れて部屋の電気を消すと、そのままドアを開けて部屋を出た。
　ドアを閉めるとき、もう後ろなんか振り向かなかった。


　寮の外に出てみると、あたりはひっそりと静まり返っていた。やっぱここじゃ無理だよな。大通りまで出るしかねえか。
　オレはそう考えてつっかけてきたスニーカーにかかとをちゃんと押し込むと、大通りを目指して走り出そうとした。
　だが。
　なにか、引っかかるものがあった。
　寮の玄関の真ん前にはなにもない。けれどその脇、ここからじゃよく見えないところで。
　かすかになにかが揺れたような気がした。
　小さなあかり。ほのかな熱。
　それは、本当にオレが知覚したものではなかったかもしれない。
　だけど言葉にできないなにかに惹かれるようにして、オレはそちらのほうに目を凝らした。
　――車の、シルエットが見えた。
　それからそこに寄りかかるようにして。
　揺れる、小さな煙草のあかり。
「――っ」
　オレはすぐさまそちらの方向に走り出していた。
　夜の闇の中に薄く、最近では見慣れた私服姿が見えた。
　･･･なんでこいつがこんなところにいるんだよ。まさか、まさかこいつ･･･。
「なんだよ･･･なにしてんだよ、あんた。こんなところでさ」
　オレが聞くと、そこにいた男――水都が、煙草を吸いながらオレの顔を見た。それはいつもながらの冷めた表情で。
　そして、その表情のままオレに短く告げた。
「用事があっただけだ」
「･･･あっ、そーかよっ」
　なんだかむかむかして、オレは投げやりな気分で返事を返した。
「ならそこにいられると邪魔だから、さっさと用事とやらを片づけて早く帰れよ。オレはこれから一っ走りしてくるんだからな」
「羽柴。おまえの望んだ休日とやらは楽しいか？」
　う･･･。なんだよ、急に。
「た、楽しいさ。楽しいに決まってんだろ」
　オレは即座に答えた。それに対して水都はなにも言わず、ただじっとオレの顔を見つめてきた。
　･･･そんなに、人の顔じろじろと見んなよな。
　オレはなんとなく居心地が悪くなって、水都から顔をそらした。
　そうだ、オレ走りに行く途中だったんだっけ。だったらこいつになんかかまってねえで、さっさと走りに行っちまおう。
　オレはそう決めて、水都には何も言わずにこの場を離れようとした。
　だが、元来た方へ走り出そうとしたオレの腕が急に水都につかまれた。
　そしてやつは持っていた煙草を地面に投げ捨てると、オレの腕を強く引っ張った。
「帰るぞ」
「！　なに言ってんだよっ。だからオレはこれから走りに行くんだって言っただろ！」
「いいから乗れ」
「なに勝手に･･･っ」
　横暴な言い方の水都に腹を立て、オレは水都の方に引っ張られまいと激しく抵抗した。いくら水都がバカ力だと言ったって、ここで無理やり車に乗せられたくはなかった。他の用事で来た水都に、偶然ここで会ったからって強引にことを運ばれたくなかったのだ。
　しかし水都から逃れようと抵抗するオレの足が、軽いなにかを蹴り飛ばした。
　ふと下を見ると、薄暗くてはっきりとは見えなかったが、そこには白いなにかがたくさん落ちていた。
　これって･･･。
　オレの腕からふっと力が抜けた。
　オレは足元に落ちていたたくさんの白い――煙草の吸殻を踏みつけ、水都に向き直った。
　水都につかまれていない自由になる手を、水都のほおに触れさせる。
　指先から伝わる温度に、オレは思わず笑ってしまった。
「･･････あんたらしくないんじゃねえの。冷たくなってんじゃん」
　おそらく、夜風にあたって。
　足元に落ちている吸い殻といい、こいつはいつから――。
　オレが抵抗するのをやめたからだろう、水都もオレの腕をつかむ手から力を抜いた。そしてオレの顔を見つめながら呟く。
「･･･おまえが熱くしてくれるんだろ」
「は、バカじゃねえの？　ほんとに･･･強引なあんたらしくねえよ」
　そう、本当にこいつらしくない。いつだってこいつは強引で横暴でオレの気持ちなんて無視していたから、だからオレは逃げることしか考えられなかったんだ。
「いつからそんな殊勝な性格になったんだよ。オレは、全然知らなかったぜ･･･？」
　オレがそう言うと、水都は途端に唇を歪めた。
「ふ。おまえが飛び出してくるのはわかってたからな」
「――っ！　な、なんだよそれっ。だからオレは走り行こうとしてただけだって言っただろっ。今までなに聞いてやがったんだよ！」
「いい加減帰るぞ。人目についたらなにもできないだろう」
「なにもってなんだよ」
　オレが腹立ちまぎれに聞くと、オレはすぐに水都に引っ張られた。なにが起こったのか咄嗟に理解する間もなく、固い感触のなにかに背中が叩きつけられる。
　痛いとか、背中に当たっているのが水都の車だとかそんなことをはっきりと認識する前に、水都の存在を間近に感じた。
「･･･････っ」
　いつもよりも性急に唇が合わせられた。
　噛みついてくるようなキスに呼吸が奪われる。
　オレを挟みつぶすんじゃないかというくらいに、水都はオレに自分の身体を押しつけてきた。
　いつの間にか両腕とも捕らえられ、ぎりぎりと締めつけられる。なのに仕掛けてきたキスは激しいだけではなく、オレの奥にあるものを的確に刺激した。
　乱暴と言ってもいいくらいのやり方なのにそういうのは忘れないんだな。
　っていうかこいつの場合、もう無意識で人を追いつめるのがクセになってるんだろうな。
「････ぁふ･･･」
　ふと唇が離れた一瞬にオレの声がこぼれた。それはひどく甘味を帯びていて、オレはそんな声をもらした自分自身に驚く。
　押しつけられた水都の体に触れている部分が、水都のわずかな動きだけで痺れるような快感を拾いはじめていた。
　冗談、だろ･･･っ。
　単なるキスじゃねえか。これぐらい、別に珍しくもなんともねえだろ。
　もっと別のことだっていろいろとしてきたのに、なんで今日に限ってこんなに甘く感じんだよっ。
　水都のキスは本当に強引でただ自分勝手にオレを振り回しているだけなのに。相変らずオレに気を使っているわけではないのに。
「ん･････っ」
　背中や手首が痛みを感じれば感じるほど逆に甘い刺激を強く感じるなんて、オレ、やばくねえ？
　頭の中ではもっと落ち着けよオレ、と思っているのに、水都のキスに煽られて身体がだんだん熱くなっていくのを止められなかった。
「――たとえば、こんなことだ」
「あ･･･？」
　不意に聞こえた水都の声に、オレは現実を取り戻す。･･････げ。なんか今一瞬意識が飛んでなかったか!?
「･･･くそ･･･。てめえらしいやり方だよな」
　さんざん人のことを煽っておきながら、あっさりと突き放す。ほんと、いい性格してるよな。
　前言撤回。さっきはらしくねえって言ったけど、やっぱり水都は水都だよな！
　オレのその認識は間違っておらず、水都はそのあとにやりと笑うとさらにこう言ったのだった。
「で、これから羽柴は走りに行くんだったな」
　あ、このやろっ。
　オレはそこで「そうだよ！」と叫んで本当に走りに行きたかったが、水都に煽られた身体がそれを実行させてはくれなかった。
　別にオレの心が望んでいるわけじゃない。ただ生理的な理由があるだけなんだからな。
　だからオレは水都に向かって思いきり叫んでやった。
　ああそうさ、これから走りに行くさ。
　でもそれは。
「コレでな！」
　そう言ってオレはやつの車を足蹴にしてやった。へっ、この程度の報復ぐらい見逃せよな。


　　　　　　　　　　６


　やつに言いたいことはさんざん車ん中で吐き出した。
　日頃やつに対して思っていることとか、やつの部屋に対しての不満を思いきりぶつける。
「だから、人が寝ているときに無理やり起こすのよせよな。いい大人なんだから一人で起きているとさみしいなんてわけじゃねえだろ。だいたいてめえはいつもそうだよな。人のことなんか全然かまわねえで自分の都合だけで話を進めるし、この前だって･･･」
　オレの一方的な文句に対して、水都は運転しながらたまにオレをあしらうような返事を返してきた。それにむかついて、オレはさらに文句を並べ立てた。
　やつのマンションの駐車場について車を降りてからも、オレはひたすらに愚痴をこぼしていた。そんなことをしようものならあとで水都の報復が怖い――とは、全然考えなかった。とにかくなにか喋っていないと落ち着かなかったからだ。
　だけどそれも、水都が鍵をといてドアを開けるまでのことだった。
　ドアが開いて中に入ったとき、オレはもしかすると自分から動いていたかもしんねえ。水都に引き寄せられるのを待たずにオレから。
　水都の背中に腕をまわし、すぐにキスを交わした。口を開けて水都の舌を受け入れたし、オレも自分から絡めていった。そのまま互いに貪りあうようなキスを繰り返す。オレの後ろで、ドアが閉まった音がかすかに聞こえた。
　こんなにちゃんとキスしてんのに、なんだかオレは物足りない気がした。もっと、と思う。もっとそばに取り込みたくて。
　背中に回した腕に力を込めて、もう一方の手はやつの髪の中にうずめた。
　なぜだか強い飢餓感がオレを支配していた。唇から感じるキスの甘さに、無性に溺れてしまいたくなる。
　あ、やべえ。なんか意識が飛んでいきそうだオレ･･･。
　水都の唇がオレの口から離れ、頬を伝ってオレの耳に移っていった。耳たぶを噛まれてぴりっとした痺れが走る。
　耳元で水都が笑った気配が伝わったが、オレはそんなこと気にしなかった。
　水都の唇がだんだん下がっていって、今度は首筋に顔をうずめられる。そこを幾度も舌で舐めとられると、体中に走った刺激に耐え切れずにオレの膝が崩れた。そのまま二人してその場に倒れこんだ。
　それでも水都は身を起こそうとはせずに、オレの顔や肌に幾度もくちづけを落としながら、そのままオレの服を脱がせはじめた。
　ここって玄関だし、それに確か鍵もかけていないような･･･。
　そんなことを考えたオレの耳に、水都の声が聞こえた。こいつらしい、人を小馬鹿にしたような笑いを含んだ声が。
「羽柴。人を誘うのなら普通は自分で脱ぐものじゃないのか」
「だれが誘ってんだよ。てめえが勝手にヤりたいだけだろ」
「よく言う。こんなに身体を熱くしているのは誰だ？　ずっと、待ち望んでいたんだろう。ほら、ここだってな」
「ん････っ」
　水都がシャツを剥いだオレの胸にくちづけた。それから舌先で、オレにそこの状態を知らせるかのようにつついてくる。故意に形をなぞるように舐められたりもした。
「･･････っ」
「こんなに尖らせて。もうひくついているぞ」
「ひ、人のコト言えんのかよっ」
　オレは一方的にされているのがしゃくで、水都の胸の下に無理やり手を差し入れて、やつのシャツのボタンをはずしはじめた。苦心しながらも全部のボタンをどうにかはずし、服を広げてやる。水都の肌が直接オレの肌に触れた。
「てめえだってもう汗ばんでんじゃん」
　下から水都を見上げて、オレは挑戦的に言ってみせた。
「おまえの熱がうつったんだろ」
「ぬかせっ。ほら、途中まで手伝ってやっただろ。うざってえからこれ脱げよな」
「自分はどうなんだ。おまえも脱がないとフェアじゃないだろう」
「なんでオレがてめえのために脱いでやんなきゃいけねえんだよ」
「くくっ･･･服を脱ぐ時間さえ待てないのか、おまえは」
「だれもそんなこと言ってねえだろっ」
「仕方がないな」
「だから――」
　オレは水都にさらに反論しようとしたが、その間にやつはオレのズボンの前を寛げ、オレ自身を引き出した。
　すぐさま、それに指を絡ませる。
「･･････っ」
　直接的な刺激が頭の中にまで響いて、オレから言葉を奪った。絡められた指が、荒々しくそれをこすりあげる。
「なるほどな。確かに待たされるのはつらいようだな。先ほどからずっと我慢していたわけか。本当は扱いてほしくてたまらなくなっていたのにな？」
　水都の言葉にオレはまったく言い返せなかった。勿論内心ではこいつにぶつけたい言葉がたくさん浮かんでいたが、口を開くとそのまま甘ったるい声になりそうで、オレは唇を噛みしめていた。
　キスのときからわかっていたことだけど、今日のオレはマジでやばいみてえだった。水都にちょっと触られただけでたちまち反応しはじめている。ただ感じているだけならまだしも、気を抜くと声は出そうだし、腰も･･･自分から揺らしてしまいそうになる。
「こんなに濡らして。ここに来るまでにもう下着を濡らしていたわけか」
　ンなことねーよっ。
　･･･そんなこと、ねえはずだ。
「ああ、こっちももっと触ってほしいらしいな。赤く染まって･･･まさに誘っているんだな」
　それはてめえの思い込みだろっ。
　だが水都の指や舌に再び胸の突起を触られると、オレはたちまち自分の身体を痙攣させた。足の指先にまで力が入っているのが自分でもわかる。
「くく･･･相変らずいい顔をする。不思議だな、がさつなおまえから無性に色気を感じるときがあるんだからな」
　水都の言葉を聞いて、オレは慌てて顔の上で腕を交差させて自分の顔を隠した。水都は別にオレの腕をほどこうとはせず、むしろオレから離れて身体を起こした。オレ自身に絡めた指の動きは止めないまま、オレのズボンに手をかける。ズボンと下着の生地が足にすれる刺激すら、オレをさらに感じさせた。
　水都の手がオレから離れた。両手を使って完全にオレの足からズボンと下着を抜く。ズボンを脱がされる前にスニーカーを脱がされて、そこでオレは初めて自分が靴さえも脱いでいなかったことを知った。つーか、こいつも脱いでなかったんだよな。
　･･･げ。つまり本当にここって玄関先じゃん。
　なんかやっぱり場所を変えたほうがいいんじゃねえの？
　そう思ってオレも体を起こそうとしたが、その前に再び水都にオレ自身を扱かれた。それとともに右足を持ち上げられ、腿の裏側を水都の唇が滑っていった。
「くっ･･･んっ･･･あっ水･･･っ」
　油断していた分オレの唇から声がもれた。想像していたとおりの甘い声に、さらに自分が反応してしまったのがわかった。自分の状態を知って、さらに追いつめられていく。
　水都の顔がだんだん腿から中央に近づいていく。より刺激が強いほうに。
　それとともにオレの右足を肩に乗せたあと、その手がオレの背後に回っていった。指でくすぐるように触れられる。
　それだけでゾクゾクとしたなにかがオレの中を走っていった。
　これは期待感･･･じゃねえよな。きっと痛い思いはしたくないっていう恐怖なだけだよな。水都の指で後ろを触られて、それで感じちまったなんてことはねえよな、うん。
「ふ。ろくにぬいていなかったからえらく感じやすいみたいだな」
　腿のつけねを舐めながら水都が笑った。オレを扱いている指はいっそう複雑に動き、オレを追いつめようとしていた。
「そ、れはそっちの方だろ･･･っ。い、いつもより性急で、余裕がねえみたいだけどな。んんっ･･･っ」
　水都に逆らいたかったっていうのもあるけど、それはオレが本当に感じたことだった。後ろに回った指にこいつの性急さを感じた。オレを焦らしてはいるが、いつもの、オレで完全に遊ぼうとする余裕はねえみてえな感じだ。
　オレの反論に、水都は扱いていたオレ自身の先端にキスを落とした。そのままゆるゆると舌先で舐められる。水都の唾液とオレの先走りの雫が混ざりあったかすかな水音が、やがてオレの耳にも届いた。
　こいつ、ぜってぇわざと聞かせてる――とは思ったが、オレはそこから生まれた快感に逆らうことなどできなかった。下半身に全身の熱が集中し、無意識に腰が浮きそうになる。すでに顔を隠すことも忘れ、オレはただ声を殺すことだけに必死になった。一度声をこぼしてしまったら、きっともう自分でも止められないほど喘いでしまうのはわかっていた。それだけ、水都の指と舌で与えられた刺激は強すぎた。指でほぐされようとしている後ろに対する抵抗感すらかすんでいく。
　そんな状況の中で水都の呟きが聞こえた。
　わずかに感じ取れた自嘲の響き。
「余裕がない、か。だろうな」
　――それから、本当に小さな声で。
　吐息を、つくように。
「飢えてたからな」
「――」
　オレの中のどこかが水都の言葉を聞いてぎゅっと締めつけられたのがわかった。
「･･･だ、だったら他のもんでも食ってりゃいいだろうが。･･･んっ･･･」
　そのまま喘いでしまいそうになる身体の中の嵐に耐えながら、オレは水都の頭に手を回した。
「あいにく好みが激しくてな」
「････っ」
　そう言ってからやつは自分の口腔の中にオレ自身を取り込んだ。歯で軽く噛んでから口の中で舌をひらめかせていく。
　く･･･っ。
「･･･はっ･･･〝コレ〟がいいって？」
「とりあえずはな」
　一度オレから口を離して、わざわざ水都がそんな一言を付け足した。くそ･･･このやろ。他になにもないからとりあえずコレで我慢しているみたいな言い方しやがって。だったら放っておけっていうの。別にオレはてめえに相手してくれなんて頼んだ覚えはねえからなっ。
　オレはむかついた気分のままやつの髪の毛を引っ張ってやった。するとオレを取り込んだやつの動きが、さらに激しくなっていった。口の中だけじゃなくて、オレ自身を支えている手が故意に根元をくすぐり、それから後ろに触れていた指が浅く侵入してくる。
「･･･っちょ、待っ･･･」
　オレは慌てて制止の声を上げたが、水都はオレから離れようともしなければ、指の動きを止めようともしなかった。
「待てって言･･･っあっ、み･･･と･･･マジでオレ････ん･･･っ」
　全身にゾクゾクとした寒気にも似たものが這いのぼっていった。オレは瞬時に近い、と悟る。
　もう限界だった。
　いつもなら直前で止めて焦らすはずの水都が、今日は止める気配もなかった。そのまま、続けて。
「出･･･から、離･･･っ――･･･っ！！！」
　オレの頭の中がスパークした。
「･･･はぁ･･･は･･････」
　新鮮な空気を胸の中に取り込み、オレは呼吸を整えた。すごく強烈な快感に襲われて、なにもかもさらわれた感じだった。
　そのせいでまともな思考がなかなか戻ってこなかった。
　そんなオレの耳に「濃いな」と呟いた水都の声が聞こえた。
「やはり定期的に私がかわいがってやらないとつらいようだな、羽柴」
　オレがやつの顔を見ると、ちょうど水都は手の甲で自分の口元をぬぐっているところだった。
　･･･足でその顔を蹴っ飛ばしてやろうか。
　オレがそんなことを考えていたと悟ったわけではないだろうが、水都は口元をぬぐったあと、
「それに早かったな」
などと言って、オレ自身を指先ではじいた。
「･････････くそ」
　確かにオレも多少は過敏だったかも知れねえけど、てめえが手加減なしにしてくるからいけねえんだろ。
「早すぎると後がつらいがな」
「････んっ･･･」
　水都の舌が、再びオレ自身にかかった。そこに残っていた精液の名残を丹念に舐めとるようにして動かされる。オレの意識がまたそこに集中しはじめ、後ろをほぐしてくる指先もオレの快感を高めこそすれ、けして嫌だという気持ちはわかなかった。一度出してしまったせいか、さきほどよりも身体が煽られているのがわかる。
「あ、水･･･都････」
　意識せずに水都の名前を口にしてしまってから、オレははっと我に帰った。なに甘ったるい声で水都の名前なんか呼んでんだよ、オレっ。ねだってんじゃねえんだからさ！
「･･･え？　おい、水都っ」
「イかせてやったんだから今度は私の番だろう？」
　水都の肩に上げられていた足を下ろされ、唐突に身体を裏返しにされた。うつぶせにされて、腰だけを引き起こされる。
　そのまま足を開かされ、伸びてきた水都の右手に前を翻弄された。それと同時に後ろに熱く濡れた感覚が走った。
　指先とともに。さらにそこをやわやわとほぐされていく。
　その先に待つものがなにか、もう明らかだった。
「･･･ふっ、ん･･･あ･･･っ」
　いつもより幾分荒々しくて自分本位な愛撫だった。
　こちらを焦らすとか嬲るとかそういうんじゃない分指の動きがストレートで、辱められないから、いくらかはオレも気が楽だったけれど。
　それにしても、マジで･･･がっついてないか？　意地の悪いこいつらしくなく。
　前をいじられて再び感じてきたオレの後ろで、水都がズボンを寛げる音が聞こえた。そしてすぐにオレのそこに強張った水都自身があてがわれる。
「ちょ、ちょっと待･･･んっ･･･オ、オレ、まだ･･･心の準･･･っ」
「必要ないな」
　オレの言葉を水都が短い一言で切り捨てた。
　必要ないってちょっと待てよ。挿れられんのオレだろ!?　もっと気を使ってくれたって――。
「あっ･･･ああっ････っ！」
　衝撃が一気に来た。
　腰を引き寄せられて、さらに奥に突き立てられる。
「痛･･･っ」
　てめっ、ほんとに今日は一段と扱いが乱暴なんだよっ。いつもはオレがねだるまで焦らしやがるくせに。
　いくらそれまでほぐされていたとはいえ、一気に挿れられたらやっぱりすげえ痛い。なのに水都はオレの覚悟が追いつくのも待たず勝手に腰を使いはじめる。なにサカってんだよ、こいつは。
　そう考えたオレの耳に、先ほど聞いた水都の声が思い出された。
　〝飢エテ、イタカラ〟。
「――ふっ･･･」
　オレの中のある部分が、水都に突かれてうずいた。そこからたまらないほど強烈な快感が走る。痛みが遠のくほどの甘い快感が、オレの意識を奪おうとする。
「･･･くっ･･･あ･･････ふ、ぁっ･･･水･･･っ」
　冷たい床に手を置いたままオレはいつの間にか自分でも腰を使っていた。急に挿れられたから少しでも楽な体勢を取るために――というのは自分に対する言い訳で、とにかくオレの中からあふれ出るなにかがそうさせたのだった。
　声も、もう抑えられなかった。我ながら馬鹿みたいだと思いながらも、それだけ感じて追い上げられているってことを、無性に水都に伝えたくなった。
　自分もこんなに感じていて。
　理性をかなぐり捨てて我を忘れてしまいそうになるのも、ほしがっているのも、けして水都だけではないのだと――。
　なぜだかオレは、水都に知ってもらいたいと思ったのだった。


「･･･んっ、あぁ･･･っ」
　振り乱したオレの髪から汗が飛び散る。
　いつの間にかオレたちは体勢を入れ替えて、オレはやつの上にまたがっていた。水都の胸に手をついたまま、自分で腰を動かす。ねだっているようだと水都に笑われたが、そんなのはあっさりと無視した。こいつだって、全然元気なんだもんな。
　そうして水都を受け入れて二度目――水都がオレの中に吐き出したのを感じてから、オレはすべり落ちるように水都から離れた。
　荒い息を整えながら、水都の隣に寝転ぶ。狭い場所だからすぐに身体が壁にあたった。
　改めて横になると、床の冷たさがすごく気持ちよかった。
「･･･あー喉が渇いた･･･。水が飲みてえ･･･」
　天井を見上げながらオレが呟くと、水都からは馬鹿げた言葉が返ってきた。･･･言うと思ったぜ。
「オレは水が飲みたいって言ってんだろ。てめえの飲んで喉が潤うかっつーのっ」
「私は潤うがな？」
「勝手にほざいてろ。とにかく喉が渇いた。けど腰も背中も痛くて動けねえよ」
「それは私も同条件だと思うがな。･･･まあいい、待ってろ」
　オレの隣で水都が体を起こした。
　こいつ、なんだかんだ言ってシャツもはだけただけだし、ズボンも前を寛げただけだし、なんかすっげえずりぃよな。
　立ち上がって冷蔵庫に向かう姿だって腰が引けているわけじゃなくてさまになってやがるし･･･どこが同じだっつーの！
　水都は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出したようだった。ふたを開けて、まず自分が先に飲んでいる。
　あー、冷えててうまそうだな。早くオレも飲みてえな。
　･････････って･･･。
「おい、水都っ。オレが最初に飲みたいって言っただろ！　早く回せよな」
　いつまでたってもボトルをオレに渡さない水都に、オレは苛立って叫んだ。
「おまえも飲むのか？」
「だからそう言ってんだろ！」
「ふん･･･」
　････あ、なんかいやな予感がする。
　その意地の悪そうな目つきと口元。ぜってぇよからぬことを考えてやがるな。
「早くそれくれよ」
　オレは水都の表情の変化には気づかないふりをして、体を起こして座ったまま水都のほうに手を伸ばした。
　すると水都はオレが手を伸ばしたのに無視しやがった。再びペットボトルに口をつける。
　･･････あ。
　オレは水都の考えていることが見えた気がした。
　水都は口の中に水を含んだままオレに近づいてきたのだ。そのまま指であごをすくわれて。
「ん･･･」
　水都に口移しで含められた水を、オレは素直に飲み込んだ。
「ぬるい･･････」
　これじゃあ飲んだ気がしないっつーの。
「もっと飲むか羽柴」
「･･･ん、もっと･･･」
　喉が渇いてもっと水を飲みたい気分だった。ただそれだけで別に他意はなかった。
　再び水都がオレの唇を塞ぐ。唇の脇からこぼれた水がオレの首筋を通って胸に流れていった。
「うまかったか？」
「だからぬるいっつってんだろ」
　オレが文句を言うと、水都はペットボトルを投げて寄越した。
　渡す気があるなら最初から渡せよなっ。
「それをやるから先に部屋にいってろ」
　水都がオレにそう指示する。〝部屋〟。･･･まあそうだよな。このまんま本当に玄関で寝るわけにはいかねえもんな。
　でもどうせ寝るならそのまえにオレ、シャワー浴びてえけどな。
「水都、てめえが先に入らないなら、オレが先にシャワー使うからな」
　オレはそう言ってから、水都に渡されたペットボトルのふたを開けて中の水を飲んだ。
　あー･･･こいつのことだから一緒に入るとか言うかもな。
　オレは頭の片隅でそんなことを考えたのだが、水都はそんな甘いもんじゃなかった。
「シャワー？　そんなのあとでいいだろう。それとも途中で一度汗を流しておきたいのか？」
「･････････終わりだろ･･･？」
　水都の真意を確かめるべく、オレはやつの顔を恐る恐る見上げた。
　え？　だってオレたちたった今までしてたじゃん。オレなんか三回もイかされたし、水都だって･･･。
　オレは単純にそう考えたのだが、水都はどうやら違っていたらしい。
「おまえが喉が渇いたと言ったから単に少し休んでいるだけだろう。今度は背中を痛めなくてすむな」
　オレは思わず眩暈を起こしかけた。奥の寝室に視線を走らせれば、シーツが整えられているであろうベッドの端が見えた。
　つまり、あそこでまた続きを･･･？
「水分ならいくらでも補給するといい。どうせすぐに汗で飛ぶだろうからな」
「え･･･っと、今日はかなりぞんざいに扱われたから、そろそろオレは遠慮してえな･･･なんて思うんだけどな･･･」
「ふ。あれで足りるわけがないだろう。今までのは所詮前戯だな」
　ぜ、前戯って、しっかりばっちり挿れる前戯がどこにあんだよっ！
　オレは心の中で突っ込みつつも、表向きは水都に対して笑顔を浮かべていた。かなりひきつっていただろう笑みを。
「あー、でもオレはもう充分満足したかなあ、なんて。いや、ほらっ、すげえよかったし、もう腹いっぱいってことで」
「久しぶりにあのベッドでおまえを抱くんだ。きっちり付き合ってもらうからな」
　だから今だってしてただろ！　これ以上されたら明日寝込まなきゃならなくなるだろ。人の体のこと少しは考えろよなっ。
　オレは水都にそう言いたかったが、実際に口にする前にやつがオレを見てかすかに笑ったので、オレは何も言えなくなってしまった。
　う・・・それすげえ卑怯だぞっ。てめえ、狙ってやっただろ!?
　――やつはオレを見てかすかに笑いながら、もう一言付け足したのだ。
〝ここのところ一人寝をもてあましてよく眠れなかったが、今夜は熟睡できそうだな。――熟睡させてくれるんだろう、おまえの熱で〟
　オレは水都に何か言い返す代わりに、持っていたペットボトルの中身を一気に飲み干した。冷えた水が、速くなった鼓動をいくらか静めてくれた。そしてからになったペットボトルを水都に投げつける。
「･･･寝てないからって、途中で人の腹の上で寝たら承知しねえからなっ」
　それからオレはまだ肩に引っかかっていたシャツをその場に脱ぎ捨てると、さっさとベッドに向かった。
　くそ、ヤる気ならさっさとヤれってんだ。こっちの疲れを感じさせねえくらい、イカせてみろよ。
　オレのあとから部屋に入ってきた水都は、まず最初に、先にベッドに入っていたオレの手を恭しくとった。その手の甲に、くちづけを落とす。
　ただそれだけの行為なのに、オレの体が甘く疼いた。
　はん、仕切り直しってわけかよ。まるで今夜初めて抱くみたいな顔しやがって。
　水都の唇が手の甲から指先に移り、オレの指の一本一本を丹念になめとっていく。
「･･･っふっ･･･」
　別に性感帯を直接刺激されているわけじゃない。なのに、体がじかに触られたときみたいな痺れに襲われる。
　つーか、焦らすんじゃねえよ。さっきはあれほど余裕なさそうだったのに、もう落ち着いて、今度はいつもみてえにオレを嬲る気かよ。
　オレはたまらなくなってベッドサイドに立っているやつの服の脇腹を強く引っ張った。
「いいから服全部脱いで来いよっ」
「体はいいのか？」
「このあとどうせ挿れられるんじゃ、多少先延ばしにしたところでおんなじだろっ。いいから来いっつってんだよ。･･･来ないなら寝るぞっ」
「それは困るな」
　そう答えた水都が、オレの目の前で服を脱ぎはじめた。そうして全裸になったところで、オレのもとに、来る。
　オレの頬に、水都の手が伸ばされた。
　水都の手がオレの頬を滑っていく。
「･･･空。一人で過ごす休日は楽しかったか？」
　オレの目を覗き込みながら、やつが聞いてきた。
　オレは当然、思いっきり即答してやった。
「ああ、すっげえ楽しかったぜっ！！」
　そう答えた途端、水都の唇がオレの唇に押しつけられた。いくらか強い力で。
　そのあと、オレはまた水都にいいように扱われた。ベッドの上で、めちゃくちゃに乱される。
　こっちはさっきので疲れてるっていうのに水都はおかまいなしだったし、オレも、途中からはすっかり自分の体のことを忘れて快感に溺れた。
　――聞き慣れたベッドの軋み音。シーツのなつかしい肌触り。
　目を開けば薄闇の中、なじみになった部屋の景色が映った。
　水都の肌を直接感じ、その汗の匂いに包まれ、与えられる愛撫に溺れながら、オレは、水都の部屋をオレが侵蝕しているのではなく、水都がオレ自身を侵蝕しているんだと、おぼろげにそんなことを考えていた――。



　それからオレの週末は、再び水都と過ごすことになった。
　金曜の夜、土曜の夜と連続してやつの部屋に泊まり、日曜日には帰る。
　そのパターンでオレの生活は落ち着きはじめていた。
　毎週末オレが寮にいないことでは祭や藤守だけでなく、いろいろなところから突っ込みがあったが、オレは適当にごまかしていた。
　別に、オレは好きで水都のところに泊まりにいっているわけじゃなかった。あいつの部屋に行くことを是として認めたわけじゃない。
　本当に水都ってやつは自分勝手だし、オレはやつのそばでいつもいつも怒りまくっている。
　できることならやつのとこになんて行きたくねえし、やつに好き勝手に抱かれるのもごめんだ。
　ただ、なんかしんねえけどオレの生活リズムがこのパターンで慣れちまっているようだし、体のほうもなんだかこれで順応しはじめているようだから、仕方なくこうして過ごしているだけなのだ。
　オレの気持ちはともかく体が慣れちまっているんだから、まあ、それに逆らわずに過ごしたほうが楽だしな。
　本当に本当にそれだけで、オレは相変らず水都のことは嫌いだった。
　多分、というか絶対、一生嫌いなままなのだと思う。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＥＮＤ