Ｐｌｅａｓｅ　Ｓａｖｅ　Ｍｙ　Ｓｋｙ　
　Ｐｌｅａｓｅ　Ｓａｖｅ　Ｍｙ　Ｓｋｙ


−　３　−








　　　２



「――っ！！！」

　空ははっと目を覚ました。

「･･････」

　呼吸を整えながら、今目の前にある現実を受け入れる。
　視界一面を覆う暗闇――だが、この暗闇はけして冷たくはなかった。自分を包んでくれるあたたかさがあるから。
　空は横になったまま布団から腕を出し、前髪をかきあげた。額に浮いた汗のせいで湿っていたが、それはここ数日すでに慣れっこになってしまったものだった。
　赤い夢を見て、途中で目が覚める。
　もう何度その夢を見たのだろう。夢から立ち直って再眠し、だがまた夢に襲われた夜もあった。
　最初はその夢の内容に驚いて起き上がってしまい隣に眠る七海を起こしてしまったけれど、もう声を殺して息を整えるのにも慣れてしまった。深夜にこんなに何度も目覚めていると知ったら、絶対に七海は心配する。だから空は七海にだけはちゃんと眠っていてほしくて、いつも一人で気を落ち着け再び眠りの世界に戻ろうとするのだった。

（･･････七海ちゃん･･･）

　空は視線を移し、七海がいるほうを窺う。意識がはっきり覚醒し、目を凝らすと暗闇の中でもぼんやりと七海の寝顔が見えた。
　あんまり見つめていたらもしかするとそれだけで七海を起こしてしまうかもしれない。それくらいいつも強い想いを抱いて眺めているから。
　この夢を最初に見たときは七海の顔を直視できなかったけれど、今は夢を見たときはいつも七海の顔を確かめるようにしていた。

　自然に寝返りをうつ振りをして、七海のほうに体を向けた。そうしてさりげなく七海の体に触れてその体温を確認する。
　――あたたかい。
　この人は生きている。この人はこうして自分の隣にいてくれている。

　自分はまだ、彼を殺してはいない。

　そのぬくもりがとても嬉しく、そして苦しかった。









「空くん」
「え？」
「･･･痩せましたよね」

　その日の夕食時、眉間にしわを寄せて七海が聞いてきた。
　身につけたエプロンも持っているおたまを振り回している様も、それなりの年を経ているとは思えないほどのかわいさがある――と、椅子に座った空がいつものように見とれていたときのことだった。

「え、そうかな」
「そうですよ。自分で気づいてないんですか？」
「そういえばちょっとくらいは体が軽くなったかな」
「んもう。ちょっとくらい、じゃないですよ。ほら」
「うわっ！　七海ちゃんっ」

　七海は空に近づくとおたまを手にしたまま、両腕を空の背中に回して抱きしめた。突然七海に密着されて空は慌てる。

「･･･やっぱり痩せてる･･･。このごろ薄いなあってなんとなく感じていたんですよね。顔色だってよくないですし･･･」

　七海の手が背中から離れ、今度は頬にあてられた。目の前で七海が哀しげに目を伏せたのを見て、空の心がかすかな痛みを覚えた。今自分は、七海を心配させているのだ。

「七海ちゃん、あのさ･･･」
「何か悩んでることとか心配していることとかあったりします？　このごろ、もしかしてあまり寝てなかったりしますか？」
「夜はちゃんと寝てるよ。昼も講義中にしっかり寝てるし大丈夫。それにほら、食欲は相変らず落ちてねえし。痩せたっていっても一時的なものなんじゃねえの？　最近忙しいからそれもあるだろうし」

　七海に心配させまいと空がことさら明るい声を出したが、それでも七海の顔は晴れなかった。
　空の顔をじっと見つめ、空が痩せた原因を探ろうとする。

「･･･七海ちゃん、オレ腹減った。それにンなに見つめられると、変に緊張しちゃうんだけど･･･」
「空くん、この前の夢って本当におばけの夢だったんですか？」
「この前の夢？　オレ、なんか夢見たっけ？」

　七海の問いに空の中に動揺が走ったが、あえて素知らぬふりをした。
　夢と言われてすぐにこの前のことに直結させたら、原因はその辺りにあると鋭い七海に気づかれてしまうだろうから。

「もしかしてオレなんか寝ぼけて変なこと言ったとか？　うわっ、ガキくせえ」
「寝ぼけていたとは･･･思えないけれど。それに･･･」
「･･･それに？」
「いえ、なんでもありません。じゃあ御飯にしましょうか」

　七海はそう言うと、食器を運ぶべく空に背を向けた。空も食事がはじまるということで、テーブルのすみにあった台布巾に手を伸ばした。
　空が台布巾を手に取り、それでテーブルを拭きはじめたときに、後ろから七海の声が聞こえた。

「空くん」
「･･･なに、七海ちゃん？」
「もし空くんがなにかで悩んでいるとしたら･･･たとえ今そんな悩みがなくてもいつか悩むことがあったら、そのときは絶対に私に話してくださいね」
「うん･･･」

　七海が振り向いた気配はなかった。背中を向けたまま、声だけで空に伝える。

「私があのときあなたと一緒に生きたいって言ったのは、ただそばにいて楽しい時間を過ごしたいだけじゃなくて、悩みも苦しみも哀しみも･･･そして罪も――どんなに重くてきたないものでも全部あなたとわかちあいたいから、そう言ったまでです。私は空くんとままごとのような暮らしがしたいわけじゃない。本当の意味で私たちの人生を作り上げていきたいんです。――それだけはずっと覚えてくださいね？」
「･･････」

　声だけでも、七海の気持ちは充分空に伝わってきた。表情が見えなくても、目を合わせていなくても。ちゃんとこちらの心をつかまえるようにして伝えてくれたのだ。

　あの事件のさなか。きれいごとだけで物事が解決するほど甘くはなかった。
　自分の罪を突きつけられ、弾劾され、生きる気力さえ失いかけていたときもあった。
　しかしそれでも、七海が自分を引きずりあげてくれたのだ。罪を承知で･･･自分も罪人だからと。
　そのうえでともに生きていこう――生きたいと、自分も七海もそう願ったのだ。
　あのとき確かに。

「･･･うん･･･わかってるよ七海ちゃん･･･」

　台布巾の上に置いた手を止めたまま、空も振り向かずに答えた。
　本当に心から、七海とともに生きたいと思う。このまま七海とともに歩んでいけたらと願う。
　でもだからこそ、自分自身でもコントロールできない夢の話はできなかった。
　一度話してしまったら、七海はきっと自分に添おうとしてくれるだろう。絶対に離れようとはしなくて、どうにか道を探ろうとしてくれるはずだ。
　けれどそれが空には怖かった。七海がそばにいればそばにいるだけ、いつかあの赤い夢が現実になるのではないかという不安に襲われる。


　――七海に知られなければ、最悪のとき七海だけは守れる手段がとれるのだ。

自分のための覚え書き

　　　部屋の片づけをしていたら、なつかしいメモ帳（ネタ帳）が出てきました。
　　　好きしょの、今もとまっている話の、この先の展開やセリフが少し書いてありました。

　　　何人もの人間を平然と傷つけた「もう一人の自分」を怖がり、七海の前から姿を消す空。
　　　行方不明になった空を懸命に探し、昔ともに過ごしたことがある街でようやく空を見つける七海。
　　　迎えにきたから帰りましょうと手を伸ばした七海に、いつか七海まで傷つけてしまうことを恐れて、首を振る空。
　　　「自分一人だけで解決した気にならないで。離れればいいなんて自分勝手すぎるでしょう？　私の気持ちはどうなるんですか？」
　　　「だってオレ･･･っ。怖いんだ、いつか七海ちゃんまでこの手で傷つけてしまうかもしれないって。そんなことになるくらいなら、いっそこのまま･･･っ」
　　　「大丈夫。私がちゃんとあなたを守ります。絶対そんなことをさせたりはしません。もうあんなふうに苦しまなくて、大丈夫だから」
　　　「でも･･･」
　　　「――じゃあ、本当に空くんは私と離れて暮らせるんですか？　このままずっと離れていて、それで空くんは本当に平気なんですか？　私と、このまま二度と会えなくても」
　　　「･･････っ」
　　　「あなたは平気、なんですね･･･」
　　　「へーき･･･なわけない･･･平気なわけねーだろ七海ちゃんっ」

　　　・・・・・・二人のメモにあったやりとりを読んでいて感じたことは、「ああ、やっぱり七空が好きだなあ」ということでした。
　　　やんちゃな空とその空を包み込む七海。
やっぱり七空が一番好きです。

My sky is saved if you please.