羽柴空のヒミツ １ 「――最近、空、僕になにか隠し事してない?」 「え!?」 夕方、学校から帰るなり空の部屋に押しかけてきた祭のその言葉に、空は椅子に座ったままぎくりと身を強張らせた。 「なーんか、最近の空ってあやしいんだよねー」 「なにがだよ。全然、なんにも隠してねーよ」 ぶっきらぼうにそう言って、さりげなさを装いつつ祭から顔を背ける。祭にじっと見つめられたら、表情に出てしまいそうで怖かった。 「そうかな〜？ なんか最近心ここにあらずって感じだし、時々顔を赤くしていることあるし、かと思うと突然にやけてたりするし。あやしいことこの上ないんだよね〜」 「‘にやけてた’ってなんだよっ」 「だって本当にそのとおりなんだから。なんかいいことでもあったみたいにさ、頬ゆるんじゃってんだよね。思い出し笑いするなんて、空のすけべ〜」 「か、勝手なこと言うなよっ」 空がそう言ってさらに顔を背けた。祭は、おや、と思う。 いつもの態度で怒ってくるかと思いきや――実際最初はそういう感じだったのだが――今は、なぜか顔を赤らめていたりするのだ。懸命に顔を見せまいとしているが、耳まで真っ赤なのと、口元に手をあてちゃっている様子なんかは、本当にいつもの空らしくなかった。ただ普通に照れているのとは違う気がする。 「･･･空ってすけべ？」 「違うっ」 空の反応が変わったきっかけを推測し、祭がその言葉を繰り返す。 やはり否定の仕方がなにか、引っかかる気がする。いつもなら、「ちげーよ、祭。ふざけんなよっ」ぐらい言い返してきそうなものだが。 （はは〜ん･･･） 祭は心の中でにやりと笑って確信する。これはやはり、なにかあるのだ。 それも、まず間違いなく恋愛事で。 「そぉらく〜んｖ」 「なんだよ、気色わりい声出すなよっ」 「やっぱり僕たち親友だろ? 空の秘密は僕の秘密。僕になにを隠しているのか早く言ってごらん？」 「だから、なんも隠してねーって言ってんだろ!?」 普段の態度を取り戻した空が、祭を振り返って言ってきた。 「あ。そーゆーかわいくない態度とるんだ、この僕に？ いいのかな〜？」 「なんだよ!?」 「隠し事の内容をここで僕に話してくれないと、ナオくんとのＨ写真、学校中にばら撒くよ?」 祭は制服のポケットから、常備している写真のうちの一枚を取り出して空に見せた。それは、確かに‘空が直を押し倒している写真’なのだが。 「なにがＨ写真だ、祭てめぇっ！ ンなの、おまえが勝手に撮っただけの写真だろ!?」 「でもなかなかいい構図しているよね、どうみてもこれは･･･だよね。こんなの学校中にばら撒かれたら、空とナオくんはすっかり公認カップルだね。本当にそうしてあげようかな〜？」 写真をひらひらとはためかせて祭はそう言う。空はこの写真攻撃には弱く、文句を言いながらも結局は折れることになるのだ。――いつもなら。 だが、この日はいつもとパターンが違った。 空は悔しそうな顔を浮かべながらも、「別にいいよ」と言ったのだ。 「え？」 「別にかまわねーよ！ 噂になるならなれってんだ！ へっ、どんな写真でも好きなようにばら撒けばいいだろっ！」 「･･･ほんとに？」 やけになっているのではなくて?――と、祭は確かめたい気持ちにかられた。 そのとき、この部屋のドアがカチャリと開いた。 「ただいま･･･。あれ、祭ちゃん。来てたの?」 「ナオくんおかえりー。お邪魔してるよ〜」 部屋に帰ってきた直に、祭が手を振って挨拶をする。それから祭は「そうだ、ちょうどよかった！」と言って、ぽんと手を打った。 「げ」 「？ なにがちょうどよかったって?」 部屋の隅に鞄を下ろした直が疑問符を浮かべる。祭はすぐに直のそばに寄っていった。 「ねえねえ、ナオくんもさあ、最近空の様子がおかしいと思わない?」 「羽柴なんか、いつもおかしいじゃん」 「藤守っ」 「まあそうなんだけど、でもここ最近とみにって言うかさ。それで僕考えたんだけど、空にはどうやら好きな子がいるみたいなんだよね」 「――」 直の言い草に噛みついた空だったが、祭のその言葉にはさすがに押し黙るしかなかった。 「それもさ、どうやらみんなに内緒にしておきたい相手みたいなんだ。だって空、ナオくんとの写真ばら撒かれて噂になってもいいって言ったんだよ。それってつまり、ナオくんをスケープゴートに仕立てて本命の子を隠しとおしたいってことなんじゃない？ ねえねえナオくんはどう思う?」 「祭ちゃん。羽柴なんかと噂になったら俺の方が迷惑だよ」 「ん〜、じゃあそのことは置いといてさ。ナオくん、最近の空の行動でなにか気づいたことない? たとえば空が寝言で誰かの名前を言ってたとかさ、こそこそ誰かとデートしていそうな気配があったとかさ」 あれだけのやりとりからそこまで推理した祭の頭の回転の早さに、空は内心で舌を巻く。事実そのとおりで、直と噂になって本当の恋人の存在を隠しとおせるものなら、そのほうがいいと思ったのだ。 けして堂々と言えない恋愛だから。 空は、直を見た。 なにもかもを知っているルームメイトの顔を。 直が今の自分の様子を祭に話せば、秘密の恋愛が表に出てしまう。 その名前が出たら、自分はともかく相手に迷惑がかる。ことが公になったらつらい立場に立たされるのは、未成年者の自分よりきっと年長の相手のほうなのだから。 祭の背後で、祭に気づかれないように空は必死な面持ちで両手を合わせた。無言で頭を下げ、祭の向こう側にいる直に頼み込む。 「･･･さあね。羽柴のことなんか全然興味ないし」 冷めた口調で直が呟く。それから直はさっさと自分のタンスを開け、ハンガーを取り出した。 祭の質問にもう答える気がないというふうに着替えはじめた直に、空は心の中で感謝した。冷たい言い方だろうがなんだろうが、とにかく直は黙っててくれたのだ。 「そうか〜。粗雑で単純思考の空がルームメイトのナオくんに隠しきれるわけはないし、じゃあ、僕の気のせいかなあ･･･？」 しきりと首をひねりながらも、祭はそれ以上突っ込んでこなかった。「一言余計なんだよっ」と思いつつもそれに対しては反論せず、空は椅子から立ち上がった。両腕を伸ばして、祭の体を押しやる。 「はいはいはい、じゃあそーゆーことで。オレも着替えるし、用がそれだけなら部屋に帰れよ祭。また夕飯んときな！」 「･･･仕方がないなあ。じゃあね、ナオくん。またあとでね」 この場は空に譲ることにして、祭は仕方なく部屋を出ていった。 「･･･とりあえず･･･サンキュー･･･」 祭が出ていってしばらくたってから、空は直に小さな声でそれだけを伝えた。顔を合わせてちゃんと言うほど素直でもなければ、臆面がないわけでもなく、今の空にすればそれだけで精一杯だった。 「･･･別に羽柴のためじゃないよ。単に祭ちゃんにいろいろと質問されるのが面倒だっただけ」 「ん、それでも･･･マジ助かったからさ」 「せいぜいばれないようにするんだね。ばれたって俺は一切関知しないからね。祭ちゃんがあれだけで諦めるとは思えないし」 「だろうなあ〜･･･ちくしょー、祭め･･･」 溜息をつきつつ空が呟く。 けれどそのあと、空が生真面目に付け足した言葉も、直の耳はしっかりととらえていた。 「ほんとはあいつに隠し事すんのやなんだけど、こればかりは仕方ないよな･･･。変なことになって、哀しませたくないし、さ･･･」 空の最後の言葉がだれに向けてのものなのか、名前を出されなくても直にはよくわかっていた。 ２ 「ふーっ。やっぱりここは落ち着くなあ･･･」 煎れてもらったばかりの緑茶をすすった祭が、しみじみとそんなことを言った。その声に、ここ保健室の主である七海のやわらかな声が重なる。 「そうですか？」 「うん、ほんとほんと。だから七海先生の仕事の邪魔になってるんだろうなあと思いつつも、ついつい来てしまうんですよね。僕も、空もさ」 「ふふ。本城くんたちが来てくれると、私も嬉しいですよ。あ、これもどうぞ食べてくださいね」 椅子に腰掛けている祭に、七海が用意していた茶菓子のチョコレート饅頭を小皿にのせて渡す。祭はさっそくその皿を受け取った。湯飲みをそばの机の上に置き、「ありがとうございます｣と軽く礼を言ってから饅頭を手に取る。 「空といえば、最近空、ここに来てないような気がする。前はもっと頻繁にここで会ってたのに、なんかいつも来てないし。それともただ、僕とタイミングが合わないだけかなあ？」 「羽柴くんも、きっといろいろと忙しいんじゃないですか？」 「いや、見てるといつも暇そうにしてるけどなあ」 部屋に遊びに行くと、いつもベッドでごろごろしていたりテレビを見ていたりと、無性に暇そうに見える。そういうときは忙しい我が身を振り返り、ついつい空をこき使ってしまうのだが。 おかげで、以前より仕事が早く片付いているという利点はあるのだが。 それでも、自分と同じ保健室愛好者の空があえてここに来ないということは、なにかわけでもあるのだろうか。 「それに、空、僕になにか隠し事をしているみたいなんですよね」 そう言って、祭はパクンと饅頭にかぶりついた。 「隠し事、ですか? 羽柴くんが?」 「そう。空がなにを隠しているのか知りたくていろいろと試してみたんだけど、空、なかなか教えてくれなくてさ〜。いつもの写真の手も効かないし、なんか今回は格別の秘密みたいなんですよ。まさか空がナオくんとの写真、学校中にばら撒いてもかまわないなんて言うとはね」 「――藤守くんとの、写真?」 ポットから急須にお湯を入れていた七海の眉がぴくりと動いたが、緑茶をすすったり、饅頭を食べている祭は気がつかなかった。手に持っていた饅頭を全部平らげてから、祭は制服のポケットに常備している写真を数枚取り出して七海に渡した。 「そう、これなんですけど、これを空、校内にばら撒いてもいいって言ったんですよ。今まではすごく嫌がっていたのに」 「･･･すごく、仲がよさそうな写真ですね」 七海が写真を見ながら呟く。 昨日、空が祭に見せられた写真だけでなく、他にもいろいろな構図の写真がその中に入っていた。空が直と抱き合っているものや、空が直にじゃれついている写真。そして二人でいい感じに笑いあっている写真など、一見すれば恋人同士の風景に見える写真の数々。 「実際にも、羽柴くんと藤守くんはこんなに仲がいいというわけですね」 「そうそう、はたから見ているとけっこういい感じですよあの二人」 「そうなんですか。初めて、聞きました――」 にこやかな笑みを浮かべて写真を祭に返した七海の声には、かなり抑揚が欠けていた。だが自分の悩みで頭がいっぱいの祭は、またしても気がつかなかった。 「でも空には、実はナオくん以外にちゃんと本当に好きな相手がいるらしいんですよね。空懸命に隠していたけど、隠しているってことはつまり、隠さなきゃいけない相手ってことですよね」 「羽柴くん、単に恥ずかしいだけなんじゃないですか?」 「最初は僕も照れているだけかなって思ったんですけど、でもそうじゃないみたいなんです｡ただ恥ずかしいだけなら、写真を公開されてナオくんとの噂が広まったら困ると思うんですよ｡そんな噂が流れたら、本当に好きな相手に誤解されちゃうかもしれませんしね。でもそれをあえて、噂が広まってもいいって空が言ったということは、空が本当に好きな相手が人にばれたらやばい立場の人間だからだと思うんですよ。たとえば恋人がいる相手とか、校内の有名人とか。あとは･･･先生とか･･･」 「鋭いですね｣ 急須を持ち上げて、自分の湯のみにお茶を煎れながら七海が言った。その瞳は湯のみだけに注がれていて、祭は最初意味をきちんととりきれなかった。 「あ、やっぱり七海先生もそう思います――え？」 普通に流しかけて、はたっと気づく。 鋭いですね、という、七海のその言い回しが。 「――」 祭が呆然としているところへ、ピンポンパンポーンというにぎやかな音が壁に取りつけてあるスピーカーから流れてきた。 『七海先生、七海先生、至急職員室までお越しください。繰り返します――』 「あ、じゃあ私はちょっと席をはずしますね。本城くんは、よかったらゆっくりしていってください。私の分も食べていいですから」 いまだ呆然としている祭にそう言って、七海は職員室に行くべくドアに向かう。 そして、ドアを開ける前にもう一度祭を振り返った。 「･･･本城くん。なにか、これからもいろいろと協力してもらうことがあると思いますが、ぜひ協力してあげてくださいね。本城くんのこと、とても頼りにしていると思うんです。だから、よろしくおねがいしますね」 協力してほしいではなく、協力して‘あげてください’。 それは七海自身のことではなく、明らかに。 悪戯っぽく笑ってそう言い残した七海が保健室のドアに手をかける。祭はハッと現実に返り、慌てて彼を呼び止めた。 「――先生っ」 ドアを開けようとしていた手を止めて七海が振り返る。祭は視線をそちらに向けないままで最後の確認とも言える質問を投げた。今の七海の余裕ある言動と、昨日の空の態度。そこから薄々察しられる意外な事実をはっきりと確認してみたかったのだ。 二人の関係は、もしかすると空のほうが。 「空って、すけべなんですか？」 脈絡のない祭の唐突な質問内容にさして驚くこともなく、七海は、これまで祭が一度も見たことがないほどの綺麗な微笑みを見せた。 ふわりとした、華やかな印象の微笑み。 「違いますよ。ただ、感じやすいだけです」 ３ 「ンだよ、祭。またなんか用かよ？」 その夜、さしてノックもせずにずかずかと部屋の中に入ってきた祭に、空はいくぶんいらついた声で言った。しかし祭は空の言葉を無視して空のそばまでやってくると、抱えていた大型のクッキー缶のふたを開け、それをひっくり返した。中に入っていたものがばさばさっと勢いよく落ちて、あたりに散った。 「なんだよ、これ･･･げっ。これみんな写真じゃん！ オレと藤守の写真、おまえこんなに撮ってたのかよ!? しかもなんか焼き増しまでされてるし･･･」 足元に散らばったそれを見て、空が驚いて声を上げた。 「これ、みんな空にやるよ。ネガも全部渡す。写真を見せちゃったお詫びの気持ちだから」 「は？ 詫びってなんの?」 「でも空もいけないんだからね!? 前もってちゃんと僕に話しといてくれれば、なにも僕だって見せたりなんかしなかったよ」 「祭･･･おまえの言ってること、全然わけわかんねーぞ?」 空が説明を求めるが、祭はちゃんと答えてはくれなかった。あくまでも一方的に話を進める。 「協力してあげてほしいって頼まれたから協力はするけど。でも寮長としての僕の顔をつぶさないくらいには節度を守ってもらうからね！」 「祭ちゃん。それは羽柴に言っても無理じゃない？」 それまで黙って机に向かって課題をこなしていた直が振り向いて言った。祭の言動で、空より先に直の方が祭の事情に気がついていた。 「･･･そうかもしれないけど。でも僕からは言えないよ。いろいろお世話になっている身だしさ」 「まあね。なかなか難しいよね」 「･･･おまえら、示し合わせてなんの話してんだ？」 祭と直の二人してしみじみとそう言って溜息をつく。そんな二人に空はきょとんとして問いかけた。 たちまち二人からとてつもなく冷ややかな視線が返ってきた。 「な、なんだよ二人してその目は!?」 「僕、ちょっと趣味疑っちゃうかも」 「んーでも、とりあえず本人が満足してるみたいだからいいんじゃない? こんなのでもさ」 「こんなのってなんだよ。オレのことかよ!?」 「うるさいよ、羽柴。羽柴はこの写真の処分方法でも考えてればいいんだよ。どっかからシュレッダーでも借りてくれば!?」 「といっても空の本命の誰かさんにはもう見せちゃったあとだけどさ。今思えば、多分かなり引きつってたんじゃないかなあ」 さすがにそこまで言われて空にも事情が見えた。一瞬赤くなりかけた空の顔が、次の瞬間にはさーっと血の気が引いて青ざめる。 「しゃ、写真･･･み、見せたって、マジな･･･」 それでも念のために名前を出さない空に。 「『羽柴くんと藤守くんはこんなに仲がいいんですね』って言ってたよ、七海先生」 はっきりととどめを刺すように祭が告げた。 「――」 空は青ざめた顔のままふらりとドアに向かう。 「やば･･･オレ弁解っつーか、そ、速攻で謝ってこなきゃ･･････」 そんなことを呟いて、空はもう祭たちを気にすることなく部屋を出ていった。祭が何故事実に行き着いたのかという話すら聞いていないことに、空は気づいていなかった。 ただただ恋人の機嫌のことだけを心配する。自分に非がなくても、怒らせてしまったらあとが･･･怖い気がする。 「･･･空と七海先生って、けんかしたりするのかな?」 空が出ていったあとでふと純粋な疑問を口にした祭に、 「多分、羽柴が一方的にいじめられるだけなんじゃない？」 と直があっさり答えた。 「ああ、だろうね。空のあの慌てようからすると、空のほうが立場が弱いみたいだね」 「でも、なんだかんだ言って羽柴も幸せそうだよ。なんか、いつも『はいはい、ごちそうさま』ってかんじだし」 「ああそうなんだ？ そっか･･･。空から教えてくれなかったことだけは恨むけど、まあ悪くはないかもね。空が嬉しいと僕も嬉しいよ」 空には言ってやらないけど、と付け足して、祭が裏表のない親友としての顔を見せる。 そんな祭を見て、直も笑みをこぼした。 「羽柴、祭ちゃんに隠し事してること気にしてたから、羽柴にとってもこれでよかったかもね」 「空ももっと僕のこと信用してくれたっていいのになあ。僕が本当に空の嫌がることをするわけないのに。他の人間にばれない限りは見て見ない振りをしてやるのにさ。――勿論、寮内の風紀を乱さないでほしいけど」 真面目にそんなことを言った祭だったが、そのあとで人の悪いにやりとした笑みを浮かべた。 「それにしても･･･なんか、またおいしいネタができちゃったな。空とナオくんとの話はもう使えないけど、今回のことはいろいろと利用方法があるかもしれない。七海先生に告げ口しちゃおうって言ったら、空、絶対僕に逆らえない気がする」 「祭ちゃん･･･」 祭に対して呆れつつも、ま、自分には関係ないし、と思ったやっぱり薄情な直だった。 おわり |