スィートバレンタインデー 「羽柴｡おまえ、甘いものは苦手だそうだな」 ２月１４日の放課後｡ いつものように空を数学教諭室に呼びつけた水都は、空が入室してしばらくたってから、そんなことを言ってようやく空のほうを振り返った｡ いつものこととはいえしばらく存在を無視されていた空は、水都のいきなりとも言える言葉にかなり驚いた｡ 「な、なんだよ、急に。それがどうかしたのかよ!?」 「いや、奇遇だと思ってな。私も甘いものは嫌いだ」 「あーそうかよ。ふつー、大抵の男なら苦手なんじゃねえの？ ･･･っつーか、あんたの味覚なんか知るかよ」 そう言って水都からぷいっと顔をそらす｡ 水都に対して横柄な態度や乱暴な態度をとれば、あとできっちり「指導」という名の報復を受けることになるのだが、何度それを繰り返されても、空は従順になることはできなかった。「指導中」はともかく、普段はついついこんな反抗的な態度になってしまう｡ いつもならすぐさま目を細め、格好のネタを拾ったとばかりに薄い笑みを浮かべる水都だが、しかしこのときは空の態度も気にならないようだった｡ 「甘いものは嫌いだが、強いて言えばホワイトやミルクよりブラックの方が好みだな」 「は？ なんの話してんだ？ ブラックってコーヒー･･･いや、チョコのことか?」 水都の唐突な話運びに、空が再び水都の顔を見る｡疑問符を浮かべながらその顔を凝視すると、相手からは肯定の意味に取れる笑みが返ってきた｡ 「ブラックが好みって、つまりブラックチョコ･･････――っ!?」 呟いて、ハッとする。 ‘ブラックチョコ’といえば、数日前の自分の妄想に出てきたからだ。チョコレート漬けという言葉を聞いて、浮かべてしまったイメージ｡ それは自分の――。 「藤守や佐倉のような甘すぎるものは味見する気にもなれんな。やはり多少苦味があるほうが私好みだ」 「――!?」 いつの間にかそばに寄ってきた水都が、空の両腕を掴んで耳元で囁いた｡ チョコレート漬けと聞いて浮かべてしまったもう一つのイメージでは、直と広夢が関係していたのだ。空は息をのんで相手の顔を見つめた｡ 自分一人の埒もない想像｡なのに目の前にいる男はそれを読み取ったかのように言ってくる｡ そんなこと、有り得るわけないのに――｡ 「な、なに言ってんだよてめぇ･･･っ」 空の声がうわずる｡頭の中を読まれたかのようで、空の心に余裕がなくなった｡ せめてどうにか腕の自由ぐらい取り戻そうとするのだが、どんなに振りほどこうとあがいても、がっちり捕らえられた腕はどうすることもできない。 「み、水都、離せよっ」 「今日はちょうどそういう日だったな｡羽柴、おまえが私にくれるというなら食べてやってもいいが? 勿論、こっちのほうをな･･･」 「――っ」 水都の唇が空の耳に押し当てられた｡それから、まるで味見をするかのように舌を絡ませてくる｡男の熱い息と濡れた感触が耳を這い、空はたまらず両目を閉じた｡ 目を閉じると、余計耳に意識が集中してしまう｡体中がざわつくような感覚｡ ざわついて･･･熱を帯びて。 「オ、オレ、ほんとは水都の好みなんかじゃねーよっ！」 水都に耳をせめられ、それだけで慣らされた体が甘く反応しそうになり、空は理性を取り戻すように叫んだ。 空がこの場でいったいなにを言うつもりなのかと、いったん水都の唇が離れた｡その分、男の視線が注がれる｡ 「オレ、ほんとはすっげぇ甘いんだよ｡中、めちゃくちゃ甘くできてんの!!」 そう叫んでしまったあとで、「オレ自分でなに言ってんだよ･･･」と空は自分自身に突っ込みを入れた｡思わず内心でる〜る〜る〜と泣きそうになる｡ しかしもう引っ込みがつかなくて、その勢いのまま空は続けた｡ 「だからおまえの好みじゃねーんだよっ。だ、だからこの手、離せよっ」 「――そう言えば、そうだったな」 男がそう言ってにやりと笑った｡思わず空の体が一瞬ぎくりと強張る。この男は、またよからぬことを思いついたに違いないのだ｡ 「なら――」 「な、なにすんだよ!? み、水都!?」 空の左腕が、強い力で引かれた｡男の胸に強引に引き寄せられるかたちとなる｡すぐさま男のもう一方の手が空の腰に回った｡ 密着した、体｡ 伝わってくる相手の熱と強い存在感｡ 「離せよっ!」 ふうっと、空の耳に息が吹きかけられた｡それだけで空の体が反射的にびくんと甘い反応を返す｡ そうして空を一度黙らせてから、水都は空の耳元で低いかすれた声で囁いた｡ 「なら･･･おまえのその甘さで私を酔わせてくれ」 「――」 「あまりの甘さに頭の中が蕩けて、こっちの神経がおかしくなるぐらいおまえにひたってみたいんだが･･･？」 「や、やめ・・・っ」 男の囁きだけで、空の背筋をぞくぞくとしたなにかが走りぬけた｡自由になろうと暴れる力が、自然に抜けていってしまう｡ 「きっと、本当におまえは甘いんだろうな｡ますます甘さが増して、私をじっくりと愉しませてくれるんだろう？ 私も、隅々まで堪能してみたいしな･･･。なあ、羽柴･･･？」 「――っ」 空の体から、またさらに力が抜けた｡抵抗したい気持ちは山々なのだが、慣らされた体が思うとおりに動いてくれなかった｡ ――腰に回した腕に少年の重みが少し加わり、水都は口元に薄い笑みを張りつける。 そうして腕の中の所有物をじっくりと堪能すべく空の左手から自分の手を離し、その手で少年の顔を上げさせた｡ 世間一般でバレンタインデーと呼ばれるこの日、実際とろとろに溶かされて体の甘さに神経をおかしくさせられたのは、空のほうだった。 終 |