２／１５の放課後 １ 「へっへっへっ、おい、これ見ろよ。俺なんかチョコ五つももらっちまったぜ」 「けっ。んなもん、みんな義理かも知れねーじゃないか。要は数じゃねーのよ、気持ちよ気持ち。その点おれなんかさあ･･･」 「おれ、好きな子からもらっちゃったよ･･･。ああ〜もうマジ大感激だったなあ〜ｖ」 いつもにぎやかな教室の中が、今朝はいっそうざわめいていた。そこかしこに少人数のグループができており、そこで声高におしゃべりが興じられている。 今日は二月十五日で、昨日はいわゆるバレンタインデーだったのだ。教室内は昨日の戦利品を友人に見せびらかす者、得々と自慢話をする者、それに対してひがむ者や無視を決め込む者など様々だった。 「おーすっ、羽柴。･･･あれ。なんかおまえ、顔にやけてねえ？ ･･･ま、まさかっ」 「そのまさかに決まってんだろ〜♪」 話しかけてきたクラスメートに、空はにかっと笑い返してやる。 「昨日の帰りによその学校の女のコからチョコ三つももらっちゃってさあ。そのうえ、今朝もまた一個もらっちゃったんだよ。昨日は渡せなくてごめんなさい、なんて言われてさあ〜」 「げ。なんだよ、羽柴。おまえももらったのかよ」 「ったりめーじゃねえかよ。任せろって」 「ちぇっ。おまえは俺たちの仲間だと思ってたのによ」 机の上に中身のあまり詰まっていない鞄を置いた空の周りに、幾人かのクラスメートたちが集まってきた。 「てめえらと一緒にすんなよ」 「え〜？ またまた〜。羽柴の作り話じゃねぇの?」 「なに言ってんだよ、ちゃんとここに証拠もあるぜ。そう言われると思って、オレも持ってきたんだ。ほら」 空は鞄を開けると、中に入っていたチョコレートの包みを取り出す。かわいい模様の包装紙で包まれているそれらは、いかにも、と言った代物だった。 「ここにちゃんと羽柴空様へってカードもついてんだろ？」 「ふ･･･自分で用意するなんて羽柴って虚しいやつ･･･」 「あのなあ･･･」 あくまでも認めないクラスメートに対してそんなことを呟いたとき、空の背後から明るい声がかかった。 「おはよう、なんかにぎやかだね」 「おおっ、祭じゃん」 「おーっす、祭。なんか今日ちょっと遅くねえ？」 「うん、ちょっとね」 いつもの長い髪を揺らして現れた祭は、空と目が合うと爽やかに笑いかけた。 「おはよう、空」 「ああ、はよー祭」 「ここでみんなでなに盛りあがってんのさ?」 祭の質問に、そばにいたクラスメートたちが答えた。 「んなの、昨日のバレンタインデーのことに決まってんじゃんかよ」 「みんなでいろいろと報告しあってたのさ。祭、おまえは？」 「わ、バカっ。祭にふるなよっ」 空が話の成り行きを推測して慌てて言ったが、すでに祭はその話題にしっかり参加していた。 「バレンタインの話？ ああじゃあちょうど良かった。実は食べきれないほどいろいろもらっちゃってさ、捨てるのも悪いし、みんなに食べてもらおうかと思ってたんだ。今は持ってないけど、寮に帰ったらそれぞれの部屋におすそわけに行くよ。ほんとは昨日そうしようかと思ってたんだけど、もらってすぐにっていうのはさすがに気が引けてね」 「――」 その場に一瞬しらーっとした空気が流れる。「だから言ったじゃねえか･･･」と空はぼそぼそと口の中で呟いた。祭の話し振りが嫌味ったらしかったら突っ込みもするのだが、当たり前のように言われてしまっては、なんともコメントできない。 「･･･祭、そんなにもらったんか？」 「そうでもないよ。今年は紙袋一つでおさまったんだから」 「――」 再び沈黙がおりる。「どうしたのみんな？」という祭の言葉は、その場にいる人間たちにきれいに無視された。 「･･･さあて。そ、そろそろホームルームの時間じゃねえか?」 「げっ。もう時間過ぎてんじゃん。早く席もどんねーと。じゃあな祭、空、あとでなっ」 簡単にそう言い残して、クラスメートたちが席に戻っていく。 「ほんとにどうしたの？ なにか変なこと言った僕？」 「いや、おまえにとっては当たり前の話なんだろうけどさ･･･」 「？ ま、いいや。僕も席戻るね」 「おう」 祭に適当に手を振ったとき、教室のドアがガラリと開いた。 また今日も憂鬱な授業ばかりの一日がはじまるのかと、空はうんざりした気持ちで入ってきた教師を見やった。 「え――･･･」 そして、どきりとする。 てっきり担任が入ってくるものとばかり思っていたのに、現れたのは、数学教師である水都――真一朗だった。 「げ･･･なんで水都がくんだよっ」 「そういやあ今日担任出張だって言ってたよな。きっとその代わりだろ」 空の後ろでひそぼそと声が聞こえる。今日は数学の授業はない日で、だからてっきり昼休みか放課後、数学教諭室に押しかけないと会えないとばかり思っていたのだ。 まさか、こんな朝早くから会えるなんて。 空はドキドキしながら水都を見る。今の彼は嫌味なほどクールでエリート然としていて、本当は完全に嫌いなタイプなのだが。それでも中身が真一朗だと思うと、かっこいいとまで思えてしまうから不思議だ。 しわ一つないスーツも、撫でつけられた髪も、冷ややかな視線さえ、嫌いになれない。勿論、一番好きなのは普段の真一朗なのだが、水都でいる彼も･･･嫌いではない。 「羽柴」 思いがけず真一朗に会えてぽーっとしていた空は、名前を呼ばれたときすぐに気がつかなかった。 いらついた声で、もう一度水都が空の名前を呼ぶ。 「羽柴」 「え、なに･･･」 「なに、じゃないだろう? 机の上にあるものはなんだ」 「え？」 水都に指摘されて、はたっと我に返る。 机の上。――そういえば。 空の机の上には鞄と、鞄の中から出したチョコレートがそのまま置いてあったのだった。 「こ、これはっ」 「そういうものを校内に持ち込んでいいと思っているのか？」 「す、すいません。今すぐしまいますっ」 「いや、しまう必要はない」 水都の声が一段階低くなった。空は恐る恐る顔を上げる。冷徹すぎるほど冷徹な目が、眼鏡の奥できらりと光った気がした。 そして人に有無を言わせない威圧的な態度で、水都は宣告した。 「それは没収する」 「せ、先生〜!?」 「他の者も同様だ。全員机の上に鞄を出せ、所持品検査をする。授業に不必要なものはすべて没収だ」 水都の一言で、途端に教室中が大きくざわめいた。空のようにチョコレートは持ってきていなくても、抜きうちで所持品検査などされたら困る生徒はいくらでもいる。そこかしこで反対の声もあがったが、水都に一睨みされるとすぐに押し黙った。 「静かにしろ。恨むんなら羽柴を恨むんだな。きっかけを作ったのは羽柴だ」 「げ･･･っ」 水都に向けられていた非難の目が、今度は空に集中した。口々に空に対して文句を言いながら、クラスメートたちが渋々と鞄を取り出す。 信じられない気持ちで水都を見るが、水都は･･･真一朗は空の視線を故意に無視していた。呆然としたまま、空は心の中で大きな声で叫んだ。 （そ、そりゃないよ、兄ちゃん〜っ!?） ２ 「みなとせんせ〜っ」 よろよろとよたりながら、空は数学教諭室のドアを開ける。 昼休み、クラスのみんなに追い立てられるようにしてここにやってきたのだ。勿論みんなに追い立てられなくても、もともと空はここに来るつもりだったのだが。 「頼むよ〜。マジ、チョコ返してくれよ。オレの分もそうだけど、みんなの分〜。オレほんとにぼこぼこにされちゃうからさ〜」 「･･････」 だが空が中に入ってドアを閉めても、真一朗はなにやらプリントの束を眺めていてこちらを振り返ろうとはしなかった。ドアの前で足を止めたまま、空はぶーたれる。 「無視すんなよ、兄ちゃん。根性悪いぞ〜」 「羽柴。おまえは自分の立場がわかっていないようだな」 「う･･･」 冷ややかな「水都」の声に、空は慌てて姿勢を正す。真一朗は相変わらず振り向いてくれないが、とりあえずぴんと背筋を伸ばした。 「チョコ持ってきたのは悪かったです｡すみません。反省してます。――だからさあ〜」 だがすぐに空の声がだらけたものになる。 「ったく、おまえは教師に対する口の利き方がなってない」 いくらか声をやわらかくして、真一朗がこちらを振り向いた。椅子ごとちゃんと自分を振り返ってくれて、空の胸がほのかにあたたかくなる。真一朗は呆れた顔をしていたが、それでも怒ってはいなかった。 「そりゃ、ここ学校だからそうなんだけど。でも･･･他人行儀な話し方してたら、すごく･･･つまんねーじゃん･･･。やっぱ、なんかさみしーよ。･･･ほんとになんとも思われてないみたいでさ･･･」 少し視線を落として、空が自分の気持ちを伝える。せっかく二人きりなのにただの教師と生徒なんかの関係でいたくなかった。「水都」として話されたら、萎縮して甘えられなくなる。 空の言葉を聞いた真一朗が、眼鏡をはずした。 そして空に向けて、優しく微笑む。 「･･･ばかだな･･･」 「――」 たまらなくなって、空は真一朗のそばに寄った。甘えるようにその首に手を回す。 真一朗も空を邪険にしたりはせず、持っていた眼鏡を机の上に置くと、その手を空の頬に添えた。どちらからともなく、唇が合わせられる。 わずかに触れただけの軽いくちづけ。 「空。ここは隣りに声聞こえるんだぞ？ ‘兄ちゃん’なんて呼んだら、普通の教師と生徒の関係じゃないのバレバレだろ」 「ンなこと言ったら兄ちゃんと全然話せねーじゃん。今は昼休みなんだしさあ。週末だけじゃやだよ、オレ。･･･それとも兄ちゃんはそれでも平気なのかよ?」 「ばか。平気なわけないだろ？ ほんとは、オレはおまえよりもずっと貪欲なんだよ――」 再び、二人の唇が合わさった。今度は触れ合うだけではなく、互いへの想いを相手に絡ませるように深く。幾度か角度を変えて、脳裏をしびれさせるような甘いキスをかわす。 二人の唇が離れたとき、細い糸が二人をつないでいた。空はそれをぼーっと見つめる。最初は慣れなくて恥ずかしいと思ったが、今ではもうきたないとも恥ずかしいとも思わない。 「空･･･ほんとおまえってかわいいよな･･･」 ｢ん･･･。で、兄ちゃん、チョコのことだけど･･･」 「――空。おまえなあ、マジで怒るぞ？」 せっかくムードが高まっていい感じだったのに、年下の恋人はそんな野暮な話題をこの場に持ち出してくる。ひたっていたのは自分だけだったのかと思うと、真一朗は怒りを通り越して虚しくなってきた。 「いや、だってほんとにみんなの分取り返さねーといけねえんだよ。他にもいろんなもん取られたやつもいるしさ。オレ、みんなの代表でここに来てんだよ。オレが所持品検査のきっかけを作ったから、おまえが責任とって取り返してこいってクラスのやつに言われんてんだからさあ。それもこれも、兄ちゃんがオレのせいみたいに言うからだぜ?」 「学校に余計なものを持ってきたほうが悪いだろ。オレの言うこと、なにか間違ってるか?」 「う･･････」 こういうときの真一朗は取りつく島がない。「水都」のときの顔はすべてが演技というより、やっぱり真一朗の一部でもあるのだと思ったりする。 「そのとおりなんだけど〜。でもオレの顔に免じてさ〜。頼むよ兄ちゃん･･･」 空が両手を合わせて拝むと、真一朗がちらりと横目で空を見た。それから手のひらを上に向けて右手を差し出してくる。 「で、空。オレへのチョコレートは?」 「へ？ あ、だって、あれは女のコのイベントだろ!? オ、オレなんにも用意なんかしてねーよ!?」 「好きな相手へのプレゼントとしてオレにくれたって、いいんじゃないのか？」 「そ、そうだけど。でも全然･･･渡すことなんて考えてなかった･･･」 正直に言う空に、あーあ、と真一朗が大袈裟に声をあげた。 「つまんねえなあ、ほんと。空ってつれないよなあ〜」 「な、なんだよ兄ちゃんっ!?」 「昨日は急な出張で全然空と会えなかったし、ようやく今日になって会えたと思えば、空は他のコからもらったチョコで喜んでるし。意地悪して没収したくなるのも当然だろ?」 「な･･･っ」 「あーあ。空にかわいく、これ兄ちゃんへのプレゼント、なんて渡されんのすっごく期待してたんだけどなあ〜。どうせオレが想うほどには、空、オレのことなんか好きじゃないんだよな。どうせさ･･･」 そんなことを言って、真一朗が椅子ごと空に背を向けた。 「なんだよ、そんな言い方ないじゃん。チョコレート、そんなに食べたかったのかよ？ だったらオレがもらったやつ全部兄ちゃんにやるよっ」 「そうじゃないだろ、空。オレは、おまえがオレのために用意したプレゼントをほしかったって言ってんの。チョコレートだけだったら、悪いけどオレ、空よりもらったぜ？」 こちらを振り向かないまま、真一朗が部屋の隅を指差した。空がそちらを見てみると、数学教諭室の隅にある棚の上には、確かにいくつものチョコレートらしき包みが乗っている。 「最近の子はどうも押しが強くてなあ。ほんとはオレ、空がいるからみんな断ろうと思っていたんだけどな。ま、空はチョコレートもらうとき、オレのことなんか全然思い出しもしなかったんだろうけどなあ」 嫌味ったらしく真一朗に言われて反論したくなったものの、結局それは図星であったので空は言葉に詰まってしまった。 ここで、そんなにいじめるなよ〜と叫んで、出ていってしまうのは簡単だけれど。 空はこちらに背を向けた真一朗に近寄ると、後ろから腕を回した。顔を寄せて、ぎゅっと抱きつく。 「･･･そういうの用意してないけど、でもオレ、ちゃんと好きだよ。兄ちゃんのこと･･･」 「――わかってるさ」 前に回された空の手を掴み、その手の甲にくちづけを落とす。 それから真一朗は振り向いて空の顔を覗き込んだ。 「別にオレも、形を求めているわけじゃないんだ。ただ空があまりにも人からもらったもので喜んでるから、意地悪してみたくなっただけ。わかってるよ、空がオレのことをちゃんと好きなのは。だって空の顔に、‘兄ちゃんだーい好き’ってめーいっぱい書いてあるしな？」 「ん、んなもん、どこにも書いてねーよっ」 真一朗が茶化すように言うと、空は照れて視線をはずした。ほんとは、自分の表情に真一朗を好きな気持ちが表れてしまっているのは、自覚していたけれど。 「あ、空クンそーゆーこと言うんだ？ だったら空クンのかわいさに免じて、キス一つで没収したもの全部返してやろうと思ったけど、どうしようかな〜？」 「え、返してくれんの!?」 「返してやってもいいけど? その代わり、空が用意してなかったチョコの代わりとして、空からめーいっぱい甘いのが一つほしいよな」 ここに、と、真一朗は自分の唇を指差す。 「･･･さっきもしたじゃん･･･」 「空から、って言っただろ? ま、恥ずかしくて嫌ならそれでもいいんだけどな。その代わり没収したものは返さないぜ」 「そ、そういうの、職権乱用って言うんだぜ兄ちゃん。あとセクハラとも･･･」 「はいはい、どーとでも好きに言えば? で、結局空クンはどうすんのかな?」 真一朗がにやにや笑って空を見る。空は恥ずかしい気持ちを押しやり、覚悟を決めた。本当は、自分だって真一朗とキスすることは嫌いじゃないのだから。 「わかった･･･」 「ただ普通のキスじゃつまんねえから、空が膝に乗ってくれると兄ちゃん嬉しいな」 「･･････」 真一朗のリクエストに答えて、空が座っている真一朗の膝の上に乗る。そうして真一朗の首に手を回しながら、空はゆっくりとくちづけていった。 自分から、というのは初めてじゃないけどそんなに何度もなくて、先程と同じキスなのになんか変な感じがした。ただ抱き合うだけでなくて、いつもよりもっと密着したかたちでのキスだからかもしれない。 息をつぎながら何度もくちづける。初めは空のキスをただ受けていただけだった真一朗も、やがて深く唇を合わせてきた。そのうち真一朗の手が制服の上から空の体に触れてきて、ますます気持ちが高まっていく。 「だめ･･･兄ちゃ･･･。オレ、も、教室帰らなきゃ･･･」 熱い息を吐き出しながら空が言う。まだこのあとも授業があるのだ。 歯止めが利くうちに、なんとか教室に戻らなくてはいけなかった。このままこうしていたら、理性が溶けていってしまうから。 「あ、そうか？ じゃあな」 「･･････」 真一朗はそう言うと、すとんと、空を自分の膝から下ろした。そのまままた机の方を向いてしまう。そして仕事の続きとばかりに、プリントの束を手に取った。 その場に置き去りされてしまった空は、しばらく呆然と佇んでいたが、やがて真一朗に泣きつくように声をあげた。 「に、兄ちゃ〜んっ！」 その声に苦笑しつつ、真一朗が振り向いた。 「バカ、どっちなんだよ、おまえは。教室に戻らなきゃいけないって言ったのは空のほうだろ」 「それはそうだけど･･･。でも、だって、せっかく兄ちゃんと二人きりでいるんだからさもう少しひたっていたいよ･･･。すごく、名残惜しいからさ･･･」 「そういうのは残酷なんだよ、よけい離れがたくなるだろ。このまま授業サボってオレに付き合うか、さっさと教室に戻るかどっちかにしろ」 そう言いつつ、真一朗の優しい手が空の頭を撫でてくれた。空はもう一度だけ真一朗に抱きつく。 「週末、行くから。絶対に行くからっ」 「ああ、待ってる」 そしたらもう、こんなふうに離したりはしないぜ?――空の背中をぽんぽんとあやすように叩きながら、真一朗はそんなことを言った。 空はそれに対して口ではなにも言わなかったが、小さく頷いたのだった。 おわり |