「……ん…。トモ……？」
　勇気が眠りの世界から意識を浮上させて目を開けると、自分が寝ているベッドに智友の重みが加わったのに気づいた。
　まだぼんやりしている勇気の顔を覗き込むようにして、ベッドに座り込んだ智友が笑いかけてくる。
「おはよう、勇気。そして改めて。誕生日おめでとう」
「……！」
　寝起きに思いがけず言われた挨拶に、勇気の意識が瞬時に覚醒する。
「トモ！　起きたばかりなのにいきなり言うなよ。びっくりするだろ」
「いきなりじゃないだろ。日付がかわったときにも言っただろ。それに今日は勇気の誕生日なんだから、何回言ったっていいはずだろ」
「嬉しいけど……心の準備ができてないときに言われるのはなんか恥ずかしい…。でも、トモありがとう」
　勇気が智友に笑顔を向けると、智友も笑顔を返してきた。
「それで勇気、体、大丈夫か？　夕べは加減したんだけど」
「加減……してたのか…」
「起きるのがしんどかったらもう少し寝てていいぞ。約束の時間までまだしばらくあるし」
「そっか。じゃあ日曜だし、もう少しごろごろしてようかな……って、え？　約束？」
　自分の記憶にはない予定に、布団を頭からかぶろうとしていた手を止めて勇気は智友を見上げた。
「約束の時間てなに？　どこかに出かける予定なのか？　それとも誰かくるのか？」
「出かける方だな。外で食事するために店に予約を入れてある」
「そうだったんだ。約束なんて言うから誰かと会うのかと思った。俺のために予約を入れてくれてたんだな。やっぱり料理がおいしい店なのか？　楽しみだな〜」
　外で食事すると聞いて、数々の料理を思い浮かべて勇気が目を輝かせる。誕生日に外食とくれば、それなりに豪勢な料理だろうと予想して、いやがうえにも期待が高まった。
　だが智友から返ってきたのは、「いや、勇気はおまけだな」という、淡々とした言葉だった。
「え、おまけっ!?」
「そう。誰かと会うというのは当たり。勇気のおじさんとおばさんと約束してるんだ。食事もおじさんたちを招待したもので、勇気はだからおまけだな」
「おまけって、俺が主役のはずの誕生日……っていうか、父さんと母さんと約束っていつの間に!?　突っ込むとこありすぎだぞ、トモ〜っ！」
　智友から想像もしていなかったことを言われ、勇気がベッドに横になったまま情けない声をあげる。
　自分の誕生日に外で食事をするというのはよくわかるが、なぜ自分を通り越して智友と自分の両親とが直接約束をしているのだろうか。それも主役のはずの自分はおまけで、メインは両親の方だという。
「別に勇気を驚かせようと思っていたわけじゃないけど、なんか今日まで言いそびれたな。ま、店についてから知るよりはいいだろ。そういうわけでまだ時間あるから、もう少し寝てていいぞ。時間になったらちゃんとたたき起こすし」
　勇気を宥めるつもりなのか、眠気を促すためか、智友の手が勇気の髪に触れて優しく撫でていく。智友の手は確かにとても気持ちよかったが、だからと言ってそのまますんなりと再眠する気にはなれなかった。
「待てよ、トモ。全然説明が足りないだろ。どういうわけでそんなことになったのかちゃんと説明しろよ。俺の父さんと母さんと食事なんて、みんなで一緒に俺のお祝いをしてくれる…っていうのとも違うんだろ、俺がおまけっていうなら」
「あー……じゃあみんなで勇気のお祝いをするってことで」
「トモ。面倒くさがるなよ」
　勇気がさらに追及すると、智友は溜息をついたあとで「だから、今日は勇気の誕生日だろ」と言った。
「だからってなんで……」
「俺にとっての勇気の誕生日を考えたとき、勇気に対して生まれてきてくれてありがとうっていう気持ちも強いけど、それ以上に勇気のおじさんとおばさんに対して、勇気という存在をこの世に生み出してくれてありがとうっていう気持ちも強いってことに改めて気づいたんだ。勇気に生を与えてくれたこと、勇気をこんなふうにまっすぐで素直で優しい人間に育ててくれたこと、勇気がベルリバティに入ることを許可してくれたこと、そして俺が勇気をくださいと頭を下げたとき、それをこころよく了承してくれたこと……他にもあるけど、とにかくどれかがずれていたら俺は今勇気とこんなふうに一緒に過ごしていなかっただろ？　だから、おじさんとおばさんに感謝の意味を込めて今日、一緒に食事をしたかったんだ。来年の勇気の誕生日は二人で旅行に行くのもいいし、ずっと二人きりで部屋にこもって過ごしてもいい。だけど今年だけは特別。俺がおじさんとおばさんから、二人の大切な息子である勇気を託された年だから。戸籍こそ移してないけど、俺と勇気が家族になった年だからさ」
「――」
「勇気？」
「あ…えっと…トモが、父さんたちのことをそんなふうにすごく真剣に考えてくれてたんだなって思ってさ。まあ、大切な息子かどうかはわからないけどな。トモと一緒に暮らしたいって言ったときだって、あっさりとＯＫ出したうえに、熨斗つけてくれてやるみたいなこと言ってたしな」
　智友の真剣な表情に惹きつけられていたのをごまかすように、勇気がことさら明るい声で言った。
　それに対して智友は口元にかすかな笑みを浮かべた。――自嘲的な笑みを。
　勇気の髪に触れていた智友の手が、すうっと滑って勇気の頬をなぞる。
「トモ……？」
「真剣ていうか……感謝の意味だけじゃなくて俺の中に罪悪感もあるからな。俺が勇気をもらうってことは、本来勇気が歩くはずだった当たり前の人生や将来を全部つぶしているっていうことだ。勇気のおじさんたちが今までに何度も考えてきたはずの勇気の将来の花嫁とか、子供のことも――」
「トモっ！」
　勇気は自分の頬を撫でていた智友の手をつかむと、ベッドから勢いよく起き上がった。
「そんなの関係ないだろっ！　それを言ったらトモだって！」
「俺と勇気じゃ全然違うだろ。俺の将来を楽しみにしている人間はもういない。けど、勇気にはいるだろ。俺が言い出すまでは、勇気に対してごく普通の将来像を描いていたはずなんだ。快く受け入れてくれてたって、それを俺が奪ったことには変わりが――」
「トモ！　それ以上言ったら俺ふて寝して、食事だろうとなんだろうと絶対に行かないからなっ！」
　勇気は智友を恨みがましげに見つめてそう宣言した。
「それからトモと口を利かないし、ハンストだってしちゃうんだからな。今日は俺の誕生日なのに！　それから今日の誕生日のこと一生言い続けてやるし、トモが俺に触れるのもしばらく禁止するからな！」
「……今俺の手をつかんでるのは勇気の方だろ」
「……」
　智友の指摘に勇気は手を離すことなく、さらに智友の手を強く握りしめた。
「勇気……。布団がめくれて全部見えるぞ」
「……うわああっ！」
　勇気はあいてる方の手で慌てて布団を引き寄せた。
「――勇気の誕生日に変なこと言って悪かったな。罪悪感ていうのは俺だけのことだから、勇気は気にしなくていいんだ」
「トモ、謝るのはそこじゃないだろ。トモが罪悪感なんて感じる必要全然ない。俺は俺を幸せにしてくれるトモと出会えて、こうして一緒に暮らせてますます幸せだし、俺にはそれ以外の未来なんてないよ。むしろそんなふうに考えるのは、今とは違う未来があった、本当だったらトモもそっちの方がよかったって言われているみたいですごくいやだ。俺の……朝比奈勇気の将来は笠原智友といることだけだし、トモの方こそ余計なこと気にしないでもっともっと俺だけを見ていてほしいよ」
「俺はこんなに勇気のことばかり見てるけどな」
「違う。まだまだ足りない。そんなよそ事なんて考えるなよ。それに俺は父さんと母さんの子供だからわかるけど、トモのさっきの言葉は、父さんと母さんも嬉しくないと思うぞ。トモが俺を幸せに――ううん、これから先二人で一緒に幸せになっていけばそんなのどうでもいい話だし、そもそもそんなことをうじうじ考えている人間にはうちの勇気はやれん！って言われちゃったらどうするんだよ」
「そんなこと……うじうじ……。――勇気をもらえなくなるのはつらいな」
「だろ。だからさ、今日を限りにそんなことはパァーっと忘れろよ。もう一回言うけど、俺はトモと生きる道が俺のすべてだからな。俺に対しても父さんたちに対してもそんなこと考えるなよ。それともトモは俺にナオ兄のお墓の前で、ナオ兄の大事な弟に普通の将来をあげられなくてごめんて、謝ってほしいのか？」
「いや、それは……」
「だろ。おんなじだよ。俺の父さんや母さんと、ナオ兄となんの変りもない。罪悪感なんて不要だし、そんなの謝ることじゃないんだ。この先もずっと。だから、はい。トモ、ごめんなさいは？」
　智友の顔を見てからかうように勇気が言う。今もまだ、繋がっている手は離さずに。
「……あー…悪かった。うじうじして変なこと考えて。勇気の誕生日なのにな」
「そうだよ。下手したら俺、本当にふて寝するところだったんだぞ！」
「俺も勇気に触れられないところだったしな」
「ほんとにな」
「で、勇気。今は？　触れてもいいか？」
　智友に問われて、勇気は満面の笑みで答えた。
「――勿論！」
　そうして二人は夕べぶりに甘いキスをかわした。智友から離した手を、勇気は智友の背中に回す。しばらく軽いキスを幾度も繰り返した。
「まあさっきのことはおいといて、勇気のおじさんたちに勇気のことで感謝しているのは本当だからな」
「うん」
「勇気はおまけなんて言ったけど、ちゃんとみんなで勇気のお祝いをしたい気持ちもあるんだ」
「うん。……でも」
「でも？」
「うちの両親と俺とトモとで食事なんてなんか……」
　改めて想像すると気恥ずかしいと勇気は思う。勇気の家で一緒に食事をしたことなら以前にもあるが、あのときもどこか落ち着かなかったのを思い出す。智友を友人として連れてきて一緒に食事をしたときは全く平気だったが、今は。
（なんかこの組み合わせって、どう考えても、両親と子供と婿みたいな……）
　ある意味それに間違いはないけれど。
　勇気にすれば、智友と自分のやり取りを両親に見られているというのはなんとも言えないものがあった。智友はそういう部分では恥ずかしくないんだろうか。
「勇気？」
「あっ、と。約束の時間までまだあるんだっけ？」
「寝るのか？　さすがにもう眠気が冴えたんじゃないのか？　あー、それとも体がつらい？」
「違う。そうじゃなくて」
　勇気は智友に向けて大きく両腕を広げた。
「今日は俺の誕生日だろ。だから時間あるならもっと……トモに甘えたい」
「……夕べ加減した意味がなくなるぞ」
「そっ、そこまでの意味じゃない。ただトモにくっついていたいだけ」
「その格好でくっつくってどう考えても誘ってるようにしか……」
「トモ？　なんか言ったか？」
「いや、こっちの話」
　そんなふうに答えて、智友は勇気のいるベッドの上に乗った。そして勇気の体を優しく抱きしめる。
「勇気、誕生日おめでとう」
　何度目かの智友のその言葉に、勇気は黙って両腕に力を込めて智友に応えた。