きみがいる世界が僕の幸せ ――目を開けたとき、智友は、今自分がどこにいるのかわからなくなった。 自分を包む朝の光は一段と眩しくて、世界が光り輝いているかのようだった。 心の奥に残る優しさとあたたかさ。幸せな感覚。日々は安定していて、どこまでも穏やかに過ぎていく未来。 だが智友があたりを見回し、ここがベルリバティの寮の自分の部屋であることに気づいた途端、世界は急速に色褪せた。朝の光は灰色がかり、暗闇という未来が襲いかかる。 失われた大きな存在。ほんの少し前まで確かにそこにあったように思われたものが、跡形もなくかき消えて。 智友は自分の両腕で顔を覆った。 声にならない呟きが智友の唇を動かす。――兄さん、と。 重くのしかかる現実と心に広がる絶望。 だが深く暗い哀しみに包まれながらも、暗闇の中に差し込む一条の強い光に智友は気づく。 その光がそこに、手を伸ばせば簡単に届く距離にある現実に、やがて智友は哀しみを振り払い、揺らぐことのない瞳で体を起こした。 「……トモ？ どうしたんだよ、俺の顔見て笑って。ゆっくり歩いてたら遅刻するぞ」 二人で学園に向かいながら歩いているのに、なぜか智友はときおり勇気を見て笑みを浮かべている。勇気としてはそれが不思議でならなかった。 そもそも今朝いつものように智友を起こしに行ったら珍しく智友はすっきりと目覚めていて。勇気が思わずどきっとしちゃうほどに朝一番でいい笑顔を向けられたことからも、いつもの智友とは違うようだった。 勇気の問いに智友は笑みのまま答える。 「いや…こうして、勇気が俺のそばにいてくれて嬉しいなって改めて思ってたところ」 「な、なんだよ、いきなりっ。……急にそんなこと言ってどうかしたのか？」 「夢を……見たんだ。昨日。その夢の中では兄さんがいて、病気になんかかかってなくて、俺は兄さんと一緒に暮らしながらベルリバティに通ってた」 「トモ……」 「学園の理事長は兄さんのままで、俺は普通に学生だけをやってて、兄さんの期待に応えるために陸上も頑張ってて。毎日が穏やかで幸せで、このままずっとこの幸せが続いていくんだ……っていう夢だったよ」 「――」 智友が幸せそうな表情で語る夢の内容に、勇気は胸を締めつけられた。智友は穏やかに笑っているけれど、だからこそいっそうたまらなくなる。その夢が現実ではないことに。 「その夢の中には勇気もいて、兄さんと俺と勇気とで、昔のことを三人で話したりもしたよ。ただ俺は榊先生に発破かけられてレギュラークラスじゃなかったから、勇気と過ごす時間は短かったし、距離も……遠かったな。たまに会ってちょっと話すぐらい。だから俺は夢の中で本当に幸せだったんだけど、でも勇気に、こんなふうに簡単に触れられない距離はいやだと思ったんだ」 そう言って、智友が勇気の頬にするりと手を伸ばした。 「ト、トモ、ここ外っ！」 ぐっと近づいたその距離に勇気は慌てる。すぐそばに人影は見えないが、ここは道端で、今は朝の登校時間なのだ。 だが智友は勇気から離れようとはしなかった。 いつしか二人の足は止まっていた。智友の真剣な表情に、その手を振りほどくこともできないまま。 「勇気に惹かれて、恋人になる未来は同じだったとしても。誰かにとられる可能性もある友達の距離を長く続けてもどかしい思いをするより、勇気と一足飛びに恋人同士になれてよかったよ」 「……本当に一足飛びだったよな…」 照れてしまいそうになるこの雰囲気を壊したくて、ぼそぼそと勇気が呟く。理事長室での初めてのあれこれは、今振り返っても恥ずかしくなるほど急な出来事だったのだ。 「まあまあ」 勇気を宥めるように智友が勇気を頬を一撫でしてからその手をおろした。そのあとで。 「だから――俺は今が現実でよかったんだ」 「――っ」 勇気に向けて、智友がふわりと優しい笑顔を向けた。思わず勇気が息を止めてしまうほど、その笑顔は勇気を強く惹きつけて。 「目覚めてすぐは今まであったものが全部夢だったって気づいてすごく悲しくなったし、憂鬱にもなった。でも俺には勇気がいる。勇気がいつも俺のそばにいてくれて、そしてこんなに近い距離にいても許されてる。勇気を恋人にしている現実が俺の本当なんだって思い出したら、それだけで夢のことはもういいって思えたんだ。勇気がここにいることが、俺にとって本当に大切なことだから」 「トモ……」 智友に惹きつけられていた勇気がはたっと現実に立ち返る。勇気は慌てて智友から目をそらした。自分の顔が赤くなっていることをごまかすように言葉を次ぐ。 「あ…ト、トモがどんな夢を見たのか詳しくはわからないけど……俺も、今が現実で嬉しいし、トモとこうして恋人同士になれてよかったと思う。――…思うけど、でもとにかく、まずは学校だろ！」 「んー、なんか行く気なくなったな。このままＵターンするのどうだ？」 「ダメダメっ!! そんな簡単にサボるのはだめだろ！」 「この現実での勇気との距離を確かめたくなった。勇気にどこまでも許されてるんだって実感させてくれよ」 「距離って…どこまでもって…あ、朝からそんなのだめだって！」 「カーテン引けば夜とおんなじだろ。それに勇気だって、さっき俺の顔に見とれてたくせに。その気がまったくないなんて言わせないからな」 「……っ、あのときはトモがあんな顔で笑うから…って、俺はその気になってなんかいないって！ ――トモ！！」 それでも智友に強引に腕を取られて。勇気は元来た道を戻ることになったのだった。 ＥＮＤ …？ 「ほんとに、だめだって……。こんな時間から、することじゃないだろ…」 「こんな時間だからいいんだろ。すごく背徳的で」 「背徳的って……高校生としてどうなんだよこれ…。学生の本分は勉強だろ…」 「こういうのもお勉強の一つだよ。勇気は覚えること、たくさんあるだろ？」 「朝からこんな……爛れた生活はやっぱりまずいよ…」 「いいなあ、それ。勇気と俺の爛れた性生活って？」 「トモ……っ」 「ま、たまにはな。俺には勇気がいるって、勇気とならこんなに甘くて幸せな時間も過ごせるんだって、実感させてくれよ」 「ずるいぞ、そんな言い方…。それに、ここまでしなくても、俺がトモのそばにいることはわかるだろ。キスだって、抱きしめることだって、できるんだから」 「でもやっぱ、勇気の‘中’に入るのが一番だろ。これが俺にとっての現実だって、勇気のかわいい姿で俺にたっぷり教えて」 「……あとで、サボったことのお説教と、溜まった課題が、トモに現実を教えるんだからな…」 「はいはい。覚悟してるって。でもとにかく、今は……な？」 「……こんな乱れた生活が俺にとっての現実になるなんて……トモの…せいだからな…」 そう、文句を言いながらも。 勇気は目を閉じて、恋人の身体の重さという甘い現実を受け止めた。 ＥＮＤ |