ＴＯＧＥＴＨＥＲ 　――意識が「目覚めた」とき、そこには、泣いている子供がいた｡ 　暗くて冷たい場所で声を殺して泣いている。 　涙をこぼすまいと唇を噛み締め、ともにある存在を守るために気丈に振る舞おうとしている一人の子供｡ 　心の中はあんなに脆くあやうく、そして深く、傷ついているのに｡ 　そんな姿が無性に健気で、愛しかった｡ 　自分を哀れむ気持ちが生み出したものか、 　この苦しみから逃げ出したいと思ったからか、 　もっと力がほしいと願ったからか、 　･･･あるいは。 　助けてやりたいと思ったから生まれたのか、 　それは知らない｡ 　ただ気がつくと彼は‘その子供’ではなく、‘彼自身’になっていた。 　泣いている子供を守りたいと思った｡ 　自分が変わってでも庇護してやりたかった｡ 　どんなにつらく苦しいことであれ、その子供がそういう目にあうよりも、自分が受けたほうがましだった。 　――願ったのは、どちらだったのだろうか｡ 　自分とは別の、でもとても近しい「心」を切望したのは、はたして｡ 「オレ、これまで夜に全部押しつけてきたんだよな･･･」 　ある晩彼のテリトリーを訪れた空はそう言って、彼に暗い顔を見せた。 　伏せられたまつげ。影を持った瞳。 　日頃元気いっぱいの少年が肩を落としている姿が、彼からすれば痛々しかった。 　少年のそんな姿を見るのは耐えられない。 　もうずっと昔から、何度も傷ついてきたのに。 「はっ。なーに言ってんだおまえ」 　そう言って空の頭を小突く。 　さすがに落ち込んでいてもそうされるのは不満だったらしく、空は小突かれた額を押さえて食ってかかってきた。 「なにすんだよっ！　そうやって人のことぽんぽんぶったりおどかしたりからかったりすんじゃねーよっ。オレ、夜のそういうところ大っきれーっ」 「おやおや。俺の愛情表現がわかんねえとはほんと空ってガキだよな」 「そういうガキ扱いもよせよ！」 「ああ、そうか。空はそういうわかりにくい愛情表現より、もっと直接的な愛情表現のほうがイイんだもんな。くく･･･俺が空のことをどのくらい好きか、ちゃんとその体に教えてやらなくちゃな」 　瞬間移動をして空を抱きしめる。 　抱きしめたとき、一瞬だけ腕の中の体がびくりと反応した。 　だが、それだけだった。 　いつもみたいに抵抗したり慌てたりする様子がなかった。 　彼は、腕の中の愛しい存在を改めて見つめ直す。 「･･････空？」 「――オレは、なにも知らないんだよな。ガキじゃねえって否定したところで、本当になんにもしらねーガキには変わりないんだよな･･･」 　その唇からこぼれる、悄然とした声。 　それから空は自分の腕に少しだけ力を込めて、抱きしめてきた彼の体を押しやった。彼は、仕方なく素直に空を解放した。 　とりあえず空の声を聞いて、空の心を掴むために。 「オレ、なんにも覚えてねーんだ。オレの親が死んだことさえあやふやで、攫われて、新薬の実験サンプルにさせられたことなんかほとんど覚えちゃいねえ。おぼろげにそんときの様子は頭の中に残ってるけど、本当に痛くて怖い目にあったっていう記憶がない。それってみんな･･･」 「別に俺は空に押しつけられた覚えはねえけどな」 「･･･こんなときまで人の心読むんじゃねえよ」 「おまえの今の気持ちなんか、読まなくっても手に取るようにわかるさ。攫われたあとひどい目にあった記憶を持っていないのは、すべて俺に押しつけたからだと思ってんだろ？　自分が苦しみや恐怖から逃げ出したいから、別の自分を作り上げてそいつに押しつけた。自分は痛くない、自分は怖くない。そうして俺に押しつけてずっと楽をしてきた――それが今になって苦しいってわけだ。そうだろ？」 　実際心を読みとらずに言ってやると、少年は曖昧な笑みを浮かべた。 　自分の考えていることをあっさりと知られて、自嘲的に笑うしかないという感じだった。 「いくら夜がもともとはオレ自身から生まれたと言っても、痛みも意識も別物だろ？　オレはガキのころからずっと、夜にいやなことを全部押しつけてきたんだ。そんなことをされた夜がどんなに怖くて苦しい思いをしているかとか、まったく考えもせずにオレは自分一人だけ･･･。夜、つらかったよな。すっげえいやだったよな？　情けねえことにオレ、ガキのころの自分がどんな目にあっていたかなんて全然覚えてねえけど、それでも夜に悪いことしたって思ってるんだ。オレだったら自分にそんなことしたヤツをめちゃくちゃ恨んで一生許さねえけど、夜はオレにそんなふうじゃなくて、だからオレますます夜に･･･」 「――空。俺に同情しているならはっ倒すぜ」 「･･････」 　彼の氷結したような冷ややかな声に、空は一瞬本気で震えた。 　けして大きな声ではなかったが、それだけに芯に冷えるものがあった。 　空は、迷うように彼を見つめる。 「･･･だってオレ、なんにも知らなかったころならともかく、もう夜のことも知ってるし、昔のことだって少しわかってるんだぜ。自分がしてきたことを思い出しかけているのに、それなのにおまえのこと知らん振りなんかできねーよ。自分のやってきたことを認めて、ちゃんとおまえに謝りたいって思うじゃん！　それっていけねーことかよ!?」 　過去の自分がしてきたことをちゃんと謝りたい。 　そんな空の気持ちの根底にあるものを読みとって、彼はいくらか視線をやわらげた。 「もう一度言っとくが、空、俺に同情するんじゃねえ。俺のことつらかっただのかわいそうだっただの言ったら、マジでここに縛りつけておまえのことぼろぼろにしてやるからな」 「夜･･･」 「実際、おまえに押しつけられた覚えはねえって言ってんだろ。よく考えてみろよ､空。おまえと、俺だぜ？　おまえがどんなに俺に押しつけてえと思ったところで、オレがさっさとかわすに決まってんだろ？　俺はおまえより鈍くはねえよ。それに･･････」 　夜の瞳が優しくきらめいて空の心を惹きつけた｡ 　自分と似ているけれども、でも明らかに違う存在。 　左右で色の違う綺麗な瞳。 「俺は、本当におまえの中から生まれたと思うか？」 「え？　だって夜はオレの心ン中にいるんだろ!?」 「ああ、今はな。でも、こんなにかっこよくて頭のいい俺が、おまえみたいな直球を投げるしか脳のない単細胞から生まれると思うか？」 「夜っ！」 「いくら俺がおまえの理想の人間だとしてもよ、やっぱ限度ってものがあるだろ？　おまえの中から生み出されるものなんて、せいぜいおまえと同レベルのものしかねーよ」 　彼のそんな言い方にいくらかムッとした空だが、すぐに彼が発した言葉のほうが気になった。 「･･･夜は、オレとは違う存在なのか？　オレの中から生み出されていない？」 　空の呟きに､彼はわずかに口の端をあげた。 　皮肉げとも､優しいともとれる笑みだった。 「そうなのか､夜？」 「･･･さあな。ただ可能性はあるだろ？　俺は､おまえの中から生み出されたんじゃなくて､ずっとおまえのそばにいたなにかかも知れねえ。なにか漠然とした意識とか意思のようなもので､ずっとおまえを見ていたのかも知れない。そうしておまえが苦しんでいるのを見て､助けてやりたいと思ったのかも知れねえだろ？　――そうだな、きっとおまえに惹きつけられたんだ。存在とは呼べないモノだった‘俺’が、おまえに惹きつけられて初めて意識を持った。だからおまえが苦しい目にあっているのを見ていたくはなかった。どうにかして、俺の力で守ってやりたかった。だから‘俺’はおまえの意思なんか無関係に､強引にその体や意識を奪って同化したんだ。おまえの意識を一時的に眠らせて､俺が俺自身によっておまえを守るために」 「――」 「だから､空･･･」 　彼の瞳がふっと細められた。 　いとおしげに自分を見つめてくる視線に、空の心が震える。 　そのしなやかな腕を伸ばされて、顔に触れられたとき、空は彼から目を離せなくなった。 「おまえが俺に押しつけたわけじゃねえよ。おまえが､逃げ出したわけじゃない。俺が勝手にしたことであって、おまえが俺に謝る理由も悪いと思う理由もどこにもねえ。･･･わかるな？　むしろ、自分の意識を奪って勝手なことしやがってって､おまえが俺を恨むべきだろう？」 「むちゃくちゃ言うなよ､夜っ。オレが､おまえを恨めるわけないだろ。むしろずっと感謝して･･･っ」 「ああ、だからそれもうざってえからやめろ。俺がいるから助かったとか､俺のおかげで今の自分があるとか､俺はおまえの口からそんな言葉が聞きてえわけじゃねえよ。そりゃあな、空が俺に感謝をささげて、その気持ちを体で表したいっていう気持ちもわからないわけじゃねえよ？　守られたこの体と意識を俺の好きにしてもいいっておまえが思うのも無理ねえことだけどよ。ただとりあえずそんな気持ちで体開かれても、うざってえだけだしな」 　唇を歪めてニヤリとした笑みを浮かべて彼が言う。 　そのあからさまな言葉の数々に､空が途端に赤面した。 「ざけんなよ、夜っ。誰がンなこと思うかよっ!!」 「そうか？　全身でおまえ、俺に身も心もささげてますって表してんじゃん」 「そんなんじゃねえよっ!!　そんな、ふざけた気持ちで考えちゃいねえよ。･･･オレは、そんなふうに夜のことを軽く考えちゃいない･･･」 「――強情だな･･･」 　彼の手に自分の頬に触れることを許したまま､空が視線をそらした。 　そんな空の言動に、思わず彼が苦笑する。 　故意に茶化してみせたのだが、それでも空は本気で怒らず、自分に‘感謝’しているというのだ。 　そんなふうに、自分に気をつかうことはないのに。 　いっそ、他人行儀でよそよそしいとさえ思う。もう何年もそばにいたのに。 「オレが自分で夜を作り出してすべてを押しつけたわけじゃないとしても、オレがおまえにずっと迷惑をかけてきたのは事実だろ。オレは、もう自分自身のことから逃げたくねえよ。全部をおまえに負担してもらうなんてこと、もうしたくねえんだ。なにもできないガキじゃないんだからオレだって一人で立ちてえよ。 ――もう一方的に守られるだけなのはいやだ」 「･･･それはもう俺がいらないってことか？」 　ぽつりと。 　真っ黒い空間に彼の声が響いた。 　空は心の底から慌てる。 「夜!!　違う、そうじゃないっ!!」 「そうだな、もう消えたほうがいいのかもな。もともと俺が好き勝手に奪ってきた意識と体、ちゃんと空に返す時期がきたのかもな。そんなふうにいっぱしのことを言うようじゃ、俺なんかもうお役ごめんてことだよな」 「夜!!　オレの言葉ちゃんと聞けよっ!!　そうじゃなくってオレはただ――･･･っ」 　空の言葉が途中で止められた。優しく押し当てられた彼の、唇によって。 　優しくて、そして冷たい。 　そんな彼らしいくちづけを一つ残して。 　すうっと、目の前の姿が消えていった。 「――夜っ!!」 　空はすぐさまあたりを見回した。 　薄い霧がかかった真っ黒い空間。ふわふわした足元と、包み込むような優しい空気。 　いつも彼と会っている自分の、‘心の中’。 「夜っ!!　ふざけんなよっ。てめえ、人の心読めるんだろ!?　だったらオレがそんなこと考えているわけじゃないってわかるはずだろっ。夜!!」 　空は必死で呼びかけるが、彼からの返事はなかった。 　なにもない空間に、一人、取り残されたような感覚に襲われる。 「隠れてないで、出てこいよっ」 　叫んで、空は闇の中をがむしゃらに走り出した。 　足元が不確かで、何度もつまづきながらも、必死の面持ちでその存在を追い求める。 　必要ないわけじゃない。もういらないわけじゃない。 　そうじゃなくて、ただ一方的に守られるのがいやだっただけだ。 　いつもいつも自分の苦しいことを引き受けて、それでも笑ってる、そんな彼がもう見たくなかっただけだ――。 「ちっきしょ･･･ざけんなよ、夜･･･っ」 　息が苦しくなって空が足を止めたとき、荒い息にまじってそんな言葉がこぼれた。そこにあるのは噛み殺した嗚咽の響き。 　そうして空は､自分の腕で自分自身を抱きしめる。 　胸の中にある孤独を少しでも紛らわすために。 　･･･腕を通して伝わる自分の鼓動は、きっと、彼のものとつながってる。 　そうして鼓動を感じ取ると、彼の存在をますます強く欲した。 　そばにいてほしい。そばにいて、ちゃんと抱きしめて――。 「･･････」　 　空は呼吸を整えた。そして胸に手を当てて、鼓動を読みとる。 　目を閉じてその鼓動に自分の神経を集中させ、感覚を乗せた。 　とくん、とくん･･･という規則正しい鼓動と意識を同調させると、そこにかぶさる別の感覚の気配を感じた。 　がむしゃらに追い求めるのではなく、目を閉じて探れば自ずとその存在が感じ取れる。 　けして遠く離れてはいない。いつもそばにいて、いつも自分を見つめてくれているのだから。 「･･･っざけんなよっ。こんなのは違うって、わかるだろ夜っ！！！」 　読みとった感覚をたよりに、空は歩を進めた。 　そうして目の前のなにもない空間に確信を込めて腕を伸ばし、そこにあるものを強く抱き寄せる。 　ぎゅっと強く抱きしめて、その広い胸に顔をうずめた。 　空に抱きしめられて、そこにある存在が、だんだん姿をあらわす。 　大きな手が無言で空の髪に触れ、優しく撫でた。 「人のことからかって楽しいのかよっ!?　おまえ、ほんとサイッテーだよなっ」 「･･･俺がいると、またおまえの体使って好き勝手するぜ。おまえの意識を奪って、俺がしたいように動くときもある。それでもいいのか？　これまでもおまえが寝ている間にいろんなことをしてきたんだぜ」 「そんなの勝手にしろよっ。これはおまえの体でもあるんだし、本当に好きに使いたいのならオレの意識を完全に奪うことだっておまえだったらできんだろっ！」 　彼の服の胸元を掴んだまま空が叫ぶ。 　彼の右手が、今度は空の頬を滑り耳に触れ、そうして首筋を撫でた。 　自分にしがみついている存在をいとおしむように目を細めて、彼は呟く。 「俺はおまえの全部を乗っ取りたいって思ったことは一度もねーよ。おまえという存在がいて、その上でともにありたいと願っただけだ。ただそばで守れればそれでいいのさ」 「･･･オレは、ずっと一人だった。一人だと、思ってきた。それが当たり前のことだし全然平気だった｡でも今は夜のことを知ってしまったんだ。オレは一人じゃないって。･･･ちきしょう、ほんとにおまえ最低だよ。オレのこと、こんなに･･･」 　‘弱くしやがって･･･’ 　彼に届くか届かないかの吐息まじりのかすかな声で、空が呟く。 　ずっと誰かを求めていたのかもしれない。本当は子供のころから、もっと身近な存在を欲していたのかもしれない。 　そんな想いがこうして自分に彼という存在を与えてくれたのなら、空は自分を包むすべてのものに深い感謝をささげたくなる。 　――願ったのははたしてどちらだったのか。 　でももうそんなこと、どうでもよかった。 　彼にとっても､空にとっても。今は、なんの意味もなさない。 「でも、ずっと守られるのはいやなんだ。夜にばかり苦しい思いをさせたくない。オレは自分のことをちゃんと自分でけりをつけられるようになりたいんだ。そうしておまえに甘えないで一人で立って、その上でおまえが悩んでたり苦しんでいるときにオレも支えてやりたいんだ」 ｢つっても俺の悩みなんかねえからなあ。せいぜいどんなふうにおまえを愉しませるかとか、もっと素直で従順にさせるにはどうすればいいかってことだけだな」 　彼の左手がふと動いて､空の腰を撫でた。 　空は顔を上げて、彼を睨みつける。 「夜っ！　人が真面目に言ってんのに茶化すんじゃねえよっ！！」 「おまえの、その気持ちだけ受け取ってやるよ」 　彼の唇が空の額に触れた。それから頬に移っていく。場所を変えて、空は幾度も彼にくちづけられた。 　そうして最後には互いの唇を重ねる。 　舌を侵入させてきた彼に臆することなく、空も自ら積極的に舌を絡めた。 　頬を撫で、腰や脇を撫で上げていく彼の両手に、自然と空の気持ちも煽られていく。 「で、離れねえの？」 　陶然としたくちづけが終わったとき、彼はからかうように空に言った。 　くちづけが終わっても、空はまだ彼にしがみついたままだった。彼の方は別に空を引き止める仕草はなにもしていないのだが､空のほうが体を合わせたまま離れようとはしなかった。 「うるせー！　いいからほっとけよっ」 　空は顔を赤くして叫ぶ。彼に絡みついた腕を引き離せない理由を、空は自分でよくわかっていた。 　頭ではもう大丈夫だとわかっていても、体が。 　このまま離れたらまた彼が消えてしまいそうな気がして､とてつもなく怖いのだ。 　もう､あんなのはいやだった。 　空のその様子を眺めて、彼がくっくっくっと笑う。 「なんだよっ！」 「こんな殊勝な姿が見られるなら、たまには‘かくれんぼ’もいいかもな」 「夜っ！　てめえ､人のことをからかうつもりであんなことしたのかよっ！」 「別にからかったつもりはねえよ。ただあのままおまえの前から姿を隠すのもいいかと思っただけさ。 ――いつの間にか、泣いているだけの子供じゃなくなったんだな。本当に強くなったよおまえ。空がもう俺を必要としていないのなら、それはそれでかまわねえと思った。それでも俺はおまえのそばにいてずっと見守っているのには変わりがねえからな。ただこうして顔を合わせて話せないだけだ」 「ようやく会えて話ができるようになったのに、そんなのは許さねえからな！！」 　キッとした強いまなざしで。 　空が彼を睨みつける。 　その強気な表情に、彼は改めて空に惹きつけられた。 　本当に､際限なく愛しい。 「･･･空」 　ふ、っと笑み浮かべて、彼が空を呼んだ。 「なんだよっ」 「抱いてほしいって言ってみな」 「――っ」 「それとも現実に帰してやろうか？　このまま」 　ふふんと鼻で笑う彼に､空の体の中が怒りで熱くなる。 「ああ、もう帰るよっ！」 「強がるなよ」 「強がってねえよっ」 　空が、腕をといて彼から離れようとする。が､そんな空の背中を彼が撫で上げた。 　それだけで先ほどのキスで煽られていた体が甘く反応する。 「んっ･･･」 「ほら、もうその気になってんじゃん。言えよ空。俺がいなくてさみしかったって。だから体で俺の存在を確かめたいって」 「よせ･･･もう触るなよ。･･･あっ･･･」 「そう言いながら全然逃げてねえぜ、今のおまえ。俺にたっぷりとされてえって待ってるくせに」 「･････っ」 　背中だけでなく様々なところを優しく撫でられると､ますます体が追いつめられていく。実際､今の自分が本当にいやがっていないことなど､空自身が熟知していた。 　彼の手を､気持ちいいと思う。触られただけで快感につながる。 　ちゃんと愛しまれているのがわかるから。 「ほら･･･我慢してねえで言ってみろよ･･･。言ったら楽になれるぜ？　‘抱・い・て・ほ・し・い’、だろ？　空･･･？」 　空の耳元で、彼が低く笑いながら囁く。 　耳をくすぐる吐息さえ、空の体を蕩けさせた。 「い、やだ･･･。ぜって･･･言わね･･･ん、んっ･･･っ」 「ほんとにおまえってさあ･･･。そういうところ、すっげえイイぜ、空」 　そう言った彼が片手を空自身に触れさせた。 　ズボンの上からするりと撫で上げたあと、そのままファスナーを下ろして手を侵入させ、すでに反応しかけている空自身を引き出す。 　彼の手に包まれてしごかれると､たちまち空の中にこれまで以上の快感が生まれた。 「あっ･･･」 「くく･･･もうしっかり濡れてんじゃん。先っぽ､とろとろだぜ？　ほら､粘ついて､俺の指に絡んできてる。音､聞かせてやろうか？」 「･･･っ･･･はっ･･･」 「こっちも､触ってほしそうだよな」 　彼のもう一方の手が空の腹部から服の中に滑り込み､胸を探り出す。 　彼なら簡単に自分を裸にさせることもできるのに､そんなふうに焦らしたやり方をするところに、空は彼の悪意を感じた。肌にこすれる布の感触でさえ､今の空にはたまらない刺激になる。 　だんだん足に力が入らなくなり､空は再び彼の背中に腕をまわしてしがみついた。 「気持ちいいだろ空？」 「んっ･･･あ、夜･･･っ」 「もっと声聞かせろよ。おまえのその声､ほんとにいい声してんだからさ」 　空自身に触れた彼の指は、空の弱い部分をじんわりと責め立てる。 　裏側を指の腹で撫でたかと思うと指先で押され､また先端のくびれの部分を､雫を故意に塗りこめるようにかき回された。 　いつの間にか服をたくし上げられて露にされた胸の飾りには、濡れた舌が這ってくる。 「あっ･･･ふぅん･･･っ」 「もう足がくがくじゃねえか､そろそろイきたくてたまんなくなってきたんだろ？　俺の手の中の‘空’、もう爆発寸前て感じだもんな。･･･イきてえか、空？」 「ん･･･っ･･･ンなの、言わな･･･」 「言葉よりも体の方が正直ってか？　イイぜ空、そういうの最高」 　胸に触れていた彼の手が空の背後に回った。ズボンの中からあっさりと奥に侵入し、奥まったところを指で刺激されるとたちまち空の体が慣れた快感を拾った。 「･･･ふっ･･･ん･･･夜･･･っ」 「――ところで空、キチクっていう言葉の意味知ってるか？」 「･･･え･･･？」 　彼の愛撫に朦朧としかけていた空の意識が、突然覚醒を促される。これまでと違う彼の声の調子に、空は疑問符を浮かべた。 「よ、る･･･？」 　心なしか、非常に愉しげに響く彼の声。 「俺は、おまえに言わせると鬼畜らしいよな。くくっ、おまえ、さすがに俺の気性よくわかってんじゃん」 「なに･･･？」 「鬼畜の言葉の意味、教えてやるよ」 　ニヤリと笑った彼が、すぐさま空から両手をひいた。 　これまで空自身を嬲っていた空の先走りで濡れている手を口元に運び、空に視線を送りながら指先を舐めとる。 　置き去りにされた空の中の熱が、それだけでまた熱くなった。 「･･･っ」 「空。おまえ、もう帰るって言ったよな」 「――っ。夜、まさかっ」 「いいぜ、‘このまま’帰してやるよ。空は俺に抱かれたくないらしいからさ」 「夜っ！」 　夜の意図が、見えた気がした。 　――‘このまま’。 　ぎりぎりまで煽られたこの体のままで。 　すぐに全裸にせずわざと服を脱がすやり方をしたのも、そんな意図があったからなのだ。 「ああ、そんな顔すんなよ。ちゃんと、俺もいるからさ。もうどこにも行ったり消えたりしねえから安心しろよ」 　彼の手が、空の頭をぽんぽんと叩いた。 　だけどその言葉と仕草で、空が安心できるわけがなかった。 　そばにいてくれることには安心できても、別の意味で。 「夜･･･っ」 「ちゃんとおまえと一緒にいてやるよ。――おまえが一人でヤるとこ、しっかり見ててやるからさ」 　トン、と､空の体が押された。 　そうして、空の体が浮遊感に包まれた。現実に帰るときの、幾度か体験した不思議な感覚が空を襲う。 　空の目の前が白光に包まれ、意識がスパークした。 「じゃあな､空。またあとでな」 　そう言った彼に向けて、意識を奪われる直前、空は思いっきり叫んでいた。 「夜、てめえっ、本当にサイッテー！！！」 　簡単に、人の心が読めるくせに。 　自分がとっくに彼に抱かれたがっていたことなど、もうとっくに気づいていたくせに。 　ただ、意地を張って口にしなかったのを口実にして。 「ちくしょう、てめえなんかだいっきれえだー！！！」 　空の叫びは、虚しく闇の中に吸い込まれたのだった。

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