「なんだよ、朝っぱらからオレを呼び出しやがってよ。てめえ、いきなり頭痛をしかけてくるんじゃねえよ」 この淡い霧がかかった薄闇の世界に呼び出されて、空がまず最初に行ったことは目の前にいる男に文句を言うことだった。 目覚めて朝だと認識した直後にひどい頭痛が起こり、唐突に呼び出されたのならそれも道理であろう。 寝起きで不機嫌というのも手伝って、空は自分よりいくらか年長――に見える――男を強く睨みつけた。 だが空の強い視線も、男には何の感銘も与えなかった。むしろ口元に空を馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。 「オレは、空のほうがオレに言いたいことがあるんじゃねえかと思って呼んだんだけどなぁ？」 「おまえに話なんてねえよ、別に」 「空。昨日は何の日だったか覚えてるか？」 「昨日？ ああ、あれだろ。バレンタインデーってやつ。でもオレにはそんなの関係ねーよ。別に誰からももらわなかったし･･･。もしかしてオレのこと、もてねえヤツって笑いたいのかよ」 男の言いたいことを推測して、さらに空の機嫌が悪くなる。 「もらってたじゃねえか、広夢や七海からさ」 「あんなのはしゃれだろ。本当の意味がこもっているわけじゃ･･･なんだよ、もしかして夜がオレにチョコでもくれるのかよ」 意外な思いつきに自分でも驚きながら、空が確かめた。 バレンタインと夜。チョコレートと夜。それらはなんとも奇妙な組み合わせなのだが、そうでなければ夜のこの話運びが納得できない気がした。 「逆だろ。空がオレに渡してえんだろ？」 「冗談だろ。別にそんなこと考えたこともねえし、なんの用意もしてねえよ。そりゃあ男として一つぐらいもらいたい気持ちはわかるけどよ･･･」 要するに夜は自分にチョコレートをせがんでいるわけだ。そうとわかり、空はなかばうんざりした。 夜も、なのだ。まさか夜が本気でチョコレートを食べたがるとは思えなかったが、男として多少なりともあのイベントには興味があったというわけだ。 もしかすると夜は単に自分の歓心を買いたいだけかもしれないが･･･。 そんなことを想像した空の耳に、するりと一つの名前が飛び込んできた。 夜の楽しげな声とともに。 「昨日、らんからはもらったぜ」 「じゃあそれでいいじゃねえかよっ！」 途端に大声で噛みつくように叫んでやる。 結局自分がなんにもしなくったって、夜にはちゃんと夜のことを気にかけてくれる相手がいるのだ。それも夜自身も破格に愛情を向けている相手が。 だったら自分が夜になにかをくれてやることも、意識を向けてやる必要もないと思えた。 二人で勝手に世界を作っていればいいのだ。 「･･･って、そういやあオレ夕べの記憶がねえけど････まさかまた勝手にオレの体を使ってたんじゃ･･･」 そういえば目覚めたとき、なぜか裸で寝ていたような気がする･･･そんなことを思い出した空の目の前で、夜がにやりと笑った。 「そりゃあな。もらうもんもらったら、ちゃんと礼はかえさねーといけねえだろ？」 「人の体勝手に使ってヤってんなよ！ とにかく、夕べお楽しみだったんなら別にオレのこと呼ぶ必要はねえだろ。早くオレを帰せよ。って、だから現実に戻せって言ってんのに、そこで抱きつくなよ夜！」 夜の手が空の腰に伸び、強い力で体を引き寄せられる。空は夜の腕から自由になろうと抵抗したが、夜の腕の力は緩まなかった。 相変わらず楽しげに笑っているだけなのに、難なく自分一人を抱き寄せてしまう夜の力が空にすれば恨めしかった。 「らんからもらったのに、空からもらってないんじゃ、不公平だろ？」 「不公平じゃねえよ。それにオレはなんの用意もしてねえって言っただろ」 「用意なんかいらねえさ。空の気持ちがあればな」 夜にそう問われて。 空は抵抗するのをやめて夜から顔を背けた。 「･･･気持ちなんてからっきしにねえよ･･･」 「ふうん？ どこらへんにねえのか、聞かせてもらおうじゃねえか。ん？」 「･･････っ」 耳にふうっと息をかけられて、空が身を竦める。その反応に気をよくして、夜は続けた。 空の耳元で低い声で囁く。 「昨日、おまえあの男にねだられてたよなあ？ それでもなんにも用意しねえで、渡さなかったよな？ あれは、あいつじゃなくて別のやつにあげたかったからだろ？ 少なくとも他の男には渡したくなかった･･･そうだろ、空？」 「違う･･･っうぬぼれてんじゃねえよ。男が男にチョコレートなんか用意すんのは変だろ？ オレはそう思ったから兄ちゃんにもあげなかっただけさ」 「でもあいつにあれだけねだられたら、普段のおまえならくれてやってたんじゃねえの。それでも依怙地になって渡してなかったよな。･･･正直になれよ、空。くだらないイベントに乗じてオレに会いにくるのはしゃくだったけど、かといって他のやつと過ごすのもいやだったんだって」 「誰がっ」 「くくく。空も大概損な性格だよなぁ？ 会いたいのに会いたいとは言えねえ、かまってほしいのにかまってほしいとは言えねえ。抱かれたいのに抱いてほしいなんて、言えねえ性格だもんな？ おまえがオレに会いに来たら、昨日はおまえがオレのことを独占できたんだぜ？」 「勝手に決めつけんなよ、夜！ 別にオレはそんなことを考えちゃいねーよ！」 夜から顔をそらしたまま、空が叫んだ。それを意に介することもなく、夜はさらに囁き続ける。 「おまえがオレのことを独占して･･･オレの頭の中、めーいっぱいおまえのことだけで占めさせることもできたのにな？ この体だって手だって口だって･･･おまえのものになったんだぜ空。おまえがもう少し素直になっていればな･･･」 空の腰を抱き寄せていた夜の手にかすかな力が加わった。耳元にあった唇が、空の耳朶のふちをゆるゆるとなぞりはじめる。 「･･･ゃっ･･･」 「昨日は惚れたやつにかまってもらいたい日、だろ。男だとか女だとか関係なくな。空は･･･本当はオレにかまってほしかったんだろ？ こんなふうに触れられて････かわいがってほしかったんだろ？ でも空のプライドが邪魔して損、したんだよな」 「ん･･･っ、よ、せよ、夜･･･っ」 シャツの下から滑り込んだ指先に、空の体が敏感に反応した。甘い甘い指先。それが辿るところはすべて、たちまち熱を帯びていくのだ。意識が蕩けていくさまを、空はもう何度も経験していた。 「告白、してみろよ空。ちゃんと、正直にさ。そうしたら一日遅れでも、ちゃんとその日のつもりでおまえのことだけを考えてやるぜ？」 「あっ、そ、じゃな･･･っ、･･･ぁっ･･･」 ついっと舌で耳の中をかきまわされて、空は自分の体を支えるように夜の背中に腕を回した。シャツの下の指先が空の、胸の引っかかりをかすめ、空の腰がかすかに揺らめく。 「違わないだろ、別に･･･なあ、空･･･？」 「違う、バ･･･バレンタインだから会いたいって思うのは違、だろ･･･っ。そんなんじゃなくて･･･ンなのなくったって、オレ、は･･･っ」 はたりと。夜の指先が止まった。 「･･･はあ･･･っ」 空の唇から一呼吸ついたような、甘い吐息がこぼれる。 「･･･ふうん･･･？ オレは、の続きは？」 「･･････なん、でもねーよ･･･っ」 自分が迂闊に口を滑らせたことに気づき、空は夜を突き放すような口調でそう言った。 夜の指先が、再び空の胸の引っ掛かりをかすめる。 「･･･っ･･･」 「言えよ、空。今の続きをさ。言わねーと、おまえがだんだんつらくなるだけだぜ？」 低く笑って、夜は今度はもう片方の手で空の後ろの双丘をズボン越しに撫でる。より敏感な双丘の割れ目を指先でくすぐった。 「･･････んんっ」 「ちゃんと言うまで、かわいがってやるのは中止な。ま、焦らされるほうがいいって言うんならそれも一興だけどな？」 「は、離せよ、夜。さっきからオレ、帰るって言･･･ひあっ」 さらに強く腰を引き寄せられて、空のそこに刺激が加わる。わずかにそこがこすれるように体を揺らされて、たまらないほどの快感が空の中に走った。 「今から帰ってどうすんだよ？ 自分ですんのか？」 「･･････」 ますます乱れた声が出そうになって、空は自分の顔を夜の肩口に押しつけた。夜の背中に回した手に力を込め、体内を走る熱い嵐をどうにかやり過ごそうとする。 実際、体は充分に煽られていた。あとは夜がその手でもっと直接的な刺激を送ってくれば、たちまち足から力が抜けただろう。 夜は自分にしがみつく腕の心地よさを知る。引き寄せた空のそこはしっかりと硬く張り詰めていて、夜を満足させた。 とりあえず妥協してやるくらいには。 声を殺そうとする空の仕草はなんともいえない風情で、夜はそれだけで空に及第点を与えることにした。その口で、解答を紡いでやる。 「そうだよな。トクベツな日じゃなくったって、空はいつだってオレに会いてえんだもんな？ トクベツな日だからサービスで付き合ってもらうなんていうのはいやなんだよな。理屈じゃねえ、時間も意味づけもいらねえ･･･だろ？ だから、なんにも用意なんかしねえし、会おうともしねえ･･･なるほどな。かいがいしいよなあ、おまえってさあ」 「･･･か、勝手に言ってろ･･･っ」 せめてもの虚勢を張ってそう言ってやると、シャツの下にもぐりこんでいた手が離れ、その手にあごを持ち上げられた。そうして目の前に自分と似た――けれど別の人格である男の顔が映る。 そう、この相手を求める気持ちに暦やイベントなんか関係ないのだ。そんな、形なんかいらない。 ただほしいだけで――。 無意識にそんなことを考えた空の耳に、愉悦に満ちた夜の声が聞こえた。夜の指先が、空の唇をなぞる。 「じゃあ、それをそのままこの口で言ってみろよ。そしたら･･･与えてやるぜ？ おまえに、オレをさ」 その自信ありげな表情と倣岸不遜な言い方が鼻についたが、空は、もうそのことは指摘しなかった。 心を読まれたのだとわかったけれど、そのことへの文句でもなく。 ただ夜の言葉に導かれるままに。 気がつくと空はその言葉を口にしていた。 「･･･オレ、夜が･･･欲･･････」 「･･･いいぜ。オレからのトクベツなプレゼントだ。――口、開けろよ」 「･･････」 「カタチなんて、もとからオレたちには関係ねーよな。もともと同じ入れ物に入ってるような、イレギュラーな存在なんだからさ」 そう言って夜は、かすかに開いて自分を待っているその唇に、自分の唇を重ねた。 |