独占欲 空が朝目覚めてみると、隣では直が眠っていた。 隣に――同じベッドの中に。 一瞬ぎょっとしたものの、夕べの記憶がないことを空は確認した。自分が直をベッドに連れ込んだ記憶も、勿論直に誘われた記憶もなかった。 朝が弱い直は、眩しいほどの朝の光の中でも、いまだ起きてくる気配はなかった。 空の瞳が布団から出ている直の肩やその首筋に向けられていることも、眠っている直は当然気づかない。 直の、白い肌に広がるいくつもの朱色。 ――夕べ。 夜は、らんを抱いたのだ。 釈然としない思いのまま、空はシャワー室に向かった。 休日の朝のシャワー室はがらがらで、誰もいなかった。空は服を脱ぐと個室の一つに入り、シャワーのコックをひねった。 頭から熱めの湯をかぶり、頭の中のもやもやした気分をどうにか追い払おうとする。 髪の中に手を入れ、わしゃわしゃと髪を洗った。 今シャワーを浴びているのは自分の体なのに、自分の体で湯の温度を感じていると実感できるのに、昨日この体は自分のものではなかったのだ。髪の中に残る汗も、体がべとつく不快感も、下半身に残る残滓も、自分にはまったく覚えのないものだった。 別に、昨日初めて夜に自分の体を使われたというわけではない。 これまでだって夜は幾度もこの体を使って奔放に振る舞ってきたのだ。この部屋でらんを抱いたのも、もう何度目のことだか忘れてしまうほどだった。 人の体を勝手に使うなと最初は文句も言っていたが、そのうち文句を言うことすら諦めてしまった。 諦めてしまったというよりは、文句を言う気が失せたのだ。それよりももっと心の中に広がる感情があるから。 「･･･ちきしょう･･･」 髪を洗いながら、空が呟く。 別の人間の肌の感覚が残っている体を自分の手で触れて洗う気にはなれなかったが、勿論洗わないわけにもいかなかった。 「最低･･･っ」 きっと、この声だってとうに聞いているのだろう。そうして悔しげな自分の表情を見て、今頃は愉しそうに笑っているに違いないのだ。 ――わかっている。 夕べのことを責める理由なんか自分にはないことなど。らんとの関係は自分のことよりもずっと前からで、互いに〝裏の人格〟という特別な立場ということで誰も入り込めないつながりがあることもよく知っている。 〝浮気〟だと、責めるいわれはないのだ。 けれど。 この体を使って別の人間を抱き、その事後処理を自分に押しつける。それは本当に最低なことだと思った。 こんなにまざまざと別の人間とのセックスの証拠を見せつけるなんて。 「人の体をなんだと･･･――人のことをなんだと思ってやがるんだよ、てめぇは･･･っ」 空は、シャワー室の壁に握りしめた拳を叩きつけた。 シャワーの湯にまぎれて、目から熱いものがこぼれてくる。 こんなのは冗談ではなかった。こんなにいらついて怒って、そして、哀しく思う自分は。 けれど。 自分でも、溢れてくるものを止めることなどできなかった。 「空。おまえがこっちに来るのは久しぶりだよな」 色の違う両方の瞳を細めて、夜が空に語りかける。その余裕に満ち満ちた表情を見ていたくなくて、空は顔をそらした。 ふわふわした、不安定な足元。周囲には淡い霧が立ち込めている、ここは夜のテリトリー。 空自身が来たいと思ったわけではなく、いつの間にか夜に呼び出されていたのだ。今は特に夜に会いたくはなかったのに。 「おやおや。かわいい態度取ってくれるじゃん」 一瞬で空の間近に移ってきた夜が、指で空の顎を持ち上げる。空はすぐさま夜の手から逃げた。 「触るなよっ」 「なんだよ、オレが夕べおまえの体を借りたことをまだ怒ってんのか？」 「･･････」 「今までだって、体を借りることぐらい何度もあっただろ。もう許せよ」 空が見なくても、夜の口元に笑みが浮かんでいることはわかっていた。夜は別に本気でそう思っているわけじゃないのだ。自分が夜を受け容れない理由などとっくに承知していて、わざとそんなふうに言ってくるのだ。 まるで自分の気持ちを弄ぶように。 「なあ、空」 「触るなって言ってんだろっ！」 再び触れようとしてきた夜の手を、今度は空は叩くようにして手で払いのけた。 いくら直接らんに触れた手は自分の手でも、この手の動きが別の人間を抱いたのは間違いないのだ。自分を抱いたときと同じような動きで。 「つれなくされるほうが燃えるって、もう空だって知ってんだろ？」 自分の手を拒否した空の手を、夜が捕らえた。そのまま指と指を絡ませながら自分のほうに引き寄せる。 「･･････っ」 空の手のひらに、夜の唇が落とされた。 夜から顔を背けていてその様子を視界に入れていないだけに、夜に舐められる感覚がダイレクトに空に伝わる。あたたかくて濡れたそれが、くすぐるようして空の手のひらを辿り、指の間に流れていった。 それだけで空の体の芯がぞくりと身震いした。 今の夜に触れてほしくなかった。出来ることなら徹底的に拒否してここから逃げ出したかった。けれど手はしっかりと夜に捕らえられ、どんなに感じたくないと思っていても、体は慣れた快感を拾ってしまう。このまま夜に抱かれてしまったら、夕べのことを安直にごまかされそうでいやなのに。 「くそ･･･っ。離せよ、夜」 「オレが今聞きたいのはそんな声じゃねぇなぁ」 そう言った夜が、今度は空の指を自分の口の中に取り込んだ。熱い粘膜の中に取り込まれた感覚に続いて、もう一方の夜の手が空の腕の内側をスーッと辿っていく感覚に襲われた。 「やっ、夜･･･っ」 気がつくと服はもうすべて消されていて、夜の目に全身がさらされていた。どんなに夜を拒絶しようとしても、反応しはじめた〝自身〟まで簡単に夜の目に捉えられる。ただ指と腕だけしか触れられていないのに、夜の巧みな愛撫に、体がこれ以上の甘さを期待しているのをいやでも知らされた。 「ほら。ちゃんとオレに、空のイイ顔を見せてみろよ」 空の指を口腔から解放した夜に、腰を引き寄せられた。そのまま脇を撫で上げられるだけで、ますます空の体が熱くなる。 「相変わらず敏感だよなあ、空。まだ全然触ってもいねえのに、もう元気に育ってんじゃん。･･･そんなにオレにかわいがられるのがイイのか？ ん･･･？」 「ンなわけねえだろっ」 引き寄せられて、耳元で囁かれて。舌で耳の形をなぞられると、心のどこかに、いまだ肝心なところに触ってくれない夜のことが恨めしくなる気持ちまでわいてきてしまうほどだった。 このまま流されたくないという思いもあるのに、もう本気で夜の腕から逃げられなくなっている。体が、夜の愛撫を待ってしまっていた。 自分一人だけを全裸にさせて、楽しんでいるような人間なのに。 「空･･･」 「ん･･･っ」 夜の手が空の顎を持ち上げた。空は無意識のうちに唇を開き夜のキスを受け容れる。唇から滑り込んでくる夜の舌に、たちまち空が従順に応えた。 目を閉じて自らもくちづけを堪能する。幾度も交わすくちづけに、空の意識が陶然とさせられていった。 夜に抱きしめられて、ますます空自身が高まっていく。 「なあ空･･･」 「なんだよ」 「おまえ、オレのこと好きだろ?」 「･･･だれがっ」 キスの余韻にひたっていた空が夜の質問の意味を理解したあと、すぐさま顔を背けるようにして答えた。だがさらに夜の唇が空の唇を奪った。 「素直になれよ、空。らんに、妬いてたんだろ？ それぐらいオレのこと好きだろ？」 「別に･･･」 もう夜から顔は背けずに、空はただ視線だけをさまよわせる。完全に否定したくとも、心の中の気持ちが空に嘘をつかせなかった。 「体の方はこんなに正直なのになぁ？」 低く笑って、夜は高まっている空自身に手を伸ばした。一瞬空の腰が引いたが、夜はかまわずに〝空〟を掴み、手で握りこんだ。 「･･･っ」 「ずっと触ってなかったのにこんなに濡れてるぜ？ そんなに触ってほしくて待ってたのかよ？」 夜の親指が〝空〟の先端ににじんでいた露を広げるように動いた。塗りこめるように押し広げ、故意に爪を立ててくる。 「ふっ･･･は、離せよ」 「そう言うなよ。昨日たっぷりとヌいたとはいえ、するのとされるのとじゃまた別だろ？」 「てめっ、本当にもうすんなよっ」 夜の言葉の裏側にあるものに気づいた空が、すぐに正気を取り戻して夜の腕の中で暴れはじめた。 だがたちまち重力が変化し、空は夜に押し倒されていた。背中に当たる柔らかい〝床〟の感覚。夜の手が空自身を扱きあげながら、体中を這い回っていく。 「今朝は体がすっきりしてただろ、空？ なにせ夕べはオレもたっぷりと吐き出したからな。確からんの口の中で一回だろう。それから･･･」 「夜っ！」 空が悲痛な声を上げる。だが夜はそれを笑みとともに無視した。 「あいつの中で絞り込まれて二･･･いや、三回はしたか。やっぱ腰使いはらんのほうが経験豊富だからなあ？」 空に夕べのことを聞かせながら、手だけは優しく空の体に触れていった。空は夜の愛撫を拒絶したいと思いつつも、その手の動きに追い上げられていく。夜の指に胸の粒をいじられて、下半身を巧みに責められると、夜を押しやろうとする手から力が抜けた。へその周辺を辿る夜の舌の動きにすら、空は感応して腰を揺らめかす。 「ち、きしょ･･･っ。てめえはほん、と、ん･･･っ最っ低なやつ、だよな･･･っ」 空の唇からこぼれる恨みの声も、ときおり喘ぎ声に乱れていった。 自分の手の動きに甘い声をこぼしながらも、どこか哀しげに自分を見返す空の表情を、夜は楽しげに見下ろした。 空の、きつく眉根を寄せたせつなそうな表情。それがたまらなく夜の心を刺激する。 これだからやめられないと、ひそかに夜は思う。こんなふうにやきもちを妬かせて、空の思考を自分のことでいっぱいにさせることが気持ちいい。体を手に入れるだけではなく、心までも自分のものだと知ることができる。 そう、もっともっと自分に夢中になって溺れればいい。 空の両足を押し広げ、夜は手の中の空自身に舌をひらめかせた。 先走りの雫で濡れた部分を念入りに責めると、手の中の空がますますひくついて体積を増していく。 「ん･･･夜･･･っ」 全面的に夜に抱かれることを受け容れたわけでなくても、もう空の体は快感から逃げられなかった。夜の体を押しやっていた手が、夜の髪をやわらかくかき回し、自分の中の快感を伝えていく。 もれてしまう声を抑えようと口に含んだ指は、その効果を果たせないまま空の唾液に濡れていった。 「はっ･･･あっ･･･」 「ほんとにいつもいい顔をするよなあ。空のそういう無意識で誘い上手なところはオレも嫌いじゃねえぜ」 一度空自身から口を離し、夜が改めて空の顔を見やった。昼間の元気で溌剌とした表情は見る影もなく、空はこんなふうに淫蕩にけぶる顔をしてみせるのだ。――自分の前でなら。 常に空に甘い言葉を囁いて、自分は永遠におまえのものだと空を安心させることは簡単だ。そうしていれば空がさらに自分に心を許してくることも知っている。 けれど、それでは悔しすぎるのだ。 空の周りには、常に他の人間がいる。そして空は周りの人間に大抵無邪気になついているのだ。憧れの存在として、親友として、幼なじみとして、相談相手として、後輩として。毎日他の人間と関わり、その笑顔を惜しみなく振りまいている少年。その少年を独占したいと思ったら、こんなふうに執拗にいじめて自分のものだと確認したくなるのだ。 「ふっ、ぅん･･･っ、夜･･･も、オレ･･･っ」 「おいおい。いくらなんでも堪え性がなさすぎるぜ空。どうせならもう少し意地を張り通してくれねえとつまんねえだろ」 濡れた唇から甘い声を漏らし、いくらか紅潮した空の表情に、夜は嗜虐心を煽られる。空のこんな顔は自分だけのものなのだ。自分が抱いたときだけに見せる顔。 夜は空の双丘に手を回し、空のその部分にも指を這わせた。空を達かせないようにと空自身を弄ぶ手には故意に力をいれる。空の体が自分でもどうしようもないほどに震えたのがわかった。 「こっちをおざなりにしたらかわいそうだと、自分でも思うだろ？」 「･･････っ」 「オレの感覚に同調してみろよ空。ほら、おまえのここがどんな状態かまでわかるようになるぜ？ 浅く息づいてて、オレの指をくわえたがってる」 中に入れずにそこを濡らしている空自身の露や自分の唾液をこすりつけるようにしてその周りをくすぐると、空の手が夜の髪を強く握りこんできた。羞恥心をかき乱されて、それでももっとしてほしいときの空のそのしぐさに、夜は自分の唇を舌で湿らせる。心の中ではいまだ夕べの仕打ちを恨んでいるだろうに、それでも求めずにはいられない空の気持ちを思うと、夜としては少々同情めいた気持ちまで浮かんできた。 「空･･･」 囁いて、手の中の空自身にくちづけを落とす。 「あっ、夜･･･っ」 「おまえもほんと、悪いオトコに捕まったもんだよな」 再び舌で空自身を責めると同時に、空の中に徐々に指を挿入させていく。しっとりと湿っていたそこは、簡単に慣れた感覚で指を取り込んでいった。 （無論、もう解放してやらねえけどな） いつか空の中に還る気も、消え去るつもりもない。空がいる限り、一生他の男にくれてやる気はなかった。 ――空の手が、夜の髪の一筋を引っ張った。夜が顔を上げると、空は視線を合わせなかったけれど。 「ンなの･･･てめえに言われなくっても、とうに自覚して･･･っ」 快感からくるものとは違う赤みが、空に頬にさしている。その表情を見て夜が愉悦に満ちた笑みを浮かべた。 「でも刺激があって楽しいだろ？」 「ざけんなっ･･･ふぁっ･･･あっ」 「本当はいじめられるのが好きなクセに無理すんなよ。安心しろよ、空。これからもたっぷりといじめてやるからよ。そう、なんせオレは鬼畜らしいからなあ？」 そう言って夜は空の中に埋め込んだ指を乱暴にかき回した。 「くぅ･･･っ。はぁ･･･ん、ン、夜･･･っ」 「いいぜ、達って。惚れた男の名前を言いながら達ってみろよ」 「･･･じゃ、てめえの、名、前だけは･･･ぜってぇ言わね･･･っ」 空の返事に、夜の笑みが深くなる。そのまま夜は空自身を口腔に取り込んだ。空に決定的な刺激を与えるように巧みに舌を絡めながら、空自身を支えている手もゆるく上下に動かしていく。また空の背後に回った指からは、ねばついた水音がいやらしく響いて空の耳朶をうった。 空の腰が揺らめき、自らも積極的に快感に導いていく。高まっていく意識の中で、空の脳裏には一つの名前しか浮かんでこなかった。 やがて襲いくる快感に煽られて、空はその名前とともに自分の欲望を吐き出した。 「だから、誤解すんなよなっ。あんときオレ、夜のバカって言おうとしたんだからなっ」 「くくく･･･ま、そういうことにしてやってもいいけどなあ？」 空の胸や空自身を後ろから嬲りながら、夜が笑いながら言った。一度空を快感に導いたあと、今度は体勢を変えて二人は肌を密着させていた。ようやく全裸になった座っている夜の膝に空がのって、夜に背中を預けている。前に座っている空を、夜は後ろから弄んでいた。 「･･･ちきしょう。オレは夜の口から言い訳も悪かったの一言もなんにも聞いてねえぜ。一言の弁解もなしかよ･･･」 夜に身を任せながらも、拗ねた口ぶりで空が呟く。 「別に悪かったなんてこれっぽっちも思ってねえしなあ？ やめる気なんてさらさらねえし。自分の立場、錯覚してんじゃねえのか空？」 「･･････っ」 故意にそんな言い回しを使ってやると、空が悔しそうに唇を噛みしめていた。だからと言ってフォローしてやる気はさらさらなかった。 もっと自分に夢中になればいいのだ。自分が、空に夢中になっているように。 「それよりそろそろこっちも楽しませろよ」 「･･････っ」 夜が空の腰を持ち上げると、夜自身の高ぶりが空の双丘にあたった。 空が一瞬息を呑む気配が伝わってきたが、それでも空は体を離そうとはしなかった。 （ほんとに悪いオトコにつかまったものだよな･･･オレもさ） こんなに、なにからなにまでいとおしい存在が腕の中にいるなんて。 もう逃げようと思っても離れようと思っても、きっと、永遠にかなわないのだ。 そんなことを考えながら、夜は再び空の体をいとおしみはじめていった。 終 |