繋がり１

「幸せ」から続いている話の一つです。師匠の気持ちは「いつかふたたび」から変わっていません

　繋がり

「師匠、今度一日お休みをくださいっ！！」
　その日の仕事が終わった途端、花は勢い込んで孔明に言った。
　仕事中から花がなにか言いたそうにしていることに気づいた孔明は、その内容にいささか拍子抜けした気分を味わった。ずっと落ち着かなげにしているから、もっと大事かと思っていたのだ。
「……なんだ」
「え？　なんですか？」
「いや、どうして、って言ったんだよ。どうして休みがほしいの。働きすぎて疲れた？」
「違います。そうじゃなくて、あの、たまには街に買い物に出てみたいなーとか……」
　花が少しだけ視線をそらして言った。
「あとはおいしいものを食べたり、いろいろ楽しみたいなー…とか」
「うーん」
「お願いしますっ！」
「まあ、このごろ頑張ってくれてるし、たまにはいいかな。じゃあ明日休みをあげるよ。芙蓉殿とでも買い物を楽しんでおいで」
「え？」
　孔明の言葉に花がきょとんとした顔を見せる。孔明自身も、花のその表情に疑問を抱いた。
「？　だから買い物。行きたいんだろ？」
「あ、芙蓉姫とは出かけませんよ。それはまた別のときにします」
「じゃあ一人で行く気なのー？　それは許可できないなあ」
「えっと、そうじゃなくて、お休みくださいってあの、し、師匠も一緒に……」
「……ボク？」
「はい。師匠とまた同じ日に休みたいんです。そしてあの、一緒に街に行って買い物とか、おいしいものを食べたりまたしたいなーって……」
　そう言っている花の頬が赤く染まっている。懸命に、自分から一緒に街に行きたいと誘っているのだ。孔明は以前花と行なった視察のことを思い出した。おそらく花の頭の中にも同じものが浮かんでいることだろう。
「だ、だめですか？」
　不安そうな顔でこちらを上目遣いで見つめてくる花に対して、孔明は考える素振りをした。
「ボクはいろいろやることがあって忙しいしねえ……」
「それはわかってます。でも一日だけ、どうかお願いします！　師匠がお休みできるように私も手伝いを頑張りますから！」
「休む前も休んだあとも大変だよ？」
「それでも一生懸命頑張りますから！　いっぱいいっぱいこき使ってもかまいませんから！　だから師匠お願いしますっ！」
「じゃあたっぷりとこき使わせてもらおうかな。君が自分から言い出したんだしね」
　くすくすと楽しげに笑いながら孔明が言った。孔明のその様子に返事を確信できたのか、こき使われると言われても花の顔が明るく輝く。
「それじゃあ師匠!?」
「実際仕事はたくさんあるんだから明日は無理だよ。そうだね、三日…四日後かな。四日後ならいいよ」
「ありがとうございます！！」
「弟子の君がそんなに懸命に望んだ休みだし、師匠のボクとしても休みをあげるのにやぶさかでないよ。……君がボクと一緒にいたくて望んでくれた休みだしね」
　まだ赤いままの花の頬に、孔明が手を滑らすようにして触れた。花がますます顔を赤らめる。
「師、匠……」
「誘ってくれて嬉しいよ花。四日後、ボクも楽しみにしてるからね」
　そう言って、孔明は手で触れてない方の花の頬に、軽く唇を押し当てた。
「！」
　くちづけされたことに気づいた花が、びくっと体を揺らす。そのまま孔明は花の耳元に唇をずらすと、息を吹き込むようにして甘く囁いた。
「じゃあ今日はやっぱりもう少し頑張ろうか」
「……え」
　花が一瞬なにを言われたのか理解できないでいると、花の耳元から唇を離した孔明が、花の正面でにっこりと笑顔を見せた。
「今度の休みのために。お互いもうちょっと仕事を片付けておくしかないだろ」
「――」
　本来今日の仕事はもう終わりだが。一度は、あとはまた明日とこの孔明に言われたのだが。
　それでも自分が言い出して休みをもらったために、そして一生懸命頑張ると言ったのだから、勿論ここでいやとは言えなかった。
「はい、わかりました」
「いやならボクはいいんだよー？」
「いやじゃないです。だって、本当に師匠とお出かけできるのなら、そのためにならいくらだって頑張ります。不眠不休でも頑張れますよっ！」
「不眠不休って、さすがにそこまではしないよ…。それじゃあ当日倒れて、本末転倒になっちゃうだろ。――ボクもボク自身の楽しみのために頑張るからさ、一緒に頑張ろう」
「はいっ！」
　孔明の言葉に、花は元気よく答えた。

　約束の日までは慌しかったが、急な仕事もどうにかこなして無事に四日後、二人揃って休みを取ることができた。朝会ったときも、一緒に城門をくぐるときも、花は終始にこにこして、思わず孔明が「この前以上に嬉しそうだね」と聞いてしまったほどだった。それに対しても花は笑顔で答える。
「そりゃあ、勿論ですよ！　だってこの日をすごく楽しみにしていたんですから！　また師匠と一緒に街を歩けるというのが嬉しいですし、前のときも楽しかったけどあのときは視察ってことでしたから、最初からこんなにわくわくしてはいなかったんです。今日は本当に思いっきり楽しみましょうね！　あ、勿論視察を兼ねてもいいんですけど、今日はあくまでもそっちの方がついでで！」
「まあいいけど…」
　孔明の返事にさらに花が笑う。本当に笑顔を絶やさない花に、孔明もこれから過ごす時間にさらに期待を高めた。
「それじゃあ花」
　花に向けて孔明が手を差し出す。
「また手をつなぐ？」
「――い、いいんですか!?」
「君がつなぎたいなら」
　そう言うと花が頬を染めながらふにゃあと嬉しそうに笑った。
「つなぎたいです」
「じゃあほら」
　孔明は花から少し顔をそらした。ただ手をつなぐことだけにそんなに笑み崩れられて、自分の理性が揺らぐのを自覚する。この時間はまだ始まっておらず、最初からこんな状態ではあとが保たないと思ったため、あえて花を見ずに手だけ伸ばす。
「はい！」
　花はそれには気づかず、そっと孔明の手に自分の手を重ねた。見ていない分自分の手に柔らかい手が重ねられた感触がはっきりと伝わり、孔明は内心で己の失敗を悟った。その柔らかさを普段はあえて意識しないようにしているのだが。
「えへへ……嬉しいです」
「これぐらいでそんなに嬉しい？」
「嬉しいですよ！　……あ、師匠はそうでもないんですか？」
　花が孔明の顔を心配そうに窺う。孔明は一つ息をつくと、覚悟を決めた。もう今日はどうあがいても無駄そうだから、こうなったら徹底的に浸ってしまおうと。
「ボクだって勿論嬉しいよ」
　降参とばかりに花に笑みを向ける。花はほっとした表情を見せた。
「ならよかったです」
「でも、そうだね。じゃあ今日はこの前とちょっと違うことをしようか」
「え…？　――！」
　孔明がつないでいた手の指を組み替えた。いわゆる“恋人つなぎ”に花は顔を真っ赤にして動揺を見せる。
「今日はこれで。ね？」
「…し、師匠……」
「孔明さん。今日は視察じゃないんだろ」
「はい、孔明さん」
　そう返事を返して、花はつないだ手に力を込めた。

　それから二人は手をつないだまま、街を自由気ままに回った。露天をのぞいたり、香ばしい匂いのする食べ物を味わったりした。花は孔明と一緒に街を歩くこと自体が嬉しいらしく、ほとんど目的という目的はなかった。ただ一つ花が行きたいと望んだところは、前に行った甘味屋だった。
「あそこにまた連れてってください」
「そんなに気に入った？　まあ、あのときすごく幸せそうな顔してたしねえ君」
「えっと、確かにおいしかったんですけど、それだけじゃなくて……もう一度、師匠と一緒にあの甘味を食べたいんです。あの、ちゃんと半分にわけて」
「……」
「この前もわけて食べましたけど、あのときはなんか偶然というか、話の流れでという感じだったので、今度はちゃんと、二人でそれを目的にして食べたいんです」
「……」
「……だめですか？」
　恋人同士で半分ずつにして食べるとずっと一緒にいられるという甘味――それを食べたいと花に言われて、孔明はあのときの自分の複雑な気持ちを思い出した。花を帰すと決めておきながら、花にその甘味を勧められてつい食べてしまった自分の矛盾した気持ちを。別れを決心していたのに、ずっと一緒にもいたいと願ってしまった本音。
「いいよ。君が食べたいのなら」
「……」
「またあそこに行ってみよう。あそこへは、どの道が近いかな」
　あたりを見回しながら孔明が花の手を引くが、花はその場に足を止めて動かなかった。
「花？」
「……私一人が食べたいって思うだけだったらいいです」
「――」
「甘いものそんなに好きじゃないのはわかってますけど、それでも孔明さんが一緒に食べたいって思ってくれなかったら、意味が、ないんです」
「花……」
「この前は偶然でも話の流れでも一緒に食べられて嬉しかったですけど、今日は孔明さんにも私と半分ずつ食べたいって思ってほしいんです。そういう意味で……だめ、ですか？」
　あれほど満開だった少女の笑顔を曇らせているのが自分だということに、孔明は内心で己の不甲斐なさに嫌悪を抱く。ずっと笑っていてほしい、幸せでいてほしいと思いながらも、どこかで少女に不安を抱かせている。その根本にあるものを孔明は自覚しており、それを変える意思がないことも自分でよくわかっていた。それでもやはり、笑っていてほしいと願うのだ。ずるい願いだと知りながら。
「この前だって、君とわけて食べたいと思っていたよ」
「……え？」
「君は何故ボクがあそこの店について知っていて、何故それを君に話したか、その理由を知らないだろ。ただの弟子との視察に、人気のある甘味屋で売っているものがどういうものか以外の情報が必要だと思う？　恋人同士で半分ずつにして食べるとずっと一緒にいられる――そんなのはボクの願望だよ」
「――」
「自分から誘う勇気はないくせに、君があの店に気づき、そういう流れになればいいとは思っていた。もしあれがボクが苦手なくらい甘いものだったとしても、君に言われたら食べていたよ。あのときボクがなにを思って食べていたかなんて君は知らないだろ」
「孔、明さん……」
「だから花、ボクも君と半分にわけて食べたいよ。今日もね」
「はい。じゃあ早速行きましょう！」
「あ、花。あの店は逆方向だよ」
「す、すみません」
　再び笑顔を浮かべるようになった花に、孔明は安堵する。花に伝えたことは本音で、あのときも今もずっと一緒にいたい気持ちは変わらなかった。ただあのときも今も、それでも手を離すべきときには自分は彼女のために手を離すというだけなのだ。そこに矛盾はあっても嘘はない。ただ幾許かの罪悪感は感じていたが。
　――二人でこの前の店に行き、行列に並んで一つの甘味を手に入れる。それから半分ずつ食べることにした。
「この前みたく、私が先にいただきますね」
「まあ、それでもいいけど」
「なんですか？　孔明さん、先に食べます？」
「違うよ。ほら花、あそこの二人」
「え？」
　孔明が指し示したのは少し離れたところにいる恋人同士らしき男女だった。今まで同じ行列に並んでいたものか、同じ甘味を持っている。そしてそれを二人で食べていた。
「――！」
　その二人は交互に同じ甘味を食べあっていた。それも持っている彼女の手に男が手を重ね、顔を近づけんばかりに食べていた。声は聞こえないが、甘い会話が聞こえてきそうな雰囲気だった。
「あ、二人で一緒に食べはじめた。残り少ないのにねえ」
「し、師匠！　じっくり見過ぎですっ！」
「……花。恋人同士で分け合うってときに師匠はないだろ」
「あっ、すみません。ど、動揺しちゃってっ」
「人の行為に動揺する前にまずは自分のことだよね。で、どうする？　今の、ボクたちもしてみる？」
「いっ!?　そ、そこまではいいです。ふ、普通で！」
「んー、今日は仕事を忘れて徹底的に浸るって決めちゃったしなあ。気がつかなかったらまだしも、気がついちゃったからにはやらないとね。ほら、こんな機会滅多にないし、普段は絶対できないだろ」
「それはそうですけど、恥ずかしすぎます」
「いまさらなに言ってるの。今日のボクたちはとことん甘いいちゃいちゃの恋人同士だろ？」
「そんなふうに言った覚えはありません……。て、孔明さん距離が近いですっ」
「さっきの二人はもっと近かったよ。じゃあボクから食べるよ」
「……」
　花が手に持っている甘味を自分の方に引き寄せ――それはまさに先程の二人がしていた持ち方だった――孔明が一口食べる。
「ん、この前と同じでちょうどいい甘さだね。ほら花の番だよ」
「……うう…」
　花は怖くて周りの様子が見られなかった。今自分たちはどう思われているのだろう。こんなに近くにいて恋人同士以外の関係には見えないだろうが、二人だけの世界の恋人同士……いわゆるバカップルに見られているようで落ち着かなかった。
「はーな」
「……」
　孔明に促されて甘味にかじりつく。ほのかな甘さは感じたものの、この前より味がよくわからなかった。
　すぐさま孔明も食べて、さらにまた食べるように促される。
「…………孔明さん、極端です……」
「え？」
「ちょうどいい加減ていうのを覚えてください。心臓に悪い距離か、心臓に痛い距離しかくれないんですもの。中間がいいです……」
「……いつも心臓に悪い距離を踏み込んでくる子がなにを言ってるんだか」
「は？」
「いいから食べなさい。ほら」
「……」
　二人で交互に食べ合ううちに、当然のことながら甘味がだんだん減ってきて小さくなる。先程の二人は最後にはキスをしてしまったので、それを思うと花はギリギリまで食べる気にはならなかった。恥ずかしすぎて眩暈を起こしそうになる。
「も、いいです。酸欠おこしそうです。残りは孔明さんが全部食べてください！」
「君から食べたいと言ったくせに途中で投げ出すのー？　まだ半分に達してないよ、これじゃあ」
「もうほとんど半分だから大丈夫です！　もうこれで孔明さんとずっと一緒にいられます！」
「うん」
　笑いながら、孔明が残りを食べきる。花は、改めて孔明の表情をまじまじと見つめた。
「……なに？」
「……これで、二回も半分こで食べたんですよね」
「そうだね。それがなに？」
「ああ、よかった、と思って」
「……」
「おまじないはあくまでおまじないですけど、それでもちゃんともう一回孔明さんと食べたいっていう願いがかなったんだなあっていまさら実感してきて。今回は味はちょっとわからなかったですけど……でも嬉しいです。ありがとうございます！」
「そんな礼を言われるほどのことでもないよ」
「でもこうして一緒のお休みをとってくれましたし、今一緒にいてくれてますし。やっぱりすごく嬉しくて、孔明さんにお礼を言いたくなるんです」
「だからさあ」
「えっ!?」
　孔明は片腕でぐいっと花を抱き寄せた。道の片隅とはいえ、抱き合う形となる。
「こ、こ、孔明さん!?　ここっ」
「だから、同じ気持ちなのに片方だけ礼を言うなんておかしくない？　それを言うならボクだって、君に誘われて嬉しかったよ。……ありがとう」
　そう言って花の額に自分の額をこつんと当てる。
「孔明さん……」
「さて、もう少し時間はあるし、他のところにも行ってみようか」
「はいっ！」
　そして二人は再び手をつないで歩き出した。

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