街の中を気ままに歩きながらたわいのない話をする。そうするうちにだんだんと時間は過ぎていった。日が少しずつ傾いてきてから、孔明がふと思いついた質問を花に向けた。 「君の国では、恋人同士はどんなことをするの？」 「やっぱりこういうふうに街を一緒に歩いて買い物したり、おいしいものを食べたり、遊べるところに行ったりしますよ。あとお弁当を持って緑の多いところに出かけたりします」 「ふーん。出かけることが多いんだ？」 「そうとも限りませんけど。仲良くなればお互いの部屋でゆっくり話をすることもあるだろうし、あと学生なら学校……勉強するために通っているところでも、授業のあとゆっくり過ごしたりしますよ」 「えー、勉強の場でー？」 「ええっと基本は勉強しますけど、それだけじゃない場所ですから」 「こんなふうに手をつないでゆっくり話？」 「手だけじゃないですよ。腕を組んだりもします」 「腕？」 「はい。こんなふうに！」 花は歩きながら孔明の手をはずし、その腕に自分の腕を絡めてぎゅっとくっついた。そのあとで孔明の表情を窺う。 「なるほど……」 いささか驚いたようなその表情に、花は悪戯が成功したような気分になった。 「あと肩を組んだりもしますね」 「肩？ こういうふうに？」 花がくっついていた腕をするりと抜き、孔明がその腕を花の肩に回して引き寄せた。 「！ そ、そうです……」 花が孔明の顔を見ると、今度は逆に孔明がしてやったりというふうに笑みを浮かべていた。 「んー、でもボクと花なら、やっぱりこれかな」 孔明が腕を下ろし、再び花の手に指を絡めた。花もその意図を察し、同様に指を絡める。再びしっかりと手をつないでから、「そうですね」と返事を返した。 「あとは、恋人同士はよくロマンチックなところに行ったりしますね」 「ろまんちっく？」 「ええと、景色のいい静かなところで二人きりで過ごすってことです。たとえば夜景とか、すごく見晴らしのいいところとか、海とか湖とか」 「ああ、そういうこと。確かにそれはこっちでもあるけど今は……」 「？ 孔明さん？」 「ここは街中だからね、そういうのとは程遠い場所だなと思ってさ。にぎやか過ぎて二人きりになれそうもないし」 「ふふ、そうですね。でも周りにたくさんの人がいても、こうして二人で歩いていたら二人きりのようなものですよ」 「ああでも、あそこなら…」 「……え？」 「花、こっち。そろそろ日も暮れてくるし、急ぐよ」 「こ、孔明さん!?」 強い力で方向転換されて、花は慌てる。そのまま引っ張られるようにして、孔明についていった。 ――孔明が花を連れてきたところは、大通りから少しはずれた細い路地だった。人通りがない寂しい道で、大通りの喧騒もほとんど聞こえなかった。そして路地の先に、傾いてきた夕日が見えた。花たちのいる場所にまっすぐにその柔らかな光を届けてくる。 「わあ……。ここは夕日がすごくよく見えるんですね」 「今の時期、今の時間はね。なかなかいい場所だろ？」 「そうですね。すごく静かですし、確かにここはゆっくり過ごしたいときにはいい場所ですね」 「まあ日も暮れてくるから、そうそうゆっくりもしてられないんだけどね」 「……」 花は路地の先にある夕日をじっと見つめた。あたりにはオレンジ色の光が広がっている。物静かな、二人きりの場所。夕焼けの中にいる自分たち。 花はつないでいる孔明の手を意識しながら、夕日を見つめたまま口を開いた。 「私……夕日を見ているとすごく悲しい気持ちになるんです。だから、本当はあんまりこの時間が好きじゃないんです」 「……どうして？ 一日が終わってしまうから？」 「違います。……夕日のある風景を見ていると、どうしてもあのときを思い出してしまうんです……」 花は隣に立つ孔明を一度見上げ、再び夕日に視線を戻した。 「この夕焼け色の空が、もしかしたら私にとってここで見る最後の風景だったかもしれないんです。そのことを考えたら無性に悲しくてせつなくて……怖くて。この風景をちゃんと見ていられなくなるんです。日が沈んで夜になって、ようやく私はほっとするんです。ちゃんとここで夜を迎えられてることに安心するんです…」 「――もしかしてボクのことを遠回しに責めてる？」 「遠回しじゃなく責めてますよ」 花は孔明を見つめた。そしてはっきりと自分の気持ちを伝える。 「孔明さん、もうあんなことはしないでください。今ここで、約束してください。昔、亮くんと私が約束したように、今度は孔明さんと私とで新しい約束をしてください。……私の気持ちを無視して勝手に帰さないで……」 「――」 どこか泣きそうな様子でそう言う花の表情から、孔明は目をそらせなかった。花の瞳の中に強い気持ちがある。孔明の偽りを見逃さないとばかりのまなざしから、逃れることはできなかった。 ――ただ。 （それは、君が望んだらそれにはあてはまらないってことだよね） 孔明は心の内でそんなことを思う。彼女が帰りたいと望んだら。そのときに帰すことはその約束に相当しない。 無論、それは今口にすることではないが。 「わかりましたか？」 「……そもそも、前提となる手段がもうないんじゃなかったっけ。あの本が消えたからもう帰れない。君はそう言ってたよね？」 「言いましたよ」 「だったらいまさら約束なんてしなくても。仮定の話に約束なんかしても無意味じゃないのかなー」 「それでも。それでも、です孔明さん」 「……花…」 「約束、してください」 あのとき。花の本を持ち出して花を元の世界に勝手に帰そうとしたことを、孔明は今も後悔はしていない。無論花を悲しませたことにはすまない気持ちもあるが、あんなことをしなければよかったとは今でも思っていない。おそらく花はそれを薄々察しているのかもしれなかった。だからどこか不安を感じている気持ちが“約束”を求めさせる。 そしてそれは杞憂ではないのだから。 「孔明さん」 「わかったよ」 「じゃあ約束ですよ」 「うん」 「……よかった」 花がしみじみと呟き、安堵の笑みを見せた。そして花は、夕焼け空に視線を移した。その姿を茜色の柔らかな光が包み込む。 「私が孔明さんと一緒にまた街を歩きたかったのは、前のときの思い出を確かなものにしたかったからなんです。あのときも孔明さんと一緒に街を歩いてとても楽しかったんですけど、あのときは視察が目的でしたし、さっきの甘味屋ではなんか流れのままに半分に分けて食べただけでしたし。そんな曖昧なものじゃなくて、ちゃんと、お互いの気持ちを確認した上でもう一度一緒に楽しみたかったんです。それにあのとき――孔明さんはひそかに本を持っていたんですものね。私が楽しいと感じているときにも孔明さんの手の中にはあの本があって、あのときの孔明さんは、城中まで二人で帰ってくるつもりは全然なかったんですものね。だから私は、今度こそ二人で帰ってくることが前提の上で孔明さんと一緒に街を楽しみたかったんです」 「――」 花が空から孔明に視線を移す。やはりその表情はどこか泣きそうだと孔明は思った。 「今日は、初めから孔明さんも二人で帰ってくるつもりでしたよね」 「うん…。勿論」 「この手を離すことなく、一緒に帰れるんですよね」 花が繋いだままの手を持ち上げて言い、孔明がその手に力を込めた。 「もう一人で帰る気なんかないよ」 「さっきの約束、絶対に忘れないでくださいね」 「……忘れないよ」 孔明の言葉に、花はもう一度繋いだ手を見つめた。 本当にこの手をずっと繋いでいてほしいと思う。ほどくことなく、永遠に。もう二度とあんなふうに自分の気持ちを確認せずに切り離されたくはなかった。 繋いだ手を見ていたら、この繋がりが、自分たちの約束のしるしのように思えた。 物理的に一生手をほどかないのは無理だが、心の繋がりとして。 大事な、新しい約束のしるし。 花は無意識に繋いだままの手を自分のほうに引き寄せた。そしてゆっくりと眼を閉じ、持ち上げた繋いだ手に――孔明の指にそっと唇を押し当てた。 「――っ花」 「……え？」 呼びかけられてきょとんとする。目の前には繋いだままの手。そして孔明を見ると、なぜか苦笑していた。 「え？ あれ…？ 今、私……!?」 「まったく……いきなり心臓に悪いことしないでくれる？」 「えっ、え!?」 そういえば、なんだかキスをしたような気がする。深く考えもせずに、繋いだ手に。 繋いだままの手が約束のしるしだと思ったら、この繋がりを大事にしたいという気持ちがあふれてきて。 「ええと、この繋いだ手が約束のしるしなんだなって思ったら……な、なんとなく…」 「なんとなくって君ねえ」 「す、すみません…」 「まあ謝ることはないけど。ただ約束を忘れないためっていうなら、場所が違うんじゃないの？」 「え？」 「どうせなら手じゃなくてさあ……」 孔明を見ていた花の視界が翳った。 ――思えば一度目も二度目のときも、心の準備もなしにいきなり、だった。 でも、三度目の今は。 花はドキドキしながら眼を閉じた。 そしてその花の唇に孔明の唇が重なる。 「――」 一度目のときのような激しいものではなかったが、二度目のときの一瞬だけのくちづけでもなかった。 手を繋ぎあったまま、互いの気持ちの上で。 約束のあとにくちづけるなんて、まるで誓いのキスのようだと花は思った。 夕日がだんだんと沈み、あたりには夕焼けから夜の気配が近づいてくる。そんな中二人は帰るべく急ぎ足で歩いていた。勿論手はしっかりと繋いだまま。 「時間、ぎりぎりになりますね」 「まあね」 「急いで帰らないとみんなを心配させちゃいますよね」 「それは大丈夫。あらかじめ少し遅くなるかもって伝えてあるから」 「そうなんですか？」 「貴重な二人一緒の休みだし、帰りがたくなる可能性もあったからね」 「そんな、帰りたくないなんて駄々をこねたりしませんよ」 「違うよ。ボクがだよ」 「――」 当然のことのようにあっさりと言われて、花が押し黙る。 「どうしたの？」 「……孔明さん」 「なに？」 「大好きです！」 思いきり気持ちを込めて満開の笑顔で言った花に。 「知ってるよ」 これまたあっさりと孔明は笑って答えたのだった。 終 |