囚われ身の怪盗（前） 「ちっくしょ〜〜〜っ！ あのちびどもめっ」 倉庫の中いっぱいに、少年の叫び声が広がる。 「ふっざけんなよっ。いくらなんでもここまですることねえだろ!? ガキだと思って甘い顔していればつけあがりやがって〜」 少年は今、たいそう憤慨していた。その対象者は、少年をこんな状況に追いつめた子供たちである。愛らしい顔立ちと無邪気な笑顔。鈴を転がすような笑い声は軽やかで、その小さい体に水色のスモッグはとても似合っていた。一人一人は個性的だけれども、同じスモッグを身にまとい同じ靴を履き、そして同じ行動をとられるともう区別はつかなくなる。 少年にすれば子供たちは水色の悪魔にも見えたかもしれない。 『きゃあ〜っ！ やったやった！！ どろぼーつーかまえたっと！』 『どろぼうじゃないぞ。かいとーって言うんだぞ。ほら、コナンにも出てきたじゃん』 『えー。キッドみたくかっこよくないよ。だってこんな変なのつけてんだぜ。こいつ、うさぎどろぼーだ、うさぎどろぼーだ』 『うーさぎどろぼー。うーさぎどろぼー！！』 『うふふ。あたしたちで泥棒捕まえちゃったねっ。あたしたちすごいよねっ。ねえ、かおり先生に教えてこようか』 『その前にどろぼーが逃げちゃうかもしんないだろ。ドロボーはちゃんとケイムショってところに入れておかないといけないんだぞ。パパが言ってたもん』 『あおば幼稚園けーさつのケイムショはここでいいじゃん。ここ真っ暗だしさ。あ、あそこの縄跳びでこいつ縛っちゃおうぜ』 『ぐるぐるぐるぐる〜〜〜♪』 『やりぃ！ なあなあ、こいつの仲間も捕まったかなあ？』 『あっちの黒いのも赤いのもなかなかつかまんないみたいだぜ。やっぱうさぎどろぼーはバカなんだ』 『あ、かおり先生が呼んでるよ。もうお弁当の時間だって。ねえいこいこ』 本気で抵抗すればどうにかなったのかもしれないが、やはり腕力に訴えて泣かせるのは気が引けた。少年のそういう戸惑いや配慮を意に介さず、子供たちは子供特有の残酷さで、さっさとことを進める。たかが子供のすることだからという甘さもあったし、その迫力に押されたというのもある。気がついたとき少年は「刑務所」である倉庫に閉じ込められ、あまつさえ手足や体を縄跳びでぐるぐる巻きにされていたのだった。 「くっそー、好き勝手言って好き勝手しやがって。なにがウサギ泥棒だ。オレだって好きでこんなかっこうしているんじゃねえや。大体こんな『仕事』を持ち込んだ４１６がいけないんだぞ。なんだってあんなかわいげのないガキどもに付き合わなきゃならねえんだよっ」 少年の舌鋒はとまらない。少年は今、少々一般的とは言い難い格好をしていた。長手袋を腕にはめ、体のラインが明らかなぴっちりとした服にロングブーツ。これだけならまだ大目に見ることもできようが、その上に目元を覆うアイマスクや時代がかったマントを身につけているのだ。まさに一昔前の「怪盗風」である。 そしてさらに、少年の形のよい双丘に位置するように調節された、服についている丸いふさふさの尻尾と、頭につけられた白くて長いウサギ耳。どう見てもそれはかなり異様な雰囲気を醸し出していた。少年の姿を称して子供たちが「ウサギ泥棒」と命名したのは、確かに的確だったかもしれない。 少年のその格好はけして似合っていないわけではなく、むしろ似合っているからこそ倒錯した雰囲気が漂っていた。 跳び箱やマットや玉入れのかごなどが無言でひしめく暗い倉庫。子供たちが閉め忘れた入り口からは一筋だけ明かりが差し込み、少年の体を浮き上がらせている。腕と足と体と、至るところで少年の体を拘束している縄跳び。 身じろぎしてもなかなか縄跳びはほどけず、それだけに汗ばんだ顔が妙になまめかしく映る。年齢と少年の言動には不似合いなほどの艶っぽさが、そこにはあった。 少年は今はある人間に師事を仰ぎ、特訓とも、仕事の手伝いともいう形でその人間にくっついていろいろなところをまわっていた。今日訪れた「あおば幼稚園」もその一つで、子供たちの前にこの姿で現れ、子供たちを捕まえてくすぐったり、子供たちから颯爽と逃げたりと、要するにしばらくの間怪盗になりきって子供たちと遊ぶことがその仕事内容だった。少年はそのとき「怪盗８４８」と名乗り、一緒に仕事をする「怪盗４１６」や「怪盗７７３」とともに、子供たちの人気者になるはず、だったのだ。 しかし現実のままならないこの状況に、少年は歯噛みするしかない。 「ここって私立だからひねくれたガキばっか集まってんじゃねえの・・・？ オレがガキんときはもっと素直ないい子だった気がするぜ。やっぱ金があるうちのガキどもはろくでもねえ育ち方しかしねえんだ」 そんな偏見に満ちた言葉さえ、少年の唇からこぼれた。 最初のうちは少年ものりのりで、喜ぶ子供たちを追いかけたり逃げだりしていたのだが、途中子供たちが昨日のうちに仕掛けたという落とし穴に足をとられてからは、もう最悪だった。 悪者を捕まえたという喜びと興奮に満ち溢れた子供たちは、少年に対して遠慮なく叩いたり蹴ったり噛みついたりしてきたのだ。幼児といえども本気で叩かれるとけっこう痛いものであり、また数が違いすぎた。別の場所に逃げたらしい仲間たちに助けを求めることもできず、少年はこうして子供たちにいいように扱われてしまったのだった。 「そのうち４１６たち助けに来るよな〜。まあ閉じ込められたわけではないんだし、大声出しても聞こえるだろうしな。ちくしょー、この柱に結んであるのさえほどけりゃあ自分で出られるのによ。思いっきり固結びしやがって」 押しても引いても倉庫の柱にくくりつけられた縄はほどけない。また子供だからこそめちゃくちゃな、隙間のない縛り方をしてあるのだ。 「・・・・・・待てよ。もしかしてこの格好で４１６に見つかったら、オレ、けっこうやばかったりしないか？ ああっそうだよ、すっげぇやばいじゃんっ。ぜってぇあのオヤジ、笑いながらなにか仕掛けてくるに決まってんじゃんっ」 はたっとそのことに気づいた少年は、慌てて声を上げた。混乱のあまり、声を上げたことで４１６に見つかってしまう可能性も高くなるということは、すっかり考えていなかった。 「７、７７３〜〜〜っ！ オレ、ここにいるからっ。今変な倉庫の中に押し込められてんだよっ。７７３〜〜」 しばらく倉庫の中でわめき、４１６ではなくもう一人仲間に助けを求める。一人でこの事態を収拾できないことは悔しかったが、意地を張って４１６に先に見つかり、あのときみたいにいたずらされるのはごめんだった。 それに不思議と、もう一人の仲間なら甘えても悔しくはないのだ。それは『彼』特有のやわらかい雰囲気のおかげだろうか。 「う・・・。やっぱ中にこもるから声届かねえのかな。７、７７３〜〜〜っ！」 「――もしかしてその声、８４８ですか？」 少年が再度声を上げたとき、外から聞き慣れた声が忍び込んできた。少年はその声に顔を輝かせる。 「七・・・７７３〜〜〜ｖ」 「やっぱり８４８だったんですね。どうしたんですこんなところで？」 少年と色違いの似た服を身につけた青年が、この場に現れた。ウサギ耳こそないがやはり尻尾が同じようについている。少年と違って赤系統の色でまとめられているが、それはそれで愛らしい顔立ちのこの青年には似合っていた。彼は倉庫のドアを開けて中に入ると、すぐさまそばにあったスイッチに気づき、倉庫内を明るく照らす照明をつけた。 「う・・・見てのとおりだよ。かわいげのねえガキどもにいいようにされちゃってさ」 いくらか悔しそうに歯噛みして少年が告げる。７７３は、口元に指を当てて、まじまじと少年の様子を観察した。 計算も何もない強引な結び方をした縄跳びが、少年の体の自由を奪っている。倉庫内の支柱の一本にくくりつけられているせいで、少年はそこから抜け出すこともできなかったようだ。 「あ、７７３は大丈夫だったか!? あいつら、すっげえむちゃくちゃやるだろ!?」 囚われの身のくせに、少年は顔を上げて７７３に心配そうな顔を向ける。そんな少年に、７７３はくすりと微笑んだ。 「ええ、私のほうは大丈夫でしたよ。みんな優しい子たちばかりでしたから、抱きつかれたことはあってもいやなことはなにもされませんでした。ふふ。みんなかわいかったですよ」 「ああ、７７３はそうかもな。なんかわかる・・・。オレもあン中混じってたら、７７３には絶対手を出せなかったよ。むしろ誰かがなんかしようとしたら、守ってたかもな」 「そうですか？ ありがとうございます」 「４１６・・・も、聞くまでもなく大丈夫だったよな？ ４１６逃げるのうまいもんな。それもこうかっこよく逃げるから、キマってていいよな。マジでガキどもに憧れられるんだろうなあ。はあ・・・なんかオレばかりが情けねーのな・・・」 少年の口元から溜息がこぼれる。子供と遊ぶというだけの仕事でこんな失態をおかしているようじゃ、自分は本当にまだまだだと思えた。子供たちが生意気で遠慮がないというのもあるが、要は自分の力の問題なのだと痛感する。少年は自分の周りに集まってきた子供たちと、７７３や４１６を追いかけていた子供たちに特別な差があるとは思えなかった。おそらく、７７３たちならさっきの子供たちを前にしても、自分のような目にはあわなかったことだろう。 暗い表情を見せる少年の前にひざまづき、７７３は少年の頬に手を伸ばした。しっとりとした手袋の感触が、少年の頬をすべる。 「８４８は優しいだけですよ。本気で、抵抗できなかったんでしょう？ 少々自分がひどい目にあっても、あの子たちにつきあってあげたかったんでしょう？ 本気で振り払えば逃げられたのに、そうはしなかったんですから。ね、落ち込むことはないんですよ。体を張って自分たちをちゃんと正面から受け止めてくれる８４８のこと、子供たちはきっと大好きですから」 ７７３の声が少年の心に優しく染みとおっていく。先ほどの子供たちの様子を思い出すとそうは思えないのに、７７３の声を聞くとそうかな、とちらりと楽天的に考えられるようになった。 「ん・・・サンキュ、７７３。おかげで少しは気分が晴れたよ。そういうとこ、マジで七・・・７７３って、すげえと思う。ほんと、ありがとう」 かすかに息をついてから、少年が７７３に向かってほんのりと笑う。無防備で全面的な好意と信頼を向けた微笑み。 少年としては心の底から思った気持ちを、ちゃんと７７３に伝えたかったのだ。 だがその笑みが、一瞬７７３の動揺を誘った。 「――」 「さて。４１６も待っているしここから出ないと。とりあえず後ろの縄跳び、ほどいてくんねえ？」 「・・・４１６なら緊急に別の場所から呼び出しが来て、あとのことは私に任せてもう帰りましたよ」 「へ？ 緊急の呼び出しって、もしかして学校からとか？」 少年の質問には答えず、７７３は立ち上がった。立ち上がって少年に背を向け、そして。 ガッシャーンという、重い扉が閉まる音が倉庫内に響いた。 外からの空気が、完全に遮断されたのだ。 「７、７７３？ あ、もしかしてまたガキたち来て、何か仕掛けてこようとしてたのか!?」 好意的に解釈する少年の方を振り向き、７７３は優雅に微笑んでみせた。 「ここって、外に声が響かなさそうですよね。そしてしばらくは誰にも見つからない・・・」 「７７３？」 「大人を誘惑しちゃだめですよ８４８？ そんな格好をしているだけでもこちらの気持ちを煽っているのに、そんなふうにかわいい笑顔を見せたら、もう・・・困っちゃうでしょう？」 「かわいいのは７７３の方だろ。・・・でなくて、ちょ、ちょっと７７３!?」 浮かべた笑みを崩さないまま、７７３が少年に歩み寄る。 ブーツの音が、いやに甲高く響いた。 「あ・・・」 そうして少年の前に来た７７３は再び膝を落とし、少年の耳に、その指を絡めた。 「な、なにっ」 「あの子たちに、感謝しなくてはいけませんね。なかなかないシチュエーションを用意してくれたんですから」 「シチュエーションて・・・あっ、んっ・・・」 耳の中を指でゆっくりとかき回され、その一方でもう片方の耳の７７３の唇が寄せられた。故意に吹きかけられた７７３の吐息に、少年の体が敏感に反応した。 「――いつにもないシチュエーションだからこそ淫らになるってことを、８４８に教えてあげますよ」 少年の耳元で７７３はひっそりと、愉しげに囁いた。 |