囚われ身の怪盗４ （中） 立ち尽くしている空の体を押しのけて、七海はドアの鍵を閉めた。それから空を見ることなく、さっさと奥に移動していく。 保健室の奥のベッドの近くに来てから、ようやく空を振り返った。 「・・・どうしてそこに突っ立ったままなんですか？」 唇にかすかな笑みを浮かべて、七海が言った。 「・・・え？」 「私が羽柴くんを抱きたいのではなくて、羽柴くんが私に抱いてほしいんでしょう？ そこのところ、間違えないでくださいね。当然、自分で服を脱いでベッドに乗るくらいのことはしてくれますよね？ 私に、余計な手間をかけさせないでくださいね」 「・・・っ」 ベッドのそばで腕を組んだ七海が、言葉で空を促す。 〝余計な手間〟。 服を脱がせる行為すらも七海にとってわずらわしいことに他ならないのだ。そもそも、抱く行為そのものが面倒なことなのかもしれない。 そう思うと空はこのまま部屋を飛び出したい気持ちに駆られたが、結局、少年の足はベッドに向かった。 ベッドサイドで一度七海を見つめたあと、決心したように制服を脱ぎ始める。 上着を脱ぎ捨て、シャツも続けて脱いで肌をさらす。七海の視線を全身に感じながら、空の手はズボンのファスナーにかかった。しかしそこで、空の手が止まった。 ここは保健室なのだ。昼間の、蛍光灯が明るく室内を照らす部屋の、中。 すでに一度見られているとはいえ、そこですべてをさらけ出してしまうのは空としても抵抗があった。 体は熱くなっているけれど。 だからこそ余計に、感じはじめている自分自身を今の七海の前にさらしてしまうことにためらいが生じる。 手を止めたまま動けなくなった空の耳に、七海の溜息が聞こえた。 「羽柴くん、私も暇じゃないんですよ。余計な手間をかけさせないでくださいって言いましたよね？ 勿論羽柴くんがいやならいやで、私はかまわないんです。――出て行くか脱ぐかはっきりしてくださいね」 「・・・・・・っ」 冷ややかな声音でそう言われて、空はすぐにズボンのファスナーを下ろした。ホックをはずし、下着ごと一気にズボンを脱ぎ去る。そしてそのままベッドに腰掛けた。 自分の身体の一切を、空は隠そうとはしなかった。ただ、さすがに七海の顔をまともに見返すことも出来なかった。 すべてを見られているというだけで、余計に体の中が熱くなる。感応しはじめていた身体の中心にますます熱が集まってきた。 「ふふ。私に見られていると意識するだけで、羽柴くんの体は感じちゃっているようですね。しっかり頭をもたげはじめているじゃないですか。早く触ってほしいって、主張しているみたいですよ？」 「・・・な、七海ちゃんはっ、七海ちゃんは脱がないのかよっ」 七海の言葉に耐えられなくて、横を向いたまま空が叫んだ。七海からはすぐさま、「どうして？」との返事が返ってくる。 そうして少しだけ声をひそめて、七海は当たり前の理屈を口にするような口調で呟いた。その表情を見なくても、声には明らかな愉悦が含まれていた。 「片手間でやるセックスに服を脱ぐ必要はないでしょう？」 「――っ」 〝片手間〟。 それは、自分がねだるから仕方なく相手をしてやるという七海の意識がありありと表れている言葉だった。 ―― 貶められている。 空はそれを痛感した。いつもの七海の優しさなど、どこにも見出せなかった。 すぐに脱いだ服を身につけてこの部屋を飛び出せば、そんな屈辱など味あわないですむのだろう。そんなふうに言われるくらいならもういいと叫んで飛び出せば。 空の心が大きく揺れる。このまま七海に抱かれたら、どんな扱われ方をするのかは目に見えるような気がした。 この部屋を出て行って、しばらく七海を避ける。いつか再び顔を合わせたとき、七海はまた普通に笑いかけてくれるかもしれない。 他の人間と同じ笑顔で。 空は一度だけ目を閉じた。 以前ここを訪れたとき、七海は自分たちの身体のつながりをなかったことにしようとした。当たり前の笑顔で、日常的な風景を演出していたのだ。 けれど自分はそれがいやだと思ったからこそ、今ここにいるのではなかったか。他の人間と同等に扱われるくらいなら、どんな扱いを受けてもいいから七海と二人きりの時間がほしかった。再び肌を重ねたらもう自分たちはきっと以前の関係には戻れなくなる。そうなったら、あとはそのまま七海と特別なつながりを持ちながら進んでいくことになるのだ。たとえ、さらなる闇に突き進むことになっても。 それでも自分は、その道を選ぶのだ。 「･･･七海ちゃんの･･･や、りやすいように、すれば、いい・・・。ただし、服が汚れても、オレは･･･知らないからな」 目を開けた空が、床に視線を落として七海に告げる。 少年の言葉に、七海は少しだけ顔を歪めた。 出て行ってほしかった。そんなのは冗談ではないと自分を殴りつけてでも、ここを飛び出してほしかった。 酷い言葉を浴びせかけられているとわかっていて、どうしてそれでもなお、少年は快感を得ようとするのか。 何も知らなかった無垢な少年に性の快感を教えてしまった罰がこれなのだろうか。快感を覚えたての子供が単にさかっているだけで、少年にとって相手なんか誰でもいいのに。 ――この少年は今自分をかわいがってくれる相手なら、誰にでもねだって足を広げるのだ。それがどれほど残酷なことかを知らずに。 だったら、少年に。その身体で自分の罪深さを償ってもらうだけのことなのだ。 「羽柴くんので汚れる、っていうことですか？ そうですね。それは気をつけないといけませんよね。だって今の羽柴くんて、何回達するのか全然わかりませんものね。きっと何度も何度も気持ちよくなって、ここから吐き出すんでしょうね。この前も羽柴くんのここはひっきりなしにこぼしていましたものね」 「･･･そういう言葉だけじゃなくて、早く・・・ちゃんと、触ってよ七海ちゃん・・・っ」 「せっかちなんですね。それとも薬がまわってかなりつらいんですか？ だったら、羽柴くんが自分でしてくれてもいいんですよ？」 「自分ですんのなんか、いやだ･･･。七海ちゃんがいるんだから、オレ、七海ちゃんに、されたい・・・」 「いつも自分でしているから？ もう飽きてきました？ どうせなら人に触ってほしいんですか？ 確かに気持ちよさが全然違いますからね」 まだ一度も空の肌には触れず、七海がベッドのそばに立ったまま言葉で空を追い詰めていく。七海に見られているというだけで、これから触れてもらえるというだけで空の中の快感がさらに増してきた。 「暇じゃないっつったのは七海ちゃんだろ･･･!? それともオレじゃ･･･七海ちゃん、その気になんねーの？」 「そうだと言ったら羽柴くんは私に薬でもくれる気ですか？ それとも羽柴くんが、ちゃんと私をその気にさせてくれるんですか？」 少年の瞳に逡巡が浮かぶ。けれどそれは一瞬のことで。上気した顔で少年が呟く。 「･･････七海ちゃんが、そう望むのなら･･･。オレ・・・」 「――そこまでして欲しいんですか？ 本当に、呆れるくらいにあさましいんですね」 冷ややかにそう告げて七海は空に背を向けた。 「！ 七海ちゃんっ！」 七海は医療棚に向かう。ガラスの扉を引き開け、中にあるものを手に取った。 そうして改めて空を振り向く。 「この前縛られて普段とは違う服で感じてしまった羽柴くんなら、ここで私が普通に羽柴くんを抱くだけじゃきっと物足りないでしょう？ だから、羽柴くんがすごく気持ちよくなれるように私も協力してあげますからね」 手の中にある包帯を見せて、七海は優麗に微笑んでみせた。 「七海ちゃん・・・」 七海とは正反対に､空の表情がすうっと青ざめる。 この状況でそんなものを手に取った七海の意図など、明らかなように思えた。 ベッドまで戻ってきた七海を、空はなかば泣きそうなほど歪めた顔で見上げた。 肌に触れてほしいのは本当。 体の奥で、七海の熱を求める気持ちがある。 けれど。そういうやり方は、自分の気持ちが本当に一方的なものだと突きつけられるようで。空としてはいたたまれなかった。 なんでも受け入れる覚悟はしているつもりだけれど。 空のそんな表情が､七海の笑みをさらに深くさせた。 「勿論否やはありませんよね？ 羽柴くんから私に抱かれにきたんですから」 「オレに、協力、なんて建前で･･･ほんとは･･･七海ちゃんが、そ、ゆーの好きなだけだろ･･･っ」 体の中にどんどんあふれてくる熱を吐息として外に吐き出しながら、空が言った。 それに対して悪びれる様子もなく、七海が頷く。 「ふふ。そんなの当然でしょう、羽柴くん。ただその気になってあさましくおねだりしてくるコに普通に付き合っても、こっちにはなんの面白味もないじゃないですか。貴重な時間を割いてくだらないことに手間をかけさせられるのなら､それなりの楽しみがないとやってられないでしょう？ 普通に相手をしただけじゃ、本当にこっちだってその気になれませんから。――さ、羽柴くん、ベッドの上に横になって？ 両手は上に伸ばしておいてくださいね」 「・・・・・・っ」 まるで具合の悪い生徒に向かって言っているかのような優しい声で、七海が空を促す。 空は一瞬ためらったものの､諦めてベッドに仰向けになった。 今ならまだ、本当にいやなら七海を拒絶して逃げ出すことはできるだろう。七海はけして空を逃がすまいとはしていなかった。あくまでも空の気持ち一つで状況は変わるのだ。 「オレは･･･こういうの、好きじゃない､からな･･･っ。これから先､オレが･･･どんなに、か､感じたとしてもっ、それは、こういうやり方だからじゃなくて･･･っ」 ベッドに横になって指示されたとおりに空が両腕を伸ばすと、七海はベッドのパイプと空の手首を、持っていた包帯で巻きはじめた。やわらかい包帯の感触が幾度も手首を通り過ぎていく。 「･･･な、七海ちゃんに、七海ちゃんに触られるから感じるだけ、なんだから､なっ･･･」 「そんなふうに、前もって言い訳を口にしなくても大丈夫ですよ。今日の羽柴くんがみだれるのは、八割方薬のせいでしょう。なにを飲んだのかは知りませんけど､羽柴くん､よすぎて後悔しますよ。きっとこれからは、生半可な快感じゃ体が満足しなくなっちゃいますからね」 「違っ。薬､飲んでなくても、オレ、は･･･。あ、んん・・・っ」 「とりあえず足は広げられるように両手だけ拘束させてもらいましたから。あとで・・・もっと羽柴くんが気持ちよくなってきたら､こっちも我慢できるように縛っておきましょうね？」 「はっ・・・ふっ・・・ぅん・・・っ・・・」 七海の指が空の肌を滑っていく。ただ撫でられていくだけで空の中の快感が増し､無意識のうちに腰が揺らめいた。うつ伏せ状態なら自分で布団にこすりつけたくなっていたかも知れないが､今の体勢では七海の手を待つしかなかった。 「・・・な、なみちゃ・・・んんっ・・・ふぁ・・・っ」 自分の中で加速度を増して膨れ上がる強烈な快感に、空の思考が溶けていきそうになる。七海に何を伝えようとしていたのかも薄れ､肌を辿る七海の手だけに意識が奪われた。 「羽柴くん､一つだけ言っておきますけど､ここは学校なんですからね？ みだれるのもいいですけど､あまり大きい声を外にもらさないようにしてくださいね。もし廊下に聞こえるくらいの声を出したら、私､そのときは途中で出ていきますから」 「あっ･･･やっ･･･く･･････」 「そう。そんなふうに唇をかんで耐えてくださいね？ ふふ。今の表情、すごくよかったですよ。この前も思いましたけど、そうやって耐え忍んでいる姿って、羽柴くんて本当に似合うんですよね。本性が淫乱だとしても､羞恥心ぐらいは持っていないとつまらないですからね」 空が寝ているベッドに腰かけた七海が、そう言って薄く笑った。空の身体の感度が高い部分にはまだ触れずに、あくまでもなにもない肌だけを指で軽く触れていく。だからこそ薬で煽られている空の身体にはよけいにつらかった。 「な・・・ちゃ・・・も、焦らさ、な･･･んんっ･･･」 「誰も羽柴くんの意見なんて求めていないでしょう？ 自分の立場を勘違いしちゃだめですよ。私を強引に誘ったのは羽柴くんなんですからね」 「あ･･･っ」 指で、焦らされて。言葉で､煽られて。 それでも自分の肌に触れてくるのは、ずっと求めていた七海の手で。 耳から聞こえてくる声も、七海のやわらかな声で。 だから空は七海にこれからどんなことをされても後悔だけはしないという確信があった。 ずっと求めていた時間。 自分だけが知る優しい保健医の素顔。 快感がほしいわけではなく、その先に、あるものが。 自分に触れる相手が七海だからこそ､自分がこんなにも快楽に溺れてしまいそうになるのだということを空は自覚していた。 こんな形であっても､とにかく七海と特別なつながりがほしかったのだ。 他の人間と同じ扱いではなくて､自分だけを特別な位置に置いてほしかった。 たとえ身体だけのつながりだとしても､その間は七海を独占できるのだから――。 |