――啓太が目覚めると、和希はベッドから少し離れた窓際で本を読んでいた。
　外からの淡い光が和希の顔に深い陰影を与えている。和希が手にしているのはどうやら洋書のようで、その厚さといい、よくわからないタイトルといい、啓太には到底理解できそうにないものに思えた。
　辞書なども必要とせず、和希はよどみなく文字を目で追っているようだった。その姿をベッドから見つめながら、啓太は、本当は和希はこんなところにいていい人間ではないのだとの思いを抱いた。
　ベルリバティの理事長だった和希。自分の隣にいたときは普通の同級生に思えたが、本当はこんな難しそうな本もすらすら読めるほど、優秀な人間なのだろう。これまで一緒に勉強もしてきたし、互いの成績を教えあったりもしたが、きっとそのときは自分の本当の能力を隠していたに違いない。理事長はベル製薬の研究所の所長をも兼任していると聞いた。もしかするとベルリバティで最も優秀だと言われる西園寺にすらひけをとらないかもしれない。
　そんな和希が、こんなところにいていいわけはないのだ。社会から断絶して、こんな屋敷の中に居続けているなど。本来なら華々しい場所での輝かしい未来が待っている立場であり、そうできるだけの力を有しているだろうに。
　自分一人のために、こんなところにずっといていい人間ではない。
　勿論、和希が行動を起こさなければ、和希は今でも輝かしい道を歩いていたはずなのだが。それとも自分がＭＶＰ戦に負けて理事長としての立場を追いやってしまったから、和希を今の状況に追い込んでしまったのだろうか。
　和希にこの屋敷に連れてこられてから、もう幾日経ったかわからない。感覚的には一ヶ月ぐらい経っている気もするが、それが正しいのかどうか、啓太に確認するすべはなかった。和希に抱かれたあとは大抵寝てしまうから睡眠時間が曖昧で、食事も啓太の生活に合わせられているので、その回数は日数を計算する目安にはならなかった。
　ただ慣らされていく体と、蓄積されるここでの記憶が、啓太に時間の経過を感じさせた。
　以前は和希から与えられる食事は一切食べないとハンストしたこともあったが、いつか自分が行動を起こすために――和希の気持ちをかえさせるためには、ある程度は食事して健康な体と正常な思考を維持しなければならないと思うようになっていた。
　完全には忘れないけれど、同級生の和希と過ごした時間がだんだんと遠いもののように感じられる。そしてそれを上書きするように、今の和希とのやりとりの記憶が増えていく。これまでまったく知らなかった新しい和希の表情、言葉、考え方。それが本来の和希のものだとしたら――少なくともその一部であるとしたら――自分は今まで和希のなにを見てきたのだろうと思う。はたして自分は、和希の本当の友達といえたのどうか。和希は内心でずっと自分に失望し続けていたのかもしれないと思うと胸が痛んだ。
　以前見ていた和希の明るい笑顔を取り戻したいとは今でも思う。けれど啓太はそれとともに別の気持ちをも抱くようになっていた。もしもあのときの笑顔が和希の本当の笑顔でなかったとしたら。心の中にあるものを隠し通して表情を繕っていたとしたら。ならば和希の中にあるものをすべて知って、その上で和希の本当の笑顔が見たいと思った。たとえば今の和希がこの一連の出来事の記憶を失って元のように笑えるようになっても、それではまったく意味がないのだ。そうではなくて、今の和希が心の底から見せる笑顔を見たいと強く思った。
「――さっきから俺のことをじっと見ているようだけど」
　かすかに笑って本を閉じた和希が啓太のほうを見た。
「おはよう啓太。なに？　逃げる算段でも考えていた？　それとも……まだ足りなかった？」
　ソファに本を投げ出して和希が啓太が寝ているベッドサイドまでやってきた。ベッドに腰を下ろして啓太のほうに身をかがめる。啓太の頬に触れたあと、その手を啓太がかけている毛布の下に滑らせた。
「っ…そんなんじゃない」
「どうかな？　さっきは啓太、途中で意識を飛ばしちゃったようだし、実は中途半端で物足りなかったんじゃないのか。俺のほうは今からまた続きをしてもかまわないよ」
　そう言って、和希はさらに身をかがめ、啓太の首筋に口付けた。
「和希っ」
　和希の上半身の重みが啓太の体に加わる。慣れた重さ。慣らされた唇の感触。毛布にすべり込んだ手が所有物のように傲慢に肌を辿る。
「……っ」
　ただそれだけの動きで、熱が引いたはずの啓太の体が再び甘く反応する。
「ああ、やっぱり。啓太の体は正直だな。物足りない思いをさせてごめんな、啓太」
「和希…っ」
　啓太は和希を押し返そうとしたが、その腕は難なく無視され、和希に毛布を引きはがされた。先ほど和希に抱かれたばかりの体を見つめられたあと、和希の指が啓太の肌をたどる。そこに刻まれた赤い跡を一つ一つ確かめるように触れる指先だけで、啓太の息がだんだんと上がりはじめた。啓太の感じるところに特に集中して残され、夜毎抱かれ続けて、あとからあとから重ねてつけられたその印。
「……啓太の身体はもうすっかり俺のものだよな」
　事実を確認するかのように淡々とした声で和希が呟いた。そこに満足も喜びも感じられることなく。
　啓太は和希のその態度に反論せずにはいられなかった。
「…和希の都合のいいおもちゃになったっていうだけだろ。和希はそれで満足なのか」
「満足だよ」
　和希の口元にかすかな笑みが浮かぶ。以前にも似たやりとりをしたけれど、でも今の啓太には、和希は本当には満足できていないように思えた。和希の表情を見て、真に満たされているわけではないと思う。でなければ、ときおり遠くを見るまなざしなんかしない。
　和希が言葉でどう言っていようと、結局自分は、和希を満たすほどの存在じゃない。啓太にはそう感じられた。
「……和希は初めから、誰でもいいからこうする相手がほしかっただけじゃないのか。たまたま俺がそばにいたっていうだけで……痛っ」
　触れられていた肌に爪を立てられて、啓太は声を上げた。それでも和希の指から力が抜けることはなかった。
「……っ」
「ひどいな啓太は。俺の気持ちを疑うのか？」
　和希が爪を立てた啓太の肌から手を離す。
　そのあとでそこに唇を寄せた。
「俺は、こんなに啓太のことを思っているのに…」
　爪が食い込んで赤くなった跡に、和希は口づけしたあと執拗にそこを舐めた。
「……っ…」
　ひりひりした痛みの場所を舐められ、さらなる痛みと、それとともに和希の舌による感触に別の刺激が呼び起こされる。
「俺は誰でもいいわけじゃない。啓太がずっとほしかったんだよ。誰でもいいなんてそんなの――」
「……あっ…！」
　舐められたところに今度は歯を立てられた。噛まれた痛みのあと、再び舐められて。
「……っ」
　確かに痛いのに、その痛みさえ別の刺激を高めていく。啓太は無意識に自分の太ももをこすり合わせた。
「……元から誰でもよかったのなら、こんなことはしてないよ…」
　和希の手がはっきりとした意思をもって啓太の太ももをなぞり上げた。そのまま啓太自身を手で包み込む。
「……か、ずき…っ…ふっ…んんっ…っ」
　わずかに反応し始めていたそこに直接触れられ、啓太の身体が甘く反応しはじめる。和希の手に扱かれて、啓太の気持ちとは裏腹に、声がこぼれた。
　そのまま、和希に身を任せてしまえばよかった。わけがわからなくなるほど快感に流されてしまえば、なにも考えなくてすむ。
　けれど啓太は、快感に包まれながらも、和希に自分の考えをぶつけずにはいられなかった。
　満たされていない和希。どこか遠くを見るまなざし。それが示しているものは。
　そのうち和希だって、自分が今手にしているものがちっぽけで価値のないものだということに気づくのだろう。
「……こ、この時間に終わりがないって和希は言うけど……んっ…終わりは、来るんじゃないのか。――和希が、俺に飽きる形で」
「――」
「！！　あっ、ああっ……っ！」
　啓太自身の先端にぐりっと爪を立てられる。急に襲ってきた強烈な快感に、啓太の身体がびくびくと震えた。
「和希……っ！」
「啓太は俺を挑発しているんだな」
「あっ、違…っ、やっ、激し……っ」
「俺が啓太に飽きるのかどうか、その身体で試してみようか。啓太はまだまだ俺の知らない顔を隠してるから、俺が啓太に飽きることはないって、証明してあげるよ」
「――っ」
　啓太に向けて愉しげに笑みを浮かべて、和希は啓太の横になっているベッドに乗り上げた。



「やっ……やだ、和希…あっ…これ、いやぁ……っ」
　啓太の甘い声にまじり、部屋の中でかすかに響いている無機質な機械音。
「あっ…くっ…抜いて…んっ、いや……」
　啓太はシーツを握りしめ首を振って、自分の中の快感に耐えようとするが、機械は変わらずに啓太を苛み続ける。
　今、ベッドの上でうつぶせにされた啓太の中を苛んでいるのは、起動し続けている小ぶりのローターだった。リモコンのスイッチは和希の手の中にあり、啓太の様子を見ながらときおり強弱を切り替えられる。啓太が自分で抜こうとすればより激しく中を暴れまわるので、抜きたくても抜けないまま、啓太はこの無機物が与える快感に耐えるしかなかった。
「あっ、あん…っふぁ…っ」
「いやだとか言いながら気持ちよさそうだよ啓太。啓太のソコ縛ってなかったら、もう三回ぐらいはゆうにイってたんじゃないのか？」
「や…ぁん…っ…」
「こんなに悦んでくれるのなら、もっと早く使えばよかったかな。啓太のために用意したかいがあったよ」
「は…ぁ、かず、き…っ」
「啓太の中が気持ちいいから今までは使う機会がなかったけど、今度からはこれでも気持ち良くしてあげるよ。種類も、大きさも、いろいろ試してみような。……俺にもっともっといろんな啓太を見せて」
「……っ」
　優しい声でそう言い、笑みを見せていても、これが啓太への罰だということは啓太も自覚していた。和希は先ほどの啓太のあの発言を怒っているのだ。だからこんな玩具なんかで啓太を貶める。
　なんであんなことを言ってしまったのかという後悔が押し寄せるが、それでも本当にそう思ったのだ。こうしていても、いつか和希が自分に飽きるときがくると。自分は和希がずっとこだわり続けるような人間じゃないから。
「…ひゃっ、あっ、ああ……っ！」
　中に埋め込まれたローターの振動がまた激しくなった。
「考えごとをする余裕があるみたいだな。もうこれくらいのレベルには慣れて物足りなくなった？　もう少し強くしてみようか」
「やだっ、いやだ和希…あっ、や…っ…」
「いやじゃないだろ？　啓太の身体はすごく悦んでる。俺のよりもいい？　ちょっと妬けるかな」
「違…っ、こんなのはいやだ…っ。抜い、て…っ」
「抜くよりもイきたい方が先だろ？　素直におもちゃでイきたいからほどいてって言えばいいんだよ啓太」
「……っ」
　和希の言ったように挑発したわけじゃない。ただ、自分を所有したと言う割には、和希はどこか嬉しそうじゃないように思えた。
　言葉ではどう言おうと和希は本当には満足していないんじゃないのか。そしてその行く末には、和希は自分で後悔しそうな気がした。
　これだけの時間と労力をかけたところで、手に入れたものは実際にはちっぽけな価値しかなくて、その虚しさに気づいたとき、和希はもう自分を顧みないだろうと啓太は思った。
　自分がこだわるほどのものではないと気づいた和希が、一時しのぎの玩具であった啓太に危害を加えて‘片付ける’――とは、啓太は思わなかった。そんなことを恐れているわけじゃない。
　ただもう、自分のことなどどうでもよくなりそうで。
「あっ……もう、やだ…っ…いや、許して……っ」
　――解放されたいのに。
　和希から、いつ終わるともしれない生活から放してほしいのに、自分が無価値なものになり、和希が自分に背を向けるのを初めて怖いと感じた。
　自分のことなんかどうでもいいと突き放す和希を見たくないと思った。
　それは、和希を本当の意味で救うことにならないからだろうか。
　それとも。
　自分がただ捨てられるのが怖くて――。
「…和、希…っ。いやだ、これ…っ。和希が、和希のがい、い……っ」
「…啓太はこれでイきたくない？　ただほどいてほしいだけでなくて？」
「や……こんなの、やだ……っ。ひっ…和希のが…俺は、和希のが、ほしい……っ」
　自分が何を口にしているか深く考えられず、ただ泣きじゃくりながら浮かんだままの言葉を口にした。
「やめてほしいだけの言葉にしては、うまい言い回しだな、啓太」
　ふっと笑って、和希がローターのスイッチを切った。
　今まで自分を苛んでいたものが止まり、啓太が泣きながら息をつく。
　和希は啓太の側に寄ると、顎に手をかけてその顔を上げさせた。啓太の涙でぬれた顔を見つめて優しげに問う。
「もう一度言って啓太。俺が、なに？」
「……和希が、ほしいよ……。こんなのじゃ、なく、和希、が……」
「今日は啓太のおねだりの上手さに免じて、じゃあ俺をやるよ。おもちゃでイってもらうのは、今度の楽しみにする」
　そう言って和希は手にしていたリモコンを投げ捨てると、自分のズボンの前を開き、反応していた自分自身を取り出した。
「啓太。啓太は俺にとって一番価値のあるもので、俺が啓太に飽きることはないんだよ。啓太からすれば早く俺に飽きてほしいなんて思うのかもしれないけど、残念だったな」
「……」
「さあ、啓太。啓太が望んだ俺、だよ。ほら、充分味わうといい…」
　和希は自分の手でいくらかしごいてから、ローターを抜き、啓太の秘所に自分自身を触れさせた。これまでローターで無理やり振動させられていたそこが、和希に触れた途端ひくひくと痙攣する。
　そのものほしそうな様子に笑みを浮かべ、和希は一気に腰を進めた。
「――ああ……っ！」
「…どう、啓太。啓太はもうあんな小さいのじゃ満足できなかった？」
「んっ、んぁっ…あっ…っ」
「でも動きは物足りないかな。さすがにあんなに速く動けないしな」
「あっ、あっ…ふぁ…んっ……」
　啓太自身はいまだ紐で縛られたまま、解放を許されていない。そのまま、和希に腰を使われ、中をかき回される。和希に知り尽くされた、啓太のいいところを執拗に、何度も。
「…あっ、は…和希、イきたい…。もう、ほどいて……おねが……あっ、んんっ……」
「啓太。俺でイきたい？」
「んっ、はっ…和希で…かずきで、イきたい…っ！」
「――よく聞こえないよ啓太」
「……っ、か、和希でイきたい…イかして、和希……っ！」
　理性などとっくに溶けて、反抗する心が流されていく。これじゃいけないと心に引っ掛かりを覚えるのに、慣らされた快感が早く欲しくて。
「いいよ。俺も、啓太の中にたっぷり出させてもらうよ」
　そうして和希は紐で縛っていた啓太自身を解放するのとともに、自分も啓太の中に何度目かになる精を放った。