「啓太･･････」 和希が屋上に続くドアを開けると、柵に寄りかかって空を見上げていた啓太はもう逃げようとはしなかった。 ただ、すぐには和希を振り返ろうともしなかった。 「どうしたんだよ啓太、いきなり帰るなんて言い出してさ」 「･･･････」 「『頭の中を整理しないと、なにを言うか自分でもわからない』･･･啓太が俺に対してそんなふうに思っているんなら、なんでもいいから俺にぶつけてくれよ。遠慮なんかしないで、なにを言ってくれてもかまわないからさ」 「･･･････」 「啓太。そのままじゃ俺、啓太がなにを考えているのかわからないだろ。言い訳することも、謝ることもできない。第一、おまえが口を利いてくれないのは寂しすぎるよ啓太･･･」 「――寂しすぎるなんて、どの口が言うんだよ」 「啓太？」 「和希に、そんなことを言う権利があると思ってるのか？」 「権利･･･って･･･」 啓太は和希を振り返った。 眦をつりあげて、和希を睨みつける。 「だってそうだろ!? ずっとなにかを考えているのは和希のほうだろ!? なにを考えているのかわからないのは、和希のほうじゃないか！」 「啓太･･･」 「俺といたって他のこと考えてるし、俺のことをちゃんと見ていない。今俺を抱いたときだって、半分別のこと考えていただろ。そんなんで寂しいなんて、和希が言えるわけないだろっ!?」 「啓･･･」 「来るなよ！ 俺、和希に対してめちゃくちゃ怒ってるんだからなっ！ 和希がなにを言ってもいいって言ったんだから、そのまま全部言ってやるからな！ 俺はっ、考え事しながら適当にごまかされるみたいに抱かれたくなんかない。俺のこと感じさせればなにを考えててもいいなんて、そんなのいやだ。和希に作り笑いされて、和希に嘘つかれて、適当に抱かれて。そんなふうに簡単にごまかせるような人間だとおまえに思われていることがすごく悔しいっ！」 「――啓太･･･」 和希は、啓太の顔をじっと見つめた。今啓太は自分に対して怒っているが、その表情は今にも泣き出しそうなほどもろく見えた。 啓太がなにを指摘しているか、和希はすぐに理解した。ここのところ自分の頭の中を占めていた考え。確かに啓太といるときも常にその考えに縛られていたのだから。 ここで適当な言葉を口にして場をおさめようとは和希も思わなかった。啓太に突きつけられた言葉は事実で、本気で欺く気はなかったものの結果的にはそう変わりないのだから。 「啓太、ごめんな･･･」 呟くと、啓太の顔がいっそう歪んだように見えた。 「ごめん、啓太。啓太をごまかそうとしたわけじゃないけど、確かに今、おまえといるときに別のことを考えてたよ。それは認める。おまえのこと、本当には見ていなかったよな･･･」 「･･･和希には、俺の言葉は届いていないんだな」 「そんなことない。ちゃんと届いているよ」 「届いているなら、ちゃんと俺の質問に答えて、和希がなにを考えていたのか俺に教えてくれてもいいはずだよな？ でも和希はここ最近すぐになんでもないって言ったり、別のことに話をすり替えたりするんだよな」 「そんなこと･･･っ」 「あるだろ？ 和希にとって俺は、都合の悪いことはさっさと話題をかえて、適度にかまって、それだけで終わるような存在なんだよな」 「啓太っ！」 声は震えているのに口元にかすかな笑みさえ浮かべた啓太を見て、和希はたまらず、持っていた上着を捨てて啓太のもとへ走った。その腕をつかみ、すぐさま自分のほうに引き寄せる。 「啓太！ それは違う！」 「違わないだろ和希。実際おまえのしたことはそういうことだろ。『啓太はもし自分がベルリバティに来ていなかったらって考えたことはないか』――つまりそれって、和希はそのことを考えているってことだよな。俺がベルリバティに来ていなかったら和希はもっと自分の時間を有効に使えて仕事に集中できて、順風満帆な人生を送っていたんだろうな。俺と和希の人生が別々なら和希は俺に付き合わされることもなくて、もっと――」 「そうじゃない、啓太。俺はそんなふうに考えていたわけじゃない。ただ俺はおまえを強引にここに呼んでしまったんじゃないかって考えただけだ。啓太には啓太の家族や友達がいたのに、俺が無理に呼んだんじゃないか。啓太を守るため、啓太と約束したからって言ったって、俺が無理やり啓太を今までの生活から切り離してしまったんじゃないかって、そう思ったんだ。啓太は俺を特別に必要としていたわけじゃない。俺がいなくても啓太は幸せだったんだろうなって思うと、ここに呼んで本当によかったのか･･･」 和希の言葉の途中で、啓太は和希の胸を勢いよく叩いた。啓太を抱きしめている腕は解かないものの、和希は腕の中の啓太の顔をのぞきこむ。 「啓太･･･」 「幸せだよ。幸せだったよきっと！ 俺は和希と再会してなくったって和希に呼ばれなくったって、今までと変わらない生活の中で俺は幸せに過ごしてたよ。和希と再会する前が不幸だったわけじゃない。そんなの当たり前だろ!?」 「――」 啓太は自分がベルリバティに呼ばなくてもきっと幸せだった――自分の中にあった思いを啓太本人に突きつけられたのに、今の和希はそのことでの衝撃をまったく感じなかった。 それよりも啓太の表情に目を奪われる。こちらを強く見返しながらも、瞳からあふれた雫が啓太の頬をつたった。 「俺が幸せだったら俺をここに呼ぶ必要がなかった？ もし不幸だったら呼んでた？ 俺がベルリバティに来なくても幸せだったとしても、ここに･･･おまえのそばに呼んでもっと幸せにしてやるって、和希は考えなかったのかよっ!? ･･････それともそんなふうには全然考えないで、和希は俺のこと、自分が無理やりここに呼んだかわいそうな人間とかって思ってたのか？」 「･･･俺のせいで、啓太を巻き込む必要のないことに巻き込んだとは･･･少し、考えたよ」 「なら本当に和希は俺をベルリバティに呼ばなければよかったんだな。俺だって和希に二度と会わなくったってずっと幸せに過ごしていたし、和希の知らないところで暮らしてても俺は全然困らない。和希に必要とされなくても、俺の人生に和希がいなくても俺は幸せ、なんだから。――和希がそう思いたいんだったら、そう思えばいいだろ。俺が今、前よりも幸せじゃなくてかわいそうなやつだなんて思うなら、今からでも和希が望むとおりに元に戻せばいいんだ！」 「啓太――啓太･･･っ」 和希は腕の中の啓太の身体をきつく抱きしめた。 「おまえを元の生活に帰すなんて、そんなことできるわけないだろ。俺は啓太を強引にここに呼んだかもしれないけど、それだけ、ずっと啓太が必要だったんだから。約束なんか本当に口実で、ただ俺が伊藤啓太という存在を欲していただけなんだ。おまえをそばに呼んでずっと一緒にいたかった。啓太を俺のことに巻き込んだと思いながらも、それでも俺はどんな手段を使ってももう二度とおまえと離れるつもりはなかったよ」 「だったらどうしてそんなこと考えるんだよ!? そんなふうに俺のことを思うんだったら、なんで今目の前にいる俺のことを考えてくれないんだよ!? 実際に俺は和希のそばにいるのに、和希は別のことを考えていて目の前にいる俺を見てくれてなかったよな。適当に嘘ついて、適当に話をはぐらかして。和希にとって大切なのは伊藤啓太っていう名前の和希の中にいる幻の存在だけで、今ここにいる俺なんか和希にすればどうでもいいんじゃないのか!?」 「幻なんか好きになった覚えはないよ。ここにいるおまえだから俺は好きになったんだ。そんなこと言う資格なんかないって言われそうだけど、実際に俺は馬鹿なことをしたけど、でも啓太が好きで好きでたまらなくて、だから不安になったんだ。俺のエゴでおまえを呼んでここに縛りつけて、いつだって好き勝手に何度も俺のものにしてきたから、それでも啓太が本当に幸せなのかどうか自信がなくなったんだ。啓太なら俺みたいな人間といるよりももっと別に幸せだった道があったんじゃないかって考えてさ。なにからなにまで俺のエゴでおまえを縛りつけている･･･そんなふうに感じたんだ」 「――和希はエゴイストだよ。俺のことを考える振りして本当は自分のことしか考えていないんだ。だから目の前に俺がいるのにいつも自分一人で考えて本当の俺を見ていない。そんなことばかりされたら、俺はどうすればいいのかわからなくなる。和希にちゃんと見られていなくても適当に相手されているだけだったとしても、俺はそれに気づかない振りしていつもへらへら笑っていなきゃいけないのか？ 俺が和希に俺をちゃんと見てって望むのは、いけないことなのか･･･？」 言葉で答える代わりに、和希は啓太の濡れた頬にくちづけた。それからまぶたに唇を移す。啓太の涙をついばむかのように、和希は幾度も啓太の顔にそっと唇を落とした。 啓太の瞳からまた新たな涙がこぼれても、和希は丁寧にその頬にくちづけていく。啓太に涙をこぼさせた感情を自分が引き取ろうとするかのように。あるいはそのくちづけに啓太への謝罪の気持ちを乗せて。 啓太の涙が薄れるまで、和希は幾度もくちづけ続けた。 「･･････ごめん･･･」 やがて和希の声が啓太の耳元に届いた。 「啓太にここまで言ってもらえないと気づかない俺なんて、ほんと、啓太に見捨てられても文句は言えないな。こんなふうに泣かれて気づくなんて、俺は自分で思う以上に馬鹿で最低な男だったみたいだ。つまらないことを考えすぎてそばにいる啓太の気持ちにも気づかなかったなんて、これじゃ啓太の恋人だ、啓太を守ってやるなんて大きなことは言えないよな。･･･一番大切なものがなにかなんてことを、少し忘れかけてたよ。俺が一番しなきゃいけないことはなにが啓太の幸せかを考えることじゃなくて、俺が啓太を幸せにするにはどうすればいいか、だったのにな。啓太が俺と離れて暮らすなんてことはありえないってくらい、そういう意味でエゴイストになりきって、啓太をちゃんと捕まえておかなきゃいけなかったのにな」 「･･････俺の幸せなんてきっといっぱいあったよ。幸せになるための選択肢は、きっと他にもあった。でも俺はここがいいんだ。和希のそばを自分で選んだんだ。過去の俺より、未来の俺より、今の俺を見てほしいよ和希――」 啓太が呟くと、すぐさま啓太の唇に和希の唇が重なってきた。涙を拭うように何度もされたくちづけの中では、一度もされなかった唇へのキス。啓太はすぐに和希のキスに応え、自分の両腕を和希の首に回した。 「･･･ん･･･んん･･･っ」 先ほどの軽いくちづけとはまったく違う、和希の感情のこもったくちづけだった。 啓太にまったく遠慮していない、こちらからなにもかもを引き出すような激しいキス。 「は･･････和･･･っ」 「――」 一度離れても再び唇を重ねられて、舌で口の中をかき回され、あるいは幾度も唇をついばまれて。経験値の低い啓太ではついていくのがやっとの眩暈がするような強引なくちづけだった。 エゴイスト。 一瞬啓太の脳裏に先ほど和希にぶつけたその言葉が浮かんだ。 けれど啓太にはこれがおざなりでされたキスとはまったく違うことがよくわかっていた。全身で、こんなにも激しく和希から求められている。応えればそれ以上に奪われ、逃げようとすれば捕まえられる。 保健室で抱かれていたあの時間よりも、きちんと自分を捕まえ、和希の心が自分に向いていることが啓太にも強く伝わってきた。 「ん･････っ」 快感を与えられればいいわけじゃない。 身体さえつながっていればいいわけじゃない。 啓太の心が今日初めて、ようやく満たされたのだった。 「･･････背中、本当にごめんな？」 長いキスをかわしたあと、二人はそのまますぐに帰る気にはなれなくて、二人してその場に腰を下ろしていた。 屋上の柵に寄りかかり、お互いの手をしっかりと繋ぎながら話をする。啓太はなんとなく手だけでは寂しくて、和希に密着するように身体も寄り添わせていた。保健室では気持ちが寂しかった分、もっと甘えたくて。 抱かれたときにつけた和希の背中の傷について啓太が謝ると、和希からは「そんなのいいよ」と返ってきた。 「あのとき･･･和希が俺を抱こうとすることで話を終わらせたのがわかったから、すごくやさぐれた気分になっていたんだ。確かに和希に触れられて身体はその気になりはじめていたけど、そのまま抱かれるのはすごく悔しくてさ。でもほんの少し爪立てて悔しさを返そうとしてたんだけど、抱かれてるうちにもう･･･か、感じすぎてわけわからなくなって･･･それで･･････。痛かったよな。血がにじんでたもんな。本当にごめん、和希･･･」 「だからそんなのいいって。ちゃんと啓太が俺に感じてくれた証だろ。それに今は、俺が啓太を寂しがらせていた罰でもあるし、それを忘れちゃいけないっていう警告でもあるんだと思ってるよ。勿論傷が消えても、痛みがなくなってももう忘れないけどな」 それから和希は、啓太の顔をのぞきこむようにして真剣な顔で呟いた。 「俺のほうこそ本当にごめん。啓太に対して誠意が足りなかったよな。一人で間違った方向に走りすぎちゃってたな。寂しい思いさせて、ごめんな･･･」 「もう謝らなくていいよ。俺もたくさん言ったし、今度から和希がちゃんと俺のこと見てくれればいい。それより、俺は最近の和希がなにを考えてたかもっと知りたいな。俺に悪いと思ってるなら、謝るよりもそっちのほうを教えてほしい」 「･･････え？」 「和希が俺をベルリバティに強引に呼んだんじゃないかとか、ベルリバティに来なくても俺は幸せだったんじゃないかってことを和希が考えていたのはわかった。それはさっき和希が言ってくれたからな。でもおまえのことだから、まだ教えてくれてはいないけど他にも考えたことあるだろ？ 俺はそれを知りたいよ。そもそも、なんで最近になってそんなことを考えはじめたんだ？ なにかきっかけがあるのか？」 「･･････」 「和希。俺に誠意を見せてくれるんだろ？」 啓太に笑顔とともに促されては、今の和希はすべてを明かすしかなかった。啓太の反応を確かめながらも、啓太の質問に答えていく。 「きっかけは･･･映画を見に行ったときに、映画館に行く途中で啓太が友達と会ったところを見たときだよ。啓太が楽しそうに友達と話しているのを見て･･･啓太はベルリバティに来る前も、あんなふうに楽しそうに過ごしていたんだろうな、とか･･･」 「やきもち妬いたとか言って、やっぱり本当は別のことを考えていたんだな。あのときの和希、様子がおかしかったもんな。で、他にはどんなことを考えていたって？」 「･･････」 「和希っ」 「えーと、だから･･････。俺が啓太をここに呼んだせいで、啓太は男に抱かれる羽目になったんだろうな、とか･･･。ここに来なければ啓太は普通に彼女作ってそんなことにはならなかったんだろうな、とか･･･」 「――ふーん。まあ確かにそのとおりだよな」 啓太から返ってきた声はどこか冷ややかで、和希は啓太の顔をまじまじと見つめずにはいられなかった。 「け、啓太？」 「でもそれは俺がベルリバティに来たからって言うより、和希が俺に手を出してきたからだろ？ 和希がそんなふうに思うんだったら、じゃあやっぱり俺たちの付き合いはプラトニックを通すべきだよな。和希が俺にすまないことをしてるって思うなら、正直俺もそういうのなしの付き合いのほうがありがたいし。さっそくこれからはプラトニックでいこうな」 「･････････それは、ちょっと･･･」 一転してさわやかに結論を出した啓太に、和希はぼそぼそと答える。 「だって和希がそう考えたんだろ」 「それはそうなんだけど。･････・でもな･･･」 「―――バカだなあ」 なおもぼそぼそと言い継ぐ和希に、思わず啓太は吹き出した。 「ほんとに和希、バカだなあ。自分が出来もしないこと考えるなんてさ。だったら初めから、俺が和希に抱かれていることが俺にとってよくないことなんじゃないか、なんて、考えなければいいのにさ」 「･･･俺も最近、自分の頭の中身に自信がなくなってきたよ･･･」 「プラトニックでいこうなんて嘘だよ。ちょっと言ってみただけだよ。だって俺も、和希にまったく触れられないのはさみしいからな。俺だって、和希に抱かれたいときぐらいちゃんとあるよ」 そう言って和希を安心させたあとで、啓太は釘を刺すことも忘れなかった。 「和希がどんなことを考えるのも和希の自由だし、俺はそれを止められないけど、でも今度からは考えたことはすぐに口に出してほしいよ。そしたら和希が間違った方向に走ってても俺はすぐに修正できるし、和希が一方的に考えるだけじゃなくて、そこに俺の答えを重ねていけるからさ。そして俺だけじゃ答えを出せないようなことは、二人で考え合って答えを導き出すことも出来るだろ。和希だって、俺一人がずっと考え込んでて和希に何も話さなかったら、きっといやだと思うぞ」 「そうだな･･･」 啓太の言葉に和希は頷く。確かに逆の立場になったときのことを思えば、啓太がそのとき考え込んでいることがあるのなら知りたいと、和希も思う。 そしてそのときの啓太が心ここにあらずという状況だったら、自分も、自分がそばにいるんだということをはっきりと意識させたくなるんだろうなと納得した。 「――さて。あんまりこんなところでゆっくりしててもなんだし、そろそろ帰るかな」 「･･･え？」 「いつまでもこうしてても仕方がないだろ。教室に寄って鞄を取ってこなくちゃいけないしさ。･･････啓太？」 そう言いながら和希は立ち上がろうとしたが、和希と手を繋いでいる啓太は身体をまったく動かそうとはしなかった。 「どうしたんだよ啓太。帰らないのか？」 「･･････ない」 「え？」 「だから、今はまだ歩けないんだって！」 「どうし･･･――ああ、そうか」 いくぶん顔を赤らめ、少し顔を伏せた啓太の様子を見て和希は思い出した。屋上に来るまえ、自分たちがなにをしていたのかを。 「啓太、ここに来るまで思いっきり走ってたもんなあ。俺とたくさんしたあとであんなに走ったら･･･そりゃあな」 「だからそれは和希のせいだろ!? あのときは身体のことなんか気にならないくらい思いきり怒ってたんだからなっ！ 帰りたいなら和希だけ先に帰っていいよ。俺、あとからゆっくり帰るから」 「ばかだな。俺が啓太を残して先に帰るわけないだろ？」 和希はそう言うと、啓太と繋いでいた手を優しくはずして立ち上がった。それから柵から少し離れていたところに放り捨てたままだった自分の上着を拾い、袖を通した。同じく拾ったネクタイはポケットにしまう。それから和希は啓太のそばまで戻り、啓太に自分の背中を見せてしゃがみこんだ。 「ほら啓太。こいよ」 「和希っ!?」 「俺がおぶってってやるよ」 「い、いいよそんなの！」 「遠慮するなよ。今の俺は啓太のために少しでもなにかしたくてたまらないんだからさ。これぐらい、罪滅ぼしさせてくれよ。まあ啓太が抱っこがいいって言うんなら、抱っこにするけどな。どうする？」 和希の表情は楽しそうで、啓太がここでそっちを選んだら、本当に抱き上げられそうな雰囲気に満ちていた。 「･･････おんぶでいいよ･･･」 啓太は諦めたように少しでもましなほうを選択した。 「和希、重くないか？」 「啓太の重さぐらい大したことないよ。それより啓太こそ、身体、大丈夫か？ もっとゆっくり歩いたほうがいいか？」 「これぐらいなら平気だよ。ただ･･･」 「ただ？」 「人に見られたらすごい恥ずかしいよ･･･」 「気にするなよ。啓太は今病人だろ？ 堂々としてろよ」 「いや、病人でもないし、原因が原因だしな･･･。とりあえず誰にも会わないことを祈るよ」 「俺は別にかまわないけどな」 和希におぶわれたまま、啓太たちはまずは鞄を取りに教室に向かった。 もう放課後になってだいぶ時間も経っている分、校舎内は静かだった。それぞれ、とっくに部に行ってるか、帰っているかしているのだろう。 和希の足音と遠くの喧騒しか聞こえない、静かな空気が二人を包んでいた。 「思い出すなあ。昔もこんなふうに啓太をおぶったことがあったよな。そのときは啓太、とっても喜んで俺にしがみついてくれたんだけどな。『お兄ちゃんだーいすき』とか言って、たくさん甘えてくれたしな」 「そ、それは俺が小さかったからだろ」 「まあな。あのときと比べると啓太はほんとに大きくなったよな。啓太の本質は変わらないんだけど、もっと――」 「もっと、なんだよ」 「･･･内緒。全部言ったら啓太が照れちゃうからな。それともやっぱり聞きたいか？ 啓太がどうしても知りたいって言うなら、包み隠さず懇々と教えてやるけどな？」 「いや、教えてくれなくていいよ･･･」 啓太の返事に和希は小さく吹き出す。 本当に語りはじめたら止まらないくらい、昔と今の啓太との相違点はたくさんある。啓太の本質は変わらないが、もっと成長して、もっと強く自分の心を惹きつけてしまっているのだ。 昔、啓太と離れて過ごしていた少年時代に抱いていたような幼稚な思いではなく。 もう本当に、手放せないほどに。 「それにしても啓太には最後まで責任をとってもらわないとな」 「責任て、いきなりなんだよ」 「大人をここまで本気にさせた罪は重いんだよ。覚悟しろよってことだよ」 和希がそう言うと、和希の首に回されていた啓太の手にわずかに力がこもった。きゅっと軽くしがみつかれる。 「･･･知らないよそんなの。ちゃんと和希が俺のこと見ててくれないなら俺だって勝手にするからな」 「大丈夫だよ。もうバカなことは考えないよ。今回のことでは他のことなんて考えていられないくらいにまた啓太に惚れ直させられちゃったからな。ほんとに、俺は啓太なしではもう生きられないよ。――愛してる」 「･･････っ！」 突然の言葉に動揺したのか、後ろから息を飲む気配が伝わってきた。 しかしさしたる間をおかずに、和希の耳元に啓太からのかすかな返事が届いた。 「――まったく。ほんとに責任とってもらうからな」 和希はもう一度しみじみと、そして嬉しそうに呟いた。 ＥＮＤ |