男が男相手にきれいだなって思うのは変だろうか。 　それも、いつも顔を合わせている和希相手にそう思ってしまうなんて。 　そりゃあ和希はもともと整った顔をしているから俺はひそかに見惚れちゃうこともあるし、かっこいいとはよく思っているんだけど。 　でも今日の和希は「かっこいい」よりも「きれい」って感じなんだ。 　月を背にして俺の目の前にいる和希に、俺は目を奪われていた。 　虫の声しか聞こえない静かで少しひんやりとする夜の空気に包まれて、そこに立つ和希は、まるで月の王子様みたいだって俺は思ったんだ。 　　　誘う瞳、 　　　　　　触れる指先　　サソウヒトミ、フレルユビサキ 　和希が週末自分の別荘においでとよんでくれたので、俺は嬉しくてすぐにそれを受け入れた。和希はここのところ忙しくて、寮にも夜遅くに帰ってきたり、もしくはそのまま帰ってこなかったりして、俺といる時間がなかなかとれなかったから、その埋め合わせのつもりみたいだった。 　仕事がハードだった分その二日間はどうにか休みを取れたらしくて、俺は久々に和希とゆっくりできるってはしゃいでいた。 　結果的に一緒に来るはずだった予定が流れたり、俺だけ先に車で送られて当の和希はあとから昼過ぎに来たけど、それでも和希が俺のために用意してくれた週末に、俺はそんなこともあっさり流してご機嫌なままだった。せっかく和希と一緒にいられるのに、不機嫌になっていたらもったいないもんな。 　和希が来てから二人で別荘の周辺を和希の車でドライブして、それから途中にあったレストランで遅い昼食をとった。そのあとは別荘に帰ってきてのんびりと散策して過ごした。和希はもっと面白いところにつれていってあげると言ってくれたんだけど、それはまた明日のお楽しみにして、今日くらいはゆっくり和希と二人きりで過ごしたかった。だって本当にこんな時間をもてるのは久しぶりで、和希と面白いところに出かけていって楽しむのもいいけど、こんな贅沢な時間の使い方をするっていうのも捨てがたかったんだ。 　夕食は別荘にあらかじめ用意されていた材料を使って二人で作った。簡単なものばかりだったけど、和希とわいわいやりながら作って食べる御飯はまた格別においしかった。和希が「こういうのが毎日の生活になったら楽しいよな」って言ってたけど、それには俺も強く頷いておいた。確かに和希と並んで料理をしたり、向かい合って二人きりで食事する生活が毎日続いたら幸せだと俺も思う。ただ、「そうなったら、我慢できないときには先に啓太を食べられるしな」と和希が続けてそう言ったので、それは聞こえない振りをしておいた。料理を作る前に和希にエプロンを渡されたんだけど、俺のエプロン姿を見ながら和希がなにか呟いていたり、にやけているのを見たときと同じようにひたすら無視に勤めた。 　それから二人で片づけをして、星がきれいに見えると言う別荘の二階のベランダにあがった。和希は他にも手持ちの別荘があるらしいけど、ここが一番きれいに星が見えるから昔からとても気に入っているらしい。それで俺を、ここに連れてきたかったんだとか。 　確かに澄み切った空気の中で見上げた満天の星々はとてもきれいで、俺はしばらく星の美しさに魅入った。けど、星から視線をはずして和希を見れば、和希は俺を見て笑っていて、そうして俺は星よりも和希に目を奪われた。空に輝く月が眩しくてその周辺の星がかすんでしまうように、俺は星よりも月よりも、この夜闇の中で微笑む和希に惹きつけられた。 　目が覚めるほどにきれいで。 　他のものなんかどうでもよくなるくらいに惹きつけられて。 　目の前にいるこの人が俺を見てて、そうして俺を想ってくれている。 　それがとてつもないほど幸せなことだと実感できて、俺は不意に泣きそうになってしまった。 「どうしたんだよ、啓太」 　和希が俺に聞いてきた。俺はそのまんま答えるわけにはいかなかったので、さっき和希を見て思ったことを口にした。 「和希は、王子様みたいだって言われたことある？」 「なんだよ、それ」 「小さい女の子とかにでもさ。和希ならそう言われたことの一度や二度くらいあるんじゃないかなって思ってさ」 　俺の質問に和希はちょっと笑ってから、その目を俺に向けて甘く輝かせた。 「――啓太は？」 「えっ、俺？」 「啓太は子供のころ、俺を見てそう思ったことがある？　おーじさまみたいだなってさ」 　和希に問い返されて、俺は少し昔のことを思い出してみる。そして和希に向けてはっきりと答えた。 「そんなふうに思ったことはないよ。俺にとってカズ兄はカズ兄だったからさ」 「じゃあきっと、そんなふうに見られたことはなかったと思うよ。小さいころの啓太がそう思わなかったように、誰が見ても俺のことをそんなふうに思ったりしないって」 　まあ、確かに『王子様』だなんて発想は突飛過ぎるかな。たとえ俺が今本当にそう思ったことであっても、落ち着いて考えてみればちょっと恥ずかしい言葉だしな。 　でも。 「・・・さすがに王子様までは思わなくても、俺はカズ兄のことをなんでも知ってて、なんでもできてすごいと思ってたよ。俺の疑問にすぐに答えてくれたり、俺ができないことをやってみせてくれたり、俺が泣いてもたちまち泣きやませてくれたりして。だから王子様なんかじゃなくて、そんな遠い存在じゃなくて、もっと身近にいてくれる人だって思いたかったのかもしれない。離れたところからただ眺めているだけの人じゃなくて、俺のそばにいてちゃんと触れるくらいに近い人でいてほしかった。なんでもできてすごい人だからこそ、俺は『お兄ちゃん』ていう言葉で、身近に繋ぎとめておきたかったのかもしれない。・・・・・・今も、本当は和希は俺にとって遠い世界の人でもあるけど・・・」 　和希の育ってきた環境や、背負っているもののことを考えて、俺は思わずそんなことを呟いてしまった。俺の隣りにいる、すごく近い存在でもあるけど、本当は離れた世界の人でもある和希。普段は、それでも和希は俺のそばにいてくれてるんだからと考えないようにしているんだけど、たまに和希の背景が頭を掠めることがある。この別荘だってとても広くて、そして他にも同じくらいの別荘を複数持っている和希。 「啓太。俺も、啓太と近いほうがいいよ。俺は『王子様』なんかじゃなくて、啓太から見て遠い世界の人間でもなくて、ちゃんと啓太のそばにいるよ」 　俺を宥めるような声で、和希がそう言った。 　それから和希はちょっと口元に笑みを浮かべて、悪戯っぽく瞳を輝かせて俺を見た。 　そして、 「――じゃあ、俺に触って確かめてみる？」 俺に向けて、そんなふうに言ったのだった。 「えっ!?」 「触ってみれば、俺がちゃんと啓太のそばにいるんだってことが啓太にもわかるだろ？」 「い、いいよ。それは、ちゃんとこうしてそばで見てればわかるからさ」 「見てるだけじゃ実感がわかないからこそ、啓太はそんなことを言うんだろ？　俺がただここにいるだけじゃ俺がそばにいるってよくわからないんだろ？　だから触ってごらん」 　和希が自分を示して再三にわたってそう言ってくる。 　そのまま手を伸ばして普通に触ってしまえばいいのかもしれないけど、でもなんだか気恥ずかしくて、しかも和希の視線がどことなくあやしい感じがして、俺は少し後じさりした。 　そばにいるとか遠い存在とかいうのは例えであって、実際に触って実感するようなことではないんだけど、そして多分和希もそれは知っていると思うんだけど。 「本当にいいからさ。・・・ごめん。遠い世界の人だなんて言って悪かったよ。その言葉取り消すからさ」 　俺がそんなことをこぼしてしまったから、和希は意地悪をしているのかと思った。だから俺が謝ったら和希は引いてくれるのかと思った。 　だけど。 「啓太。本当に俺に触って、ちゃんと俺との距離を測ってごらん。俺がここにいることを啓太の手で確かめて。俺が啓太と同じ人間で、手が届くほどすぐそばにいて、啓太と同じ熱を持っていることを。・・・それとも啓太は、俺のことなんてどうだっていい？」 「そんな言い方ずるいだろ、和希・・・」 　俺がそう言い返すと、和希は声もなく笑って、そうして視線で俺を促した。 　――和希が、俺を見ている。 　俺のわずかな動作も表情の変化も見逃さないようにじっと見つめている。 　そして俺が和希に手を伸ばすのを待っているんだ。 　月夜の下に立つ和希はいつもの和希よりなんだか魅惑的で、同時にどこか儚い印象を受けた。ちゃんと捕まえていなければいけないような気になってくる。 　それとともにその瞳が、俺の心を無性に惹きつける。さっきも和希に見惚れてしまっていたけど、今もさらに和希に惹きつけられて和希から目が離せなくなる。 　――ほら啓太。おいで。 　和希の声が俺の心に届いた気がした。 「･･････」 　俺は和希がいるほうにゆっくり歩を進める。それから手を伸ばした。 　和希に触れるなんていまさらなんだけど、和希に見つめられているせいかすごくどきどきした。和希の胸に手をあてただけで、俺の手がかすかに震えてしまう。 　服越しに伝わる和希の熱。鼓動。そして存在感。 　ここに和希がいるんだってことが、俺の指先を通して伝わってくる。 　恥ずかしくて視線は合わせられなかったけど、だからこそ指先や手のひらがより敏感になっているような気がした。 「片手だけでいいの、啓太？　それで、俺を確かめられる？」 　和希が声でいざなう。さっきより和希との距離が縮まっていたせいで、和希の声もすぐそばで聞こえた。 「両手で俺に触って、もっと確かめて。それに俺のこと、ちゃんと見てほしいんだけどな」 「い、いやだよ」 「どうして？　俺を見なかったら、俺がここにいることをきちんと確かめられないだろ？　それに俺だって、真っ赤になってるかわいい啓太の顔をちゃんと見たいけどな」 「いやだって」 　顔を上げたら、和希は絶対楽しそうに俺の顔をのぞいてくるに決まってるんだ。だから俺は意地でも和希と視線を合わせないようにした。 　そのかわりというわけでもないけど、もう一つの手でも和希に触れてみる。手を少しずつ動かしながら、両手で和希に触れて和希の存在を確かめてみた。 　――俺の手が届くところに、和希がいる。 　しがみつかなくても、背伸びをしなくても、同じ高さにちゃんと和希がいてくれている。 　子供のころは大きくて懸命に見上げていたこの存在を、ただひたすら自分の身近なところに引き止めたくてまとわりついていた気がする。どこかの遠い世界の王子様なんかじゃなくて、俺のそばにいてくれる俺だけの「お兄ちゃん」でいてほしかった。だからそのお兄ちゃんが遠くに離れてしまうとき、俺は優しいその人を失うつらさに耐え切れなくて、自分で自分の記憶を封じてしまったんだと思う。 　それくらいに大好きで、心から渇望していた人。 　そしてもう二度と失いたくない、俺の、大切な人。 　あのとき・・・カズ兄と別れたあのとき、俺はもう一度和希に会えると本気で思っていただろうか。たとえ約束があったとしても、子供心にもう二度と会えないかもしれないという思いもあったのかもしれない。 　和希が俺をベルリバティに呼んでくれなかったら俺たちは再会することはなかった。もしかしたら、本当にこうして触れることはできなかったかもしれない。 　そう思うと、それだけで指先に熱を感じた。直接和希の肌に触れているわけじゃないのに、和希のシャツにすれるだけで俺の鼓動が早くなってくる気がした。 　今はただそばにいてくれるだけじゃ物足りない。子供のときのようにただ無邪気に好きでいるだけじゃいられないのが自分でもわかる。 　触れて存在を確かめるだけじゃなくて、今はもっともっと深く――。密着して、取り込んで、俺の一番深いところで繋がって。 　今触れているこの熱を、もっとほしいと強く思う。 「啓太･･･」 　至近距離にいる和希の声が、俺の耳をくすぐった。俺はすぐに現実に立ち返る。 「か、和希。なに？」 「俺に触って、俺のこと確かめられた？」 「う、うん」 「ならよかった。触って安心した？　俺はちゃんと啓太のそばにいるだろ？」 「うん、そうだな」 「俺も嬉しかったよ。震える指で俺に触ってくる啓太にどきどきした。このまま服脱がされて襲われちゃうんじゃないかと思ったよ」 「ばっ、ばか」 「でもなんか啓太の手つきがやらしくてさ。このまま触られてると、ほんと、その気になっちゃいそうだよ」 　そう言って、和希は俺から少し体を引いた。触れていた指先が和希のシャツから離れる。 　俺はとっさに和希の顔を見た。 「今日の星はほんとにきれいだな。啓太もほら、見てみろよ」 　和希が俺を見てかすかに笑いながらそう言った。 　でも、俺はもう、星を見ようとする気はなくなっていた。夜空を背にして立つ和希に目を奪われて、置いてきぼりにされたように離れた熱を追い求めて、俺は和希の顔だけをじっと見つめていた。 　空から降り注ぐおぼろげな光の中で、俺は今自分がどうしたいかを実感する。 　のどが渇いて頭の中がくらくらして、体が熱かった。 「啓太。どうしたんだよ。星はこの上だぞ」 　聞こえてくる和希の声すら、俺の中のなにかを駆り立てる。 「和希･･･っ」 　俺はもうたまらなくなって口を開いた。 「なに？」 「俺･･････和希が、ほしいよ」