「俊介、両手がふさがって大変だろ。そっちも持ってやるよ」 啓太は隣を歩く滝が抱えていた箱を一つ、自分が持っている箱の上に移した。そのことにより明らかに啓太が運んでいる荷物のほうがかさばっているのだが、それでも啓太は気にしたふうもなく歩き出していた。 「…啓太。啓太のほうは重くないんか」 「大丈夫だよこれくらい。これ、箱は大きいけどそんなに重くないしな」 「でもそんなに積んだら足元見えへんやないか。やっぱ今のは俺が持ったほうが…」 「大丈夫だって。それより俊介は前見て俺を誘導してくれよ」 「いいけど。……なんや最近、啓太が優しゅうて気持ち悪いわ…」 歩きながら滝がぼそりと呟いた。 「え？」 「なんか裏があるんとちゃうやろうか…」 疑いのまなざしで啓太をちらりと見る。 「え、そ、そうかな」 「そうや。最近妙に親切でおかしいで。この荷物だって、俺は小さいほうでいいって言うたのに、わざわざ自分から大きいほう取って。なんか企んでるんのとちゃうか」 「企んでるなんて、そんなことないよ。そんなんじゃなくてさ……」 「そんなんじゃなくてなんや」 「……」 滝の追求は緩まない。横からいつもより険しい顔を向けられて、啓太は数瞬返事に迷う。 だが適当な言葉でごまかす気にはなれなかった。 「…ほら、このまえさ、俺、俊介の頼みを断っちゃっただろ。あんときの俊介、わざわざ俺のところに来て俺をたよりにしてくれたのに……約束があるからって、断ったからさ。悪かったと思って…」 啓太は数日前の出来事を思い返しながら言った。 休み時間に教室まできて、自分に頼みごとをした滝。それに対して自分はすげない態度をとったのだ。 その罪悪感が、今でも残っている。 「ああ、あれか。あんなんもうええわ。確かにあんときは啓太に断られてへこんだし腹も立ったけど、結局啓太はちゃんときてくれたやろ。急に約束がだめになったとかでさ。あんときも啓太いっぱい謝ってくれたし、もう気にしてへん。せやから啓太も気にすんなや」 「俊介…」 「でも、気ぃつこうてくれて、ありがとな」 啓太に向けて滝が笑顔を見せる。その笑顔に、啓太はさらに胸が痛んだ。 あのとき、本当は約束などなかったのだ。ただ和希と一緒にいたかったから架空の約束を口実にしたに過ぎない。あのとき絶対的に和希を優先する自分に安心している和希を見ていたら、誰を裏切っても、他の人間に嫌われても、和希のそばにいたいと思ったのだ。 手伝い程度なら自分じゃなくてもいいだろうという気持ちもあった。きっと他にも代わりがいる。でも和希のそばにいてあげられるのは自分だけだから。 俊介は、自分を頼ってきてくれたのに。いつもの手伝いとは違う必死さで頼んできたのに。和希をもっと安心させてあげたかったからなんていうのは、単に和希と一緒にいたい自分のわがままだったのだ。 「ほんとに…あのときはごめん」 啓太はもう一度謝罪の言葉を口にする。謝るくらいなら最初から嘘なんかつくなと、心の中でもう一人の自分が責め立てる。 「だからいいって。ま、なんなら啓太が俺に謝りたい分、学食のチケットで返してくれてもええけどな。そんなら十枚でも二十枚でも遠慮せずにもろうとく」 「俊介」 「三十枚でもええで。どや？」 にかっと笑ってそう言った滝に、啓太も小さく笑みを返す。遠回しにもう気にするなと言っている滝に、啓太は心の中で礼を言った。 その後二人は目的地の資料室まで荷物を運び、さらに別のデリバリーが飛び込んだという滝とその場でわかれた。自転車を止めた場所まで戻るという滝を見送り、啓太は自分もカバンを置きっ放しのままの教室に向かおうとする。 だが廊下を歩く途中で、カバンを差し出された。 「終わったのか」 「和希」 啓太に向けてカバンを差し出した和希は、啓太がそれを受け取ると、廊下を歩き出した。啓太もそれに続く。 「外を見たと思ったら、いきなり教室を飛び出していくんだもんな。窓から見てたらそのまま俊介のところに行って荷物を受け取ってるし。俊介の手伝いをする約束でもしてたのか？」 「そういうわけじゃないけど。なんか荷物いっぱい抱えて大変そうだなあって思ってさ。手伝ってやりたくなったんだ。あのまんまじゃ今にも転びそうだったし」 「でも、一人でも運べると思って俊介が引き受けた仕事だろ。啓太が手伝うことなかったんじゃないのか」 「そうかもしれないけどさ」 「お人よし。しかも最近、俊介の手伝いをすることが特に多いよな。俊介になにか弱みでも握られているのか？」 「弱みってなんだよ」 和希の言葉に思わず吹き出した啓太は、笑いながら言葉を続けた。 「弱みなんかじゃなくてさ、俊介にはやっぱり悪いことしたから、それで…」 「え？」 「――」 和希に聞き返されて、啓太ははっとする。慌ててすぐに言葉を次いだ。 「だ、だから、ほら和希も知っているだろ。このまえのこと。やっぱりあのとき俊介に悪いことしたなって思ってさ」 「ああ、あのことか。確かに一度は俊介のことを断ったもんな。でもそれだけのことで啓太が何回も俊介に気をつかうことはないんじゃないか。結局、あの日はちゃんと俊介の手伝いもできたわけだしさ」 「まあそうなんだけどな。それでもなんか悪くてさ……」 「それにしてもあのときは啓太がうまく話をつなげたよな。俺と約束していた用事が急になくなって、だから時間が空いたんだってことを俊介に話したら、啓太もそれに合わせて会話してくれてさ。俊介の質問にもうまく答えてたもんな。啓太には俊介が啓太にどう頼んできたかとか、啓太がそのときどう断ったのかとか、詳しく話す時間はなかったけど、俊介、ちゃんと納得してたもんな」 快活に話す和希に、啓太は心の内を気づかせないようにと意識しながら答えた。 「あれは、和希が最初俊介と話してたから、その内容に合わせて適当に言っただけだよ。もし俺が失敗しても、和希がフォロー入れてくれるだろうなと思って安心して話してた。実際、うまくいってよかったよ」 「頼みごとを断ったときのこと、実は啓太はよく覚えていない、とは、俊介も思わなかっただろうな」 「だから和希のおかげだよ。和希がいてくれたから俺も俊介と落ち着いて話すことができたんだ。他のことでも、和希のフォローのおかげで助かってるよ」 「全然大したことしてないと思うけどな。それにこれも啓太の運の賜物なのかな。俺がいなくても、啓太一人でうまく乗り切れていることも多いしな」 「そ、んなことないよ。たまたま、残っている記憶でどうにかできているだけで、俺一人じゃ…」 「だからそれも啓太の運なんだろ」 啓太は隣を歩く和希の顔を見る。和希はごく当たり前のことを言っただけという様子で、そこに深い意味は込められていないようだった。 啓太一人でうまく乗り切れていることも多い――それが他意なしに出された言葉だけに、啓太の胸が痛んだ。この胸の痛みを自覚する資格さえ自分にはないけれど。 「和希」 「なんだ、啓太」 「手を、つないでもいい、かな。その…人に会わない間だけでいいんだけど」 「啓太。いいもなにも…嬉しいよ」 足を止めて手を差し出してきた和希の手を、啓太はゆっくりとつかんだ。和希に手を握られるのではなく、自分から和希と手をつなぐことの意味を改めて感じる。この手に触れたくて、この人が欲しくて、安心感を得たくて。 握る手に力を込めると和希がさらに嬉しそうな笑顔を見せた。啓太もそれに笑い返し、ほっと息をついた。 こうして二人で歩いているだけで、幸せを感じる。慌しかった日常の中では、少し忘れていた感情だった。やらなきゃいけないことばかりに追われ、和希のことが好きで必要だと感じながらも、いつもそばにいていつでも会えるからと甘えていた。恥ずかしいとか、今はそんなときじゃないとか、周りの目や今はこうあるべきだという堅い考えにとらわれていて、大事なことを見落としていた。和希のあの言葉がなかったら、自分は今でもこの気持ちを忘れていたままだったのかと思うと怖くなる。和希の本音に気づかず、独りよがりの安寧につかったままで。 だから、そのことを思うと和希の本心をこうして知ることができてよかったのだと啓太は思う。和希をしっかりと見つめることができる。和希のちょっとした変化にさえ気づくことができる。和希の安心を感じ、自分も同じように笑うことができる。 「……啓太。あのさ…」 「なに？」 「歩きながら、そんなふうに見つめられるとさすがに恥ずかしくなってくるよ」 「え!? お、俺、和希のことずっと見てた？」 「かなり熱い視線でな。ほら、手が汗ばんできた」 「え、えっと、ごめん」 「いや、別に謝らなくてもいいけど。ただ、とりあえず場所を変えたくなるな」 「和希…」 「手っ取り早くサーバー棟に直行、かな」 「冗談だろ。……まあ本気でもいいけどさ」 「じゃあ本気」 「じゃあって、やっぱりもともとは冗談なんじゃないか、和希」 「いいからいいから。据え膳は食わないともったいないだろ」 明るい笑顔を見せる和希に、啓太は少し呆れながらも、それに逆らう気はなかった。和希がこうして楽しそうに笑っていてくれる。そんな和希を見ていると自分も嬉しくなる。 だから今のこの状況はとてもいいことなのだ。自分が信じて行動したことはこんなにもいい結果をもたらしている。 たとえ日に日に和希への罪悪感が膨らんできていても。元から覚悟の上だったのだから、これくらい乗り越えていくべきなのだ。 啓太はそう思っていた。 そのうちきっとこの痛みも麻痺して平気になるだろうから。 『啓太、俺さ。このまえ夢を見たんだ――』 そう切り出して、数日前和希は、自分が見た夢の話を啓太に話した。 童話のような、現実とは違う世界の話だった。和希は終始笑っていて、“啓太”が池に落ちたときに言われた言葉も、つまることなくすらすらと教えてくれた。 『それで和希、なんて答えたんだ？』 啓太がそう聞いたときだけ、和希は啓太を無言で見つめた。その口元にはやはり笑みが浮かんでいたが、どこか自嘲的な笑みに見えた。 『夢の中のことだから、よく覚えていない。でもきっと俺は、最後の選択肢を選んだんだ』 『最後……』 『俺のこと軽蔑するか？ そこは普通、最初の“啓太”を選ぶべきだもんな』 『別に軽蔑なんかしないよ。それだけ俺が今まで和希のことをちゃんと……』 『啓太。俺は最初、啓太の記憶が曖昧だって聞いて安心したよ』 『……え？』 『俺が今日まで、啓太の暗示が解けるまでどんなことを言ったか、どんな行動をとったか、それを啓太に全部知られていないって聞いて安心した。曖昧な記憶での生活で啓太がどんなに困ることになっても、後遺症がある可能性もゼロじゃないかもしれないと考えていても、俺は自分だけの理由で安心したんだ』 『…和希、それってどういう…』 『暗示にかかっている啓太といて、俺は最初すごく嬉しかったし、安心していた。本当に啓太が俺だけのもので嬉しかった。今いるのは本当の啓太じゃないって気づくまで、俺は啓太に頬を緩めた顔しか見せていなかったような気がするよ。多分、俺の顔には幸せって言葉が浮かんでいたと思う』 『……』 『情けないだろ？ そして一番情けないのは、それを隠そうとしていたことだ。今の啓太にあのときの俺を知られたくなかった。俺が本当の啓太じゃないのに一緒にいてどんなに喜んでいたか、今の啓太をどんなふうに裏切っていたか、それを今のおまえに知られたくなかった。だから啓太がよく覚えていないって聞いて安心した。これ以上啓太に俺のきたないところを見せたくなかったから。いつもの啓太と違うと気づきながらも、俺は今のままでいいと思ったんだ。俺が啓太の変化に気づいてから今日会計室を訪れるまでにはタイムラグがあって、その間俺はずっと啓太を裏切り続けていたんだよ』 『――』 廊下の途中で足を止めて、啓太は和希の顔をくいいるように見つめる。 呆然と立ち尽くした啓太の口から、意識しない呟きがこぼれた。 『……どうして……』 『ごめんな。本当にごめん。腹が立ったんなら殴ってもいいよ。啓太の気がすむまで殴ればいい』 『……そうじゃなくて…どうして、今……』 啓太の手を握ったまま、和希は少しだけ屈んで目の高さを啓太のそれに合わせた。 その顔に、穏やかな笑みが広がる。 『もう隠すのはやめようと思った。俺のきたないところもすべて、啓太には全部打ち明けようと思ったんだ。俺が夢の中でどんな選択をしたか、いつもと違う啓太に対してどんな感情を抱いたか。啓太に見捨てられたくはないけど、いまさらかっこつけててもしょうがないもんな。等身大の俺を啓太には見て欲しかった。啓太、本当にごめんな。これが俺だよ。情けないところばかりで腹が立つだろうけど、それだけ啓太のことが好きで、言うなればもっとかまってほしかった。最低な男かもしれないけど、俺には啓太しかいないんだ』 『――』 和希の言葉を聞いた啓太の目からだんだんと涙があふれた。それがすぐに大粒の涙となって頬を濡らす。 『啓太…ごめんな…』 和希が啓太の体を抱き寄せ、あやすように背中を撫でてくれた。和希が優しく謝罪の言葉を繰り返す。 違うと、啓太は和希に向かって叫びたかった。 和希に謝ってほしいわけではない。むしろ気づいてしまったのだ。本当に和希を裏切っているのは自分だということに。 和希は、ちゃんと話してくれたのだ。たとえ本当に暗示にかかって記憶があやふやだったとしても、その間の出来事をこうしてちゃんと話してくれている。 本心が知りたいからという理由で和希を騙すなんて、最初から、和希が本心を話してくれないだろうと疑ってかかっていたも同然だったのだ。 『啓太……』 和希の胸の中で泣きじゃくりながら、啓太は和希の背中に腕を回した。しがみつくように。 全部嘘だったと、言いたい気持ちがある。暗示なんか最初からかけられていなかったと。 ――けれど。 それで和希の顔が変わり、驚かれるのが怖かった。 驚きのあと、和希は許してくれるかもしれない。気にするなと言ってくれるかもしれない。それでも、和希を傷つけることには変わりないのだ。 『……っ』 自分が馬鹿だったと、啓太はこのとき本心からそう思った。和希の心を疑い、和希を騙し、自分はどれほど和希を傷つけているのだろう。 そのうえ、和希の心を離したくない想いがある。今向けられている気持ちをわずかたりとも壊したくない。自分の浅ましさを承知していてもなお。 だから啓太は言葉を飲み込んだ。 ――『もう平気か？』 会計室を出るとき、自分を心配げに見つめていた西園寺の言葉を思い出す。 ――『俺は、大丈夫です。今回のことは自分を見つめ直すいい機会になりました。もうなにも心配はいりません』 あのとき、笑ってそう返事をした自分。 今になって自分の浅はかさを思い知る。でもこれは、全部自業自得なのだ。 『……和希、急に泣いたりなんかして、ごめん……』 『啓太……』 『心配かけてごめん。急に泣いたのは、ただ、和希の言葉が嬉しかっただけなんだ。和希の気持ちが嬉しくて……話してくれてありがとう。本当に、嬉しかった。だから……』 啓太は和希から身体を引き、濡れた目で和希を見上げた。 かすかに口元に笑みを浮かべて。 『もう、大丈夫だよ』 サーバー棟の理事長室についてから、二人はすぐに抱き合った。 窓からは午後の明るい光が降りそそぐ放課後。そこで制服を脱いで肌を重ね合わせることに、啓太はまったくためらわなかった。きっかけはささいなことだったが、それでも和希を見つめているともっと欲しいという気持ちがわく。 和希の目を見ると胸の痛みも感じるけれど、それを上回って甘い熱も呼び起こされる。 啓太は積極的に和希の首に腕を回した。それに応えて和希が唇を重ねてくる。 くちづけは、すぐに激しいものになっていった。 「ん…っ、和希……」 キスの余韻にひたる間もなく、和希の手が啓太の制服の中に滑ってくる。啓太は片手で和希を抱きしめながらも、もう一つの手では自分の制服のボタンをはずしていった。 「最近の啓太はほんと、積極的だな」 シャツの下から現れた啓太の肌をゆっくりと撫でながら和希が笑う。 「俺の手にストップをかけることはあっても、俺を手伝って自分からどんどん脱いでくれることなんてそう滅多になかっただろ。……俺にいろいろ開発されて、めざめちゃった？」 和希の笑みを含んで付け足された言葉に、啓太は「違う」と言って和希を見上げた。 「そんなんじゃない。身体のことじゃない。だって…」 すべてのボタンがはずれた啓太の制服がその肩をゆるく滑った。 「だって止まらないんだ。和希を好きな気持ちが」 「啓太……」 「どんどんあふれて、和希のそばにいたくて。和希とこうして触れ合っているとすごく安心する。だから…」 「だから、『もっとちゃんと抱いて』？」 「違う。……激しくして」 「――」 「和希がここにいるって、ちゃんと実感したいんだ」 「……俺は、ここにいるよ」 啓太の肌に触れていた手を止め、和希が啓太の目を見つめてそう言った。 「うん。でももっと――」 和希にくちづけられ、啓太の言葉は和希の唇に遮られた。そのまま床に押し倒される。 本格的に自分を抱こうとしている和希の手に、啓太は身を任せた。 ――和希を騙していることに対して、罪悪感がある。 この数日間で、啓太はやはりあの時間は必要だったという結論を出していた。本当に暗示をかけてもらって記憶があやふやになり、後日和希から話を聞いただけじゃつかめない事実がいくつもある。たとえ和希が自分から話してくれていても、話だけじゃ実感できないことがある。 和希の瞳。表情。溜息。かすかな呟き。わずかな動作。 実際に目の前で見てきたからこそわかることがある。 それを思えばやっぱりあの時間は必要だったと啓太は思うのだ。 それでも、和希を騙している罪悪感は拭いきれない。和希の心を知られてよかったと思う一方で。 こんなふうに抱かれながらも、今もまだ裏切り続けている。 「……啓太、大丈夫か？」 和希に何度も抱かれたあと、そのまま眠り込んでしまいそうな疲労の中、和希に声をかけられた。 「ん……平気」 目を閉じたまま答えると、喉がかすれていることに気がついた。 「今日は啓太のご要望にこたえてはりきってみましたが。……でも、もっと加減すればよかったな。つい啓太の言葉に甘えちゃってさ…」 少しふざけた口調で言ったあと、和希が気遣うように啓太の頬を撫でた。優しい手の感触が気持ちいい。 「いいんだ、それで。だって俺がそう望んだんだからさ。それより和希のほうこそ、俺がもっと、なんて言ったからきつかっただろ？ 和希の年を考えてもっと加減すればよかったな。ごめんな、和希」 「……啓太」 頬を撫でていた手に、頬の肉をつままれた。 「痛っ。痛いよ、和希」 「そんな憎まれ口を叩く余裕があるなら大丈夫そうだな」 「だから大丈夫だって言ってるだろ。和希にいっぱい抱かれて、嬉しかったよ」 「……」 「……和希？」 啓太は目を開けて隣で横になっているはずの和希を振り返った。 和希は啓太が振り返るのを待っていたかのように、啓太の顔をじっと見つめていた。 「和…」 「啓太は変わったな」 「え…？」 「啓太は変わった。やっぱり、俺があんなことを言ったからだろうな。俺が寂しくて、啓太にもっと気にかけてもらいたいと望んだから。ごめんな、そう言いながらも俺はまだあの夜啓太になんて言ったのか、ちゃんと思い出せていない。ただ単に俺の推測だけで啓太に謝っている。ひどい話だよな」 和希の唇に浮かぶ自嘲の笑みを見たくなくて、啓太は手を伸ばしてその唇を覆った。 「謝るなよ！ もう謝るな！ あの話はもういいって言っただろ。和希に謝られたら俺だって何百回、何千回と謝らなくちゃいけなくなるだろ。和希にひどいことをしてきたのは俺なんだし、これ以上和希に謝られたら俺だって心苦しくて、ずっと謝らなきゃいけなくなる。…俺だって、和希に…っ」 「そうだな」 自分の口からはずした啓太の手をつかんだまま、和希が言った。 「これ以上お互いに謝っててもしょうがないよな」 「そう…だよ」 「でも、やっぱり啓太は変わったよ」 「だって、か、和希の本心を知って変わらなかったら嘘だろ。ちゃんと反省して直すべきところを直さないと…」 「俺は、ずっと啓太が好きだよ。俺以外の人間のことも大切にする啓太が好きだ。それでちょっと寂しく感じたりもしたけど、優しい啓太が好きだ。俺は今回のことで、本来の啓太を変えてしまったような気がするよ。俺が、変なことを言い出さなければ…」 「変なことじゃないよ。和希が言ったのはごく当たり前のことだろ。それに本来の俺ってなんだよ。俺は俺だろ。俺は初めからただ一人で、和希を好きな俺には変わりがないよ。今も、あの夜の前も」 啓太が、和希を見つめたまま自分の気持ちを訴える。和希はしばらく啓太の目を見続けたあと、その身体をゆっくりと抱き寄せた。 「初めから、啓太はただ一人か…。ずっと、同じ啓太ってことだよな」 「……え？」 啓太の身体が反射的にこわばる。自分が言ったのと似たような言葉を返されただけだが、そのまま聞き流せなかった。 「和、希…」 「今日みたいに俊介の手伝いをしている啓太を見てると、根本的な部分では変わってない、前と同じ啓太だって感じるよ。ただ、今が満たされすぎてて前とは違うって思うんだろうな。矛盾しているようだけど、今の啓太は前と同じ啓太でありながら、少し変わった啓太だ」 「その、俺の変化が、和希にとって嬉しいものであればいいと思うよ…」 「勿論嬉しい変化だよ。だって前の啓太は自分からあんな大胆なこと、滅多にしてくれなかったもんな。もう、今日もほんと顔がにやけてしょうがなくてさ」 「……和希…」 「それは半分冗談だけどさ。でも、最近ますます幸せを感じるよ。啓太は？」 和希に問われて啓太は和希に身を寄せながらはっきりと答えた。 「俺も幸せだよ、和希」 「ならよかった」 「本当に幸せで……」 「……啓太。そんなにくっついてきたら、また誘ってるのかと勘違いするぞ。それともやっぱり誘ってる？」 身を寄せてきた啓太の肌を故意にするりと撫で上げながら和希が言った。啓太は慌ててその手をつかんで止める。 「馬鹿、誘ってないよ。今日はもうほんとにいっぱいいっぱいだよ」 「そうなのか。残念」 「誘ってないけど…でも和希とはもっとくっついていたいんだ。和希と抱き合っていると安心する。和希さえいればいいって思える」 「啓太……」 つかんだままの和希の手に、啓太が自分の指を絡めた。そのまま和希の手を見つめながら呟く。 「今はただこうしていたいんだ。……離れたくない…」 「――」 絡んできた啓太の指をしっかりと握り、和希がそれに応えた。 「離さないよ」 |
