After 　１． 　どうしてこんなことになっているんだろう…と、啓太は手元のデジカメを見下ろしながら思う。 　和希に制服姿のもっと違う写真もほしいと耳打ちされて、絶対にいやだとその場で言ったはずなのに。 　しつこく食い下がってくる和希に、何回も何回も大声で絶対にいやだと拒絶したはずなのに。 　今ここには、新しいメモリーカードが入った啓太のデジカメがあるのだった。 　このまま、目の前にある洗面台に落としてしまおうとか、水で濡れてしまったことにしようかとも考えるが、やはりデジカメの金額を思えばもったいなくてそれはできない。そもそも一度了承してしまった以上、このデジカメがなくても和希なら簡単にデジカメの一台や二台用意してしまうだろうと思えた。 「はあ…。なんで引きずられちゃったんだよ俺……」 　啓太は鏡に写っている自分に向かってため息をつく。 　今啓太がいる場所はベルリバティの和希の部屋の洗面室で、ことの前に「少し心の準備をする時間がほしい！」と言って飛び込んだのはいいけれど、それももう十分近くになる。これ以上ここでねばっても、結局さっきの話をなかったことにはできないのだ。 　和希には、制服を着ている普通の状態が撮りたいから、シャワーを浴びて髪や体を濡らしたりしないようにあらかじめ言われている。「普通の状態」というなら、脱がすことを前提にするなとか、学園内じゃなくて寮のベッドの上という時点で違うんじゃないかとか、思うことはいろいろあるが、その気になって本当に学園の中で撮ると言われたら困るので仕方なく黙っていた。 　とにかく、この馬鹿な撮影を許可してしまった自分が一番いけないのだ。 「……ったく、和希のせいだぞ。和希があんなに……ずるいから」 　鏡に手をついて、啓太は再びため息をついた。 　和希に啓太の制服を乱した写真を撮りたいと言われて、すぐに断った。思いきりいやだと言った。 　でも前日は触れ合っていないから、啓太といちゃいちゃしたいと言われて、啓太はそれには応じた。自分から、すぐに頷いてしまった。 　二日にわたる学園内での撮影。初日は自分が和希に見つめられながら撮られ、二日目は自分が和希の姿を追って写真を撮った。デジカメを通して、改めて和希のかっこよさに惚れ惚れしてしまった。それに和希の写真を撮ることで、改めて自分の和希への気持ちを再確認した。 　だからそのあと、啓太にはその気持ちのままに和希に触れたいという欲求があった。前日もキスまでしかしていない。だから和希に時間があるんなら、今日は朝までどちらかの部屋で過ごしたかった。 　学園から帰ってきてまっすぐ和希の部屋に入った。私服に着替えて改めて和希の部屋を訪れる時間さえ惜しくて、和希の誘いにそのままついていった。 　部屋に入ってすぐにキスをかわし、何度目かのキスのあとベッドに押し倒された。 　押し倒されてもまったく抵抗しない啓太の様子に、和希が「啓太もすごくしたかったんだな」と言って笑ったが、実際そのとおりだったので啓太は和希の背中に腕を回して答えた。 　しかし和希はそれ以上ことを進めようとはせず、もう一度軽いキスだけをして体を起こした。 　そして再び、「やっぱりこういうときの啓太の写真を撮りたいよなあ。今の啓太目が潤んでて、いい顔してるよ」と写真の話を持ち出してきたのだった。 「こういうときの啓太は私服でもパジャマでもかわいいんだけど、でも制服ってやっぱり特別だよな」 「……またその話かよ」 　ベッドに押し倒された状態のまま、啓太が和希に冷ややかな目を向ける。 「だからそれはいやだって言っただろ。しつこいぞ、和希」 「でも今の啓太、その気になってるからほんといい顔してるんだよな。俺がちょっと触れただけで…」 　ベッドに腰掛けた和希の手が伸びてきて啓太の頬に触れた。その手がゆっくりと動き、啓太の唇や首筋を通っていく。 「……和希…っ」 「ほら、ますますいい顔になってきた。啓太の体が期待して、すごく敏感になっているのがわかるよ。俺のことが欲しいって顔をした啓太を写真におさめてとっておきたいなあ」 「悪趣味だぞ和希。そんなの、和希の記憶だけで充分だろ。それとも和希は俺のこと、写真に撮っておかなかったらすぐに忘れちゃうのかよ」 「勿論俺の記憶の中には、あんな啓太やこんな啓太が忘れっこないくらい強く焼きつけられているよ」 「だったらそんなの必要ないだろ」 「でもそれとこれとは話が別だろ、啓太。ちゃんと覚えているけど、でも写真でも持っていたい」 　和希が、再び上半身を倒し、啓太に顔を近づけてきた。 「……っ」 「さっきも言ったけど、ただ啓太がかわいいというだけでなくて、俺のことを欲しがっている啓太が撮りたいんだ。俺の学園にいてうちの制服を着ていて、それで俺を求めている啓太が。啓太がベルリバティにいる――そのうえ、制服を乱す姿を見せるほど啓太は俺のものなんだっていう実感を残しておきたいんだよ」 「そんなの、だから残しておかなくったって和希にはわかっているはずだろ。むしろ残しておきたいだなんて、まるで俺の気持ちを疑っているみたいじゃないか」 　目の前にある和希の視線から逃れるように、啓太は顔をそらした。 「これから先、俺の気持ちが変わるかもしれないから“今”を撮っておきたい、そう言われているみたいだ」 「そうじゃないけど、この先俺と啓太にどんなに長い時間があったって啓太が制服を着ている時間はこの数年だけで、あとは制服を着ていない啓太の記憶がどんどん重ねられていくだろ。だから俺は、俺の学園に来て、俺のものになって、俺を欲しいと思ってくれている啓太を撮っておきたいんだ」 「……それでもいやだ。だからそんなの悪趣味だろ。…それ以上言ったら俺、このまま部屋に帰るからな」 　和希に押し切られたくなくて、故意に固い声をだす。 　和希は溜息をつくと、「わかったよ」と言って体を引いた。 「今日このまま啓太に帰られたらかなわない。諦めるよ」 「……」 　和希の表情を確認するために和希に視線を戻す。和希は特に怒っているような様子はなく、立ち上がって制服のジャケットのボタンをはずすところだった。 「ただ残念な気持ちの分、啓太に意地悪しちゃうかもしれないけど、それは許してくれよ」 「なんだよ、脅すのかよ」 「そういうつもりはないけど、ほら、俺も大人げない人間だからさ」 「自分で言うくらいなら改めろよ…」 　ボタンをすべてはずし、ジャケットを肩から落とす。赤い制服の下から白いシャツに包まれた和希の背中が見えた。 　それから和希が袖口のボタンをはずす。 「啓太は？　もしかして俺に脱がされたくて待ってるのか？」 「そ、そういうわけじゃないけど」 　声をかけられて、啓太は自分がベッドに横になったままぼうっと和希を見ていたことに気づいた。慌てて身を起こす。 「俺は啓太の服脱がすの好きだから、そのまま待っててもいいけどね。普段の服でもパジャマでもいいけど、やっぱり制服を脱がすのが一番楽しいよ」 「なんだよ、それ――」 　言いかけて、言葉が止まる。和希が笑ってこちらを振り向き、ネクタイを緩めるところだった。すでに見慣れた、さまになっている動作で。 　ネクタイをほどいたあと和希の指は白いシャツのボタンにかかった。器用な指先がボタンをはずし、襟元が徐々にはだけていく。 「――」 　制服だけど、学生とは思えない堂にいったしぐさで。 　成人した男の顔を見せるくせに、脱ごうとしているのは自分と同じ制服で。 　そのアンバランスさに、啓太は目を奪われていた。 　和希が制服制服と言っていたからか、今日に限って和希の制服を脱ぐ動作に惹きつけられる。自分と同じシャツ、自分と同じネクタイ。なにもかも同じもの、なのに。 　指先や襟元やシャツを通して見えるその体に、惹きつけられて仕方がなかった。 「啓太？」 「……な、なに」 「……もしかして今、俺に見とれてた？」 「な、なに言ってんだよ和希。そんなわけ……」 「俺が脱いでいるのが気になった？　もしかして――脱いでるのが制服だから？」 「ち、違うって」 　啓太は和希から目をそらした。シャツのボタンを少しだけはずし、ネクタイを首にかけたままの和希を正面からまともに見たらやばいと思った。 「なに自惚れてるんだよ。見とれてたなんてそんなわけ……」 「じゃあどうしてそんなふうに目をそらしているのかな。そんなふうに、顔を真っ赤にして」 「赤くなんかなってないだろ」 　啓太はすぐに否定したが、その声に力がないことは自分でもよくわかっていた。 　目の端で、和希がかすかに笑う気配を感じた。 「啓太」 　啓太の視界に入るように、和希が移動する。身をかがめ、ベッドに腰掛けたままの啓太の両脇に腕をついた。 「啓太も俺の制服を意識しているんだ？　今、俺に見とれてただろ。俺が制服を脱ぐところは啓太のお気に召した？　もしかして、俺が気がつかなかっただけでいつもあんな熱い目で見られていたのかな」 「熱い目って…」 「熱い目だろ。だって啓太、まばたきもほとんどしてなかったじゃないか」 「してたよ！　っていうか、そもそも和希そこまで俺のこと見てなかっただろ！」 「なあ啓太。――俺の写真、ほしくない？」 　啓太の耳に顔を寄せて、和希が声を落としてささやいた。 「そんなに熱い目で見つめてなくても、写真を撮ればずっと取っておけるよ。啓太が望むしぐさでもなんでもしてやるからさ。“啓太が好きな俺”をもっと増やしたくないか？」 「な…っ」 「制服を着ている今だけの俺を。昼間学園の中でもたくさん撮ったけど、二人だけの部屋の中で、“啓太の前でしか見せない俺”を写真にとどめておきたくないか？」 「――」 「それとも啓太にとっては昼間の、他のみんなにも向ける遠藤和希の顔だけでいいのかな」 「……っ」 「啓太。交換条件てことでどうかな。俺も俺だけのかわいい啓太を撮るけど、啓太も好きなだけ俺の写真を手に入れられるよ。二人で交代で撮りあおう」 　困り果てて啓太が和希の顔を見返すと、和希がさらに甘い声で啓太の名前を呼んだ。 「ね、啓太……」 　――限界、だった。 　啓太は顔を真っ赤にさせてうつむいた。 「……わ、わかった。わかったから。もうそれでいいから、もうちょっと離れろよ和希」 「それでいいって、じゃあ啓太のこと撮ってもいいんだ？」 「……」 　啓太が小さく頷く。 　和希は啓太の体の脇に置いていた両腕で、啓太を抱きしめた。 「わっ」 「啓太、ありがとう」 「だから、離れろって…」 「でも啓太。俺たち今からするんだろ？　離れていたらできないよ」 「でもまだ今は……そうだ、カ、カメラとか確かめなくていいのかよ」 「ああ、それもそうだな。確かに、ちゃんと撮れるように確認しとかないといけないよな。メモリーカードも新しいのを入れておかないとたくさん撮れないしな」 　どうにか苦し紛れに出した言葉で、和希はあっさりと啓太から離れた。啓太はそのことにほっとしつつも、新しいメモリーカードという言葉に眉を寄せる。 「和希……新しいメモリーカードって…」 「だって普通の写真用のメモリーカードとは別にしておかないとまずいだろ。だからあらかじめ用意しておいたんだ」 　そう答えた和希は、自分の机の上に置いてあった啓太のデジカメを手にしたあと、机の引き出しからメモリーカードを出して交換した。その手つきは啓太から見て、とても楽しげなものに見えた。 「あらかじめ用意って、最初からそのつもりで……和希！」 「そんな些細なこと気にしない気にしない。それより啓太、勿論、男に二言はないよな？」 　啓太を振り返って和希が確認してくる。メモリーカードのことを怒って今の空気を変え、うまくやめる方向に持っていけないものかとほんの少し考えた啓太がうっと息を詰まらせる。和希に先に釘を刺され、啓太は仕方なく頷いた。 　たとえここで怒ってやめる方向に話を持っていこうとしても、結局はまた和希の言葉にうまく篭絡されてしまいそうな気がした。和希が服を脱ぐ些細なしぐさに目を奪われている限り、結局どう言っても結果は変わらないように思えた。 「わかってるよ…」 「ならいいんだけど。あ〜、楽しみだなあ。まずはどんな格好をしてもらうかな。啓太に、自分で服の上から感じやすいところを触ってもらうのもいいよな。いっそ啓太に一人でしてもらって…」 「！　りょ、了承はしたけど、でもやっぱり俺、少し心の準備をする時間がほしい！」 「啓太!?」 　啓太は和希の手からデジカメを奪うと、そのままバスルームに向かって駆け出した。 「啓太、なんでデジカメまで…」 「これはもともと俺のなんだから俺が持っててもいいだろ！　とにかくもうちょっと待てよ和希！」 「それはいいけどさ。でも啓太、そのままそこでシャワーを浴びるのはなしだぞ。髪が濡れてたりシャワーの後で体が暖まっていたら、制服を着ているいつもの、普通の状態の啓太じゃなくなっちゃうんだからな」 「う。わ、わかった」 　そう答えて、啓太はすぐにドアを閉めた。 　しばらくドアを押さえていたが、和希がここまできて無理やりドアを開ける気はないらしいと知り、ほっと息をつく。 　――啓太がふと顔を上げると、ドアの右側にある洗面台の鏡に、顔を赤くした自分が映っていた。