Ｄａｙｓ
　　〜それらすべて輝かしき日々〜


「写真？」
　啓太が掲げてみせたカメラを見ながら、和希が繰り返した。
　それに対して啓太が笑って答える。
「そう、写真。妹に、ベルリバティの写真を撮ってくれって頼まれたんだ」
「ふうん。それでそのカメラか」
「うちのデジカメを送ってもらったんだ。写真を撮るだけなら使い捨てのカメラでも携帯でもいいんだろうけど、ちゃんとした写真をほしがっているようだったからさ」
　啓太が和希に見せたカメラを手元で遊ばせる。実際にカメラを起動させ、今いる廊下の風景をファインダーに収めてみた。休み時間である今、廊下には幾人もの学生が行きかっているが、啓太たちに注意を払う者はいなかった。
「でもまた、なんで急に？」
「それがさ、このまえ久しぶりに家に電話したんだけど、俺がここの話をしていたら急に妹が『お兄ちゃんの学校が見たい！』って言い出してさ。特に面白いものなんかないぞって言ったんだけど、写真撮って送ってってうるさくてさ。だからなんで急にそんなことになったのか、俺にもよくわかんないんだけどさ」
　壁に背中を預け、ぼやく啓太を見て、和希は口元を緩ませた。
「……なんだよ」
「別に。ただ俺には啓太に写真を撮ってほしいって言った理由がなんとなくわかったからさ」
「なんで朋子のことが和希にわかるんだよ」
「わかるよ。啓太からベルリバティのことを聞いたら、そりゃあな」
「なんだよ、それ」
　和希は廊下の窓枠に腕を置き、窓の外に視線を移す。ここから見えるのはありきたりな学園の風景かもしれないが、和希からすれば特別な風景だった。ここは自分が運営する、自分の学園。そして自分と啓太が一緒に過ごしている場所。
「きっと、啓太の話が楽しそうだったんだろ。だから話を聞いて興味を持ったんだ。啓太が学園のことを楽しそうに話すから、自分もその場所のことを知りたいって思ったんじゃないかな。俺にはその気持ちがわかるよ。いやなこともいろいろあるんだろうけど、啓太は基本的にベルリバティの話をするときとても楽しそうだからな」
「そ、そうかな」
「そうだよ。だから俺はいつも啓太の話を聞いていて安心する。啓太がここでの学園生活を楽しんでいることがわかってさ。啓太をこの学園に呼んでよかったって、安心するんだ……」
　隣にいる啓太に視線を移すと、啓太は少し驚いたような顔で和希を見返していた。
「和希……」
「啓太の妹さんはさ、多分もともと、啓太がここの話をするたびにこの学園を見てみたいって思ってたんじゃないか。それがそのときの話でさらに強まったと。本当はここに来たいくらいかもしれないけど、なかなかここには来られないからな。だからせめて写真でここを知りたくなったんだろうな」
「うん、確かに何度か、ここに来てみたいって言ってたなあ」
「だろ？　……俺には啓太がどこでどんなふうに過ごしているか知りたい気持ち、よくわかるよ。妹さんの感覚とは少し違うかもしれないけど、俺も啓太をここに呼ぶ前ずっとそう思っていたからな。今の啓太のことがもっと知りたいって、そう思っていたよ」
　啓太を見つめたまま和希がそう言うと、啓太の頬が赤く染まった。
「えっと、だ、だからあの、放課後もし和希に時間があったら、写真を撮るのに付き合ってほしいんだ。撮る場所とか、写す角度とか、相談に乗ってほしい」
「いいよ。それくらいいつでも付き合うよ」
「よかった。どうせなら学園のいろんな場所を撮りたいと思っているんだけど、俺のほうでだいたいリストアップしているからそれほど時間はかからないと思う」
「じゃあそのリスト見せてみろよ。俺がどの時間帯に撮るといいとか、どこから撮るといいとか教えてやるよ」
「頼りにしてるよ、和希。やっぱり和希が一番ベルリバティに詳しいもんな」
　啓太が制服のポケットを探り、折りたたんである紙片を和希に渡した。
「今日は天気がいいから、写真を撮るには最適だな。夕暮れ時なんかもいい写真が撮れそうだぞ」
「そうだな。妹に送るためとはいえ、俺も写真を撮るのがすごく楽しみだよ」
　学園のいろいろな風景を思い浮かべ、啓太が笑う。確かに青空の下だけではなく、夕暮れのオレンジ色の光に包まれた景色もきっときれいだろうなと思った。
「俺も楽しみだよ。だって」
　啓太の腕を引き寄せ、和希はその耳元に唇を寄せた。
「まるで学園の中をデートするみたいだろ。妹さんに感謝だな」
　そう言ったあと、そのまま啓太の耳朶に唇を押し当てる。
「…っ、和希、ここ廊下！」
「誰も見てないって。ん〜、どうせなら手もつないでデートしようか」
「写真撮るだけなんだから手をつなぐのはやりすぎだろ。……デートはともかく……」
　ぼそぼそと返ってきた啓太の返事に、和希は顔をほころばせた。




　放課後、約束したとおり二人は啓太が作成したリストをもとに学園内を歩いていた。
「教室はまだ人が多いからもう少しあとで戻ってくるとして、まずはグラウンドのほうから回るかな。逆にそっちならまだ人も少ないだろうし」
　リストを確かめながら啓太が呟く。
「それって、つまり他の人間を写さないほうがいいのか？　もしかして人のいない風景写真限定？」
　リストを覗き込んだ和希が、横から聞いてきた。
「そういうわけでもないけど、人まで写してたらややこしいことになりそうだろ。なんで写真なんか撮ってるのかって説明を求められそう。でもって妹のためなんて言ったらからかわれそうだよ…」
「事実なんだからそれでもおかしくないと思うけどな。妹のために写真を撮ってやるいいお兄ちゃんだもんな、啓太は」
「それがいやなんだって。恥ずかしいだろ」
　“いいお兄ちゃん”なんて笑いながら言われ、啓太が和希の脇を肘でつっつく。
「恥ずかしがる啓太お兄ちゃんもかわいいけどな」
「和希。だからやめろって」
「わかったわかった。それで、啓太は風景写真のつもりだったんだ？」
「そうだよ。和希は違うのか？」
「んー、純粋な風景だけの写真じゃ、ベルリバティなんだか他の場所なんだかわからなくて、見る楽しみがないと思うけどな」
「そうかな…」
　周りを見渡しながら言った和希の言葉に、啓太も考え込む。言われてみれば、設備の整った学園という特質はあるものの、校舎やグランドの写真は“これぞまさにベルリバティ”といったものでもない。味気ないと言われればそうなのかもしれない。
「でもここがどんなところかわかればいいんだし、別にそれほど見る楽しみにこだわらなくてもいいんじゃないかな」
「だけどそれじゃあ撮るほうもつまらないだろ。――ああ、そうだ。じゃあ啓太も一緒に写ればいいんだ」
「えっ!?」
「ベルリバティの制服を着た啓太が一緒に写っていたら、妹さんにも、ここがお兄ちゃんの学校なんだってはっきり伝わっていいだろ」
「ちょ、ちょっと待てよ。俺も写真に写るのか!?　俺が撮るんじゃなくて撮られるほうってこと!?」
　和希の提案に驚いて啓太が声を上げる。和希はそんな啓太の手から笑ってカメラを奪った。
「そうそう。名案だろ？　ってことでカメラ借りるな」
「だから待てって。俺を撮るって、一枚だけじゃなくてもっといっぱい撮るつもりなんだろ？　いくら俺の学校だからって、妹に送るのに何枚も俺ばっかり写っててもしょうがないだろ？　制服っていうなら、和希だって」
「馬鹿。面識もないのに俺の写真なんか見てもしょうがないだろ。啓太だからいいんだよ。勿論毎回同じポーズじゃなくて、表情とか立ち位置とか変えてさ。そこらへんも考えて俺がうまく撮ってやるよ」
「で、でもさ…」
「ただの風景よりそのほうが絶対喜ぶって。啓太がここでどんなふうに過ごしているか見せるいい機会だろ？」
「うーん……」
　啓太はしばらく考え込む。自分ばかりが写っている写真は恥ずかしいし、それを見た妹にも笑われるんじゃないだろうかと思った。今は離れて暮らしているとはいえ今まで何年も一緒に過ごしてきた兄の写真なんて、いまさら見てもしょうがないような気もする。
「和希、やっぱりさ…」
「啓太だったら、自分の妹が写っている妹の学校の写真なんか見たくないって思うのか？」
「え？」
「だから逆の立場で考えてみろよ。啓太の妹さんが自分の学校を紹介しながら写っている写真……啓太ならそんなのくだらないとか、つまらないとか思うか？」
　和希に言われ、啓太は自分と妹を逆の立場に置き換えて考えてみた。妹が自分のために学校を紹介してくれている写真。妹の視点で写されるものもいいが、そこに楽しそうな妹も写っているのを想像すると――。
「別に、つまらないとかくだらないなんて思わないかな。楽しそうに写っているようなら学校が好きなんだろうなって安心するし…」
「だろ？　じゃあきまりだな。啓太と兄妹なんだから、啓太の妹さんもきっとそう考えるよ」
「でも俺と朋子じゃ立場が違うだろ。俺はやっぱり妹のことは心配するけど、妹から兄については……」
「いいからいいから。俺に任せなさい」
　カメラを軽く掲げ、和希が笑う。啓太はそんな和希を見てつられて笑みを浮かべた。まだまだ気恥ずかしさはあるが、和希の言うことも一理あるかもしれないと思い直す。
「わかった。じゃあ和希にお願いするよ」
「オッケー。愛情のこもったいい写真撮ってやるからな」
「別にそんな気持ちなんかこめなくていいよ…」
「なに言ってるんだよ。愛情があるほうがきれいに写るんだぞ。とにかくまずはグラウンドからだな」
「うん」
　それから二人は、場所を変えながら写真を撮っていった。
　ただの風景写真ではなく啓太の写真ということで、和希が被写体である啓太にあれこれ注文をつける。
「和希…モデルとして写っているわけじゃないんだから、そこまでこだわるなよ」
「気にするなよ。そのほうが啓太がかわいく撮れるだけだよ」
「妹に送る写真にかわいく写ってどうするんだよ……。そもそも男相手にかわいいって……」
「だって啓太は本当にかわいいだろ。ほら、撮るぞ」
　何度も何度も和希は啓太を写真に収める。ベルリバティの校舎と啓太。学園の外の風景と啓太。
　啓太を正面から写したものや横顔、または振り返りざまに写した写真。啓太が普通に立っているものや少しポーズをとったものなど。さまざまな写真の中で、どの写真にも共通しているものは啓太の笑顔だった。
　カメラを持っている和希に向けられる啓太の笑顔はどれもまぶしく、写真を撮るたびに和希は啓太への想いを再確認した。
　いつも見慣れている光景だが、カメラを通すとより実感する。この学園――自分の学園に、伊藤啓太という少年がこんなにも自然に溶け込んでいることを。
　ベルリバティを引き継いだばかりのときはまったく考えもしなかった光景だった。この学園で制服姿の啓太が明るく笑っているなど。
　自分の学園で、あの小さかった啓太が。
「…和希？　和希ってば」
「…え？」
「どうしたんだよ、疲れたのか。今のが最後の写真だろ。ちゃんと撮れたのか？」
　離れた場所に立っていた啓太が、和希に近づき、持っていたカメラを覗き込んだ。
「あ、ああちゃんと撮れたよ。ほら」
「よかった。これでメモリーカードもいっぱいになったし、全部終了だな。お疲れ様。そしてありがとう」
「いや…」
　自分に向けられた啓太の笑顔から顔をそらし、和希は手元のカメラに視線を落とした。
「それより、この写真の現像はどうするんだ？　このままデジカメとメモリーカードごと家に送るのか？」
「そのことなら、明日にでも外の写真屋さんに出してこようと思っているんだ。うちにも俺の部屋にもプリンターはないし、学園の誰かに頼むのも恥ずかしいしな」
「だったら俺が印刷してやるよ。俺の部屋にならプリンターもあるし、専用の用紙もあるからさ。そのほうが早いし、わざわざ外に行くような手間もかからないだろ。写真を撮った俺になら恥ずかしがる必要もないしな」
「でも和希はただでさえ忙しいんだし、悪いよ」
　啓太がカメラに向けて手を伸ばしてきた。和希はその手からカメラを遠ざけてさらに言い継ぐ。
「大丈夫だって。画像を印刷するくらい簡単だよ」
「そうか？」
「そうだよ。あっという間に終わる。だから俺に任せろよ」
「わかった。じゃあ和希に頼むな」
「ああ」
　和希はデジカメからメモリーカードを抜き取ると、カメラだけ啓太に返した。
「あっという間に、とは言っても、今夜中には渡せないな。今日はこのあとサーバー棟に寄る用事があってさ、写真は明日になるけど、それでいいだろ？」
「急ぐものじゃないからそれはかまわないけど……やっぱり和希、忙しいんじゃないか…」
　憮然とした顔でそう言った啓太の肩を、和希は笑って軽く引き寄せた。
「仕事じゃなくてただの用事だよ。すぐ終わるって。だからそんな顔するなよ。……正直に言えば俺の啓太の写真を、他の人間に現像されたくなかっただけだよ。だから俺にさせて」
「……」
「な？」
　上目遣いで顔を覗き込むように言われて、啓太は頷いた。
「わかったよ。でもただの写真程度にこだわるなよ和希…」
「俺にとって啓太の写真は特別だよ」
　メモリーカードを大事にポケットにしまいながら、和希ははっきりとそう答えた。




「……啓太の写真は特別、か…」
　その日の夜。和希は自分の部屋で、昼間啓太に言った言葉を反芻していた。
　手の中にあるのは小さな一枚のメモリーカード。勿論それは、昼間撮ったものだ。
　この小さなカードの中に、啓太の笑顔と、ベルリバティの風景が収められている。
　和希は頭の中でどんな写真を撮ったか思い出していった。
　どれも楽しそうに、輝きに満ちていた啓太の笑顔。
「啓太……」
　呟いて、和希は目の前にあるパソコンにメモリーカードを押し込んだ。




「ほら、これ。メモリーカードと写真な」
　翌朝、啓太の部屋に迎えに来た和希は、持っていた袋を啓太に手渡した。すでに起きて身支度を整えていた啓太が袋を受け取り、中を確かめる。
「ありがとう和希。どのくらい時間がかかった？」
「大したことないよ。それより、さすがにプロの写真には負けるけどそんな感じでいいんだろ？」
「充分充分。よく撮れてるよ。俺ばっかり、っていうのはちょっと恥ずかしいけどな」
「全部かわいかったよ」
「だからそういうこと言うなって…」
　啓太は袋を机の上に置くと、じゃあ食堂に行こうかと和希を促した。
「写真、どれもよく撮れてたな。和希の腕がよかったのかな」
「そうだなあ。愛情込めて一枚一枚丁寧に撮ったからな」
　食堂に向かって歩きながら啓太が話しかけると、和希もそれに答えてきた。
「普通、そこでちょっとは謙遜しないか？」
「撮っている人間の腕より、モデルがよかったんだよって？」
「別に俺のことはどうでもいいんだけどさ…」
「でもモデルがよかったのも確かにあるだろうな。啓太が俺に向けて笑ってくれるから、俺も撮るときに気合が入ったしな。一枚一枚、全部、宝物みたいな啓太の笑顔だったよ」
　写真の中の啓太を思い返してそう言った和希の顔を、啓太はしばらく無言で見つめる。
「啓太？　どうかしたのか？」
「…それは、多分撮っていたのが和希だからだろうなって思っただけだよ。カメラの向こうに和希がいたから、俺もそれが嬉しくて、つい顔が笑っちゃって…。和希以外の人間にはあそこまで自然には笑えなかっただろうな」
「啓太。……こんなところでそんなこと言うの反則だぞ。こんな朝っぱらから、人のいるところで言うなんてさ。夕べは俺たち、別々に寝てたんだぞ？」
「えっ、だ、だからなんだよ」
「だから、お互いたまってるだろってことだよ」
「……っ」
「刺激されたら、困る」
「ばか…」
　隣を歩く和希の足を軽く蹴飛ばす。和希は笑って痛い振りをしてみせた。
　そんなやり取りをしているうちに食堂に着き、二人は朝食を食べることになった。
　食事をのせたトレーを持った和希が、空いている席を探して腰を下ろす。啓太もそれに続いた。
「いただきます」
「いただきます。ところで和希」
「ん？」
「さっき、俺の写真のことを宝物って言ってたけど」
「ああ」
「本当に自分の宝物にしてないよな？」
「!?」
「今朝渡してくれた枚数以外にも印刷してて、自分で取っておいていないよな？」
　啓太の言葉に、朝食を食べ始めていた和希がのどをつまらせる。
「写真は撮った枚数分ちゃんとあったみたいだけど、同じのを印刷して、それで自分で持っていないよな？」　
「……」
「なんか自分で印刷することにこだわっていたみたいだし、和希ならありえそうかなと昨日の夜ちょっと疑っちゃったんだけど。…まさかな？」
　和希は啓太の言葉に答えず、ひたすらトレーの上の水を飲んで呼吸を落ち着かせた。
「……和希」
　和希の手からコップを奪い取り、啓太が和希に対して疑いのまなざしを向ける。
　軽く咳払いしたあと、和希は小声で答えた。
「……印刷はしていない。けど、俺のパソコンにメモリーカードの画像は移した。…別に初めからそうするつもりじゃなかったけど…このメモリーカードの中に啓太が写っていると思ったら、そりゃあな」
「そりゃあな、じゃないだろ。俺が今聞かなかったら、そのままずっと黙ってたんだろ」
　啓太の問いに和希は無言でそれを認める。
「和希…。たかが写真だろ」
「でも俺にとって啓太の写真は特別だって昨日も言っただろ。恋人がかわいく写っている写真なら誰だって持っていたくなるだろ」
「わ、ばか。場所を考えろよ」
　啓太は慌てて周りを見渡した。幸いにして今朝はまだ食堂のピークの時間帯よりはいくらか早く、啓太たちの会話に目を向けるものはいなかった。
「和希……」
「本当に、俺にとって啓太の写真は特別なんだよ。特に今回のは、啓太が制服を着て、俺の学園で写っている写真なんだからな。小さかった啓太が俺の学園に通っている。そのことだけでも感慨深いのに、その上制服姿で学園の中で楽しそうに笑っていてくれるなんて……俺にすれば、本当に宝物なんだよ。だからちょっと悪いとは思ったけど、自分でも持っていたくなってさ。ごめんな、啓太。黙って勝手にそんなことしてさ」
「和希」
「でも画像を消せ、なんて言うなよ。このまま俺に持っていさせてほしい。本当に、俺にとっては特別な意味を持つ写真なんだ」
「……わかったよ。もともと、返してほしくてこの話をしたわけじゃないしな。ただ、和希が持っているかどうかだけ確かめたかったんだ」
「ありがとう啓太」
「もういいよ。それにその代わり…」
　そう言って啓太は制服のポケットからあるものを取り出すと、それを和希に向けた。
「え？」
「和希、笑って！」
「啓太!?」
　啓太の手元からかすかな機械音がした。突然で驚いてしまったが、啓太が手にしているものをよく見ると、それは昨日も持ってきていたデジカメだった。
「和希の食事中の写真一枚もらい。勿論、これだけじゃないからな」
「啓太!?　これだけじゃないって…」
「和希だって昨日俺の写真を撮って、それを自分で持っているんだろ？　だったら俺にも和希の写真を撮らせろよ。じゃないと不公平だろ？　俺だって和希の写真がほしいよ。ちゃんと和希の写真専用の別のメモリーカードも持ってきたんだぞ」
　「ほらな」と言って、啓太は持っていたデジカメからメモリーカードを出して和希に見せた。
「……用意がいいな、啓太。それに、もし俺が啓太の写真は自分で持っていないって言ったらどうしたんだよ。まさか１００％俺が啓太の写真を持っていると思ったのか？」
「まあほぼ間違いないとは思ってたけど」
「……」
「なんて嘘だよ。もしそうなら、改めてお願いしたかな。和希の写真がほしいって」
「……俺はもともと啓太の頼まれた写真だったし、こんな不意打ちみたいな撮り方はしなかったぞ。もし自由に撮っていいなら俺だって最初から不意打ちで撮ったり、隠し撮りしていたよ」
　不満そうな顔でそう言う和希に、啓太は笑って答えた。
「昨日のは俺の妹のための写真なんだから不意打ちや隠し撮りがないのは当たり前だろ。でもってこれは俺のための写真だからそういうのもかまわないんだ。俺の好きな和希をたくさん撮りたくてさ」
「……そんな顔でそう言うのはずるいぞ、啓太。そんなかわいい顔でそんなこと言われたら受け入れるしかないだろ。ただし俺のモデル料は高いからな」
「わかってるよ。でも昨日の俺の写真で充分それに見合うだろ？　それともあんなもんじゃ安すぎる？」
　啓太に聞かれて、和希は一瞬の間ののち、ゆっくりと息を吐き出すように答えた。
「いや、充分だよ。俺にとって啓太の笑顔は価値が高いんだからな。――わかったよ、今日は啓太の写真撮影に付き合うよ」




「撮るって言っても、和希は普通にしてくれてていいんだ。俺が本当に、俺の好きな和希を撮りたいだけなんだからさ」
　朝食を食べ終えたあと、二人はいつもより早い時間に学園に向かった。デジカメを手にした啓太が、後ろを歩く和希を振り返って言う。
「普通でいいと言われてもなあ。啓太が俺になにを求めているかにもよるだろ。……“使える”ような写真がほしいのか？」
「！」
「啓太が一人のときに使用するって言うなら……やっぱりそれなりの露出が必要だよな」
「な、なに言ってんだよ和希！　そんな写真じゃなくてもっと普通の！……って、和希がそんなこと言うってことは、まさか昨日の写真はそのつもりで……」
「ははは、違うよ。昨日のは本当にもっと純粋な意味でほしかっただけだよ。使う気ならもっと違う感じの写真の方が…」
「和希！」
「冗談だって」
「ったく、茶化すなよ。俺は、もっと普通の写真がほしいんだよ。普通だけど特別、みたいな和希の写真が…」
　歩きながら、啓太は手元のデジカメに目を落とす。
「……和希のモデル料が高いのはわかってるよ。本当だったら和希は、ちゃんと撮影許可を申し込まないといけないような人間なんだもんな。気軽に撮っちゃいけない立場の人間だろ」
「啓太、それは」
「俺がわがまま言って撮りたいと思っている和希の普通の写真だって、世間に出回ったらきっと大変なものなんだよな。だって俺が今撮りたいのはスーツを着ている鈴菱和希の写真じゃなくて、俺の隣にいてベルリバティの制服を着ている遠藤和希の写真なんだからさ。でも俺は、昨日和希がベルリバティで制服を着ている俺を撮ってくれたように、俺も制服を着てこの学園にいる和希を撮りたいよ」
　そこで啓太は足を止めて体ごと和希を振り返った。
「俺が特別だって言うなら、和希だって特別だろ。今ここにいる和希は、特別な時間の中の和希だ。制服姿の和希は今しか撮れないだろ？　この先俺たちにどんなに長い時間が待っていたって、制服を着て俺と同じ時間を過ごしている和希は今だけだ。だから俺は今の和希が撮りたいんだ」
「啓太……」
「それに今の和希は、俺が好きになった和希でもあるだろ。和希と出会ったのは子供のころ、カズ兄としてだった。でも俺が惹かれたのはベルリバティでクラスメートとして出会った遠藤和希だからさ。スーツを着ている和希も私服の和希も大好きだけど、写真に収めて大切に持っていたいのは今の和希なんだ。昨日和希に写真を撮られて、夜にそのことを振り返って強く感じたんだ。俺も和希の今の写真がほしいって。だから、和希が食事しているところも授業中も放課後も、教室でも外でも、いろいろな和希を撮りたい」
「……改めてそう言われると照れるな。啓太に見つめられて写真を撮られるなんてものすごく緊張しちゃいそうだ」
　頬をかいて視線をはずした和希に向けて、啓太はデジカメを掲げる。
「愛情を込めて一枚一枚丁寧に撮ってやるよ。それから、ちゃんとかわいく写るようにな」
「……もしかして今までのは全部口実で、啓太は俺に昨日の仕返しをしたいだけなんじゃないのか」
「ばか、そんなわけないだろ。そりゃ昨日のお返しの意味で今言ったのはわざとだけど…」
「ありがとう啓太。ものすごく嬉しいよ」
「うわっ」
　いきなり和希に抱き寄せられ、啓太は体のバランスをくずした。慌ててデジカメを落とさないように持ち直す。
「昨日啓太の写真を撮っていてすごく幸せだったけど、好きな子に撮られるのも幸せなんだって今教えられたよ。啓太に二日続けて宝物をもらった気分だ」
「……俺にとっても和希の写真は宝物だよ。ずっと大切にする。絶対他の人間には見せない。だから、俺が制服姿の和希の写真を持っててもいいだろ？」
「かまわないよ。もともとここの制服を着ている俺の写真なんか他の人間に見られても平気だし、啓太はそんなこと気にしなくていいんだ」
「そうかな？　鈴菱の人間が社会人なのに高校生の制服を着ているのって…かなり変な写真だと思うぞ。下手したら和希が潜入調査していたことや鈴菱の機密までもが表に出るきっかけに…」
「そのときは恋人が通っている学園の制服を着てプレイを楽しんでましたって言うから平気だよ」
「……その方がもっとまずいだろ…」
「気にしない気にしない」
　そう言って、和希は笑ってさらに啓太を強く抱きしめてきた。
　啓太も登校途中だということを気にしながらも、しばらく和希に身を任せた。
　和希の柔らかな声が啓太の心に染みとおる。
「ありがとう啓太」
「……お礼を言いたいのは俺のほうだよ。俺のほうがもっと和希に感謝しているんだからな。俺をこの学園に呼んで、こんなに幸せにしてくれてありがとう、和希……」
　和希の腕の力が、さらに強くなった気がした。




「これで全部終了。おかげでたくさんの和希を撮れたよ。ありがとう和希！」
　放課後、いろいろな時間やいろいろな場所で和希の写真を撮り終えた啓太が、満足そうに笑って改めて和希に礼を言った。
「どういたしまして」
「？　あれ、なんか不満そうだな。もしかして疲れた？　それとも気が変わった…？　やっぱり迷惑だった…？」
　和希の声につまらなそうな響きを感じて、啓太が途端に不安そうな表情を見せる。
　和希は「そうじゃないよ」と前置きしてから続けた。
「そうじゃなくて、啓太、本当にこっちが意識していないときもこっそり撮ってたからな。それはちょっとずるいんじゃないかなって思っただけだよ」
「だって、俺に気づいてないときの和希の横顔とか、真剣に授業を受けているときの顔とか、本当にかっこよくてさ。一、二枚、持っておきたかったんだ」
「俺だって啓太の隠し撮り写真がほしいんだけどな」
　横目でこちらを見て言ってくる和希に、啓太は手を振ってその言葉を却下した。
「和希はだめ。和希が隠し撮る側になったら、本当の隠し撮りになりそうだから」
「確かに俺が撮るとなったら“使えそうな”アングルで撮るけど」
「和希っ」
「ま、啓太がどうしてもだめだって言うなら隠し撮りはしないけどさ」
　そう言って和希は啓太が持っていたデジカメを奪った。
「和希？　返せよ。…まさか今俺が撮ったもの全部消しちゃうんじゃないよな」
「それはしないよ。ただ、隠し撮りじゃなくていいから、俺ももっと啓太の写真がほしいって思っただけだよ。ほら、啓太の制服姿の写真は貴重だろ？　この数年だけのものだ。だからさ、啓太の制服でまだ撮っていない写真を撮りたいなって思ってさ」
「まだ撮っていない写真…？」
　首を傾げた啓太に、和希はこっそりと耳打ちした。
「制服を乱した啓太の写真がほしいよ」
「え…」
「乱れた制服をかろうじて身に着けてて、啓太もかわいく乱れているような写真がほしい」
「――ばっ！　和希っ！」
「代わりに俺も制服脱ぐからさ。二人で交代しながら撮り合おうな」
「いらないよ！！　そんなの撮らないからな！！」
「照れるなって。俺の制服姿の写真も貴重なんだろ。だったら俺が制服を乱した写真なんてもっと貴重だぞ」
「だからいらないって！！」
「あ、いっそお互いに制服のままでハメ撮りするっていうのもいいな。今までしたことないから、きっと啓太も燃えるぞ。今度実際に試してみような」
「だからしないって！　和希〜〜〜っ！！！」



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＥＮＤ　（ｏｒ　　To be continued…？）