滝との電話を切ったあと、啓太は今の電話の内容に思いを馳せた。 自分は『理事長』の反応をすぐそばで見ることができる。『理事長』自身の気持ちも、直接言葉で聞くことができる。でも実際に行動する後輩たちは、理事長の気持ちや反応を直接知ることはできないのだ。 それなのに後輩たちに託してしまったことを、啓太は少し後悔した。勿論もう事態は動いていて、いまさらなかったことにはできないが。 あのとき、ちょっとうかれていたかもしれないと卒業時の自分を思い出して反省する。 ベルリバティの理事長に対して学生としてお祝いしたかったのは本当。でも今の自分だと純粋な学生の気持ちにはなりえないからと、後輩に気軽な気持ちで託してしまった。 滝はなにも知らないからそのことについては触れなかったが、理事長と啓太の関係を知っている人間ならどう思うか。 滝が後輩から連絡を受けたというなら、きっと学生会や会計部の面々にも知れ渡っているに違いないのだ――。 「……なんかいろいろ突っ込まれそうだよな…」 呟いて、その面々のなつかしい顔を思い浮かべる。 次に会ったとき、このことについて突っ込まれるのを覚悟しなければいけないようだった。 啓太がそんなことを思ったとき、持っていたままの電話が再び鳴った。 啓太は慌てて通話ボタンを押す。 すると。 「もしもし、伊藤くんですか？」 電話の向こうから、今啓太が思い浮かべた顔の一つ、七条の声が聞こえた。 「し、七条さん!?」 「はい。こんばんは伊藤くん」 「こ、こんばんは…」 電話の向こうから七条の落ち着いた声が聞こえる。ちょうど今思い浮かべた人からの電話で慌ててしまったが、啓太はとにかく自分も気持ちを落ち着けようと、七条に挨拶を返した。 「久しぶりですね、七条さん。お元気ですか？」 「ええ、僕は元気ですよ。伊藤くんも、声を聞く限りでは元気そうですね」 「はい、元気です！ それで、七条さん、今日はいったい……」 突然の七条からの電話に驚き、啓太はその理由を問うた。 「郁から聞きましたよ」 「な、なにをですか？」 「もうすぐベルリバティスクールの理事長の誕生日がくるそうですね」 「……」 「そこで後輩たちに理事長へのお祝いを頼んだとか。今までの学生会ではまったく考えつかなかったとても素敵な計画ですね。前年度の学生会長として、とても立派な行動だと思いますよ」 電話の向こうの七条のあやしい笑顔が見えるようだった。啓太は思わずその言葉の裏にあるものを聞いてしまった。 「それで…七条さんの真意はなんですか？」 「おや。僕は本当に感動したんですよ。学生たちが理事長に日ごろの感謝を込めて誕生日のお祝いをする。とてもすばらしいですよね。僕が在学中だったときにもそんな企画があってほしかったんですが、残念です。そのときには僕の心からのお祝いの品を理事長に贈りたかったんですけどね」 「そ、それは残念でしたね…」 七条の心からの祝いと聞いて、啓太は普通のプレゼントではなさそうな気がした。おそらく誕生日を口実として、理事長が喜ばなさそうな贈り物のような気がする。 「まあそのかわり、僕のところにもベルリバティの後輩から連絡が来ましたから、理事長へのお祝いの品は呪いのグッズなんかがよいのではないかと僕から強く勧めておきましたが」 「七条さん……」 やっぱり……と、啓太は引きつった笑みを浮かべた。 「でも、七条さんのところにも、西園寺さんのところにも後輩が話を持ち込んだんですね」 「はい。郁から伊藤くんが在校生になにやら宿題を残していったらしいと聞きましたよ」 「実は俊介のところにも話がいったそうです。俺は、理事長に日ごろの感謝を込めて今の学生たちからお祝いをしてほしいと言っただけで、そんなにたくさんの人を巻き込むようなことになるとは思わなかったんですけどね……」 「今の学生たちも卒業生も、やはり理事長の姿や人となりに興味があるようですよ。どんな人間か、年はどれくらいなのか、そういうことを知っていたほうがお祝いも具体的に考えられますからね。なんでも僕のところに届いた噂では、理事長はかなりお年を召した方のようですが」 「えっ!? そんな噂が流れているんですか!?」 「ええ。丹羽元会長が後輩たちにそう言ったらしいですよ」 「王様……」 あの人もか……と内心で呟く。卒業してだいぶ経っていても、在校時の理事長への恨みはまだまだ薄れないようだった。 「それで、今のところ理事長には、このことはまだ知られていないんですか？」 「はい。今はまだ後輩たちも理事長には直接つなぎをとっていないようなので、全然気づいてないみたいですね」 「卒業生の遠藤くんに理事長のことを聞く手段もありませんしね」 「そうですね……」 七条の言葉に啓太は複雑な気持ちを抱く。卒業してから、啓太と同級生だった“遠藤和希”は、今は誰とも連絡が取れない状態にあるのだ。遠藤和希に関するデータはほとんどが偽りで、郵便も電話も今はつながらない。だから西園寺や七条たちのように、ベルリバティの後輩が遠藤和希に連絡を取ろうとしてもそれは不可能なのだ。啓太としては和希も一緒に三年間を過ごしてきたのだから、あの時間の中で作り上げてきた和希だけのつながりを大切にして欲しいと思う。和希の立場でベルリバティの人間たちと卒業後も変わらない関係でいる難しさを感じながらも、やはりそう思ってしまうのだった。別に和希にこの先もずっと偽りを強要したいわけではないのだが。 和希にそのことを話すと、どの学生にも自分からは連絡が取れるし、また自分に必要な連絡は啓太を通して伝わってくるだろうから、それで困らないと言うのだ。確かに啓太と和希の仲の良さを知る人間は、和希と連絡がとりたいとき、まず最初に啓太に聞いてくる。啓太なら元学生会長として、多くの人間に電話番号もメールアドレスも伝えてあるから、あらかたそれで補えるのかもしれないが。 啓太は溜息をつく。せめて自分にできることとして、同級生たちから和希に連絡したいと言われたとき、ちゃんと和希と繋いでいこうと思う。仮の姿で過ごした三年間だから、そのままなかったことにしていいとは、啓太には思えなかった。 「伊藤くん？」 「あ、すみません」 「伊藤くんは、理事長の誕生日当日はどうするんですか？ ベルリバティに行くんですか？」 「いいえ。当日は和希も仕事らしいので、そのあと、夜に和希と待ち合わせしてます」 「学園の後輩たちには会わないんですか？」 「当日は、後輩たちのすることに俺はノータッチですよ。今も後輩たちがなにを考えてどう決めたのか知らないままですしね。俺は、全部終わってから電話で報告を受けます。後輩たちにすべて託しましたから」 「そうですか。あとでどうなったか、僕にも教えてくださいね」 「はい」 「それにしても、遠藤くんが羨ましいですね」 七条が言った言葉に、啓太も大きく同意する。 「そうですね。在校生たちが理事長へのお祝いのためにこんなに一生懸命になってくれるなんて。そんな影響力があるなんて和希はやっぱりすごいし、俺もちょっとだけ羨ましいですね。当日がますます楽しみになってきましたよ！」 「違いますよ。遠藤くんにとってなにがプレゼントになるか、そういうことを一生懸命考えてくれる伊藤くんという存在がいることが羨ましいんですよ」 「し、七条さん」 「あ、これはナイショですよ。あの人に伝わると、惚気られますからね。まああの人がさらに一つ年を取ったかと思うと“いい気味”とも思いますが」 「七条さん……」 「当日は、今の学生たちの理事長に対する答えが返ってくるんでしょうね。学生たちが今の学園生活を不満に思っていたらそれは理事長本人に跳ね返ってくるのでしょう。良くも悪くも理事長がしてきたことの結果次第ですね」 「そうですね……」 確かに一部の人間たちが一生懸命でも、他の学生たちに不満があれば、祝いはそれ相応のものになってしまうのだろう。別に学生たちは理事長にごまをすりたいわけではない。そういう人間も中にはいるかも知れないが、学生の自治を謳っているベルリバティだからこそ、きっと自分たちの気持ちをそのままぶつけてくるだろう。そう考えると、啓太は誕生日当日の結果が怖くなった。和希なら大丈夫と思うが、それで誕生日に和希をいやな気持ちにさせたらどうしようとも思ってしまう。 「おや。不安ですか？ あの人が学生たちによく思われていないかもしれないと心配なんですか？」 「え、いえ…」 「確かにいろいろ変わった人ですからねえ。学生たちから嫌われたり、呆れられていても不思議じゃないですよね」 「う……」 理事長としての大半の仕事は真面目なのだが、学生たちと関わる行動に限って特に変わった部分を露呈していることは、恋人の啓太としても否定できなかった。啓太が学生会長だったときも、何回もはめをはずして遊んできた理事長なのだ。それはそれで楽しい思い出だと好意的に受け止める学生たちも多かったが、万人に受け入れられたかどうかは自信がなかった。 啓太が言葉に詰まっていると、受話器の向こうからかすかな笑い声が聞こえた。 「七条さん？」 「伊藤くん、これは僕個人の話ですが、僕はベルリバティでの生活は悪くはなかったと思っていますよ。他の学園では得られない体験もしましたし、伊藤くんにも出会えましたしね。それにこれで充分だと思っていた僕の世界を自然な形で広げてくれたところですしね。最悪な人間もいましたが、きっとここでなければ郁以外の人間と関わることなどなかったでしょう。少なくとも学園で過ごした三年間を窮屈には感じませんでしたよ」 「……七条さん…っ！」 思いがけず聞くことが出来た七条のベルリバティに対する気持ちに、啓太は先程とは別の理由で言葉が詰まった。七条が笑みを含ませながらそのあとで一言付け足す。 「勿論、これもあの人には内緒の話ですよ？」 「はい、わかりました！ ありがとうございます七条さん！ 誕生日当日のことは今度ゆっくりお話しますね」 「そのときには電話でなく、ゆっくりとお茶でも飲みたいですね」 「そうですね！ 俺も直接報告したいです！」 「ではそのときを、郁と一緒に楽しみにしてますよ」 「はい！」 七条との電話を終えたあと、啓太は壁にかかっているカレンダーを見た。 和希の誕生日までの日数を、改めて眺める。 さっきは不安な気持ちにもなったが、七条の言葉できっと大丈夫だと強く思えるようになった。 後輩たちが理事長に対して考えたお祝い。それがどんなものになったかを知るのが、とても楽しみになった。 「よーし！ 俺も頑張んなきゃな！」 後輩たちからのお祝いはお祝いとして、啓太個人からも和希への誕生日プランがある。恋人として後輩たちに負けてられないと、啓太は気持ちを新たに持った。 本当に大好きな恋人が、一日、とても幸せに過ごせるようにと。そう願いを込めて、啓太は和希の誕生日へと思いを馳せた。 |