Ｎｏｔ　Ｔｅｍｐｏｒａｒｙ　１

「ごめん、和希。俺、教室に忘れ物した！」
　そう言って、啓太が校門の前で足を止めた。
　放課後、和希と一緒に学生会の仕事を手伝い終わったあとのことだった。
　すぐさま和希が「一緒に行こうか」と言ってくれたがわざわざ戻ってもらうのも悪く、啓太は和希にここで待ってるように言って一人で教室に向かって駆け出した。

　だから、『それ』を見てしまったのも啓太一人だった。

「･･････んっ･･･っ」
　最初は、わからなかった。
　頭の中にはとにかく明日提出の課題のことだけがあって、廊下を歩いているときも教室の入り口に辿り着いたときも、電気が消えている教室に対してなにも思わなかった。
　今日は学生会も忙しく、一日の仕事が片付いたときにはかなり遅くなっていたから、多分教室を最後に出た人間がついでに電気も消したのだろうぐらいの認識だった。
　幸い啓太の席はドアに近く、わざわざ教室の電気をつけなくても廊下の明かりだけで充分に用を足せそうだった。
「あっ、そこはよせって･･･っふっ･･･」
（･･････えっ!?）
　少しだけ開いていたドアの中に体を滑り込ませ、自分の席に近づいていたとき、奥の方で声が聞こえた。
「そう言いながらすっげえ感じてんじゃん。ほら、ホントは気持ちいいんだろ？」
「そんなことない･･･あ、そんなきたないことしたらだめ･･･っ」
「きたなくなんかねえよ、おまえのならな･･･」
「んんっ･･･ふっ･･･っ」
（――こ、これって･･･････）
　啓太は足を止めて教室の奥に目を凝らす。
　奥の窓際で、机や椅子に隠れてよく見えないが、もぞもぞと動いている影があった。
　低く聞こえてくる二人分の声と、激しい息遣い。濡れた水音に布がすれる音まで聞こえてきて。
（こ、ここでしてるっ!?）
　啓太はその事実におののく。
　教室内は暗くはっきりとその様子は窺えないが、ここで今真っ最中なのは明らかだった。
（わわっ、は、早く出なきゃ。気づかれないようにしてっ）
　啓太は慌てて自分の席に向かうと、机の中のものをすべて取り出した。どれが必要でどれがいらないかなど見ている余裕もない。とにかく全部を抱えて出口に向かう。
　聞こえてくる声ははっきりと誰のものかわからないものの、どちらも聞きなれたクラスメートの声のようだった。
　こんなところでしなくてもと思いつつも、脳裏にはＡＶ以上の濃厚な妄想がちらりと浮かんでしまって、啓太は自分の顔がほてってきたことを自覚せずにはいられなかった。
（は、恥ずかしいなあ、もう。･･･俺と和希も、人のこと言えないかもしれないけどさ･･･。それにしてもはたから聞いているとこんなかんじなんだ･･･）
　好奇心と恥ずかしさがせめぎあっているのに耐えつつ、啓太は気づかれてしまうミスもおかさず、無事に教室を出られたのだった。

　Ｎｏｔ　Ｔｅｍｐｏｒａｒｙ

「啓太。遅かったな」
「ごめん和希･･･」
　すっかり日も落ちて星が輝きはじめた空のもと、啓太が校門まで戻ってくると和希がほんのりとした笑顔で迎えてくれた。その笑顔にほっとしつつも、普通に顔を見続けることはできなかった。
「どうしたんだよ、啓太」
「どうしたってなにも･･･」
「顔が赤いぞ？」
「･･････」
「それになんだかたくさん持ってきたんだな。それみんな忘れ物か？」
「･･････和希･･･」
　顔のほてりをどうにか落ち着かせたいと思いつつも、啓太は和希に今の出来事をかいつまんで話すことにした。別に隠さなければいけないことではないのだ。ただなんとなく恥ずかしいだけで。
　啓太が和希に事情を話すと、さすがに和希も絶句したようだった。
「･･･神聖なる学び舎をなんだと思っているんだか･･･」
　などと、歩き出しながら教育者らしい言葉をぶつぶつと呟いている。
　その神聖なる学び舎内で幾度も啓太に仕掛けている和希は、人のことを言えないんじゃないだろうかと啓太はこっそり思ったが、とりあえず黙っていることにした。
「俺、めちゃめちゃ恥ずかしかったよ。明日、どんな顔で教室に入ればいいんだろ。入るときについつい思い出しちゃいそうな気がする･･･」
「そいつらちゃんと後片付けすんのかな。ティッシュなんか転がしてたらしゃれにならないよな」
「か、和希。生々しすぎ･･･」
　確かに壁や床に白い飛沫など残っていたら、目も当てられないが。
　そんなことを想像してしまって、啓太はさらに赤面した。和希と理事長室でしてしまったあと、二人でことの名残を残していないか確認する、なんとも恥ずかしい時間のことを思い出してしまったというのもある。
「それにしても･･･」
　寮に向かう道を歩きながら、啓太が大仰に溜息をついた。
「やっぱいるんだなあ。そういう関係の人間てさ。そりゃあ成瀬さんや中嶋さんを見ていればいても不思議じゃないような気がするけど、でも実際に知ってしまうとちょっとショックというかなんというか･･･」
「･･･俺たちもそうだろ」
「そうだけど。でも今まではあからさまにべたべたしているような人間ていなかったし、本当はそんなにいないのかなあとも考えていたんだけどさ。教室でしているような人間がいるんじゃ、なんかもっともっといそうだよな」
「べたべたしている人間、他にもいたけどな。啓太が気がつかなかっただけだろ」
　頬をかきながら答えた和希に、啓太は声を出して驚きをあらわにした。
「えっ、そうだっけ!?」
「そうだよ」
「じゃ、じゃあもしかして、ベルリバティってそういう嗜好の人間ばかり集まっているのか!?」
「･･････いや、そんなことは･･･」
　咄嗟に出てきた啓太の言葉に、さすがにそれには安易に同意できない『ベルリバティ学園の理事長』和希だった。
「あっ、もしかしてそういうのもプラチナペーパーを送る基準になっていたりするのか!?　もしかしてそういう人間ばかり集めたとかっ!?」
「啓太･･･」
「じゃあやっぱり俺にプラチナペーパーが届いたことは間違いだったんだ･･･」
「啓太、そこで真剣に悩むなよ」
　苦笑を浮かべた和希に、啓太は「だってこの学園て、中嶋さんもいるし成瀬さんもいるし」と説明をはじめた。
「それから和希もいるわけだし、教室でしていた二人もいたし、さらにこの他にもいるわけだろ？　それってやっぱりこの学園の生徒ってそういう趣味の人間ばかりが集まってるってことだろ!?」
「あの人たちと並列で名前をあげてほしくないけどな･･･。一応、これでも啓太以外にはノーマルのつもりなんだからさ」
「俺だって、和希以外にはノーマルだぞ!?」
「･･･まあ、とにかくうちの学園は男子校だってところが鍵だろ。健全な肉体を持つ若い学生が集まっていれば、どうしたってそっちのほうも発散したくなるわけだし。外部に恋人を作っている人間だっているだろうけど、やっぱ身近なところにそういう対象を見いだせれば手っ取り早いし楽だし･･･そんな感じなんじゃないか？」
「手っ取り早いし楽･･･」
「確かにうちはそういう人間も少なくはないかもしれないけど、大半は一時的なものなんじゃないかな。俺が言うのもなんだけど、敷地内に寮も学園もあってちょっと閉鎖された場所なわけだし、今はその気になってても卒業すればこれまでのことなんかあっさり忘れて普通に女の子さがしたりするのかもしれないぜ。現にこの前卒業生から結婚報告のはがきが届いてきていたし」
「――」
「･･･啓太？」
　道の途中で、不意にうつむいて足を止めた啓太をいぶかしみ、和希がその顔をのぞきこもうとした。
　だがすぐに啓太は顔を上げ、そして和希に満面の笑顔を向けた。
「そうか、そうだよな。確かに学園内でそういう相手を見つけられたらいつも一緒にいられるし、いいよなっ！　それに、もしとびぬけて優秀な人間ばかりを集めたこの学園にそういう嗜好の人が多かったら、その優秀な細胞が子供に伝えられていかないんじゃないかとかそんなんじゃ日本の未来は暗そうだとか、よけいなことまで考えていたんだけど、でも一時的なものならそんな心配はいらないよな。なんだ、俺すっごく安心した！」
「そ、そうか？」
「うん。やっぱり卒業して学園の外に出たら見方や考え方も変わるよな。ベルリバティでのことは一つの思い出にして、みんなちゃんと普通に生活していくんだな。ありがとう和希。おかげで俺のショックも薄らいだよっ！」
「――」
　啓太の異様なまでの明るさに少し引きかけていた和希だが、今度言葉を失ったのは和希のほうだった。
　足を止めたまま、まじまじと啓太を見つめる。
「ここは男子校だけど、でも一時的にでもそういうのがあるのとないのとじゃ生活の張りが違うもんなっ。うん、納得」
「･･････啓太･･･」
「あっ、そうだ俺、今日急いで帰ってやることがあったのを思い出した！　じゃあな和希、俺ここから走って帰るから。また明日な！」
　唐突に早口でそれだけを言うと、啓太は軽く手を振ってその場から駆け出した。和希を振り返らずに、さっさとこの場を離れていく。
　和希はそれに対して咄嗟に引き止める言葉も浮かばず、また追いかけることもできなかった。
　ただ立ち尽くしたまま、離れていく啓太の背中をずっと見送っているだけだった。

（俺、ちゃんと笑えていたよな？）
　和希のもとを離れて駆け出した啓太は、目元が熱くなってくることにどうにか耐えていた。
　気を抜いてしまえば涙が浮かんできそうだった。
　こんなことぐらいで、とは自分でも思うけれど、それでもやはりショックだったのだ。
　和希に学園内での恋愛について手っ取り早くて楽だと言われたことに。学園という閉鎖的な場所で起きたことだから、一時的なものだと言われたことにすごく動揺してしまったのだ。
　和希の言っていることは事実かもしれない。
　けれどそれは、まるで自分たちの恋愛をもそんなふうに考えているかのような言葉で。
（どうせ俺は和希にとって手っ取り早くて楽な相手だよ･･･っ！　和希のバカっ）
　内心であんなことを言った和希を罵倒しながら、啓太は星が瞬く空の下、寮に向かってひたすら駆けていた。

　啓太が走っているのと同じ空の下に。
「まいった･･････」
　自分の前髪を手でかきあげて、重い溜息をついた男が一人立っていた。
　そういう方向に向けてしまった自分の話運びもいけなかったかもしれないが、まさかあんな言葉を聞かされるなんて思いもしなかった。
　ずっと考えないようにしていた不安を、目の前に突きつけられたような気分だった。
『やっぱり卒業して学園の外に出たら見方や考え方も変わるよな。ベルリバティでのことは一つの思い出にして、みんなちゃんと普通に生活していくんだな』
　明るい笑顔とともに、そう言った啓太。
『一時的にでもそういうのがあるのとないのとじゃ生活の張りが違うもんな』
　――啓太が、卒業したら。
　もっと広い世界を見たら、啓太はここでのことなんか一時的な気の迷いとして片づけてしまうのかもしれない。
「もともと･･･俺が強引に啓太を引き込んだようなものだしな。啓太の人のよさにつけこんで、雰囲気で流して･･･」
　親友と昔馴染みの立場を利用し、身体でつなぎとめて。
　自分はもう啓太という選択肢を選び取ってここに立っているけれど、啓太にはまだ無限の選択肢があるのだ。
　閉鎖された場所での、一時的な恋。内に抱える欲望を発散させるための、かりそめの恋愛遊戯。
　――立ちつくす男の口元に、自嘲的な笑みが浮かんだ。
　自分でも笑ってしまうほど、それはあまりにも情けなく、あまりにも歪んだ発想。
「このまま目隠しをして外を見せないようにすれば、俺はおまえを失わずにすむのかな、啓太･･････」
　男の声を聞く者はなく、その呟きはそのままひっそりと夜闇に溶け込んでいった。