「大丈夫か、啓太？」 　脱ぎ散らかしたシャツを引き寄せて啓太の体にかけてやりながら、和希がその表情を窺いつつ問いかけた。 「全然大丈夫じゃない」 　和希の隣でぐったりと横になっている啓太からは、それでも声だけははっきりと返ってきた。責めるような響きを帯びたその声に、一瞬和希が黙り込む。 「･･･ごめん。つい抑えられなくて無理させた」 　いつもならもう少し啓太の身体を気遣う余裕を持っていたように思うのだが、今回は本当に途中から無我夢中になってしまっていた。啓太を愛しいと思う気持ちのままに暴走し、そこから得られる快感に酔いしれる。おかげで身体は充分に満足したが、肝心の啓太の気持ちを置き去りにしてしまったことには年長者として後悔がつきまとう。 「違う」 　だが和希がそう答えた途端、啓太が身を起こしてすぐに否定の言葉を口に乗せた。 「そういう意味じゃない。したのは俺も求めたんだからかまわない。和希がそれに応えてくれただけだろ。ただ･･･めちゃくちゃ恥ずかしかったんだからなっ」 「啓太･･･」 　かーっと一気に顔を赤くさせた啓太が、すぐさま和希の裸の胸に抱きついてその顔を隠した。それでも耳まで赤く染まっているのが和希には見えた。 「あ･･･あんなにおかしくさせられて。俺、あんなの、しらな･･･っ。もうどうすんだよ、あんなの知っちゃって。俺、和希なしではいられなくなっちゃうだろっ」 　たどたどしい口調の中に啓太が本当に困りきっている様子が読み取れて、和希としては啓太に悪いと思いつつもくすぐったい気持ちになった。それこそが自分の願望だと言ったら、啓太はますます怒るだろうか。 「啓太が俺なしで生きられなくなったら最高かもな」 　啓太の背中に両腕を回して軽く抱きしめ、和希が冗談めかして実際にも口にしてみる。 　するとその途端、さらに啓太の噛みつくような反論が返ってきた。 「簡単に言うなよっ。俺にすれば大問題なんだぞ。ただでさえ心が全部和希に向かっているのに」 「――」 「俺が和希なしでいられなくなるってことは、それだけ和希の負担になるってことだろ!?　俺はそんなふうに和希に頼らないと生きていけない人間にはなりたくないんだからな」 「負担!?」 「･･･俺も、ちゃんと和希みたいに一人で立てるかっこいい人間になって、和希に認めてもらいたいよ」 「ちょ、ちょっと待てよ啓太。負担てなんだよ。俺は啓太のことをそんなふうに考えたことは一度だってないぞ」 　和希が慌てて身を起こし、啓太の表情を確かめる。啓太はすぐさま目を伏せ、口を尖らすようにして呟いた。 「だって、和希はかっこよすぎるんだ」 「はあ!?」 　和希は驚いて声をあげた。自分の弱さは百も承知している。今回のことでも、なにもかもが修行不足でお粗末過ぎる感は否めない。自分がこうなりたいと思う姿は、もっとずっと先のところにある。 「かっこいいなんてそんなことないだろ!?　俺は･･･自分でまだまだだなって思っているのにさ」 「悔しいくらいに和希はかっこいいよ。俺はいつも、和希に置いていかれないようにするので精一杯なんだ。和希はいつも俺の前にいるから、俺は置いていかれたくなくてものすごく焦る。人に頼らないで一人でしっかりと立てる強さも、自分が悪くないのに謝れる度量の広さも、なにもかもが和希はかっこよすぎるよ。俺だって和希みたいにかっこいい人間になりたいのに、和希がいないと一人で立てないようじゃ情けなさ過ぎるだろ？」 「でもそれは今だけのことだろ？　啓太がここの外の、他の世界を見たら･･･」 　思わずそう口にしてしまって、和希はしまったと思う。啓太に言うつもりもなかったことを、迂闊に口を滑らせてしまっていた。情けない自分自身の悩みを明らかにしてしまうようで、ずっと黙っているつもりだったのに。 　和希の言葉に、啓太は少しだけ顔を上げてきょとんと聞き返した。 「他の世界？　なんだよそれ。だって俺の世界はここだろ？　今もこれからも関係なく、和希のそばにいてここから見る世界が俺の世界の全部だろ？」 「――卒業したら見方や考え方が変わるって、啓太が言ったよな？」 「それを最初に言ったのは和希のほうだろ。ここでのことは一時的なものだって、和希が先に言い出したんだろ。俺の見方や考え方が変わるわけないじゃないか。だって俺はもう和希に出会って、和希のことを好きになっちゃったんだからな。そしたらもうそのあと見るものすべて、和希が基準になるのは当たり前だろ？　和希はいろいろと他を見ているんだろうけど、俺は和希しか知らないんだから。俺の中には和希が絶対の前提条件としてあって、そこから俺の未来もはじまっているんだよ」 「――」 「なのに和希にすればそんなんじゃなくて手っ取り早くていいとか、学園にいる間の慰め程度にしか見られていないのかと思って昨日はショックだったんだ。･･･まあ、それはもういいんだけどさ」 「･･･俺は、学園の外の世界も知っていて、そのうえで伊藤啓太という道を選択してここにいるんだ･･･」 　半ば呆然として和希が呟くと、 「俺は和希しか知らないよ。選択なんていう以前に、和希がもう俺のすべてだろ？」 それを受けて啓太が改めて繰り返した。 「卒業したってここを離れたって俺の心の奥にはずっと和希がいて、それが俺の人生の中ではもう当然の理なんだ」 「――くっ･･････」 　和希の中に抑えられない笑いが込み上げてきた。 「和希？　どうしたんだよ和希!?」 　横になったまま啓太を抱き寄せてその肩に頭を預け、和希がしばらく身体を震わせて笑い続ける。 「なんだよ。なんか俺、変なこと言ったか!?」 「･･･別に変なことなんか言ってないさ。ただ･･･まいったよ、啓太。もう降参。俺はいつも啓太に負けているような気がするけど、今回は特に完敗って気がする。置いていかれないように頑張らないと、俺のほうが啓太に置いていかれそうだ」 「なんだよそれ。俺に対する嫌味なのか」 「違う。本気で言っているんだよ」 　啓太から頭を離し、和希はむくれている啓太の唇に軽くくちづけた。 　それから腕を伸ばして啓太の髪の毛をくしゃくしゃとかきまわす。 「かわいいけど、充分かっこいいよ啓太は」 「――」 　自分を見つめる和希のまなざしが優しくて、冗談や嫌味でなく本気で自分を賞賛してくれていることが読み取れて、啓太の頬がたちまち赤く染まった。 　どうして気づかないのだろう。そう言う和希こそ、こんなところがたまらなくかっこいいのに。 「･･･悔しいな･･･っ。和希はそんなこと言うけど、俺ばっかり負け続けている気がする。俺の中で和希の存在は絶対だけど、でもそれはずっと負けっぱなしでもいいとか、ずっと甘えて頼りっぱなしでもいいっていうのとは違うんだからな。･･･さっきのことだって･･････」 　啓太の語尾が小さくなっていったことで、和希は啓太の言わんとすることを察した。 「･･･ああ。そりゃあ俺だって、大人の意地で啓太を抱くときぐらいちゃんとリードしたいからな。･･･それにしてもあのとき啓太、すっごいかわいかったよな」 「だから和希ばっかり余裕を持っているのがすごく悔しい。今に見てろよ。俺だって今にものすごいことができるようになって和希を翻弄してやるからなっ」 「そんなのどこで覚えるんだよ。でも･･･魔性の男ってか？　まあ啓太に搾り取られるのならそれもいいかもな」 「しぼ････！」 「楽しみにしてるよ。俺のこと枯らすまで搾り取ってほしい」 「･･･和希の限界なんてずっとずっと先だろ？」 「さあどうだろうな？　今以上に啓太にまいって、案外早いかもしれないぞ？」 「その前に俺が壊れるかもしれない･･･。いや、俺が絶対勝つんだからな」 「一生かかって搾り取ってみろよ。啓太によって精も魂も尽き果てるのなら本望だからさ」 「一生かけて･･････俺が和希のこと、負かしてやるんだからな」 　そう言って啓太は、宣戦布告を態度でも表明するかのように和希のほうに顔を寄せた。啓太の意図を察して、和希もそれに応える。 　二人の唇が、ゆっくりと重なった。 　一時的なつながりではなく。 　――ずっと。