若葉のころ 「でね、僕はちゃんとスーツを着ていたのに、何度も生徒に間違われたりしたんだよ。それも『こんなちびっこでもベルリバティに入学できるのか!?』って驚かれてね。すごく失礼な話だと思わない？」 「確かに海野先生だったら、制服を着ていなくても生徒にしか見えませんよね。むしろ新入生の弟に間違われなくてよかったんじゃないですか？」 　俺がそう言うと、海野先生は途端にぷうっと頬をふくらませた。こういうところはほんと教師に見えないんだよなあ、海野先生って。 「ひどいなあ。伊藤くんまでそんなこと言うんだ？」 「すいません、冗談ですよ。でもこれがそのときの写真なんですね」 「そう、入学式のときの写真だよ。せっかくだからトノサマと一緒に撮ってもらったんだ」 　俺は海野先生に示された写真を改めてじっと見つめる。それは海野先生の机の上にあった写真で、放課後海野先生の手伝いをしていた俺が、たまたま見つけたものだった。なんでも今年の入学式のときの写真らしい。 「ベルリバティの入学式かあ･･･。俺もどんなものだったか、見たかったなあ」 　入学式自体は来年の春には見られるんだろうけど、やっぱりできたら新入生として参加してみたかったなあ。俺がベルリバティに途中入学することになったいきさつは知っているし、俺の編入のために理事長である和希がいろいろと動いてくれたこともよく知ってる。だから和希に対して文句なんかないんだけど、でもほんのちょっとだけ春に入学してみたかったなって思っちゃったりするんだ。 　海野先生から聞いた話によると、ベルリバティの入学式は学生の自治を重んじるこの学園らしく、学生会が主催する形になっているんだって。式の中では普通の入学式らしい堅苦しい挨拶もあるけど、在校生によるパフォーマンスの時間なんかもあるらしい。学園側からの挨拶は理事長代理ってことで久我沼がしたらしいけど、まあ･･･理事長である和希は表に出ないわけだし、ＭＶＰ戦みたく例のくまちゃんで理事長の挨拶をされるよりはずっとましだろうから、それはそれでいいんだろうな。 　俺はそこまで考えて、ふと今年の入学式の様子を想像してみた。入学式･･･もしかして和希も新入生として参加したのかな。和希に確かめたわけじゃないから実際のところはわからないけど、もし式に参加していたとしたら、理事長代理の挨拶、さぞかし喋りにくかったんじゃないかなあ･･･？ 　そう思いつつも俺はその様子を想像して吹き出してしまった。壇上に上がって和希のことを気にしながらも理事長代理としての挨拶をする久我沼。下からその様子を楽しげに見上げている和希。本当なら入学式の日は表に出ないとはいえ理事長も忙しいだろうから、そんな入学式に参加している暇なんかないのかもしれないけど。でも和希ならそういうのも楽しんじゃいそうな気がする。 「あー、伊藤くん思い出し笑いなんかしちゃって。やっらしいんだあ」 「すいません、いきなり笑い出しちゃって。この入学式に和希もいたのかなあって考えたら、なんとなくおかしくなっちゃって」 「遠藤くん？　うーん･･･確か、新入生の中にいたと思うよ。この日いなかったのは、急な遠征が入ったどこかの運動部の子だけだったと思うし。詳しくはその日新入生の受付をやってた滝くんとか、式典を取り仕切っていた丹羽くんの方が知っていると思うけど」 「そうですか。じゃあ王様や俊介に聞いてみます」 　今まではさして気にしていなかったけど、海野先生から入学式の話を聞いたらそのときの和希の様子がすごく気になった。本当は理事長なのに初々しい新入生のふりをして入学していた和希。俺がここに来る前、和希はどんな顔をしてこの学園で過ごしていたんだろう。 他の人の目から見たら、そのときの和希ってどんなふうに映ったんだろう。 　うん、俊介たちに聞いてみようっと。 「じゃあ海野先生、そろそろ俺行きますね」 「ありがとう伊藤くん。とても助かっちゃったよ。今度またゆっくりとお話でもしようね」 「そうですね」 　俺は海野先生に挨拶をして、職員室を出た。俊介には夕方学食で会ったときにでも聞いてみるとして、まずは学生会室に行ってみようっと。 　俺はさっそく学生会室の方に足を向ける。だが、職員棟を出たところで偶然にも自転車に乗って走っていた俊介と会うことができた。 「俊介！」 「なんや啓太。そないびっくりした顔して」 「ちょうどいいところで会えたと思ってさ。俊介に聞きたいことがあって、会いたいと思ったんだ。今少し時間ある？」 「俺に話？　ろくな話じゃなかったら聞かへんで？」 　俊介はそう言いつつも自転車のペダルから両足を下ろして俺のほうを向いてくれた。 「ちょっと昔の話を聞きたかっただけなんだ。今年の入学式、俊介が新入生の受付をやったんだって？」 「ああ、確かにやったなあ。やっぱ新一年生の顔と名前を覚えるには最適の役目やさかいな。俺の顔も覚えてもらえるし、時間があったら名刺を渡すこともできて一石三鳥やからな。でも、それがどないしたん？」 「そのとき、和希も新入生の中にいたんだよな？」 「んー、おったなあ。確かに遠藤もいたで」 「和希のやつ、どんな感じだった？」 　俺は俊介のほうに身を乗り出すようにして聞いてみた。新入生の和希を目の当たりにした俊介。その俊介からそのときの和希の様子が聞けるとわかって、俺はすごくわくわくしていた。 「･･････なんで啓太、そないなこと聞くんや？」 　だが俊介はすぐには教えてくれずに、逆に俺に聞き返してきた。 　うーんと･･･単に俺の知らない和希のことが知りたいから、じゃダメかなあ。そこまで聞きたがる理由はなにかってもっと深く突っ込まれたりするのかなあ。 　･･････さすがに、理事長である和希が新入生としてどんな顔をしていたか知りたいなんて俊介には言えないし、和希が俺の好きなやつだから些細なことでも知りたいんだなんて･･･もっと言えないよな、やっぱり･･･。 「啓太が知りたいのは遠藤限定なんやろ？　他のやつはええの？」 　他の人間のは別に興味ないし･･･。和希のことだから気になるだけであって･･･。 「そんなん、俺やなくて遠藤に直接聞けばいいやろ？」 「う･･･っ」 　俺は心もち俊介の正論にひるみつつ、制服のポケットから学食のチケットを取り出した。 「しゅ、俊介。これは仕事ってことでどうかな？」 「なんや、それならそうとはよう言やあいいのに。毎度おーきに」 　俊介･･･相変らず現金だなあ･･･。 「入学式の遠藤なあ、俺はちょっと不思議な印象を受けたで。俺受付しながら一年の顔を確かめてそいつがどんな特技でベルリバティにきたか推理しておったんやけど、遠藤は体育会系には見えへんし、かといってこれと言ってぴったりくるもんもなくてわからなかったんや。まあ編み物っちゅーたら一目でわからんのも道理やけどな」 　俊介は俺から学食のチケットを奪うと、途端にぺらぺらと喋りだした。 「不思議な印象てそういうこと？」 「いや、それだけやのうて、ちょっと周りからういとったなあ」 　･･････それはやっぱり、本当は成人してるのに無理に制服を着てたから違和感があったんだろうか。そうだよなあ、見慣れればまだ平気だろうけど、ぱっと見はあれ？って思うよな。和希だってまだ制服を着慣れてなかったんだろうし･･･。そのあたりのことを俊介が鋭く気づいたのかな。 　俺は俊介の話を聞いてそう思ったんだけど、でもどうやら違ったみたいだった。 「普通はここに入りたてってことで、どんな生徒でも多少は緊張しているもんや。ごっつう身体の大きいやつでも、ベルリバティの雰囲気に呑まれて身体を縮こませておったで？　中には自信家なのか知らんけど堂々としている者もおったけど、それでもどこか無理しているっていうのがわかるんや。呑まれまいと必死になっているっていうかな。そんな中で遠藤は、逆に溶け込みすぎてたくらいやで？」 「･･････」 「特別な個性がないから、でなくてな、なんや妙に落ち着いていた印象があるんや。周りの様子を見ながら楽しんでいるような余裕が感じられてな。それに遠藤、今はあんまり感じないけど、そんときはなんやええところのボンボンのように見えてなあ。俺、つい『お坊ちゃんなんか？』って聞いてしまったんや」 「それで和希のやつ、俊介になんて答えたんだ？」 「確か･･･『そんなふうに見えますか？　でも全然違いますよ、先輩』とかなんとか言って笑ってたなあ。俺、そんなふうに返すなんてなんやこいつ大物なのかいなとも思ったけど･･･」 「お、思ったけど？」 「でもそんなでもなかったな。他の一年が慣れたころにはすぐに目立たなくなってしもうたしな。面白い一年がきたもんやと最初は思ったけどな。ま、啓太と組んでＭＶＰ戦で優勝するぐらいには、ちっとは只者じゃないのかもしれへんけどな」 「･･････」 　俺はその場に突っ立ったまま、俊介の話を頭の中で反芻していた。 　ベルリバティの入学式。緊張している新入生の中で、一人、周りの風景を楽しんでいる和希。きっと物腰も落ち着いてて、その表情も不敵な笑顔なんか浮かべてて。 　自分の学園を、「生徒」という位置から見渡して、確かめて。 「――」 　たとえ新入生の中に立っていても、和希は和希で。 　制服を着ていても、ちゃんと、存在感そのものが『理事長』で――。 「･･･なんや啓太、顔、えらく赤いで？」 「えっ!?　そ、そうかな!?」 　俺は慌てて片手で顔を覆った。 「どないしたん？」 「な、なんでもない。とにかくありがとう俊介。もう話はいいからっ」 「そうか？　ほな、啓太ほんとにおーきにな。またなにかあったらよろしゅうな」 「う、うん。じゃあまたな」 　俊介はペダルに足を乗せると、ぐっと力を入れて自転車をこぎだした。そうして瞬く間に俺の視界から走り去っていく。 　俊介の背中を見送っていた俺は俊介が完全に視界から消えると、またもや手で顔を覆った。なんとなくまた顔が赤くなっているような気がする･･･。 　･･････俊介から話を聞いただけで惚れ直してるなんて、俺ってなんか･･･お、おかしいのかな。 　でも、入学式のときの和希の話が聞けてすごく嬉しかった。俺の知らない和希を、身近に感じられて。 「･･････よーし、今度は学生会室に行ってみよう！」 　俺は自分に気合をいれると、学生会室に向かった。 「はあ？　遠藤の入学式の様子だあ？」 　俺が学生会室に行くと、王様が俺を迎えてくれた。特に忙しくしている様子はなくて、中嶋さんもいなかったから俺はさっそく王様に聞きたかった話を切り出した。 「はい。そのときのことで、もし王様が覚えていることがあったら知りたくて･･･」 「そんなの、やつに聞きゃあいいじゃねえか」 　う･･･。王様まで俊介と同じことを･･･。 「和希本人から聞くんじゃなくて、他の人から見た和希の様子が知りたいんです･･･」 「フーン。なるほどねえ。やつのことで自分が知らないことがあるのが落ち着かないのか、啓太」 「そ、そんなことはないですけど。ただあの和希がどんなふうに新入生してたのかなってちょっと興味をもっただけなんですよ」 「･･･なるほど。あの野郎が、どんなふうに新入生してたかねえ･･･」 　あっ、なんか雰囲気がやばいかもっ･･･。 　俺の言葉で、王様の表情が変わったのがわかった。目に凄みが出てきて、口元がひくひくしている。うわあっ、俺、地雷を踏んだのかもっ!? 「い、いえ、言いたくないならいいんです。お、お邪魔しましたっ」 「おい待てよ。誰も言いたくねえとは言ってないだろうが。いいさ、話してやるよ。あの野郎のすっとぼけぶりをな」 　俺は回れ右をしたんだけど、手を伸ばした王様に制服の襟首をつかまれてこの場を離れることができなかった。 　う、うう･･･俺ちょっと早まったのかも･･･。 　王様は俺を強引に学生会室の空いている椅子に座らせると、自分も近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。 「そうだな、なにから話すかな･･･。俺としてはその日はなにかと忙しかったからな、もともとあんまり新入生の顔なんざろくに見てねえんだ。おいおい覚えていけるし、式なんかじゃ互いに相手のことがつかめねえしな。勿論印象深いやつ、使えそうなやつは覚えたが、あいにく遠藤は俺の目にかすりもしなかった。多分、うまいこと存在感を断ってとぼけてたんだろうな」 　とぼけてたって･･･なんか言葉の選び方にも和希への恨みがこもってるよ王様･･･。 「俺が学生会の会長に就任したとき、理事長サマからメールをもらったことがあってな。今後に期待している、みたいな内容だったんだが、それだけ向こうは俺のことを十分知っていて、式のときも面白がるように眺めていたんだろうさ。式自体、こちらのお手並み拝見てつもりで参加してたのかもしれないよな」 　･･････ごめん和希。なんだか俺、王様のおまえへの恨みを倍増させちゃっているような気がする･･･。 「そんな感じで俺自身ははっきりと遠藤のことに関しちゃ覚えてねえんだが、ただ一つだけひっかかったことがある。入学式が始まる前に、新入生が座っているほうを見て郁ちゃんと七条がなにやら耳打ちしてたんだよな。今思えばあれは遠藤の話でもしてたんだろうさ。なんせ理事長サマは郁ちゃんたちにはちゃんと顔を知らせて挨拶してたらしいからな」 「挨拶っていうか、和希からお二人と出会ったきっかけを聞いた限りではたまたまみたいな感じでしたけど･･･」 　それも、和希と出会えたことを七条さんも西園寺さんも喜んでいなかったみたいだし･･･。 　なんだかそれを考えると、和希ってそつなく動き回っているようであっちこっちで恨みを買ってる･･･？ 「こっちにはそういうのも全然なかったけどな。しかもなにかと人をくった行動ばかりしてほんとにふざけた野郎だよな」 「えーと･･･王様、話を聞かせてくださってありがとうございました。俺･･･そろそろ行きますね」 　俺は王様にひきつった笑顔を向けつつ、椅子から立ち上がった。これ以上王様の機嫌が悪くならないうちにとっとと退散しようっと。 　王様は俺を引き止めたりはしなかった。ただむすっと黙り込んでいただけだった。 　俺はそんな王様に対して、余計なことかもしれないと思いつつも、一言だけ言い残しておくことにした。 「あの、王様･･･。王様が和希に対して怒っている気持ちはわかります。今まで同じ学園にいたにも関わらず、ずっと自分のことを黙っていたんですからね。しかも王様が理事長に会いたがっているのを知ってて･･･。でも和希、あれで王様のことをすごくかっているんですよ。俺の立場で言うのは変なのかもしれないけど、王様のことをすごく信頼しているみたいです」 　うん、別に嘘は言っていないよな。和希の言動の端々に王様に対する信頼が感じられるのは本当のことだしな。 　単なる後輩としてじゃなく理事長として、安心して学園を任せられるみたいな気持ちをもっているようなんだもんな。 「だから･･･いろいろあるとは思うんですけど、和希のことを本当には嫌わないでやってください。なんとなく、ですけど、もしかすると学生の自治を重んじる以上、理事長と学生会長の立場でなあなあになるわけにはいかなかったのかも知れないですし･･･」 　俺がそう言うと、王様が溜息をついたのが聞こえた。 「はん。啓太、遠藤に言っとけ。どんなにそらとぼけてても、てめえは咄嗟の場合には人の悪さと本性が出てるってな」 「え？」 「入学式の日な、学生会長の挨拶のとき、俺は壇上で新入生に向けてまず最初に一喝してやったんだよ。コチコチに固まった一年生どもの度肝を抜いて、緊張を吹き飛ばしてやるためにな。そしたら、ほとんどの新入生は俺の声にびびってたみてえだが、一人だけ笑ってたやつがいてな。そんな目立つ笑い方じゃなかったが、少し肩を震わせてたみてえでよ。あんときにこいつ･･･って思ったもんさ。――それが遠藤だよ」 「王様･･･」 「それからしばらくはそんときのことをすっかり忘れていたが、遠藤が理事長ってことを知ってから思い出した。俺のことをあらかじめ知ってて、俺らしいとでも思ったんだろうさ。あいつは普段は個性を殺して周りに合わせているがな、緊急事態になれば自然に地ってもんが出てくる。まだまだ修行不足だよな」 「王様、ありがとうございます！」 　俺はすぐに王様にお礼を言った。また一つ俺の知らない和希の姿が見えてきて、俺はすごく嬉しくなった。 「礼を言われるほどのことじゃねえよ、たまたまむかつくことを思い出しただけだ。そんとき以降のすっとぼけ方で、すっかりあの野郎の本性を見落としていたしな」 「でも俺にすれば嬉しかったんですよ。じゃあ王様、本当に俺もう行きますね」 　俺は改めて王様に明るく挨拶をすると、学生会室のドアを開けた。 　俺が部屋を出て行く直前、後ろで王様が小さく呟いたのが聞こえた。 「ひいきや癒着にならねえ範囲で後押しされてるのは感じてたさ。それもあって一度ちゃんと会ってみたかったんだが、それをあの野郎がっ･･･」 　･･･はは･･･。やっぱ当分和希に対する王様の恨みは晴れそうもないな･･･。