俺が王様と別れて学生会室を出た頃には、今日の最後の授業からけっこう時間が経っていた。 　そうだよな。海野先生の手伝いをして俊介と会って、王様と話してたんだもんな。俺の知らない和希のことが知りたくて好奇心のままにいろいろと話を聞いたけど、もういい時間だしそろそろ帰るかな。 　なんとなく入学式の和希の様子が想像できるようになったし･･･。 　俺は帰ることを決めて、校門のほうに足を向けた。そういえば和希は先に帰ったのかな？ 「おや、伊藤くん。今帰りですか？」 　校門に向かっている途中で、後ろから声をかけられた。 　声で七条さんだってすぐにわかったけど、振り向くと俺の後ろには七条さんと一緒に西園寺さんもいた。 「七条さん、西園寺さん」 「啓太が一人でこの時間までいるなんて珍しいな。まさか丹羽たちの手伝いをしていたわけでもあるまい」 「いろいろしていたら遅くなっちゃって。手伝いはしていませんが、少し前まで王様のところにはいましたよ。今日は時間がありそうだったんで、ちょっと話を聞いていたんです」 　俺は足を止めて西園寺さんたちが来るのを待ってから、西園寺さんたちと歩調を合わせるようにして再び歩きはじめた。 「丹羽と話か。それは無駄な時間を過ごしたな」 「郁。そう決めつけるものではないですよ。今の伊藤くんはとてもいい表情をしているんですから、きっと楽しい話をされたんでしょう」 「そうなのか、啓太」 　西園寺さんに聞かれて俺はちょっと躊躇したものの、結局王様となにを話していたのかを答えることにした。王様の話の中で、入学式の日に七条さんと西園寺さんがなにやら耳打ちしていたというのを思い出したからでもある。あのとき、本当に和希の話をしていたのかな？　だとしたら、新入生の和希に対してどんなふうに思ったのか、ちょっと二人に聞いてみたい気がする･･･。 「･･･ということで、入学式の和希の様子に興味を持っていろいろ聞いていたんですよ」 「そういえば伊藤くんは転入生でしたね。なんだかもうずっと前からベルリバティにいるような感覚になっていたので忘れていましたよ」 「ははっ、俺も実はときどき、自分が転入生だってことを忘れそうになるんですけどね」 「それだけ啓太がここに馴染んでいるという証拠だろう。それにしても啓太は遠藤の話をわざわざ聞いてどうしたいんだ？」 「え･･･。た、ただ知りたいって思っただけなんですよ。俺が知らない話を聞くのは楽しいし、できたら西園寺さんや七条さんからも教えてほしいなって思っているんですけど･･･。だめでしょうか？」 　俺が西園寺さんの顔をうかがいながら聞くと、西園寺さんからは短い一言がすぱっと返ってきた。 「そんなのは無意味だろう、啓太」 　無意味･･･。確かにいまさらどうにもならない過去の話を聞くことは、そんなに有意義なことじゃないかもしれないけど･･･。それでも、俺は和希の話を聞いてすごく楽しかったんだ。 　俺はまた西園寺さんに否定されるかもしれないと覚悟しつつも、自分が感じたことをそのまま西園寺さんたちに伝えることにした。 「確かにいまさら昔の話を聞いても意味がないことかもしれないんですけど、でも俺は楽しかったし嬉しかったんですよ、俺の知らない和希の話が聞けて。まあ本当にたわいのないことなんですけど」 「違うぞ啓太。私が言っているのはそういう意味じゃない。今も昔も、啓太がいたときもいないときも遠藤は遠藤だろうということだ」 「え？」 「遠藤の資質は変わらないだろう。あれ以上でもなければあれ以下でもない。遠藤が新入生の中にいれば新入生らしく見えるし、理事長として見ればそう見える、そういうことだ。単に見る側の意識の問題というだけだ」 「見る側の意識の問題、ですか？」 「現に少し前まで丹羽たちは遠藤のことをただの一年と思っていたわけだろう？　だが今はそう見ようとしてももう単なる一年とは思えまい。どう見てもなにをしていても理事長でしかないだろうな」 　確かに、和希の正体を知っちゃったあとはそうかもしれない。さっき聞いた話も俊介は和希のことを知らないし、王様はそのことを知る前の話だったし。多少なりとも和希に自分の正体を隠す気持ちがあったにしろ、本質はそう変わるわけじゃないよな。 「郁。そんなに畳みかけるように言ったら、伊藤くんが困ってしまいますよ」 　西園寺さんの言葉で考え込んだ俺の耳に、やわらかい七条さんの声が聞こえてきた。 「七条さん」 「伊藤くん、遠藤くんの入学式のお話でしたね。でしたら僕はよく覚えていますよ」 　七条さんが俺に向けてにっこりと微笑んでくれた。 「あのとき理事長のあまりの酔狂ぶりに、かなり呆れていましたからね。式の間中、本気で転校しようと考えていたんですよ」 　･･････七条さん。笑顔のままでそんなふうにさらりと言わないでください･･･。 「臣。お前の言いようもどうかと思うぞ」 「すぐに事情はわかりましたけどね。単身で動くところが、あの人らしいですよね。多分学生という立場も当時から楽しんでされていたのでしょう。部活選びも楽しそうでしたよ。一般生徒にまぎれるために部にも入ったということでしたが、多忙な身をおしてまで入部するということは、息抜きとしても考えていたのかもしれませんね」 「入ったのが手芸部ということには驚かされたがな。まあ理事長室で息抜きに一人で編み物をしている姿よりは、部に出ている方が何倍もまともそうに見えるな」 「それでも多分、あの人のことですから理事長室に毛糸や編み棒を持ち込んでいるとは思いますが。なんせ本当に呆れ返るほど酔狂な人ですからね」 　･･･西園寺さんの言葉より、七条さんの言葉のほうに何倍も悪意が込められているように思えるのは･･･俺の気のせいじゃない気がする･･･。 「理事長として見るのと、学生として見るのとではやはり視点が違っていたんでしょうね。遠藤くんが入学してから学生たちのために校舎内や寮内で、より生活しやすいように改善されたところがいくつもあるんですよ」 「そうなんですか!?」 　俺はちょっと驚いて七条さんに聞き返した。 「はい。学生として入学したことを利用して、ベルリバティをよりよい学園にしようと動かれているようですね。実際細かなところまで見落とさないところはさすがだなと思うこともありますよ。本来の仕事と例の調査と学生としての責務の他に、そんなことにまで対応されているんですから。遠藤くんのすごいところはそんなふうに忙しく立ち回っているのに、その様子を他の人間には気づかせないところかもしれませんね。多少無断外泊をしているようですが、それ以外は周りになにも気づかせていないのですからね」 　うわあ･･･七条さんからそう言われているのを聞くと、改めて和希のすごさが俺に伝わってくるなあ。和希、自分の仕事の他にも学生としての目でいろんなところをチェックしてたんだ。同じ学生ならリサーチもしやすいだろうし、その立場を利用しない手はなかったのかもしれないけど。 　和希に忙しいのにそこまでしてたんだって聞いたら、なんだか「だって俺の学園だからな。よりよく整えるのは当たり前だろ」とか言って笑いそうな気がする。きっと、なんでもないことのようにそう言って笑うんだろうな･･･。 　俺は和希の笑顔を思い出してつい口元がゆるみそうになってしまったんだけど、それを止めてくれたのは七条さんのあっさりとした声だった。 「さて、これぐらいでいいでしょうかね。これぐらい遠藤くんをほめておけば、伊藤くんの僕に対する好感度を上げることができたでしょうか？」 「えっ!?」 「臣･･･。そらぞらしいと思ったら、やっぱり裏があったのか」 「いやですね郁。裏なんてありませんよ。単なるリップサービスですよ」 　七条さんはいとも簡単にそんなことを言った。 　リップサービス･･･はは･･･。でも七条さんらしいかもしれない･･･。 　七条さんの感想はどうあれ、和希がそんなふうに動いていたのは事実みたいだしな。そしたら、俺は俺の知らない和希の姿をまた一つ手に入れたことになるし、やっぱり教えてくれた七条さんには感謝すべきだよな。 「和希のことを教えてくれて、ありがとうございます七条さん」 　俺が七条さんに笑いかけると、七条さんの隣を歩く西園寺さんがあの綺麗な微笑みを見せてくれた。 「啓太。私も臣も、無能な人間は相手にしない。同じ学生の立場になって遠藤のことがよく見えるようになったが、酔狂すぎてついていけないところもあるが、あれはけして無能じゃない。入学式当日というより、それからおまえがここに来るまでの間で、私は充分あの男の力を見せてもらった。あとは啓太が自分で想像することだな。相手のすべてを知るより、想像する余地が残っているほうが楽しいだろう。特におまえと遠藤のような関係においてはな。そうだろう？」 　う･･･。お、俺と和希の関係って、やっぱそういう意味で言ってんのかなあ･･･。 　でも本当にすべてを手にするより、和希のことを考えていろいろ想像してみるのも楽しいよな。 　それに西園寺さんや七条さんをはじめとするベルリバティの人たちに和希の話を聞くのも嬉しいけど、でもやっぱり、和希自身の口から思っていることや考えていること、なつかしい思い出を話してもらうっていうのも、俺にとってはすごく幸せで大切なことだもんな。 　うん、今日一日でいろんな話が聞けたしな。 　あとは――和希に聞こう。和希から話を聞いて、そしてその話を俺たち二人だけで共有するんだ。和希の入学式の思い出を俺と和希だけで語り合って、二人の思い出にするんだ。 「そうですね。もうみんなから話を聞くのは充分ですね。あとは俺が想像してみたり、和希自身に聞いてみます！　西園寺さん、七条さん、お話を聞かせてくれてありがとうございました！　俺、さっそく和希に会ってきたいのでこれで失礼しますねっ！」 　俺は二人に大声でお礼と挨拶をした。 　和希が今どこにいるのかわからなかったけど、探し回ってでも無性に和希に会いたかった。和希、まさか仕事でベルリバティから完全に離れているなんてことないよな？ 「そうか。だが今度はゆっくりと私の話でもしたいものだな啓太」 「そうですね。あの人のことばかりではなくて、もっと僕たちのことにも興味を持ってくださいね伊藤くん」 「はいっ。今度は西園寺さんと七条さんのこと、いっぱいいっぱい俺に教えてくださいね！」 　俺は西園寺さんたちに向けてそう言うと、すぐに踵を返した。時間的に、和希ならまだ校舎にいるかもしれない。 「とりあえず今度会計部に来たときは遠藤の話は禁止だ。ちゃんと覚えておけよ」 　走りはじめた俺の後ろで、どこか面白がるような西園寺さんの声が聞こえた。 「遠藤くんの名前自体を禁句にしましょうね」 　と、七条さん。 　あれ、もしかして俺、王様ほどじゃないけど和希の話でお二人の気分を悪くさせてしまったんだろうか･･･。 　ちょっと心配になったけど振り向いてみたら二人とも笑っていたので、俺はまあいいかと少し安心して、改めて校舎に向かって走りはじめた。