深淵 〜序章〜 その日の朝から、薄々気づいてはいた。 七海と目を合わさない空。故意に、避け続けていて。 そのくせふとしたときに盗み見るように見つめていた――その、瞳が。 どこかしっとりと潤んでいて。 だから、確かめずにはいられなかった。 「･･･それで？ わざわざ二人を帰してから調べたいことってなんですか? 門限こそありませんけど、私だって早く寮に帰らないといけないんですよ」 「調べたいことがある」――真一朗にそう言われて、一緒に帰るはずだった空と直を見送った七海が、玄関の扉に鍵を閉めてから、不満げに真一朗を振り返った。 途端に真一朗は七海の腕を掴み、自分のほうに強い力で引き寄せる。そして、強引にくちづけた。 「!?」 一瞬驚いたものの、七海は状況を知るとすぐさま真一朗の首に手を回した。互いに慣れた、深くて濃厚なキスをかわす。 くちづけのあと、自分のキスに応えてきた七海を、真一朗は意外な面持ちで見つめた。 「調べたいことじゃなくてこれはしたいことでしょう? やりたいならやりたいってはっきり言えばいいじゃないですか。いまさら口実を作らなくったって･･･」 「･･･今日はおまえ、のってこないと思ってた」 文句を言う七海に、真一朗が自分の中にある気持ちをそのまま口にのせた。 「･･･どうして？ べつにかまわないですよ」 「だっておまえ、たまってないだろ？」 真一朗の手がするりと七海のそこに触れる。 そして、七海の目を切り込むように見つめた。 「それに、不実じゃないのか? 空が知ったら哀しむだろ」 「･･･私の体一つで真一朗をつなぎとめられるのなら安いものです」 「――」 真一朗は密着させていた七海の体をすぐに自分から引き離した。 突然そうされても七海に動揺はない。むしろ、そうされることをわかっていた節がある。 「つまり空には手出し無用ってことか。空に手を出されるくらいなら、自分がオレに抱かれる方がいいって？」 「･･････」 七海からの返答はない。だが、だからこそそれが真実。 「ふざけるな七海。オレが、このまま指をくわえて見てると思うなよ」 人を威圧するような押し殺した低い声が真一朗の口からこぼれた。普段の彼の明るさがなりをひそめた、昏い声。 その言葉だけを残して、真一朗は自分の部屋に向かった。 あとに残した七海を振り返ることもなかった。 「･･･別にふざけてなんかいないですよ、真一朗。私だって、このまま――」 誰もいない玄関口で、前髪をかきあげながら七海が冷めた声で呟いた。 それでも。 数日間仕事も忙しく、また自分の知る限り空と七海の接触もなかった。 だから、忘れていたのかも知れない。 自分の中の暗く澱みきった、残虐性さえ秘めた感情を。 それを思い出させてくれたのは、その、扉だった。 「――」 通りがかりにふと思い立って開けようとしたその扉が、開かなかった。まるでなにかにひっかかったように。 本来、鍵がかからないはずの扉が。 その扉が閉まっているとき、中でなにが行われているか真一朗はよく知っていた。自身も、利用したことがあるのだから。 「おや、水都先生。どうかしましたか？」 保健室の扉の前で佇む真一朗の姿を見て、年配の教師が声をかけてきた。 「保健室がなにか?」 「いえ･･･。そういえば先生は今、確か２−２の授業をされていましたよね」 「はあ、それが？」 「そのクラスは･･･二組は全員出席していましたか?」 眼鏡の奥の瞳に剣呑な光を宿らせた真一朗が、それでも表面上だけは落ち着き払った態度でその教師に問いかけた。 「はて･･･ああ、そういえば一人いませんでしたな」 「それは･･･」 「羽柴です。羽柴空ですよ」 「――」 真一朗はすぐさま保健室の扉を振り返った。 「どうも朝はいたようですから、きっとサボリでしょうなあ。ったくしょうがないやつです。･･･水都先生？ どうしました？ なんだかお顔の色が優れないようですよ。ああ、それでもしかして保健室に･･･」 「――いえ、大丈夫ですから」 眼鏡を押し上げて、真一朗が答える。その声のあまりにも冷たい響きに、男は慌てて自分の予定を振り返った。 「そ、そうですか？ ああ、ではわたしは次の授業があるのでお先に。では」 真一朗を残して教師が足早に立ち去る。 真一朗はしばらく保健室の扉を睨みつけていたが、不意に感情の昂ぶりのままに扉を蹴りつけようと足を引いた。――だが、結局真一朗は足が扉に触れる直前に、唐突に動きを止めた。 何事もなかったように足を下ろし、保健室に背を向ける。 そしてそのままふらりとこの場を離れた。 （今は好きにすればいいさ七海。その代わり――この代償はでかいからな･･･） 自分の暗い感情に脳裏を支配されつつ、それでももう真一朗はそれを抑制する気はなかった。 〔深淵〜つながり〜に続く〕 |
まともな小説になってないものを勢いで書いてしまいました･･･すみません。でも前半部は以前から書きたかった場面です｡文中の説明が足りなくて「？」かもしれませんが、これは「憧れの風景」の夜の話なのです｡七海ちゃんとＨした翌日の空の様子に気づいた真一朗が、直と空が寮に帰っていったそのあと七海ちゃんにしかける･･･という場面です｡ そして後半は「密室」のときの場面です。とりあえず暗いこと考えついたので、兄ちゃんここではあえて退いたのですね。 兄ちゃんの報復編である「深淵」本編の前にちらりと読んでもらいたかったような、別にどうでもいいような（←なんだそれは）。まあ私が整理する意味で書いたのもあります。本編に組み込むと場面転換が多くてごちゃつくので、序章としてわけました。 なんか、本当にこんなの書いていいのかなあという気がしないでもないですが、もうはじめちゃったので書き進めていきます。 三人ともにいろいろときつい話です。でも当然基本中の基本として、このシリーズは七海と空の幸せｖを追求していますからそこはもう大前提として安心してくださいませ。（つか、兄ちゃんごめん…だな） |