スィートホワイトデー（前） 「世間一般的に、普通は十倍返しらしいな」 「は？」 水都の突然の言葉に、空はきょとんとして聞き返す。いつもながら、水都の話運びは唐突で話が見えないときがあるのだ。 このときも前の会話とまったく繋がらずに持ち出された言葉であったために、空は水都の言葉の意味を理解するまでに幾許かの時間を要した。 十倍返しという言葉と、今日の日付。教室を出てくるときににぎわっていた、クラスメートたちの会話――。 それらを繋げて、ようやく空はそれがホワイトデーに関する話だと理解する。 三月十四日の今日、確かに世間はこのイベントの話題で持ちきりだったのだ。だが空は先月チョコレートなどもらっていないし――くれようとした少女はいたものの、受け取ってしまうとあとが怖いような気がして受け取らなかった――ホワイトデーだろうと十倍返しだろうと、無縁な話だったのだが。 「またなに唐突なこと言い出してんだよ」 空が、自分の隣りにいる水都に対して呆れて呟いた。今日も例のごとく放課後にここ、数学教諭室に呼び出されたものの、今の空は本当にまともに水都の手伝いをしていたので、当たり前の気軽さで言い返していた。 問題集をコピーしたプリントを数枚まとめてホチキスでとめる――そんな、ごく普通の教師の仕事を手伝わされていたから、かなり警戒が薄かったのかもしれない。 隣りに立ってカチャカチャとホチキス止めをする空のことを、水都は自分の椅子に腰かけ、机にひじすらついて見つめている。空の言葉になんの返事も返さず、ただいかにも愉しげな笑みを浮かべて。 空は水都に見られていることを意識しつつも、とにかく手を動かした。その一方で頭の中では水都の真意を読み取ろうと、あれこれと考えを馳せる。 （こいつ･･･なに考えてんだよ。十倍返し？ いったいなにが言いたいんだ。十倍返しといったら、つまりバレンタインでもらったぶんの十倍･･･――!?） そう考えて空はどきりとする。 二月十四日のバレンタインデー。――あのときは。 「ま、まさかあれの十倍を返すなんて言い出すんじゃねえだろうな!?」 「あれ、とはなんだ？」 「とぼけるなよ！ ちょうど一ヶ月前のことだろ。あんたが突然バレンタインのことを言い出して、オレをチョコなんかに見立ててそれで･･･っ。と、とにかく、あのときもらったから返すなんて言い出さないだろうな!?」 空が水都に向かって叫ぶと、男の笑みが深くなった。 「私は別になにも言ってはいないが･･･なんだ、期待したのか？ 羽柴はあのときのお返しをしてほしかったわけだ」 「〜〜〜〜〜〜」 その答えを引き出したかったくせにすっとぼけてんじゃねえっ！――とは思ったものの、実際まんまと相手に乗せられたのは自分なので、何も言い返せないまま空はほぞを噛むしかなかった。 「そうか、期待されていたのなら、やはりその期待にこたえないとな」 「･･････っ」 水都の手が空の背中に伸ばされ、そのままついっと下りて腰を撫でた。背筋にぞわぞわっとした感覚が走り、空は手に持っていたプリントやホチキスを机に叩きつけて叫んだ。 「ふ、ふざけんなよ、水都っ！ この前のはてめぇが勝手にやったことだろ!? オレがてめぇにくれてやりたくてやったわけじゃねーよっ！ そもそも‘お返し’とか言って要はてめぇがやりてぇだけだろ!? ンなのてめぇだけがいい思いして、オレがきついのはおんなじじゃねえかよっ！ それのどこが‘お返し’だって――」 「あのとき、羽柴にも十分いい思いをさせてやったと思うが？」 水都の手が再び空の腰を辿る。先程よりもいくらか力をこめられた手が幾度か往復した。 「ん、んなこと･･･っ」 「そのわりには羽柴、たっぷりと吐き出していたようだが？ 腰を振ってよがってないて･･･ああ、そういえば確かに羽柴の中は溶けそうなほど甘かったな。ああいう甘さなら私も嫌いじゃない。むしろ、クセになる味だ」 「･･･！」 するりと滑って、男の指の先端が空のそこを刺激する。一ヶ月前、空が自分で甘いと言ったその場所を。 「実際クセになってるから、つい堪能してしまうんだろうな。ココだけで人を中毒にさせるのも一種の才能か、羽柴？」 ズボンの上からじわりと触れられているだけなのに、慣らされたそこがかすかに甘く反応する。男の手を振りほどけばいいと頭ではわかっているのに、空は動けないまま固まるしかなかった。 それだけもう、体に教え込まれているから。 理性を狂わせる甘い熱を。 ――幾度も。 「しかし、あのとき羽柴が味あわせてくれたぶんの十倍はさすがに私もきついな。そうだな･･･一週間ぐらいかけて返してやろうか？ その間、毎日天国を見せてやるぞ羽柴」 男がくっくっくっと忍び笑いをもらす。いまだ空に触れていない右手は机にひじを突いたまま、まるで片手間だと言わんばかりの態度で空を弄ぶ。 「〜〜〜無理すんなよっ！」 たまらず、空が叫んだ。無理やり体の向きを変え、その動作で水都の手を振り払う。 「別にオレは‘お返し’なんかいらねーんだよっ。実際、十倍なんてきついんだろ水都。そりゃそーだよな、もういい加減若くはないもんな。意固地になって頑張っても、あとで腰にくるぜ？ 年考えずに無理すると枯れんのも早いかも――」 「ほう･･･私のことを心配してくれているというわけか」 ひじをついていた右手が机から離れ、男の声が一段階低くなった。 空ははっとして口をつぐむ。ついつい勢いに任せて言ってしまったが、かなりやばいことを口走ったような気がする。 「では、その心配が杞憂だということを証明しないといけないだろうな。なに、確かにそう若くはないからな。途中で勃たなくなったらおまえに協力してもらうさ。･･･その口と手でな」 そう言った男の目がきらりと光った気がした。 空は地雷を思いっきり踏んでしまった自分を自覚した。 続 |