数日後に智友から連絡がきて、次の週末の夜にまた会うことになった。
　智友から用件だけを淡々と告げられた電話だったが、それでもまた会えることに勇気はほっとした。会えば智友の顔を見られる、言葉をかわせる。触れられることも抱かれることもけしていやではなかったし、むしろ智友の体温を感じて、智友と繋がれることは嬉しかった。前回言葉も交わさずに帰って行った智友の様子を思えば、そのまま連絡を絶たれる可能性だってあったのだから。
　だから勇気は智友を迎え入れたとき、抑えようもない嬉しさが声や顏に出ていたが、勇気の部屋に来た智友は冷めた表情を取り繕うこともしなかった。以前訪れたとき以上に態度が頑ななのが、智友のまとう空気にも表れていた。
「トモ……。この前以来だな。その、元気だったか……？」
「勇気。今日は体は？」
「……え？」
「後ろ。自分で準備したかってこと」
「……したよ」
「そ。じゃあ服脱いで」
　智友は勇気よりも先に寝室に入ると、すぐに自分の服に手をかけた。
「トモ！　あの、腹減ってないか？　食事、一応用意してあるんだけど」
「そんなのいいから。脱げよ」
「……っ。わかった……」
　智友に促されて、勇気も食事の支度をしてあるリビングに背を向けて寝室に入った。そこで自分の服を脱ぎ始める。
　だがすべての服を脱ぐ前に智友の手が腰にまわされた。
「……っ」
「ほんとだ。ちゃんとほぐしてあるんだな」
　ためらいなく勇気の下着の中に入ってきた手が、勇気の双丘の奥に触れる。そのまま指先で遠慮なくこねくられて。
「トモ…っ！」
「指が悠々入る。自分の指で慣らしたのか？　それともなにか使った？」
「指、だけだよ。……離れろよ、服が脱げないだろ」
「ふうん。でもそのうち勇気のここはそれだけじゃ物足りなくなるんじゃないか」
「離れろって。トモが脱げって言ったんだろ。まだ途中――ん…っ」
　下着の中に入ってきた手が増え、両手で双丘をもみほぐされながら奥を指で弄られる。前から抱きつかれて、互いに服を脱いだ上半身が触れ合った。久々に実感した智友の体温と肌の感触、そして後ろに触れている智友の手の動きだけで、勇気の身体が甘く反応し始める。
「自分でここを弄ったときにも勃ってたんだろ？　勇気はほんと慣れるの早いよな」
「……」
　自分でほぐしていたときに智友にされたことを思い出して反応しかけたのは事実だった。だが自分の指と智友の指とじゃ全然違うことを、もう勇気の身体はよく知っていた。まだ本格的な愛撫はされていなくとも。
「もうこっちだけで充分イけそうだよな。――勇気、ベッドに手をついて」
「!?　トモ！」
　勇気から両手を離した智友が、前をくつろげていただけのズボンから自分自身を取り出して手でいくらか扱く。
「トモ、俺まだっ！」
「指が入るんだからもう大丈夫だろ。心配なら自分でもっとローション足せば？」
「トモっ！」
「優しくされないのも勇気は結構好きなんだってこの前わかったし、俺も面倒なくていいし。ほら、早く手つけよ」
　投げやりな口調に、智友の本気を感じた。
「……五分、待てよ。……ローション足して、もう少し準備するから……」
「五分な」
　勇気の言葉に、智友がちろりと自分の唇を舌で湿らせた。




　――電気が消された暗い部屋の中で勇気は目覚めた。
「ん……」
　ゆっくりと意識を覚醒させ、自分がどういう状況で眠りについたのか、記憶を手繰り寄せる。
　だるさの残る身体、重い腰、そして一糸まとわぬ自分。
「……えっ!?」
　勇気ははっとして周りに目を凝らした。あたりに手を伸ばしてもベッドやシーツしか触れるものはなく。
「トモっ!?」
　勇気は慌てて部屋の電気をつけた。自分が今まで何をしていたかを思い出したのだ。
　この部屋に智友を呼んで、智友に抱かれて――。
　だが電気のついた部屋の中に、智友はいなかった。
　乱れたシーツや脱いだままの衣服が情交のあとを示しているが、智友のものは一切なく、物音もしなかった。勇気は落ちていたシャツだけを身につけ、他の場所も見て回った。だがバスルームも電気が消えており、なにより玄関に智友の靴がなかった。
「トモ……」
　勇気はふらついた身体を壁に預けた。
　今日は智友が来てすぐに抱かれ、そのあともなんの話をかわすことなく、智友に再び仕掛けられた。そして先週のように激しく責め立てられ、そのまま意識を飛ばしてしまったらしかった。
　そして先週のように。智友はなにも声をかけず、一人で帰ったのだ。勇気だけを置き去りにして。
「……っ」
　勇気は壁に掛けてある時計を見て時刻を確認すると、リビングのテーブルの上に置いといた自分の携帯電話を手に取った。一瞬手が止まったが、改めて決意して智友にかける。
　前回のときは話のあとだったが、今回は智友と全く話をしていない。だからここで文句を言ってもいいはずだと自分を奮い立たせる。
　こんなふうに帰った智友が電話に出ない可能性もあったが、勇気は自分からはけしてコールをやめない覚悟で智友が出るのを待つ。
　時間は午前四時になろうとしていて、常識的に考えれば人に電話をするような時間ではない。だが智友が何時に帰ったかはわからなかったが、自分が目覚めた以上、すぐに智友を捕まえたかった。
　でないと、しばらく時間を置いてしまったら、電話をかける勇気がしぼんでしまいそうだった。
　コール音が二桁に差し掛かったところで、電話がつながった。
「……なに」
「トモ……今どこにいるんだよ」
「部屋だけど？　もう寝るとこ。じゃあな、おやすみ」
「待てよっ！　約束っ！　今日全然話してないじゃないか！」
　勢い込んでそう言うと、智友がかすかに笑ったようだった。
「約束って……。一人で勝手に意識飛ばして起きなかったのはそっちだろ。俺のせいみたいに言うなよ」
「そんなのだってトモが…っ。……わざとそうしたんだろ。俺と話しないために」
「勇気の被害妄想だろ」
　智友の言葉に馬鹿にした響きを感じ取り、やはり、と勇気は確信する。
「……俺が意識飛ばしちゃったにしろ、無理やり起こすとか、ちゃんと起きるのを待っててくれてもよかっただろ……」
「冗談。そこまで付き合う義理ないだろ」
「か、鍵だって閉めていかなかっただろトモ。俺そのまんまなのに、そのまま帰られたら不用心すぎるだろ。なにかあったらどうするんだよ…」
「なにもなかったんだからいいだろ。それを言いたくて電話してきたのか？　なら」
「……トモ、鍵。今度渡そうか」
「――」
「鍵があれば俺が遅く帰ったときもトモを待たせなくていいし、こういうときでも、トモにちゃんと鍵を閉めてもらえるだろ。も、勿論、次のときは意識を飛ばさないようにするし、トモにちゃんと起こしてもらうけどな！」
　鍵のことを口にしたのはとっさの思いつきだった。本当にドアを閉めて帰ってもらいたいわけではない。ただ智友が使うにしろ使わないにしろ、鍵を渡せばつながりができると一瞬頭をよぎったのだ。智友がここに来たときに置いて帰ってしまえば消える脆いつながりだが、それでも鍵を渡している間だけは特別な関係でいられるような気がした。
　合鍵を渡す、特別な相手。
　――だが。
「は……それこそ冗談だろ」
「……っ、トモ…」
「俺と勇気にそんな面倒なもの必要ないだろ。勇気が遅く帰ったとき？　来たときにいなかったらさっさと帰るだけだしな」
　自分から智友に向ける、鍵を預けるような信頼や特別に結ぶつながりが鬱陶しいと切り捨てられたようで、勇気は押し黙る。
　だがこのままずっと黙っていたら本当に電話が切られると思い、ややして、勇気はふと頭に浮かんだことを口にした。
「……俺が部屋にいなかったら帰るだけだって、トモは、そんなに帰りたいんだな。今日だって元々早く帰りたいって思ってたんだろ。……もしかしてトモには、トモを待っているような相手がいるのか？　だからトモは……」
　声が震えないようにと気をつけながら、勇気はその問いを口にする。
　智友の返事を聞くのが怖かった。けれど今までずっと、ひそかに確かめたいと思っていたことでもあった。
　今まで智友から、過去はともかく今現在そういう存在がいるとは聞いたことがなかった。勇気を誘った最初のときも、智友は「一人寝が寂しい」と言っていた。そして女は面倒くさいし疲れるとも口にしていた智友。そういう相手が本当にいないのなら、智友に完全に否定してもらい、安心する材料が欲しかった。ただしそのときには、単純に勇気と一緒にいたくないために早く帰ったことを突きつけられるが。
　勇気をセフレに誘った言葉も、大切に扱っている相手とは別に、簡単に性欲処理ができる相手が欲しかったからあんな言い方をしただけというのでなければいいと思った。
「……そんなの聞いてどうするんだよ。この関係をやめるってことか？」
「やめない」
　智友に質問を返された勇気は、その問いにすぐに答えた。
「――」
「やめないよ。ただ……聞いておきたいだけだ。俺とトモのつながりは、トモにそういう人がいてもいなくても関係ないだろ。だって俺たちは……友達なんだから。同じラインで考えることじゃないだろ」
　だから智友にもやめないでほしいという思いを込めて伝える。
「ただもしそうなら、俺がトモを長く引き止めたりトモの休日をつぶしたりすることが、トモやその相手に悪いことなのかなってちょっと思っただけだ……」
「セックスしててもお友達だから同じラインじゃないって平然と言えるところが勇気だよな」
「トモ……」
「やめないとかなんとか言ってたって、要するに今のうちに保険をかけときたいんだろ。この先やめたくなったときの口実が欲しくなったってわけだ。やっぱりその相手に悪いからこの関係をやめる――いつか勇気がそう言い出すのが今から目に見えるようだよ」
「違う、トモ。俺はそんなつもりっ…」
　勇気はすぐに否定の言葉を口にしようとした。だがそれを遮るように、智友のはっきりした声が電話の向こうから届いた。
「いるよ」
「――」
「いるよ、そういう相手が」
「―― ト……モ……」
「……俺にとってすごく特別な、ずっと想っている相手がいる」
「あ……」
「本当に好きで……好きすぎてたまらない相手が」
「――」
　勇気は、質問したことを激しく後悔した。
　耳から入ってくる智友の声が、今まで聞いたことがない響きを帯びていた。感情を抑えた声であっても、その奥にある優しい、特別な響き。
　電話を通して伝わる、智友の深い想い。――智友にはそんな感情を向ける相手がいるのだ。
「……これでいいんだろ」
「……う、うん。そうか……な、なんか、ご、ごめんな。今まで……気づかなくて、無理言って引き止めて……」
「――別に」
「えっと……じゃ、じゃあもう遅い時間だし、電話切るな。またな、トモ。おやすみ…！」
　智友の返事を待たずに通話を切る。そのあとで勇気は電話をリビングのテーブルの上に置いた。その直後に体ががくんと崩れる。
　自分が冷たい床に座り込んだことにも意識が向かないまま、勇気はぼんやりと何もない空間を見つめた。
『――すごく特別な、ずっと想っている相手がいる』
　耳に残る智友の声。
『本当に好きで……好きすぎてたまらない相手が』
「は……」
　不意に笑みがこみ上げてきて、勇気はひっそりと笑う。そして無意識に自分の身体にゆるく腕を回した。先ほどまで智友に抱かれていた体に残る智友の痕跡を失わないために。
「ト、モ……」
　本当に、こんなにも智友が好きなのだと実感する。智友に特別な相手がいると知った今だからこそ改めて、智友が好きで、離れたくなくて。
　智友の想いが向けられないからこそ、智友との時間を、与えられるものを大切にしたいと思った。
　智友と話をしたい、智友のことがもっと知りたい。智友のことなら何でも得たい。そういう気持ちは勿論今も強く持っているが、それが智友の迷惑になり、鬱陶しがられているのならば、もう踏み込まなくていいと勇気は思った。智友の心を知りたいけれど、それよりも智友が離れていくのが怖かった。
　身体だけでも智友をつなぎとめられるなら。わずかな間でも智友に抱かれて一緒の時間を過ごせるのなら。もうそれだけでかまわないと思えた。智友と話をしたいために受け入れたセフレという関係が、今は勇気にとって唯一の拠り所になっていた。
　勇気の視界がだんだん滲んでいく。
　冷たくなった食事がそのまま残るリビングで、勇気は静かに涙をこぼした。




　智友に会って、智友に抱かれる。その日以降もそれは続いたが、勇気は智友に話を請うことはなくなった。智友からも話を振られることはない。ただいくらかの時間をベッドで過ごし、そして智友はそのまま帰っていく。
　前以上に智友が勇気を激しく抱くことはなかったが、抱かれたあと勇気が疲れて眠る――あるいは寝たふりをする――のは毎回のことになり、セックスをしている以外の時間を一緒に過ごすことがなくなった。
　その分勇気は智友に抱かれている時間を大事に思う。智友に好きな相手がいて、引き止められないなら、せめてその時間だけは世界に二人きりしかいないかのように、智友のことを全身で感じたかった。
　今まで以上に声を抑えることもない。恥じらっても、身体を隠すことはない。自分がどれだけ感じているか、智友を必要としているか、智友に伝わればいいと思った。たとえ勇気が快感だけにおぼれていると誤解を与えたとしても。
　勇気が感じていれば智友が与えてくれる。知り尽くされた弱いところを巧みに責められる。そうされれば勇気は、智友に一方的に抱かれているのではなく、二人でちゃんと抱き合っていると思うことができた。智友に別の相手がいるとしても、この時間の智友だけは自分のために動いて自分に応えてくれるのだ。
　――だが。
「……勇気。そろそろ飽きてきたんじゃないのか？」
　その日、勇気を抱いた後の智友から発せられた言葉は、寝たふりをしようとしていた勇気を凍りつかせた。
「……え…!?」
　ベッドから頭を上げて智友を振り返る。
「勇気も男とするセックスに慣れたみたいだし、そろそろ俺じゃなくて他の男の相手もしてみたくなったんじゃないのか」
「なんで、そんな…っ」
「……もう俺と話をする必要なんかないんだろ？　だったら相手も俺じゃなくていいってことだろ。勇気がこだわっていたのは俺と話がしたいってだけだし、それがもうどうでもよくなったのなら別に俺でなくても……」
「違うっ！」
　勇気は起き上がって強い口調で否定した。
「トモじゃなきゃだめだ。俺は、トモとだから…っ！」
「……」
「トモのことを知ることがどうでもよくなったわけじゃない。ただトモを待っている人がいるなら、トモをここに引き止めたら悪いと思ってるだけだ。トモとの繋がりはこれからもずっと持ち続けていたい、だからっ」
「……一度関わったことは中途半端にはできない、勇気は責任感の強いエース様だもんな」
「……っそう、だよ…」
　そう答えたあとで、勇気は怖がる気持ちを押し込めて智友に質問を返した。智友がそんなふうに言い出すということは、智友の方が。
「……俺のことより、トモ、こそ……」
　もう、飽きているのか？　終わりにしたいのか？
　続く言葉を口にできないまま、勇気は智友の顔をじっと見つめた。
　その唇から肯定の言葉が返ってくるのが怖かった。
「――俺は別に。勇気だと遠慮しなくていいし、手軽だし、子供ができる心配もないしな」
「……なら、このままでもかまわないだろ」
「……勇気がいいならいいけど」
　淡々とした言い方だったが、智友の返事を聞いてとりあえずはほっとする。
　だが勇気はすぐに唇を噛みしめた。今はいい。お互い納得していることが確認できた。でも、この先は――？
　智友はそのあとはもう何も言わず、手早く帰り支度をはじめた。勇気も智友に背を向けてベッドに横になる。
　智友が出て行ったときのドアの音を聞きながら、勇気はあと何回この音を聞けるのだろうと思った。
　話をすることもなく、ただ抱かれるだけの関係。勇気に終わりにする気はなくても、智友に飽きられたら簡単に終わる。
　今のようにただのセフレのままでいたら、やがて終わりが来て、そして今までかろうじて繋げていた友達という関係も完全に切れるのだ。
　――智友は初めから自分を切ろうとしていた。その腕を強引につかみ、セフレという条件を受け入れて無理やり振り向かせていただけなのだ。今は身体だけは求められていても、元から執着しているのは自分一人で。
　このままではいつか終わりがくる――それは勇気の、確信めいた予感だった。
「……トモ……っ」
　今胸にあるこの気持ちを理解してほしいとは思わない。受け入れてほしいなんて望まない。それでも、繋がりだけは持ち続けたかった。智友と完全に他人になる日が来るなんて考えたくなかった。
　勇気は目を閉じて必死に考える。終わりを迎えないために、自分がこれからなにをするべきかを。
　少し前までの智友は、今よりももう少し態度が柔らかかった。学生時代のようなやりとりもできて、いくらか笑顔も見せてくれて、肌を重ねていなくとも楽しい時間を過ごすことができていた。それがまた元に戻ったきっかけは――。
『トモ、飴……今は食べてないのか？　昔はよく舐めてただろ。卒業するときだって……』　
　何気なく口にした問い。その問い以降、智友の態度が変わったのだ。あの日、自分に対して怒っていた智友。
　智友と自分と飴と――過去。
　考えてもそれですぐに浮かぶような心当たりは何もなかった。智友は昔よく飴を舐めていたけれど、その飴と自分との繋がりなんて、たまに智友から飴をもらうことがあったくらいだった。そこから智友が怒るような出来事は思い出せない。
　勇気は他からヒントを得るべく、昔の智友に関するキーワードを思い浮かべた。なんでもいいからと、智友に関することを頭の中で羅列していく。名前、誕生日、クラス、部活、理事長職に関すること、家族構成……。
　そこまで思い浮かべたとき、勇気の頭の中を掠めた出来事があった。
　昔、学生時代に。初めて学園の理事長室を訪れて智友が当時の理事長だと知った。そのときになにか引っ掛かりを覚えなかっただろうか。
　そのときは生徒会長の腕章を失くしたことや廃校問題で慌ただしくて、結局深く考えないままこれまでずっと忘れていたが。
　――あのとき。
　理事長室で智友と話をして、智友の兄だという三代目の理事長の写真を見た――そのときに。
　（……そう、写真を見たんだ…！）
　勇気はなにかがつかめそうな気がして、勢いよく起き上がった。
　写真を見たことはよく覚えていた。智友とも少し前そんな話をした。若くて優しそうな、智友の兄。
　だが昔、その写真を見たときになにか引っ掛かりを覚えたことは忘れていた。写真のなにが気になったのか……勇気は懸命に思い出そうとするが、それはなかなかつかめなくて。
　写真の記憶も曖昧だった。見たときの印象だけは覚えているが、細部までは思い出せない。
　もう一度写真を見ればなにかがつかめそうな気がした。智友と、その兄の写真を見れば。
　当時その引っ掛かりをそのままにして忘れ去っていた自分を恨む。写真をもう一度見たからといって、智友との繋がりを維持する直接の手立てにはならないかもしれない。その疑問を解いたところで無意味なことかもしれない。
　それでも今改めて智友の兄の写真を――好きになった人の大事な家族の写真を見たかったし、智友のことなら何でも知りたかった。
（写真……トモに言ったら、見せてくれるかな……）
　いきなりなんだと思われるかもしれない。それだけならまだしも、勇気の行動をあやしみ、写真を見せる気はないと言われてしまうかもしれない。
　智友のことをもっと知りたいからと言えば見せてくれるだろうか。……それとも。
（……トモのお兄さんの写真なら……学園の理事長だった人の写真なら、ベルリバティに行けば見られるかもしれない……？）
　もしくは、智友の兄を知っている人物が写真を持っていれば。
（――）
　そして勇気は智友の兄のことを知っていそうな一人の人物を思い浮かべた。その人物だったら写真を持っているかもしれない。少なくとも、ベルリバティの歴代の理事長の顔がわかるものを所有している可能性があると思えた。
（連絡を、とってみよう。あの人なら……）
　勇気は決意する。
　このままの状態でくすぶっていても、なにかが変わることはない。それならば。
　勇気は頭の中でその人物と連絡を取る方法を考えはじめた。
　その人物――智友が理事長に就任していたときの副理事長で、現在のベルリバティの理事長だという、勇気もよく知る人物と。

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