自分はいったい何がしたいのだろうと智友は思う。
　最近は勇気を抱きつぶすか、冷たく突き放した言動しかしていない。元から優しくしていなかったが、ある日を境にそれがエスカレートしたことは自覚していた。勇気が口にした何気ない問いに、自分だけが勇気と過ごした時間を大切にしていたことを改めて突きつけられて。その日以降自分の中の苛立ちがおさまらず、勇気にひどいことばかりしている。
　勇気を強引に抱き、勇気とセックス以外で過ごす時間を極端に減らし――その挙句、勇気からもそれ以外の時間を求められることがなくなった。自分が帰るとき、本当に勇気が意識を飛ばしているときもあるが、ときおり寝たふりをしていることにも気づいていた。以前のように話を聞きたいとはもう言われない。それはつまり、勇気にとっての自分の価値は、今はただセックスの相手としてだけということではないだろうか。友達だと言っていても実際は過去の関係が求められることはなく、まさに自分が初めに口にした通りの、セフレの関係でしかない。
　それならば勇気が自分にこだわる理由はないんじゃないかと、一度勇気に他の相手のことを示唆したことがある。勿論実際に勇気が他の男に抱かれるのは我慢ならないが、今の勇気ならそれもありうるかもしれないと思えた。最初に勇気を抱いたときに使った媚薬入りのローションは、二度目以降使うのをやめた。それでも快感には素直に反応し、男に抱かれることに慣れた勇気。
　自分が言い出した関係で、勇気の体を作り変えるとは言ったが、まさか本当に、勇気がここまで変わるとは智友自身思っていなかった。そのうちきっと勇気の方から投げ出すと思っていたのに。
　――今も変わらず責任感が強くて、友情に厚い勇気。そのまっすぐで純粋な印象は変わらないのに、抱かれているときは快感に従順で、学生のときには想像できなかった艶やかさをまとう。背中に回された手、自分を呼ぶ声、自分を見返す瞳が、まるで本当の意味で自分を求めているような錯覚を起こさせる。本人は無意識なのだろうが、不意に優しい表情を向けられると、心臓を鷲掴みにされて本当に勇気が好きで好きでたまらなくなる。
『もしかしてトモには、トモを待っているような相手がいるのか…？』
　勇気からの問いの答えは「否」だった。待っているような相手なんかいない。そんな相手がいたら、こんなに勇気に囚われていない。けれどあのとき、勇気の言葉にすごく腹立たしい気持ちになって、自棄になって「いる」と答えた。自分を待っている相手ではなく、好きな相手がいる、と。その答えのすり替えに気づかないまま、勇気はそれを受け入れたようだった。―― それも当然だ。そんなふうに嘘をついたところで勇気には大したことではなくて、よけい虚しさが増しただけだった。
　そう、初めから虚しさしか生み出さない関係だった。一時的に勇気の体を手に入れたところで本当に勇気のすべてを手に入れることはできなくて、いつか――勇気に別れを言いだされる形で、終わりが見えている関係。
　勇気を手放したくないと強く思う。けれどその一方で、自分が好きになった勇気にこんなふうに無理を強い続けていていいのかとも思う。
　勇気の笑顔を最近はまったく見ていない。学生時代はあんなにいつも笑っていたのに。そのなにも気づいていない笑顔にやるせなさを覚えたこともあるが、それでも勇気の笑顔が好きだった。
　――学生時代でなくても、以前は勇気の笑顔を見ていたことを思い出す。笑顔だけではなく、話をしろと怒ってきた顏、むくれた顔、照れて戸惑った顔……いくつもの表情を見ていた。言葉のやり取りもまるで昔に戻ったみたいに遠慮のないもので。
　自分がそれを変えてしまったのだが、それでもそのとき勇気と過ごしていた時間は楽しかったと今は思う。あのまま、普通でないセフレの関係であっても、あんなふうにたわいのないやり取りをずっと続けることができていたら――それはまるで、けして得られない関係を錯覚させるかのようで。
　ずっと、諦めていた。昔から自分が得られるものはなにもなくて、手に入らないのだから望む方が馬鹿馬鹿しくて。ただ流されるままに生きて、食べて寝て呼吸して。勇気とのつながりもベルリバティでの思い出も、もう二度と交わらない世界のことなのだからと自分と切り離していた。けれど思いがけず勇気と再会して、その身体を思うさま抱くことができて。さらに勇気と話をし、同じ時間を過ごし、その笑顔を見ることができてしまったから、諦めていたはずの勇気と過ごす楽しい時間がこのまま続くことを、心の奥底で願ってしまっていたかもしれない。
　期待も願いも望みも――夢も、自分には無縁のもので、もうとっくに忘れたと思っていたのに。
「…勇気…」
　大切な名前をひっそりと呟く。
　望んではいけないもの。手に入れられないもの。
　でも望まないこととそれを壊すことは別だと思う。
「はは……馬鹿みたいだよな、俺。一人で空回りしててさ…」
　一方的な気持ちであることが悔しくて、勇気にやつあたりまでして。
　いい年してなにやってんだろうと思う。学生時代から何年経っていても、結局精神的にはなにも成長していない。
　――もう、踏ん切りをつけないといけないのかもしれない、と、頭の片隅で考える。学生時代、勇気の隣にいて、勇気を助けたいと思った。勇気が何者かに脅かされるなら守りたいと思った。勇気は自分の手なんか必要ないくらい、強くてしっかりしてて眩しい存在だったけど。
　今度は勇気に害を為す「自分」から、勇気を守るべきかもしれない。
　勇気を手放せない。勇気に会える距離を失えない。
　でも、もう。



　勇気が榊と会った翌日の夜、勇気の部屋を智友が訪れた。前もって連絡をしてきたとおりの時間に現れた智友を、勇気は玄関で迎える。
　最近は智友がすぐ部屋に入りやすいように端に寄ってドアを開けていたが、その日は正面から智友を迎えた。
「トモ、待っていたんだ」
「……俺に抱かれるのを？」
　智友はそう言うと、靴を脱いで勇気の横に割り込むようにして押し入った。そのまま上着を脱ぎながら寝室に向かう。
「だったら話は早いな」
「そうじゃなくて。――トモ。俺たち、子どもの頃に会ってたんだな」
　智友は振り返らない。勇気は智友の背中に向けて、さらに口を開いた。
「何度も会って、何度も一緒に遊んでたんだな。今まで忘れてて、ごめんっ」
「……なんの話？」
　智友は脱いだ上着をベッドに放り投げた。
「俺が引っ越す前に住んでいた家の近くの公園で。いつも時間が経つのも忘れるほど夢中になって遊んだだろ」
「知らないな。覚えてない」
「トモ」
「勇気一人で夢でも見たんじゃないのか」
　智友がようやく振り返って勇気を見る。口元に浮かぶその皮肉げな笑みに、智友が、本当はちゃんと覚えていることを勇気は確信した。
「トモ、ごめんっ。俺だけがずっと忘れてて、今までなんにも気づかなくて。本当にごめん！」
「そんなつまらないこと忘れたよ。勇気だってずっと忘れてたんだろ。その程度のことだろ、いまさら…。ああ、今度は昔の思い出話をしたくなったのか。話題を一つ思いついたってわけだ。でもあいにく、俺は全然覚えてないから話なんかできないけどな」
「……トモ、本当に忘れててごめん」
「――謝らなくていい。それだけ勇気にとって大したことじゃなかったんだから。俺のことも兄さんのことも」
「それは違うっ！　そりゃ、今まで忘れていた俺の言葉じゃ説得力ないかもしれないけど、でも大したことじゃなかったわけじゃない。トモのことも、ナオ兄のことも」
「自分で言ったとおり、ほんと説得力なさすぎ。まあ、むしろ今になってよく思い出したなって気もするけど」
「――トモとナオ兄の写真をもう一回見たんだ。昔、ベルリバティの理事長室でトモたちの写真を見たときに、なにか引っ掛かりを感じたことを思い出して。本当は、写真を初めて見たときにすぐに昔のことを思い出すべきだったんだけどな……」
　昔のことを忘れていたことについては、トモにすまないと思う気持ちがたくさんある。自分が気づくのが遅くて、学生時代も今も、知らない間にトモをたくさん傷つけていたと思う。けれど、だからこそ今は智友とちゃんと向き合いたかった。謝罪の気持ちと後悔があるから目を伏せるのではなく、なにを言われても、智友の本心にもっと近づきたかった。
「写真て……ベルリバティに行ったのか」
「違う、榊先生に会って、写真を見せてもらったんだ。それで思い出した」
「……俺たちのこと話したんだ？」
「話してない。トモと会ってることは話したけど、詳しいことは何も……」
「へえ、なんで？　榊先生に話せばよかっただろ。俺に強要されて、俺のセフレしてますって。そうすれば榊先生ならどうにかしてくれただろ。……それとも、伝説の生徒会長様が男に抱かれるような人間だと知られたくなかったわけか？　俺たちの関係がばれて止められたら、勇気の体的に困るからとか。……そっちの方が当たり？」
　揶揄するように笑って智友が勇気を見る。勇気はその視線を受け止め、真摯に言葉を連ねた。
「どうしてそうなったのか説明しづらいし、榊先生を驚かせてしまうだろうし、それにやっぱり……内容的にも話しにくいことだから言わなかった。話すきっかけも特になかったし」
「俺の写真を口実に会って、別の話で楽しく盛り上がったってわけだ」
「トモ」
「ま、いーけど」
「トモ、俺は強要されてなんかいないよ。俺とトモはお互いの合意の上でこうしているだろ。これは俺が決めたことでもある。だから、トモがいいなら俺は誰に話してもいいよ。わざわざ言いふらすことではないけど、自分で決めたということでは後悔してないから」
「は……ベルリバティのあの面々にも言えるって？」
「勿論」
「……そんなの、俺が殺されるだろ……」
　智友は力なくそう呟くと、ベッドに腰を下ろした。
「――勇気、過去の話をしたいんだよな。だったら勇気の知らないことを教えてやるよ。公明正大で、いつだって太陽の下を歩いてきたお前とは、俺は出会ったときから全然違うってことをな」
「なんだよそれ」
「俺、施設育ちなんだ。勇気とあの公園で会ったときも、兄さんと施設で暮らしていた。だからそのことを知っている学校の連中なんかは、俺に近寄りもしなかったよ」
「そんなこと関係ないだろ！　それが俺とトモが違うってことには――」
「底辺にいる人間はずっと底辺のままなんだよ、勇気。勿論兄さんは違う。兄さんは俺と一緒に施設にいたけど、そのあと鈴菱に養子に入って、ベルリバティの理事長になった。勇気と同じでまっすぐで強くて優しくて、俺の憧れで、俺の自慢の兄さんだったよ。でも俺は兄さんや勇気とは違うんだ。俺の手は――とっくに汚れているんだ」
　智友の口元に笑みが浮かぶ。自嘲の笑みが。
「ベルリバティでお前と再会したときには俺はもう犯罪者だったんだよ。未成年だったから考慮されて刑罰の対象にならなかっただけで、でも明らかな犯罪行為に加担していたんだ。……またいつか、同じことをやらないとも限らないだろ。俺と関係があるだなんて言うのは、勇気の経歴に傷がつくんだよ」
「俺の経歴なんてないし、そんなのは傷なんかじゃない。犯罪行為なんて言うけど、トモは‘加担’したって…未成年だったって…そこにはトモの望んでない、なにかの事情があったんだろ？」
　当たり前のような口調で勇気が言う。犯罪だの刑罰だのという単語を聞いても、まるで臆した様子のない勇気が。
「事情なんかない。俺がやりたくてやっただけだ。未成年だし罪には問われないだろうから、初めから楽しむつもりで――」
「そんなのは嘘だ」
「…っなにも知らないくせに決めつけるな」
「トモが経験した昔のことはなにも知らない。でも俺がつきあってきたトモのことならわかる。……トモのことで知らなかったこと、気づけなかったこともたくさんあるけど、でもこういうことならはっきりとわかる。トモは望んで犯罪行為に手を染めたりしない。絶対にそこにはなにかの事情があったからだ。そしてその事情を知ったら俺は絶対納得するし、それは俺とトモが違うことにはならない。トモの手は汚れてなんかいない、俺は確信してるからな、トモ！」
　智友に近づいて、勇気は智友の手をとった。智友の目を見つめて、その手を自分の両手で強く握る。智友の手は汚れているわけじゃない、そう思っていることが強く伝わるようにと。
「勇気はなにも知らないからそんなふうに――……」
　智友の、反論しかけた言葉が止まる。
　勇気は詳しい事情をなにも知らない。単にあてずっぽうで言っているとも言える。
　だが、勇気なら詳しい事情を話したところで、まったく同じことを言うだろうと思えた。
　本当に、自分のことをなにも知らないくせに。昔一緒に遊んだことも忘れていて、ベルリバティでの三年間も、自分の本心になにも気づいてはいなかったくせに。
　それでも勇気はいつだってまっすぐで純粋で、そんな勇気だからこそ、自分は何度も勇気に強く惹かれてしまうのだ。
　智友は勇気を眩しげに見つめたあと、大きく、大きく息をついた。
　潮時だと思った。
　今でも変わらない勇気の心を、自分なんかがこれ以上傷つけてはいけないと思えた。
「――もうやめよう」
「……え？」
「もう、いいから。普通の友達に戻ろう」
「――な、に……なに言ってるんだよ、トモ。今そんな話……」
「勇気に無茶なことばかり言って悪かったよ。勇気の気持ちを試して悪かった。でももうわかったから……お前が本当に俺のことを友達として大事に思ってくれているのは。だから、セフレじゃなくて、普通の友達に戻ろう」
「――」
　勇気は智友の真意を知るべく智友の顔を見返した。そこに、自分をからかっているような要素があればいいと思った。どこか皮肉げな笑みを浮かべて、「…なんて言うと思った？」と、すぐに否定してくれればいいと思った。
　だが勇気を見返す智友の瞳は静かで、そこにあるのはなにかを吹っ切ったような落ち着きで。
　勇気は、智友の本気を知った。
「勇気が俺の話を聞きたいというなら話をするよ。今度はどこかの店で食事しながらでも、飲みながらでも。外で、普通に話をしよう。ちゃんと定期的に連絡するから」
「て…定期的って、そんなの、トモがまた携帯変えて音信不通になる可能性だってある、だろ……」
「俺の職場の住所と番号を教えるよ。連絡ないと思ったら押しかけてきてもいい」
「しょ、職場だって辞められたらっ」
「そう簡単に辞められるわけないだろ。そりゃ、今までが今までだから、信用できないのかもしれないけど。でももし職場を急にクビになったとしても、榊先生と俺の後見人だった人には正確な連絡先をいつも伝えてあるから」
「――」
「勇気、本当に今まで、無茶苦茶してごめん。でももう、あんなことは言わないから。昔と同じ関係に戻ろう」
　昔と同じ関係――智友にそう言われて、勇気はふらりと智友から離れた。頭の中ではベルリバティで智友と過ごした日々が走馬灯のように巡っていた。眩しいくらいに明るい日々の中で、なんのてらいもなく笑っていた自分と、その隣にいた智友。まさに友達同士として、楽しい時間を一緒に過ごした。
　その関係に戻る――もう、智友に抱かれることはなく。ただの、友達に。
「……急に、なに言ってるんだよトモ。そんなのトモの都合によるものだろ。このまえは否定したけど、結局トモが俺に飽きただけって話だろ。それともやっぱり恋人に義理立て…っ」
「そうじゃない。俺が、自分の間違いに気づいただけだ。本当は最初からこうしていればよかったんだけどな。勇気が望んでいた通りに普通に話をして」
「――っ」
　そう、最初は、ただ新しい連絡先を聞いて、智友の話を聞くだけのつもりだった。智友の本音を知り、昔と変わらない友情を築きたかった。
　そんなふうに望んでいたのは確かに少し前の自分。
　だけど、今は。
「勇気」
　智友が勇気に向けて手を差し出した。
「確かに俺の都合だし勇気を振り回して悪かった。でももうこれで勇気を振り回すのは最後にするから。……もういいんだ」
　勇気の目の前に差し出された智友の手。勇気はその手を見つめた。
　この手を取れば、今までの関係はなくなり、元の友達関係に戻る。……戻ってしまう。
　勇気は智友の手を取ることもできないまま顔を伏せた。
　その勇気の耳に智友の声が聞こえた。
「勇気を俺から解放するから。……今度からは俺のことなんか気にせず……いい相手見つけて週末にデートでもすればいい……」
「――っ！！」
　勇気は智友の手を思いきりはじいた。
「…っ、勇気？」
「自分には相手がいるからって俺にまで押しつけるなっ！　週末に予定を入れてデートしたいのはトモの方だろっ!?　俺のためみたいな言い方するなっ！」
　そう叫んだあとで勇気は顔を上げて智友を睨みつけた。
「大体ほんとに勝手だよ、トモは！　もうやめるとか昔に戻るとか、トモの都合で俺のこと振り回すなっ！　トモは簡単になかったことにできるのかもしれないけど、俺は、いまさら元に戻れるわけないだろっ!!」
「……それは、勇気の体が男を覚えたから、元に――」
　智友の言葉を最後まで言わさず、勇気はベッドの上にあった枕をとると、トモに叩きつけた。
「違う！　俺が本当のトモを知ったからだろ!?　トモの本心を教えられて、本当の笠原智友を知って、それでっ！　――っ、トモのことを好きになっちゃったんだから、前と同じに戻れるわけないだろっ!!」
「……勇気、それ体に引きずられてるだけ……わっ！」
「トモのバカっ！！」
　勇気は持っていた枕でさらに智友に殴りかかった。
「そんなの俺だって考えたっ!!　何回も何回もっ！　でもトモが好きだって答えしか出てこなかったから、しょうがないだろ!?　――昔のこと忘れてて悪かったよっ。でも俺なりに必死に考えて動いて、それで思い出したんだからなっ。お前のことが知りたくて、もっとトモと繋がりを持ちたくて懸命に思い出したんだからなっ!!」
　勇気が何度も振り上げていた枕が床に落ちる。智友は防御のために上げていた腕を下ろし、そこに自分を見つめる勇気を見た。
　自分を見つめる瞳に浮かぶ、勇気の涙を。
「勇気……」
「――トモが好きだよ。トモが好き……。トモのいない生活なんてもう考えられない。トモとただの友達なんかでいられない。トモに恋人がいたって抑えられないし、トモにとっては俺のこんな気持ちなんて重くて鬱陶しいだけだろうけど、それでも、トモが好きなんだ……」
　智友の目の前で、勇気が涙を流している。あとからあとから、ぼろぼろとこぼれ落ちる涙。
「……」
　智友はベッドから立ち上がると、泣きじゃくる勇気に近づき、指先でその涙に触れた。その涙が、これ以上疑えないほどに、勇気の気持ちを伝えてくれた。
「……――俺に恋人なんかいないよ」
「だってこの前……」
「俺の片思い歴舐めんな」
「え、じゃあやっぱりトモには好きな人が……」
「バカ」
　涙に触れていた手で、勇気の額を軽く小突く。
「痛っ…」
　そのあとで智友は、勇気の胸元をつかんで自分の方に引き寄せた。
　目を閉じて、勇気に。
「――」
　勇気は目を開けたまま呆然とする。最初、なにが起きたのかわからなかった。
　智友に額を小突かれたあと強引に引き寄せられ、そして。
　有り得ないほど近くに智友の目を閉じた顔があって、唇に触れるかすかな熱。
　やがて軽く胸を押されるようにして智友から離され、閉ざしていた瞳がこちらを見た。
　そこに浮かぶ楽しげな光。
「好きだよ」
「…………嘘だ……」
「ほんとだって」
「だってトモ、好きな人がいるってっ。ずっと想い続けている相手だって！」
「だから、それが勇気なんだって」
「……」
「信じられないなら証拠を見せるけど」
「証拠？」
「勇気が信じるまで」
　そう言って智友は、再び勇気を引き寄せた。そして先程のように唇を重ねる。
「……っトモ…」
　勇気が智友の胸を押し返すと智友はいったん離れたが、すぐにまた口づけてきた。今度は勇気の隙をついて舌を忍ばせてくる。初めてのことに勇気は抵抗するが、智友の腕が勇気の背中に回り込んで、勇気を逃がさない。
「…っ…んっ…トモ、ちょ……やめ…」
「いやだ。だって、信じられないんだろ。……ん」
「んんっ……あ…ふっ…――トモ、お、俺とはキスしないんじゃなかったのかっ……!?」
「――バカだな。そんなの強がりに決まってるだろ」
　勇気を見つめて智友が笑う。その優しい微笑みに、それが自分に向けられていることに、勇気はまだ現実を認識できなかった。
「つ、強がりって」
「どうせ片想いなんだしって拗ねてただけだよ。勇気にキスしたら、俺の気持ちが伝わっちゃいそうだったしな。……こんなふうに」
「ん…っ……トモ、だからっ。……お前、変わり身早すぎっ。あのとき、トモに馬鹿にされてすごく傷ついたんだからな！」
「やっぱりあのときキスしてほしかったんだ？　勇気も素直じゃないよな。してほしいならしてほしいって言えばいいのにな」
「あのときはキスする気全然なかったくせに！　――そうだよ、してほしかったよ。だってあのあとにトモへの気持ちに気づいたんだからな！」
「じゃああのときはしなくて正解だったじゃないか。キスしてたら鈍い勇気のことだから、そのまま流されて気づかなかったかもしれないだろ」
「気づいたよ、きっと。トモとするキスの甘さできっと自分の気持ちに気づいた……っていうか、鈍いってなんだよ……んっ」
　勇気が文句を口にすると、その唇をまた軽くふさがれた。
「だって勇気はほんとに鈍感だろ。学生時代はそのうえお子様だったし、俺はさんざん苦労させられたよなあ。……あ、でも、確かにキスは勇気とするのが一番甘いかな」
　勇気から視線を離して考えこみながら言った智友の足を、勇気は反射的に自分の足で踏みつけた。
「一番てなんだよ。誰と比べて…っ」
「勿論、俺の過去の経験上の話」
「……っ」
「あ、身体の相性もやっぱり勇気が一番だから、安心しろよ。勇気のナカの気持ちよさは、他の誰としても得られないものだしな」
　勇気が不満を持っているのを知ったうえで余裕ありげにそんなことを言う智友に、勇気は思わず、
「……トモ、性格悪いぞ……」
と呟いた。それを聞いて智友が吹き出す。
「その性格悪いのを勇気は好きになってくれたんだろ。……妬いてくれる勇気が嬉しくて、もっと妬かせたくなるんだよ。本当にもっともっと妬けばいい。だってずっと俺ばっかりだったしな」
「俺だってトモの好きな人にたくさん妬いてきたし、トモの過去にも……。これ以上はいやだ」
「俺と比べたらそんなの全然足りないだろ。さっきだって平気で他の男の名前口にするし」
「他の男の名前って、あれは」
「勇気。足りないと言えば、今俺、勇気がすごく足りないんだけど。もうキスだけじゃ我慢できない」
　勇気が言いかけたことを遮り、智友が勇気の頬に口づけながら言った。その唇が勇気の目元や耳に移っていくのとともに、勇気の体に智友の体が押しつけられる。勇気は言葉だけでなく、智友がその気になっていることを密着した体で知った。慌てて自分の気持ちを伝える。
「トモ……！　で、でも俺、トモともっと話がしたい。トモに聞きたいことがたくさんあるし、トモの気持ちももっと知りたいし。……まだ夢を見てるみたいで信じられないから、トモの言葉でちゃんと俺を納得させてほし……んんっ。だ、だから！」
「こんなにキスしてるのにまだ伝わらないんだ？」
「だ、だって……」
「じゃあやっぱり、勇気には体でわかってもらわないとな」
「うわっ、トモ！」
　智友に急に体を引き寄せられたと思ったときには、足を引っ掛けられ、勇気はそのままバランスを崩して後ろに倒れ込んだ。自分の位置的に固い床があるはずだと思った後ろには、ベッドの柔らかい感触がある。
「…あれ!?」
　いつの間にか体の向きを変えられていたことに気づかず混乱している勇気の上に、すぐに智友が覆いかぶさってきた。
「！　トモ！」
　智友は勇気の手を取ると、その手の甲に口づけながら勇気を見た。
「元々そのつもりだったんだし、体、今日もちゃんと準備してくれてあるんだろ？」
「一応は……けど、でも俺、今日はトモとちゃんと話をするつもりだったんだからな。だからまずはっ」
「だめ。勇気、今までずっと話はヤったあとだっただろ？　いまさら順番変えるなよ」
　智友が今までのことを持ち出してそんな言い方をする。それに対して勇気はすぐさま反論した。
「それはトモが勝手に決めたことだろ。たまには前払いしたっていいだろって俺前にも言ったよな。それに、ここんとこトモが全然話をしてくれなくて、ツ、ツケがたまっているんだからな！　ちゃんとニコニコ明朗会計が基本だろ！」
「俺はそのつもりだったのに、請求しなかったのは勇気だろ」
「……なっ、明らかに踏み倒していたのはトモの方だろ！」
「勇気が体力ないだけだろ。ま、とりあえず二回ヤったら話でもなんでもするから」
「にっ……!?」
「あー、やっぱ三回？　俺が好きだっていう勇気の熱い気持ちに応えないとな」
「…っそんなの、トモが俺のこと好きすぎて我慢できないだけだろっ!?」
　勇気が強く言い返すと、智友が勇気に向けて笑みを見せた。――蕩けそうに甘い微笑み。
「当たり。勇気が好きで好きでたまらなくて、今ものすごく勇気をかわいがりたい気分なんだから抱かせて。今までで一番大事に、一番優しく抱くからさ」
「……そんな顏でそんなこと言われたら拒否できないだろ……」
　その笑顔に完全に負けた気分になり、勇気は智友の背中に腕を回した。

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