和希、今はどこにいるのかなあ。 　教室よりは手芸部の部室のほうがいる確率高いかなあ。サーバー棟の理事長室にいるかもしれないけど、そこまでいくには人に見つからないようにしないといけないし･･･。 　校舎まで戻ってきた俺は、廊下の途中で足を止めた。和希がどこにいるかわからなくて少し迷う。 　うーん、順番に見ていくしかないかな。すれ違う可能性もあるんだけど･･･。 　俺がそんなことを考えていると、 「けーいた。こんなところに立ち止まってどうしたんだよ」 　いきなり声が聞こえてきたと思ったら、後ろから二本の腕が俺の肩にのしかかってきた。 「か、和希っ」 　腕の重みと声で和希だとわかったものの、俺は和希だからこそ恥ずかしくなってしまった。自分から会いにいくところだったけど、こんなふうに心の準備もしてないうちに会っちゃったらびっくりするって。 「なんだよ、そんなに俺驚かせたか？」 　耳から聞こえてきたのは和希の憮然とした声。 　うわっ、ほんとに和希だ･･･っ。 　制服越しの体温と和希の低い声、それに耳元や首筋をかすめる息遣いが俺をどきどきさせた。多分、同じ会うんでもさっさと顔を見ちゃった方が、ここまでどきどきさせられなかったかもしれない。まだ顔を見ていない分、今日聞いたいろんな話が頭の中に浮かんできてしまった。 「啓太？」 　後ろにいた和希が、俺の肩をつかんで俺を振り返らせた。 　あ、和希の顔だ･･･。 　そんなの当たり前のことなのに、俺はいまだに胸の中のどきどきを抑えられないまま和希の顔をじっと見つめてしまった。今俺の目の前にいるのは「今の和希」で、さっきまでいろんな人の話を聞いて俺の頭の中に浮かんでいたのは「ちょっと前の和希」だった。勿論実際には当時の和希の顔を知らないんだけど、勝手にほんの少しだけ初々しい和希を想像していたんだ。 　いきなり目の前で、一気に数ヶ月分の時間が進んだような錯覚を覚えた。 「本当にどうしたんだよ、啓太」 「べ、別にどうもしないよ。なんで？」 「いや、なんかぼうっとしてるみたいだからさ」 「そうかな？　ただちょっと驚いただけだよ、いきなり和希に会ったからさ」 　本当は和希の言うとおりぼうっとしていたんだけど、それをごまかすように俺はそう言った。 　すると和希は、どことなく複雑そうな顔を浮かべた。･･･あれ？ 「･･･和希？」 「いきなりって･･･ただ啓太が俺に気づいたのは今が初めてってだけだろ？　俺が啓太に声をかけたからさ。俺が声をかけなかったときは、啓太俺に全然気づいてなかったしな。俺が見かけるたびに別の誰かといたし、手を振っても俺に気がつかなかったみたいだし」 「え？　そうだった？」 　それっていつの話だろう。確かに俺にとっては、教室を出たあと和希と会ったのは今が初めてなんだけど･･･。 　そもそも和希、今日なにしてたんだ？ 「そういえば和希、和希は今日の放課後･･･」 「手芸部にいたよ。途中ちょっと抜けてサーバー棟に行ったり教室に戻ったりしたけどな。それより啓太、俺のことに全然気づかないほど、楽しそうに話をしていたよな。西園寺さんや七条さん、俊介と話すのはそんなに楽しかったか？　学生会にも嬉しそうに顔を出してたしな」 　あ、和希のやつ、すごい機嫌が悪そう･･･。和希、俺のことそんなに見かけてたんだ。それに和希にそんなふうに言われるほど、俺、楽しそうにしてたのかな。 　･･･うーん、やっぱり楽しそうにしていたのかもしれないな。 　だってそれは――。 「うん、みんなと話をしていてすごく楽しかったよ」 　俺は和希に向かってはっきりと言ってやった。 「ふーん、それはよかったな」 　全然そう思っていないのがわかる、和希のとげとげしい声。 　それを聞いて俺は思わず笑ってしまった。和希がそんなふうに言う理由がわかったから、なんとなくくすぐったくなってしまう。 　このまま種明かしをしないで和希を不機嫌にさせておくのも楽しそうだったけど、ちょっとでも妬いてくれて嬉しかったから俺は和希に本当のことを話すことにした。 　ちょっとだけ、おまえを増長させてやるよ和希。 「だって、みんなと話していたのは和希の話だったからさ。俺が和希のことをもっと知りたくて、みんなにせがんで和希の話をしてもらっていたんだ。だからすごく楽しかったし、夢中で話を聞いていたんだ。――全部、俺が大好きな和希の話だったから」 　和希の目を見てそう言うと、和希は一瞬の間のあと、そのまま俺に抱きついてきた。わわっ、和希ここ廊下だって！ 「ああ･･･感動･･･っ」 「和希、ここ廊下だぞっ」 「その廊下で啓太が大好きって言ってきたんだぞ」 「う･･･そ、それは･･･」 「俺が見かけるたびに啓太がすごくいい顔してるからしゃくだったんだけど、なんだ、みんな俺の話してたんだ？　俺の話だったから、あんなにいい顔してたんだな。そうか、あれは啓太の俺のことが好き好きっていう表情だったんだな。それがわからなかったなんて、俺もまだまだだよな」 　和希のやつ、さっきまで不機嫌だったのに、もうこんなにご機嫌になってるよ･･･。わかりやすいっていうか、単純ていうかさ。 　それに案の定、図に乗ってるよ。「好き好きっていう表情」なんて、いったいどんな顔なんだよ！ 　やっぱりもう少し本当のこと話すの引き延ばして、もっといじめてやればよかったかな。 「で俺の話って、どんな話をしてたんだ？」 　和希は最後にもう一度俺のことを強く抱きしめると、わりとあっさりと解放してくれた。 「ん、和希の入学式の話だよ。俺そのときはまだベルリバティにいなかったから、和希がどんなふうに入学式に参加していたかなんて全然知らないだろ？　だからその当時のことをみんなに聞いていたんだ」 「入学式の俺かあ･･･。啓太が話を聞いてたのは西園寺さんや七条さんや俊介だったよな。あと学生会室には誰がいたんだ？　王様と中嶋さん？」 「いや、中嶋さんはいなくて、王様だけに話を聞いたんだ」 「ふうん。それで、みんなどんなこと言ってたんだ？」 「それは秘密」 　俺が和希に向かってにっこりと笑いながらそう言うと、とたんに和希はいやそうな顔を見せた。 「ちぇ。みんな好き勝手なこと言ってたんだろうな。啓太にあることないこと吹き込んだんじゃないか？」 「さあ、それはどうかな。まあ確かに俺が聞いてても、和希ってけっこう嫌われているみたいだなあとは思ったけど」 「いじめるなよ･･･。そもそも啓太が話を聞いた人選が間違っているんだろ」 「でも成瀬さんや中嶋さんに聞いても似たようなものだとは思うけどな」 「･･････」 「結局、誰に聞いても同じような話を聞かされたかもしれないよな。それこそが周りから見た本当の和希ってことだろ？」 「･･････」 　俺の言葉に和希はとうとう黙ってしまい、無言のまま指で頬をかいていた。 　へへっ、なんかちょっと楽しいかもしれないな。和希に対して勝った！って気がする。 「啓太･･･」 　俺が上機嫌なのを見て、反対に和希は俺を恨めしそうに見ながら深い溜息をついた。 　･･･うーん、ちょっといじめすぎたかな？ 「で、どうだったって？」 「だから秘密だって」 　同情させて俺から話を聞きだそうって魂胆？　俺はそう思ったんだけど、和希の質問はみんなの話の内容についてではなかった。 「違う、そうじゃなくて」 　そう言った和希はもう暗い雰囲気なんか全然なくて、俺の腕をつかむと俺に向けて不敵に笑ってみせた。 「みんなから話を聞いた啓太の感想だよ。俺の話を聞いてどう思った？　俺に惚れ直した？」 「なっ、なんだよ惚れ直したって。なんでそれくらいでっ」 「だって今の啓太そういう顔してるからな」 「しょってるぞ和希。普通逆だろ。みんなから和希の悪い話を聞いて、俺が幻滅したかどうか確かめるところだろ、そこはっ」 「幻滅したのか？」 「う･･･してない、けど･･･」 「じゃあやっぱり惚れ直したんだろ？　俺の昔の話を聞いて頭の中で想像して、それに啓太はほだされちゃったってわけだ。そんなかっこいい和希に俺も早く会いたかったなって、そう思ったんだろ？」 「そんなこと思ってないって！　勝手に決めつけるなよ和希」 　俺は和希の自信満々な態度が鼻について、すぐにきっぱりと言ってやった。 　･･････本当はみんなの話を聞いて少し惚れ直したりもしたけど･･･それはこの場合ちょっと内緒だ。 「俺はそのときの和希に早く会いたかったなんて思ってない。やっぱり俺は春に入学して普通にここで生活していたよりも、途中から転入して、退学勧告とかＭＶＰ戦を通してだんだんベルリバティに慣れていって、っていう方がもう自然だし、それが一番よかったんだと思ってるんだ。和希とだって一緒に入学式に参加して出会うよりも、やっぱり今の出会い方のほうが正しいんだ」 　俺がそう言うと、一瞬和希はいやそうな顔をした。多分、俺が退学勧告のことを口にしたからかもしれないな。 　和希にとっては今も苦々しく思う出来事の一つなんだろうけど、勿論俺にとっても嬉しいことじゃなかったのは確かだけど、でもやっぱりあのことがあったから今の俺たちがあるんだと思う。 　だから俺は和希の目を見て思っていることをそのまま和希にぶつけた。みんなから『和希の入学式』の話を聞いて、俺が自分の中で結論づけたことを。 「そりゃあ和希と一緒に入学できなかったのは残念ていう気持ちも少しはあるけど、でももし俺がベルリバティに普通に入学していたら、いろいろな部分で損をしていたような気がするよ。新入生として入学式に参加していたら、当たり前だけど和希のこと同じ一年生としか見えなかったと思うし、きっと『本当の和希』には全然気づかなかったと思うんだ。俺が入学式に出ていたら今日みたいに和希の入学式の様子をみんなに聞きまわることなんかなかっただろうし、だから話を聞いてそのときの和希を想像したり、『本当の和希』の一面に気づくなんてこともなかったと思うんだ。――今話を聞いたから、俺はすごくわくわくしていたんだと思う。俺の知らない和希を知って、入学式に新入生として参加しておきながらちゃんとベルリバティの理事長として周りを見ていた和希を想像して」 　そこで俺は一呼吸おいた。改めてみんなから和希の話を聞いたときの楽しさを思い出すと、自然に口元がゆるんでしまった。 「和希を好きになって本当のことを教えてもらった今だからこそ、俺はすごく楽しかったんだ。だから和希との出会いも、今流れている時間も今あるとおりで正しいんだ。知らないからこそ想像できるし、知らないからこそ和希から話を聞くこともできるしな」 　俊介や王様たちから聞いた入学式の話は楽しかったけど、でも俺はそのとき、俺も最初から和希のそばにいたかったなんて思わなかった。それはやっぱり今ここに立っているまでの時間の流れを否定したくないっていう気持ちもあるし、たとえそのときはまだ出会ってなくても、離れていたときのことはこれから埋めていくこともできるから。 「･･････出会いっていうか、まあ本当は再会なんだけどな」 　あとで和希に突っ込まれそうな気がして、俺は一応ぼそっと付け足した。俺にとってはあんまりカズ兄との再会っていう意識はそんなに強くないんだけど、和希の方は俺より記憶が鮮明な分、再会の印象のほうが強いんだろうしな。 「･････････」 「和希？」 　和希はしばらく黙っていたかと思ったら、俺の目の前で大きな溜息をついた。 　う、フォローが遅かったせいか？　でももともとおまえが図にのるから･･･。 　俺はそう思ったんだけど、和希が溜息をついた理由はそのせいじゃないようだった。 「･･･まったく、どうしていつも俺の上を行くかなあ、啓太は」 「上？」 「啓太。それ、めーいっぱい俺に惚れ直したって言っているようなものだぞ」 「はあ!?　俺そんなこと一言も言ってないだろ!?」 「言ってるって。俺一人――て悔しいけど、確かにこれはこれでよかったのかもしれないな」 「え？」 　和希が小さな声で呟いた部分が聞こえなくて、俺はすぐに聞き返したんだけど、和希が言葉の代わりに俺にくれたものは触れるだけの軽いキスだった。 　･･･くれたというか、押しつけられたというか。 　いきなり和希の顔が近づいてきたと思ったら、和希の唇が俺の唇に押し当てられたんだ。 「か、和希っ･･･いつも言ってるけど、おまえはもっと場所を気にするべきだと思うぞ。廊下でこんなことして、誰かに見られたら本当にどうするんだよっ」 「いやあ、つい瞬間的に啓太への気持ちがあふれてきちゃってな。ま、確かにここじゃなんだから続きは場所を移してからにするか」 　和希は満面の笑顔で俺にそう言うと、すぐに俺の腕をつかんで引っ張りはじめた。 　つ、続きって、場所を移してからって･･･！ 「和希、ちょっと待てよ。おまえ、今はまだなにかの途中だったんじゃないのかよ」 「俺の用事は全部終わってるよ。啓太ももう帰るところだったんだろ？　だったらなにも問題はないよな」 「用事が全部終わってるなら帰ればいいだろ？　俺、和希からも入学式の話とか聞きたいし、その話しながらでもっ」 「話なら別に帰らなくてもできるだろ？　まあ、あとで啓太の聞きたいことなんでも話してやるからさ」 「あとでじゃなくて俺は今聞きたいんだけどっ」 「んー･･･啓太はわがままだなあ」 　ど、どっちがっ！！ 　俺は俺の腕を引っ張ってどこかに連れて行こうとする和希の頭を後ろから殴ってやりたい衝動に駆られたけど、実際にそうする前に和希がある教室のドアをさっさと開けて、俺を中に引っ張り込んだ。